表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

祈りのない村、神のいない夜

部屋に戻った私を待っていたのは、父からの手紙と、神殿の印が押された一通の文書だった。


開いた瞬間、私は思わず苦笑してしまった。


「――“巡礼教育”……ね」


 


それは、加護を持たぬ巫女候補に対して、

地方の祈祷所を巡り、祈りの実践と“神の声に触れる機会”を得るという名目の制度だった。


実態は、婚姻まで王都からの“遠回しな隔離”。

神殿の内部で微妙な立ち位置にある者を、静かに外へ追い出す常套手段。


 


それでも――

文面には一切の敵意も、拒絶の言葉もない。

むしろ“誠意”と“信仰の恩寵”を装った、美しい文章が並んでいた。


 


「未加護者の巫女候補は、白神の御心により、

 地方聖堂にて祈りの研鑽を重ねる義務がある」


「現王都聖堂での再審は、巡礼終了後、必要に応じて実施される」


 


「追い出すくせに、“義務”って言葉で正当化するのね」


私は小さく笑いながら、封筒を封じた。


窓の外では、アリシアが使用人に支度を指示していた。

“神殿の癒しの巫女”として、新たな公務に選ばれたのだという。


 


その姿は、誰が見ても“選ばれし者”だった。

光の中で微笑み、神に近づいていく存在。


それが、私の妹。


そして、私は――“追放される者”。


 


けれど、不思議と心は静かだった。


「……行くわ。どこまで届くのか、祈ってみたいもの」


誰のために、ではなく。

自分が、“祈りを信じられるかどうか”を知るために。


そう思えたから、私は旅支度に取りかかった。


 

王都を離れて、六日目の朝だった。


馬車の車輪がぬかるんだ土に沈み、きしむ音が響いた。

それが、ノエリアの旅の途中に出会うことになった、祈りの届かない村――《ラルナ》との出会いだった。


 


「ここが……目的の神殿では、ないのね?」


ノエリアが馬車の窓から外を覗くと、

薄曇りの空の下、歪んだ石の柵と、掘立て小屋のような民家が並ぶ風景が広がっていた。


馬車を操る従者が答えた。


「はい。峠の途中にある小さな村です。

 あまり人の出入りもないとのことでしたが……馬がここで足を取られました。少し休ませてから参りましょう」


「……ええ。わかったわ」


この旅には“目的地”がある。

王都の神殿から遠く離れた、北部の小さな教会施設。

だがその実態は、表向きには“癒しの加護を持たない巫女候補”を遠ざけるための半ば追放命令に等しかった。


ノエリアはそれを承知で、旅に出た。

 


* * * 



「旅のお方かい?神殿の御使いかね」


そう声をかけてきたのは、腰の曲がった老婆だった。


その表情は柔らかいが、目は警戒を含んでいる。

ノエリアが袖につけた“白神の紋”に目をとめて、そっと目を伏せた。


「失礼しました。この村では、神の言葉があまり届いていないと聞いていましたので……」


「届かないねえ。そりゃまあ、遠いもの。

 神さまも、偉い人たちも。

 ここまで、あんまり来てくれないよ」


老婆は小さく笑って、ノエリアを一つの焚き火へと案内した。


その傍らには、小さな男の子が座っていた。

足を引きずるようにして、片脚を庇っている。


ノエリアは咄嗟に膝をつき、尋ねた。


「足が……?」


「生まれつきさ。医者も神官も、“もう治らない”って言ったよ。

 加護もね、“波長が合わない”んだって」



ノエリアは息を呑んだ。


それは、まるでかつての自分のことを言われているようだった。

 


老婆はふと、遠くを見るように言った。


「昔ね、この村にも白神の神官が来たことがあった。

 けど、誰も加護をもらえなかったよ。“信仰が足りない”ってさ。

 それきり、神殿の人は来なくなった」


「……そんな、」


「だからさ、この子にも言ってるんだよ。

 祈ってもいいけど、期待しないように、ってね」


 

ノエリアは、焚き火の向こうに揺れる影を見つめた。



「でも、祈るんでしょう?」


老婆は、子供の頭を撫でながら言った。


「この子は、痛い夜になると、黙って誰かに話しかけるの。

 “神さまでもお星さまでもいい”って」



ノエリアは、焚き火の火を見つめたまま、小さく呟いた。




「……私は、神にすがりたいわけじゃないの」


 


* * * 


 


その夜、ノエリアは夢を見た。


黒い湖のような静けさの中。

星のような羽が一枚、落ちてきた。


手のひらに触れたそれは、冷たく、それでいてぬくもりのようなものを宿していた。


“まだ、祈っていい”


誰かが、そう囁いた気がした。



* * * 



翌朝。村の片隅で、少年が倒れたという報せが入った。


ノエリアは走った。


村人たちは、誰も祈らなかった。

誰もが、“意味がない”と思っていた。



でも――ノエリアは、祈った。


手を重ね、目を閉じて、ただ静かに願った。


“どうか、この命が、痛みに沈まぬように”


 


すると、彼女の手のひらが、ふっと光を帯びた。


白くはない。

けれど、黒くもなかった。


どこか懐かしい、月のような光。


 


少年の呼吸が落ち着き、頬に色が戻った。


ノエリアは、その光が何だったのかを知っている。

それが、“誰かを救いたい”という、ただの祈りだったと。


 


彼女の胸に、確かに灯ったものがあった。


それは、加護でも祝福でもない。


けれど、まぎれもなく――“祈りの証”だった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ