第十話
ユキマミレ帝国との本格的な貿易が始まることになった。
オコッサ殿ってショータ様に会うためと、あとついでに我が国の料理を食べるためだけに遊びに来てばっかりいるようにしか見えなかったんだけど、
ちゃんと帝国首脳部に鎖国をやめて国交を開けと、ずっと真剣に話し合ってらしたのね……と、無駄に失礼なことを思ってしまうのはさておいて。
帝国から取り寄せられる物品の中でも特に注目されるのは、あちらでしか採掘できないという上質な魔力結晶などの鉱物資源である。
我が国の魔法研究所の面々が、手の平ほどの大きさの品を見ただけでも相当に喜んでいたようだ。
……そして、それに加えて帝国からも交換留学のお誘いが来た。
この件もオコッサ殿の働きかけが影響しているらしい……ので。
当然のように。
「……ショータ様が名指しでご招待されておりますが」
こうなる。
「わかりました、行きましょう」
……あら。
「随分と乗り気でいらっしゃるんですね。また一年間、我が国から離れることになりますけど」
…………自分で言ってて、まるで離れたくないから引き止めてるみたいだな、と思えてくるのは……気のせいということにしておく。
「ユキマミレ帝国のことはもっと知っておきたいです。オコッサさんの故郷ですから」
「……そうですか」
トコナッツ王国への留学からお帰りになった際、オコッサ殿に帝国にも留学に来いって言われた時は、ちょっと渋ってらっしゃったような覚えがあるんだけど。
ショータ様もショータ様で心境の変化でもあったのだろうか。
「そろそろ決着をつける良い機会かもしれませんし」
……何か不穏なこと仰いました?
「僕も参加したいです、母様」
ここで名乗りを上げたのは、私の子供達の中でとうとう最後の学生となった末っ子のマッティー。ショータ様の1歳上なので今年で17歳。
……貴方もオコッサ殿の陣地に直接乗り込んで会いに行きたいってことなの?
「わかりました。貴方もよく学んでらっしゃい、マッティー」
「勿論です」
こうして留学の話は思った以上にすんなりとまとまってしまった。本当にすんなりと。
なんか突然ケンジャー殿まで「帝国式の魔道に興味があります」とか言い出して一緒に行くことになったけど。彼が行きたいのは学校ではなく魔道研究所だそうだが。
ところで帝国式の魔道と言われても私が思い出せるのは、オコッサ殿のあの光の防御障壁魔法だけである。めちゃくちゃ頑丈だったと評判の。
という具合で他にも留学希望の学生たちが集い、私はその一団をユキマミレ帝国まで送り出したのだった……。
……また一年間、とっても静かに過ごせることになっちゃうわねぇ……まったくもって仕事が捗りそうだわ……。
そんなことを漠然と考えながら、アーネの娘のマーゴキャワをあやしていた時。
「ねぇ、お母様」
「どうしたのアーネ」
「寂しそうですね」
…………。
………………。
「気のせいよ」
返事を出すまでに無駄に時間がかかってしまった。アーネはくすくす笑っている。
「お母様」
「……何?」
「ちゃんとお勉強してますかねぇ」
「それは大丈夫でしょう、ショータ様の優等生ぶりはしょっちゅう聞こえてきて」
「マッティーがですよ?」
……………………。
アーネの目が尚更ニヤついている。謀られた。いや謀られたと言うか。
「…………アーネ、母さんをからかうのはおよしなさい」
その口元を右手で押さえて肩を小刻みに震わせるのをやめなさい。
「お母様」
「今度は何?」
「マーゴが本当にショータ様のことをおじいさまって呼び始めたらどうします?」
「やめさせなさい、母親の貴女が責任をもって……大体そもそもまだ本当にそうなるなんて決まってないし……」
……自分で言ってて、ものすごく言い訳がましくなってきたなとしか思えない。いつまでこんなことを言っているんだろうか私は……。
「……うふふっ……」
そしていつまで笑ってんのよ貴女は。
ああ……もう……オコッサ殿がこの一年で大逆転勝利を飾ってくれるようにお祈りでもしてこようかしら……だからいつまでそんなこと言ってんのかと自分。
……後日、次女イモトヒーメが20歳にして男の子を出産したという手紙がトコナッツ王国から届いた。
私の二人目の孫はオレノマゴンという名前に決まったそうで。
そっかぁ、あの子の方は男の子ができたのねぇ……。
…………私の孫であると同時にチャラウォッジの孫でもあるという事実に気づいた途端、ちょっとばかり背筋が震えてしまった。
いかんいかん、実際に会ったら間違いなく可愛いに決まってるんだから……なんせイモトの息子なんだし……。
あの子はトコナッツ王国に嫁いじゃったから普段は会えないけど、近いうちにまた挨拶しに行かないとね。
ちなみにクロギャール王女は二人目の彼氏が出来て、一人目と合わせて三人同時にデートとか平気でやっているらしい。
なんちゅう根性してんのあの子。そのくせ未だに結婚自体はしてないらしいし。
あそこの一家はきょうだいがやたら多いから、そういう適当な子が一人二人ぐらいいても大した問題じゃないのかもしれないけど。
「将来はパパの奥さん以上の人数の男と付き合ってやるわ!」
クロ王女はこんなことまで言ってのけたそうだが、それは流石に父親から「こういうのは人数ばかり多ければ良いという問題ではないんだよ」とツッコまれたらしい。
……またしばらく経った頃にチャラウォッジは七人目の妻を迎えたという話が流れてきたので、何の説得力も感じられないが。
しかもアーネより1歳年上なだけの若い女性らしい。私が20の時にアーネは生まれて、あいつと私は同い年だから……19歳下の女性を迎え入れたのか。
いや、チャラウォッジの長男って確か丁度そのぐらいの歳じゃなかったっけ?
大体その女性の方こそ、親子並に歳の離れたチャラウォッジのどこにそんなに惹かれたの? こう言っちゃ失礼だけど……。
……あいつ、もう本当……この先50や60になってもずっとこんなことやってんのかしら。
なんならその新しい嫁で子供も増やすつもりなの? その過程で男は負担になることなんか全然無いんだから楽なもんよね。
もうそのうち八人目とか九人目とか言い出しても別に……お好きにどうぞと言うか……大体あの一家、嫁同士も全員仲が良いって本当なの……?
……なんかチャラウォッジのことでばっかり思考時間を取られるのも腹が立ってきたわね。
………………それにしても、アーネに続いてイモトまで息子が出来るほど時間が経ったのねぇ。
孫が二人、しかも産んだのはそれぞれ別の娘……ますますおばあちゃんとして老け込んだ気分だわ。別に嫌なわけじゃないけど。孫可愛いし。
そう、私はおばあちゃん……立派なおばあちゃん……。
……………………本当に、つくづく、まったくもって、どうして……28歳も離れたおばあちゃんにあんなに熱心に求愛なさるのかしら……。
本当に欲しいのはお嫁さんじゃなくてお母さんじゃないの? とか疑問に思ってた時期もあったっけな……結局どうなのよ、そこの所。
あーもう本人にきっちり話をして問い質さないと……本人いないわ今。
「お母様」
「…………何?」
「会いに行きませんか?」
「まぁ帝国って私自身もそろそろ視察と言うか皇家の方々に挨拶の一つぐらいしておくべきか」
「イモトの息子にですよ?」
「……………………アーネ」
「ごめんなさいお母様そんなに怖い顔なさらないでくださいマーゴが泣いちゃいます」
イーテッシュに対して妻をもうちょっと念入りに躾けておきなさいとでも言うべきかしら。
いや私の実の娘やっちゅーねんな。今まで私が育ててきたんだっつーの。その成果が今のこれなんだってーの。
…………ちょっとしばらく仕事全部放り出して一人でゆっくり温泉でも満喫したい。一週間……いや五日そこらで構わないから。
『おはようございます女王様! 今日のデートコースはこちらです! お昼ご飯はどっちがいいですか女王様は』
『女王様は』 『女王様』 『女王様』 『女王様と』 『女王様』 『僕と結婚してください女王様』
『女王様』 『おはようございます女王様おはようございます』 『女王様は』『女王様』『ヴィマージョ』『女王様』『女王様僕と一緒にお風呂』
『愛してます愛してます大好きです結婚してください女王様』 『女王様とずっと一緒です』 『女王様!!!!!』
なんかひっっっっどい夢まで見た。待って。名前で呼ぶことまでは許可してないって。まだ。
ちょっと泣きそう。泣いていい? 誰に向かって聞いているのか。
『ショータよ!』『ショータ!』『ショォォタァァァァッ!!』『……ショータ……』
オコッサ殿の姿をしばらく見ていないことにすら何かしらの違和感が芽生えてくる始末。いやこれ違和感って言うべきなのかしら。
「お母様」
「……ああ、来月帰って来るわねマッティーたち」
マッティーの方を強調してしまうのが酷くわざとらしくて、自分でもちょっとうんざりする。
「まだ何も言っておりませんが?」
……ったく、最近のこの長女ときたら……。
「…………何か用?」
「気晴らしに、マーゴ用のぬいぐるみでも買いに行くのをお誘いしようかと」
「ああ……いいわね、イモトの息子にあげる分もついでに買っておきましょうか」
濃い目に抽出した紅茶ばっかり飲みながら机に張り付くのもそろそろ疲れてきたし。
「どっこいせ」
「立ち上がる時にそういう掛け声を出す癖がつくと余計に老けてしまわれますよ」
「やかましいわ」
どうせもうおばあちゃんよ。とっくに老けてるわ。
という流れで町に繰り出した結果が。
「じょおうさまはショータさまとけっこんしたいってほんとうですか?」
「オゥァァァァァ申し訳ありません陛下すみませんごめんなさいッッ!! コラッ! なんてこと言うのッ!!」
道端の幼い女の子にこんなことを言われる始末。したい方が逆です。因果関係が逆です。
落ち着きなさいヴィマージョ。ここで一切取り乱さずに優しい笑顔で軽く受け流すのが国家の平和維持活動というものよ。
ショータ様も「戦いが終わってから世の中の平和を守っているのはそれぞれの国の王様たち」と仰っていたし。
……ショータ様お元気かしら……って、いかんいかん……。
尚、一応ここら辺で実際に休暇をとって、トコナッツ王国のイモトの下には行っておいた。
男の子の孫も可愛いものね。買っておいたぬいぐるみもちゃんと渡せたし。
アーネの娘のマーゴキャワが、イモトの息子のオレノマゴンに抱きついて頬ずりする光景なんて、あまりにも美しすぎて悶えそうになったぐらいだわ。
まぁその一方で、チャラウォッジが「折角だから秘蔵の一本でも開けちゃおうかな」とか言い出して、
私を飲みに誘おうとしてきたのは「そんなにいい物はどうせなら奥さんたちに振る舞ってあげなさいよ」と言って普通に断ったが。
なんか、私の二人目の孫はあいつの孫でもあるっていう部分を、酒の勢いで鬱陶しくまくし立てられそうな気がしてならなかったし。
……そうして、ようやく、とうとう、一年間の留学を終えて彼らが我が国に帰って来る日がやってきた、の、だ、が………。
「ただいま帰りました母様」
「……お……お帰りなさい、マッティー……」
これは一体どうしたことか。私は開幕から完全に面食らっていた。
「ねぇ、とりあえず……」
いや、その……とりあえず……。
「…………貴方の左手のそれは、一体どういうことかしら?」
とりあえず聞かないといけないでしょ、それは……念入りにたっぷりと詳細な説明を聞かせてほしい。
マッティーの左手がオコッサ殿の右手を握りしめている件については。
しかもわざわざお互いの指を一本ずつ順番に絡ませるような握り方してるし。
……オコッサ殿の視線だけはマッティーの反対側を向いて、伏し目がちになってはいるが。やたら顔色が赤いのがそれはそれでかえって可愛らしくもあるが。
「一年かけて頑張りました」
「まるでそのためだけにユキマミレ帝国に留学に行ってきたかのような言い方はおよしなさいマッティー」
待って、いくらなんでもちょっと待って、母さんこの展開は全く予想してないわよ。
「……ヴィマージョ、殿」
ようやくオコッサ殿が口を開いてぼそりと呟く。ああ今度ばかりは私の名前をちゃんと覚えて来てくれたのね。
「オコッサ殿……一体何があったのですか?」
「そなたの息子はとんだ卑怯者じゃ」
「はい?」
「わたしがいつまで経っても何回やってもショータに素っ気なくやり過ごされ続けておる所に、まるで隙間でも縫うように滑り込んできおったんじゃ。
まったく正々堂々としておらん。けしからんわ。よくもまぁこんな度し難い男を育ててくれおった。本当に信じられん。そなたは母親として何を考えとるんじゃ」
なんかすごい勢いで罵詈雑言が飛んできた。肝心のマッティーの左手を自分の右手でぎゅうぎゅう握りしめながら。
……ところで話し方が少し変わっている所があるのは、何か心境の変化でもあったんですか?
「責任はきっちりとってもらうぞ、こやつに」
彼女は手を繋ぐだけでは物足りなくなってきたのか、マッティーの左腕全体に自分自身を押し付けるように抱きついた。
…………ちょっと待って。そこまでやる程なの? あの絶叫猛連打でショータ様にゴリゴリ食いついていた貴女が?
「だから……わたしはもう返さんからな、そなたの息子を」
尚、視線はずっと下を向いて恥ずかしがったままである。
そのままマッティーの左腕に、頭をぐりぐり擦りつけたりしているが。
「マッティー……」
……名前を呼ばれたマッティーもマッティーで、余っている右手でオコッサ殿のサラサラの頭髪を優しく撫で始める有様である。本当に指の通りが良さそうな御髪だことで。
「マッティー……まってぃぃい……っ」
そんな震え声で連続して呼ばなくても……もう見てるこっちの方が小っ恥ずかしいから私は帰っていいですか? 帰るも何もここが私の家なんですけど。
「母様、ウオデッカとユキマミレの国境に町を作って、それを貿易の拠点にするという話が持ち上がっているそうです」
「えっ……ああ、そうなの……」
急に現実に引き戻すようなマッティーの声。いきなりそんな大事な話を前準備も無しに叩き込むのはよしなさいって。
「きっとトコナッツとも同じぐらい深い友好関係が出来上がりますよ。楽しみですね」
「そうね、まぁそれは良いことだわ確かに」
ここまで言うとマッティーはオコッサ殿と一緒に後ろに振り返り、声を上げた。
「ショータ、もう入っていいよ」
「はーい!」
……一年ぶりに聞いたその元気なお声。もうそれだけで酷く懐かしくて仕方がなくなってくる。
「女王様! お久しぶりです! お元気でしたか!?」
「ええ、勿論です。ショータ様もお変わりはありませんか?」
……自分で言っておいて果たして実際そんなに元気だったか私は? という気分になってきたのはさておいて。なんか悪夢とか見たし。
「今、女王様とようやく再会できて一気に元気になりました!」
そのご返答もトコナッツ王国からお帰りになった時とよく似ていらっしゃる。
…………そういえばマッティーは私の身長をとうとう追い抜いてしまったが、ショータ様は未だに私より低い……これぐらいでご成長が打ち止めなのかしら?
「それよりも女王様、聞いてください! 今回の留学のおかげで僕は遂に将来の目標がはっきり決まりました!」
「おや、それはとても喜ばしいことですね」
私の専属整体師とかじゃないですよね? ……などと失礼無礼侮辱極まる発想が頭に湧いてしまったのは即座に振り払っておく。
「僕は回復魔法を極めることにしたんです!」
「おお……」
ということで、そこから詳しく聞かせてもらった所。
かつての戦いで伝説の聖剣ヤミヲブッタギレイを手にした途端、
ショータ様は才能を開花させて「相手の身体に触れることなく複数人をまとめて治療する広範囲回復魔法」を行使できるようになっていたが、
実はそもそも魔法の原理もよくわかっていないまま、便利だから使っておくという程度の認識でしか使っていなかったことに今更気づいたので、
これだけ強力な回復魔法なら、技術的に体系化して誰にでも習得できるようにすれば、世の中に大いに役立つに違いない、という話らしい。
「回復魔法なら、戦いの無い平和な世の中にだっていくらでも使い道があります。僕はそれを発展させて人々を助けます」
「とても素晴らしいお考えですショータ様」
いや、本当に大変真面目な話ですね……誰だ私の専属整体師とか言ったの。私だ。阿呆か。阿呆です。ごめんなさい。
「だから僕は将来、ケンジャーさんと同じ魔道研究所に入ろうと思います。人々の日常生活を支える魔法を追求します。勿論女王様の普段の生活も含めてです」
「わかりました。ショータ様の学生生活もとうとう残り1年です。これからの貴方のご成長、ご活躍に一層期待させていただきます」
「はい!!」
そう、ショータ様はもう17歳。学校をご卒業なさるまで、残るはたったの1年。
あと1年すればショータ様は18歳。
…………あと1年で…………ショータ様が…………運命の、じゅう、はっ、さ、い…………。
……………………。
「……くふふっ」
「オコッサ?」
「見てみいマッティー、あのショータの嬉しそうな顔を」
「……久しぶりに母様に会えたからね」
「そうじゃ。帝国におる間にはあんなに輝く笑顔はついぞ見せてくれんかった。わたしに見せてくれたのは愛想笑いだけじゃ。
やはりショータが女として見ておるのはヴィマージョ殿だけということよ。最初から今に至るまで、な」
「いやまぁ……そこが息子としては若干複雑なんだけどさ。もうここまで来たら反対する気もないけど」
「わたしは最初っから……本当にもう、最初の最初っから、ずっと勝ち目の無い戦いに挑んでは敗れ挑んでは敗れ……滑稽じゃろう?
まったく、わたしは一体何をやっておったんじゃ。この5年近く、わたしは何に人生を賭けておったんじゃ……」
「…………僕はさ」
「何じゃい」
「僕が君に会えたのはショータのおかげだから……それが全部無駄だったとは思わないよ」
「……そなたは相変わらずじゃ。そうやってわたしの心の隙間一つ一つを的確に細い針で刺し貫いてきおる。油断も隙もない。この卑怯者が」
「ショータみたいな超人的な力を一切持たない、ただの凡人でしかない僕なりの戦術だよ」
「セコい者はそうやって口ばかり立つんじゃ。何が戦術よ、カッコつけおってからに……この痴れ者が」
「ありがとう、最高の褒め言葉だ」
「ならば好きなだけ言い聞かせてやろうではないか。人の弱みに付け込むことでしか事を為す勇気も無かったこの臆病者の変態の不埒者の助平め」
「もっと言ってくれ」
……そこの末息子。彼女と抱き合ってイチャついてないで母さんを助けてくれない?
って言うか今さり気なく「もう反対する気もない」ってぶっちゃけてなかった? アーネとイモトに続いてマッティーまで、もう「そっち側」なの?
ねぇちょっと?
「……ところで、そういえばケンジャー殿はどうなさったの? 彼だけ帰って来ていないようだけど」
苦し紛れに今思い出したことを話題にしておく。
「ケンジャーさんは帝国の魔道研究所で共同開発した暖房器具が物凄く売れて増産に追われているので、まだしばらく帰ってこれないそうです」
「あらそう……よっぽど良い物が出来たのでしょうね」
「すごく忙しそうだけど楽しそうでしたよ」
「ショータ様も将来はそのように、人々の生活に役立つ物を沢山お作りになっていくのでしょう」
「はい、頑張ります!」
なんかさり気なく大活躍しちゃってんのケンジャー殿……?
ところでショータ様を学校に通わせれば無茶な夢からも目を覚ますでしょう発言が、物の見事に全く効果が無いまま終わりそうという件はきっちりツッコんでおくべきなのか。
いや今更そんなものを蒸し返したところで……今更……。
……ちなみに、これは後からマッティーの思い出話を掘り下げていくうちに聞かされたのだが……。
* * * * * *
「ショータよ、これが最後の頼みじゃ。本当に最後じゃ。今後わたしはこれ以上、もう二度とそなたに無茶は言わん。決して言わんと誓う。だから、頼む」
「何でしょうか」
「一回ぐらい……手を握ってくれ」
「駄目です」
「どうしてもか?」
「どうしてもです」
「本当にどうしてもか?」
「本当にどうしても駄目です」
「なにゆえどうしても駄目なんじゃ」
「オコッサさんは手を握った拍子にそのまま抱きついてキスするぐらいのことは平気でしそうだからです」
「…………くっ…………くふっ、くははははははっ! 言うてくれおるわ! ショータ、まったくそなたという奴は!
ようわかった! もうわたしの負けじゃ! 完全敗北じゃ! 約束じゃ、もうそなたに二度と無茶は言わん! そなたが嫌がるような要求などせん!」
「あの防御魔法はもう使わないんですか?」
「種がわかっておれば、そなたならば発動前に後ろに飛び退いて逃げる程度のことは容易かろう。やるだけ無駄じゃ。あれは疲れるんじゃ、知っての通り消耗がデカいからのう」
「そうですか」
「これだけ真剣に求愛を繰り返した女を事も無げに袖にした側から、何じゃその笑顔は。まっこと冷たい男じゃ。
かつてコノウェの奴めがこんなに脈が無い相手の何がそんなにいいのかと馬鹿にしておったが、いやはやまったくもってその通りじゃったな。ショータは本当に悪辣な男じゃ」
「そうですね、僕は最低の男です。オコッサさんにとっての僕なんて、それで構いません」
「そこで謝りもせんのか、そなたは」
「ここでごめんなさいと言ってしまったら、謝るぐらいならもっと優しくしろと怒りますよね? だから僕は謝りもしません。僕のことなんてどうぞいくらでも嫌いになってください」
「いいや、一生大好きじゃ。そなたはわたしの命の恩人、それは永遠に覆らん事実じゃ。ゆえに絶対嫌いになどなってやらん。
この先ももう勝負を挑むこと自体は止めたとしても、一生片思いだけはし続けてくれる。わたしはショータを一生愛し続けてやる」
「わかりました。じゃあ好きにしてください。僕に二度と無茶な要求をしないということだけでも守ってもらえるなら、もうそれでいいということにします」
「約束しよう。我が名にかけて」
「……では、話はこれで終わりということでいいですね?」
「良いぞ。よく今までわたしのしつこい挑戦の繰り返しに付きおうてくれた。本当にありがとう、大好きじゃショータ」
「僕もオコッサさんのことは好きですよ。大は決して付けられないだけで」
「くくっ……そうかそうか。ウオデッカに帰り着いたらヴィマージョ殿によろしく頼むぞ」
「はい……おやすみなさい」
…………。
「マッティー、見ておったか?」
「……うん」
「ひっどい男じゃったろう? わたしとの話なんぞ今すぐ終わらせたいとばかりにあんな区切り方をしおって。最悪の気分じゃ。今宵は涙で顔を腫らしてしまうじゃろうな」
「僕のことなんてどうぞいくらでも嫌いになってください、ってよくあそこまで言えるよね……しかも笑顔でさ」
「勇者の勇気は一味違うのう。流石は魔王をも打ち倒した世界の英雄様じゃ。勝ち目が無いにも限度っちゅうものがあろうて」
「こうなることは元から未来予知でわかってたわけじゃないの?」
「予知なんぞもうずっと前からやっておらん。ウオデッカとの貿易を開いて国の財政を潤すことに成功したら、もうそんな力は帝国には必要無いと認めさせる約束じゃったからな。
神殿もとっとと外国人旅行客向けの観光施設にでも改装してしまえと言うておる。未だにウダウダと文句ばかり出すのは脳ミソにカビの生えた老人共だけじゃ。
もう首都の大通りを歩いていようが、わたしを導師様と呼ぶような者は、少なくとも若者にはほとんどおらぬ」
「成程ね」
「それに、そもそもじゃ……結果を先に知っておったら最初から勝負を挑まんかったとでも思うか? このわたしが」
「確かにそれは言えてる」
「まぁ……本当に一番欲しいものは手に入らないからこそ良い、などと最初に抜かしおったのは……いつの時代のどこのどやつなんじゃろうなぁ」
「僕は手に入ったけどね。君にとっては二番でしかなかったとしても」
「くくっ……言いおるわ……だからそういうわけじゃ、マッティー」
「うん」
「そなたの衣服を今から濡らして構わんか?」
「いいよ」
「べっしょべしょにしてやるぞ。今のわたしは人生きっての傷心じゃ。念入りに慰めえよ、覚悟せえ」
「おいで」
「くふふっ…………マッティー…………」
「うん……」
「ショータの阿呆……マッティー……マッティーッ……!!」
* * * * * *
帝国を出発する前夜の会話が大体こんな感じだったそうだ。
……まぁ、なんというか……とりあえず。
母さん、一旦砂でも吐いてくるわね。
「のうヴィマージョ殿よ……わかっておろうな」
「お……オコッサ殿……」
晴れて息子の彼女となったオコッサ殿が私の顔をギロリと見据えながら迫る……それにしても今まで見てきたよりも格段に綺麗に成長したんじゃないかしら、この子。
「このわたしが諦めてそなたの息子で妥協してやることを選んだんじゃ」
私の大事な息子を妥協相手と言い切りますか。王位継承権は無いとは言え仮にも王子なんですけど。そういう性格は相変わらずですね貴女。
「最早ここまできたら全身全霊をかけてショータを納得させるのがそなたの責務……否、宿命と化したということは心得ておろう?」
「うっ……」
…………反論の言葉など一切捻り出せない。30ほど年下の少女の迫力に圧倒されている。
「今更出来ぬなどとは言うまいな。万一そなたがショータを哀しませるようなことがあらば、わたしは絶対に許さん。絶対に、だ」
そりゃあ……それぐらい言いたくもなるわよね、貴女が今までやってきたことを思えば。
「良いな…………お…………」
「……お?」
あら……急にどうしたの?
「……おっ……!」
「…………オコッサ殿?」
「お、か…………っっ…………!! …………マッティーの母上殿ッ!!」
……………………。
「……プッッ!」
私は一拍遅れて噴き出した。
「笑うなぁっ! くそぅっ!」
いやいやちょっと待って、もしかして「おかあさん」って言おうとしたの? 流石にそれは気が早くない?
正直言って今の瞬間のオコッサ殿、思いっきり抱きしめてやろうかってぐらい可愛かったわ。
「ともかく約束せえよ! ショータが結婚できるようになる18歳の誕生日はわたしも心底楽しみにしておるからな! 心底な!」
そしてこの一言で再び現実に引き戻されるわけで。
「あ、はい……」
そうです残り1年です。いよいよ残り1年ですよ私。
……お、オコッサ殿、もう一回だけ頑張ってショータ様を攻略してくださら……今はマッティーが素敵な彼女を捕まえてきたことを讃えなさい。はい、そうですね。はい……。
…………アーネヒーメ、イモトヒーメ、クロギャール王女、そしてオコッサマミコ殿……ショータ様攻略班はこれにてめでたく全員脱落、か。いや何がめでたいのか。
「久しいのうマーゴキャワ。また一つ大きくなりおったな」
「おーうー」
「愛い奴じゃ。そなたの母上の弟はまっこと良い男じゃぞ、誇るがいい」
そういえばこの組み合わせも久々の対面か。2歳児相手には流石にさっき本人にしたようなひねくれた言い方はしない様子である。
「オコッサ様」
アーネがヌルリと割り込んで言葉をかける。貴女それ私にもしょっちゅうやってるやつね。
「一つ気づいたのですが、オコッサ様がこのままマッティーと結ばれるとなりますと」
「ん? 何じゃ?」
「マーゴから見るとオコッサ様は義理の叔母という立ち位置に収まることになりますね」
……そういえばそうね。確かに。
「…………おば?」
しかしオコッサ殿ご本人の反応が芳しくない。
「良いかマーゴよ、復唱せよ。お姉ちゃんじゃ。お・ね・え・ちゃ・ん」
「おえー?」
「お・ね・え・ちゃ・んっ!!」
「きゅふふっ! ふぅっ!」
「……まぁ良いわ。口が利けるようになりおったらまた教えてやろうぞ」
一通り眺めていたアーネは、例によってくすくす笑っている。
……よくよく考えたら今代のウオデッカ王家、気づいたらトコナッツ王族に続いてユキマミレ皇族とも縁戚関係が出来上がろうとしてるの?
導師って確か皇族の血筋って言ってたはずよね。今のオコッサ殿はもう導師って呼ばれることを嫌がってるらしいけど。
あれ、私の子供達すごくない?
つまりここで更に私が世界の英雄ショータ様を迎え入れれば、これ以上ないぐらい完璧な布陣が出来上が…………っく…………!!