第五話
「ショータ様、折角だから我々に剣の稽古でもつけてくださいよ」
「魔王をも打ち倒した勇者の剣術を是非、ご指南いただけませんか?」
城内の廊下で騎士たちが何気なくかけた言葉なのだが、これに対するショータ様の返答は予想外のものだった。
「ごめんなさい! 僕はもう二度と剣を握るつもりはないんです! その頼みは受けられません!」
この一件はすぐに城全体に波及し、彼は一体どのような理由でそんなお考えに至ったのかが注目された。
……それで本人に詳しく聞いてみた結果、どうやら今回も私の過去の発言に原因があったらしい。
かつてウオデッカ王国に侵攻してきた魔族をショータ様が打倒してくださった後、私が彼のことを勇者と認定して、旅立ちを見送った際のことだった。
……そう、要するに私が彼を抱きしめて「脳を焼いてしまった」際と同時の出来事である。
『これから新たなる戦いに向かわれる貴方に対して送る言葉としては、矛盾した願いになってしまうのですが……
どうか一日でも早く、貴方が剣など握る必要が無くなり、ごく普通の少年に戻って、平和に過ごせる日々が来るように祈っております』
私はこんなことを言っていたらしい。
……申し訳ありませんショータ様。完全に忘れておりました。
いや、聞いたらギリギリ思い出せたんですけどね。確かに貴方に言いました、そんな感じのことを。
というわけでこの発言を受けて、約束通り世界を救った以上はもう剣なんか二度と握らない、戦いなんてしない、と断固決意なさったとのことである。
確かに剣は平和の対極に位置する凶器だ。所詮は暴力に使うための物。使わずに済むのならそれに越したことは無い。まったくもってその通り、それは間違いない。
……しかし、だ。
魔王は確かに滅び、魔族の侵略に人類が脅かされる恐れは無くなったといえど、魔物はまだ世界から完全に根絶されたわけではない。
一応、魔王がいなくなった影響で魔物は大幅な弱体化の傾向が見られるが、どちらにせよ人間の社会を守るためにはまだ武力の備えが必要となることに変わりはない。
本当にいざという時にはショータ様の御力を再び貸していただかねばならなくなるという可能性も、絶対に無いとは言いきれない。
……そして、これは……非常に不快な話ではあるのだが……魔族という「人類全体に共通する天敵」がいなくなった以上、今度は同じ人間同士で争いが起こる可能性もある。
歴史上、魔族の軍が人間の社会を侵略し始めて、そこで人間の勇者が決起して魔王を打ち破った、という事例は千年前と四百年前の二回あるのだが。
いずれもそうして世界が平和になったと思いきや、その後に魔族に荒らされた世界を立て直す過程で、人間同士の下らない利権争いが頻発してしまったという話がある。
我がウオデッカ王国は先日トコナッツ王国との貿易を積極的に推進していくという話が持ち上がった所なので、あの国と……事を構える、というようなことは、無いと思いたいものだが。
問題は……北方のユキマミレ帝国の方である。こちら側には依然として国交が無い。
故に、あの国がいつ何をしてくるのかが我々には予想できない。常に警戒を張り続けるしかない。
だから結局……武力が要る。自分が安心するために。
…………などという不毛極まりない話を「剣なんか捨ててただの少年に戻る」と決意を固められたショータ様に説いて良いものなのか。
と、私が葛藤していた時である。
ある一人の男性騎士がこう言ったのだ。
「申し訳ありませんでしたショータ様。貴方はもう十分戦ったのです。あとは我々大人が、貴方が築いた平和を守り続けましょう。
もうこれ以上、貴方の御力に頼る……いや、甘えることなど、二度と無いように。
……ああ、そうですね。英雄となった貴方がこの先二度と剣など取らずに済むことこそが、本当の平和の証なんですね。
ショータ様……もう剣の稽古などせがむような真似は二度と致しません。これからはどうか、戦いの無い日々を心安らかにお過ごしください」
……この言葉に反発する者も多少はいなかったわけではないが、やがて話はまとまった。
ショータ様をもう二度と戦場になど立たせない、剣など握らせない、ただただ何事も無く平和に過ごしていただけるよう、我々で尽力する……と。
この一連の話を受けて、王国軍の責任者たる私の夫はこう呟いていた。
「世界的な英雄となったショータ殿を我が国に留め置くことを他国に対する抑止力にしたい、などと打算だけで物を考えていた私は、とんだ思い上がりをしていたのかもな……」
……夫のその当初の見解に対しては私も概ね同意はしていたし、何と言うか……。
いくら超人的に強いからと言って、子供に重責ばかり背負わせ過ぎていたのね、私達は……つくづく……。
こうして、ショータ様はその御力を活かして順当に王国軍にでも入ってもらうか、という話は立ち消えとなった。
もうそれでいいのだろう。私自身も言われるまで忘れていたこととはいえ、彼には「普通の少年」に戻ってもらうというのは、私の最初の願いでもあったはずなのだから。
セキーシも「てっきりショータ君は普通に王国騎士の一員になって出世していくものかと」と驚いていたが、ちゃんとすぐに納得してくれた。
ブトゥーカ殿も「戦いが終わるなり、聖剣をすぐに元の場所に返すことにやけに強く拘ってたような気がしたのはこのせいだったのか」と言っていた。
というわけで……そこから数日後、ショータ様には城下町の学校に通っていただくことになった。
私の長女アーネは既に卒業済みなので、次女イモトと末っ子マッティーの後輩になるということである。
まぁ……彼に学校生活を勧めるにあたって一番効き目があったのが。
「女王陛下の隣に立てる程の立派な大人の男性となるために必要なのは、まず何よりも教養と品格です」
というケンジャー殿の言葉だった、というのは色々と物申したくなるものがあったが。
彼本人は私に対して「学校で友達でも作るうちに視野が広がって、陛下と結婚したいなんて無茶な夢から自然と目も覚めますって」と釈明していたが。
ちゃんとそうなってくれればいいんだけど。いや本当に。頼むわ。頼むから普通に可愛い彼女とか作っといてください。お願いします。
もうおばさんは息子より年下の少年に熱烈求婚されるのには本当に疲れたんですってば……いくら可愛くったって……。
……可愛いけどさ……ショータ様……あんなに「愛してます」連呼されて、ちょっと……ああ、いや……。
…………いやぁ、それは…………もう、よそう…………。
………………うん………………。
尚、当然ながら学校で「将来は女王様と結婚するのが夢です!」などと大声で主張されたら、それはとってもとっても大変困るので、
女子生徒とのお関わりを避けるためには精々「既に心に決めた人がいるんです」ぐらいの言い方で何とか穏便に済ませてください、と切に切にお願いしておいた。
いや本当、そこはマジで頼みますショータ様。
……私への熱情を逸らすために学校に通っていただくという目的も多少はあるというのに、そういう言い方を勧めるのは矛盾しているんじゃないのかという気もするが。
それはそれ、これはこれ……ということに……しておこうかなぁ……まぁ……。
* * * * * *
ショータ様たちがウオデッカ王国に帰還してから半年近くが経過した頃。
私の下に一通の手紙が届いた。
……噂に聞くユキマミレ帝国の少女導師殿から。
どうやらショータ様に大事な話があるそうなので、我が国まで来て直接会いたいらしい。具体的に何を話したいのかまでは書かれていない。
「これは一体何事なのかしらね……」
実際に彼女に会ったことがあるセキーシ、ブトゥーカ殿、ケンジャー殿を招集して話し合う。ショータ様はまだ学校である。
「……何なんですかね?」
「ショータに何の用があるんだろうな」
「見当もつきませんねぇ……」
三人揃ってその言いようでは会議にならないのだが。
「あ、でもオコッサマミコ様、本当にビックリするぐらいお綺麗なんですよ。またお会いできるのはちょっと嬉しいかも」
「セキーシ、そういう問題じゃないんだけど……」
やけにそこを強調するわね、貴女……。
「まぁでも向こうからこっちに来てくれるのは助かったっスね。こっちから帝国まで来いって言われるよりは」
「寒いからでしょ」
「そうそう」
ブトゥーカ殿は帝国の寒さがよっぽど嫌いらしい。防寒のために厚着になると格闘戦の邪魔になるから、などという理由も挙げていた覚えがあるが。
「……ひょっとしてクロギャール王女の時と同じ、なんてことは」
ケンジャー殿の不穏な発言が飛び出す。
「では導師殿もショータ様に……?」
……また一悶着起こすやつなのかしら。勘弁して欲しいんだけど。
「あの子、ショータ君にそこまで入れ込んでたっけ……?」
「……どうだっけ? そーゆー会話なんてあったか?」
「いや、あくまでもしかしたらという可能性の一つですよ」
まさかまたショータ様の無慈悲な女性拒絶で泣かせる羽目になるのだろうか……いや、今度はその程度で済むのだろうか。
「……導師は実質的に皇帝より偉い立場だと言っていたわよね? そんなお方に粗相は出来ないわ。
チャラウォッジの時はトコナッツ王国が友好国だったからまだしも、ユキマミレ帝国相手に全く同じ態度は通用しないわよ」
私は会ったことが無い方なので尚更だし。
「これは……ショータ君に厳重注意しておかないといけませんかね……」
「ちゃんと聞いてくれりゃいいんだが……」
「出来る限りきちんと話し合いましょう……いやつくづく、ショータ君とは沢山話し合う日々ですねぇ……」
対応をしくじって我が国とユキマミレ帝国が一触即発の事態に陥る、なんてことは絶対に阻止しなくてはならない。
……結局、ショータ様の双肩にまたしても国家規模の重責がかかってしまうのか、と思うと……大変申し訳ないことこの上ないのだが……。
事前に手紙一枚はちゃんと送ってくれたという部分だけはあの男よりはマシかな、などと余計なことを考えながら、ひとまずショータ様の下校時間を待つことに……。
…………。
「女王様以外の女性にはいくら何を言われても、僕はその気持ちにはお応えできませんよ!!」
「だ、だからショータ君、もうちょっと穏便にね……?」
「女を泣かせる男は最低だって前にも言っただろ?」
「ま、まぁそもそも導師殿が本当にそういうつもりでこちらにいらっしゃるのかどうかも、まだわかりませんけどね……」
…………駄目だこりゃ。
「ショータ様……こちらのハーブティーでも召し上がって一旦落ち着いてくださいませ」
「ありがとうございます女王様! 大好きです!」
…………どなたか助けてくださいませんか…………?
もうセキーシとブトゥーカ殿とケンジャー殿が三人揃って「あちゃー……」な顔をするのを何度見てきたことか……。
やがて導師殿の到着予定日がやってきた。もうどうにでもなって頂戴。
* * * * * *
「……まーぁ随分と、綺麗な街じゃのう……それにしてもあッついわ。もう上着なんぞ要らんじゃろ、はよう脱がせい」
「お待ちください導師様、みだりに肌を晒すなど」
「ならばここの気温に合わせた手頃な衣服でも買いに行くぞ、わらわに似合うやつを。服屋の一件や二件、探せばそこらにあろう」
「……かしこまりました。まずは店を探して参りますので、少々お時間をいただきますがご容赦くださいませ」
「待てぃ、冷たい飲み物もじゃ」
「かしこまりました」
…………。
「うまっっ」
「導師様、こぼさないでくださいよ」
* * * * * *
全身を鎧兜で覆った厳めしい重騎士四人に囲まれながら歩いてきた、その少女。
成程、これは確かに……お美しい。まるで精巧なお姫様の人形のようだわ。
ショータ様より小柄な体躯に、北方人特有の純白の肌、絹糸のようになめらかな白金色の長髪、濃い黄金色に輝くつぶらな瞳。
まるで彼女の周囲だけ太陽光が集中的に降り注いで、彼女の存在を一際明るくキラキラと照らしているかのようにすら見えてくる。
セキーシがしきりに褒めたたえていたのも納得と言うべきか。
あれがユキマミレ帝国の実質的な支配者たる、導師オコッサマミコ殿、か。
……まぁ……今私の後ろに立っている二人の自慢の娘が明確に彼女に劣っているとまでは思わない、けど……ね?
「ウオデッカ王国にようこそおいでくださいました。当代の女王ヴィマージョと申します」
「初めまして導師様、第一王女のアーネヒーメです」
「同じく第二王女のイモトヒーメです。よろしくお願い致します、導師様」
……そういえばわざわざ娘たちとも足並みを揃えて、ここまで「余所行きの顔」をするのも随分久しぶりのような気がする。
「うむ、苦しゅうない」
「ありがとうございます」
……そのまま私の横を通り抜けそうな勢いでテクテク歩き続けるオコッサ殿。
あの、挨拶それだけですか?
あとよく見たら今着用していらっしゃるその衣服、どうもウチの国内の仕立てっぽいんだけど。途中で気に入ったのを見かけて買ったのかしら。
「……つかぬことをお聞きしますが、本日は一体どのようなご用件で我が国に?」
本当に素通りされそうだったので私は一旦振り返り、オコッサ殿の隣を並んで歩く。娘二人もそれについて来る。
「何、わらわが用があるのはショータだけじゃ。それ以外は適当にくつろいでおってくれて構わぬ。良きに計らえ」
それ以外ですか私も。一応国の代表なんですが。
「ではショータ様の所へ案内させていただきますので」
「ぬん? ……くははっ、ショータ『様』か、くくっ……」
そこ笑うとこ?
……それにしても、ぶっちゃけ思った以上に愛想悪いわねこの子。
護衛の重騎士四人はあからさまに私に対してにらみを利かせているし、彼女がユキマミレ帝国の最重要人物であることは確かなんでしょうけど。
だからこんなに偉そうなのか……さて、どうやってご機嫌をうかがっていくべきやら……。