9話 拝啓、おめでとう
ついにアーサーの誕生日当日となった。
一昨日、街へ出かけた四人は、それぞれ自分で買ったエプロンを身に着け、厨房に集結していた。
皆の顔を見て、料理番の男が「さて」と口を開く。
「皆さん、手は洗いましたか?」
「はい、先生!」
「もちろんです、先生!」
「せ、先生……。ゴホン、よろしい。では――始めましょう」
グレイスとセオの「先生」発言に顔を赤らめつつ、料理番は告げた。――それは、四人にとっての「戦争」の開幕の合図だった。
料理番の指示を受け、四人はそれぞれの位置に着き、作業を始める。さすが料理をしてこなかった四人だ、料理番が息を切らしながらあっちこっちへ飛び回っている。
しかし、そこで意外な事が起こった。……皮むきをしているルーカスだ。
最初は野菜の身まで切ってしまうほどの手際だったが、少し時間を置けばスルスルと薄く、皮だけを剥ける様になっていた。
「ルーカスさん、上手ですね!」
「そうか? まぁ、元々刃物の扱いは慣れてたしな」
「クッ……! わ、私だって、その気になれば……!」
「うわっソフィー! 零れてる、零れてるぅー!」
「……胃が痛い……」
手際よく手を進めるルーカスに、ムキになったソフィーが暴れ出し、厨房は混沌に満ちた。……この日以降、料理番が胃痛に効く薬を持ち歩くようになるのは、まだ誰も知らない。
*
新生ベランクァ王国の王城にある一室。大きなテーブルを挟み、アーサーと金髪の青年が対峙していた。
「それで? 相談って言うのは?」
にこり。人好きのする爽やかな笑みを浮かべて尋ねる青年に、アーサーは溜息を吐いた。
「言わずとも、お分かりでしょう。――アイザック殿下」
ジロリと睨まれるかのような視線を向けられ、青年――アイザックは微笑んだ。
彼は、ふわふわとした金髪に、海の様に煌めく青い瞳を持っている。端正な顔つきにはいつも柔和な微笑みが浮かんでいる事から、令嬢達の間で人気が高い。しかし、政治に関わる貴族達の間では「腹では何を考えているか」と評される事も多い。
アイザックを見るアーサーの目は厳しい。そこら辺の貴族なら、冷や汗一つはかいているだろう。しかしアイザックは、まるで悪戯が成功した子供の様にクスクスと笑い、「いやぁ」とのんびり話し始めた。
「貴方がここまで感情豊かになるなんて。トールに、彼女の事を紹介して良かったよ」
「……クロノス伯爵令嬢の事ですか」
「ああ。『我が主の結婚式はいつ見られるのか』ってトールが泣きそうになっていたからね。婚約者のいない彼女をあつらえさせてもらったよ」
何でもない事の様に言うアイザックに、アーサーの眉間に皺が寄る。
「何故だ?」
「何が?」
「俺の事は放っておいて欲しいと、あの時言ったはずだ」
それはまるで、懇願するような声音だった。アーサーはアイザックを見る事無く、少し俯いている。
しかし、アイザックはアーサーから目を逸らす事無く、ハッキリと告げた。
「嫌だね」
「……なんで」
「貴方は十分苦しんだ。もう、幸せになっても良いはずだ」
「……そんな訳、ない」
「あーやだやだ! ネガティブ発言は聞こえませぇ~ん!」
否定的になっているアーサーに、アイザックは耳を塞いだ。そして少しの間を空けて溜息を吐くと、「ねぇ」と続けた。
「まだ気にしてるのかい?」
「……」
「あの戦争は、貴方のせいじゃない」
「……それでも、俺は――」
呟いて、アーサーは顔を上げた。
「俺は、人を幸せにできる人間じゃない。……だから、この婚約をどうしようか、迷っている」
「……ああ。そういえば、相談しに来たんだっけ」
カラッと笑って、アーサーはテーブルに肘をつき、両手を組んで顎を乗せた。
「僕から見たら何も問題ないように見えるけどな」
「いや、ダメだろ。俺みたいな男に、あんな……」
「あんな?」
「……あんな、良い子をあてがうのは。良くない事だ」
「なんだ、そういう事」
言って、アイザックは組んでいた手を解いた。肩肘だけついて、手のひらに頬を乗せた。
「あんな良い子だからこそ、貴方の婚約者にしたんじゃないか」
「俺は、それが苦しいんだ。俺にはあの子を幸せにできる器量なんて――」
「一々重苦しい人だな、貴方は」
アーサーの発言を遮るように言って、アイザックは大きな溜息を吐いた。
「ハァー。……アーサー、これから僕が言う事をよぉーく聞きなさい」
「? 何を、改まって――」
「良いから聞いて。……アーサー。君はこれから、グレイス嬢と共に生きていくんだ。その中で、辛い事や悲しい事がやってくるかもしれない。でも、あの子を愛してあの子の側にいれば、その何十倍もの嬉しい事や幸せだと感じる事がやってくる。――もちろん、君だけじゃなくて、彼女にもね。これはね、綺麗事じゃない。確約された未来だ」
そう言って、アイザックは微笑んだ。今までとは違う、慈愛に満ちたような、優しい顔だ。
アーサーは何も言えず、俯いた。
「……だから、アーサー。貴方は何も気にする事無く、ただあの子を愛すればいいんだ! 貴方があの子を完全に愛せないと判断した時に、婚約破棄なりなんなりすれば良いよ。……それとももうすでに、あの子の事を見限りたいのかな?」
「そ、れは」
言いかけて、アーサーはアイザックから目を逸らした。苦虫を嚙み潰したようなアーサーに、アイザックは笑った。
「なんだ。結構、気に入ってるんだ?」
「何も言っていないが」
「アハハ。いや、皆まで言わなくてもいいよ。グレイス嬢に惚れない男なんてこの世にいないだろうさ」
笑いかけながらアイザックは席を立った。
「もう時間だ。僕はもう行くね」
「ああ。……手間、取らせたな」
「いえいえ。貴方の新しい一面を見られて嬉しいですから、なんのこれしき」
再度悪戯っぽく笑って、アイザックは部屋を後にした。残されたのはただ一人、アーサーだけ。
「……愛する、か」
アーサーの呟きが部屋に響き、霧散する。そうして少し経ってから、アーサーも席を立ち、部屋を後にした。
王城を出るとすぐに馬車の前に立つトールが見えた。
「待たせたな」
「ホッホ。気にする事はございませんよ」
トールに導かれ、アーサーは馬車に乗り込んだ。トールも乗り込むと、馬車はゆっくりと動き始めた。
「用事は無事、済みましたかな?」
「……どうだろうな」
アーサーはフッと笑うと、外へ視線を向けた。城下町の様子が遠巻きに見える。
「これは、年寄りの独り言ですが」
突然背後から掛けられた言葉に、アーサーは振り返る。
「人生というのは、生きていればどうにでもなるモノです。苦しい時、辛い時があっても、必死に行動をしていれば、幸福というのは必ず訪れるモノです。『人生山あり谷あり』とは、まさにこの事ですな」
「……今日は随分とお喋りだな」
「ホッホ。旦那様には、幸せになってもらわないと困りますからな」
トールがカラカラと笑う。アーサーは再び外へ視線を投げた。もうすぐで城下町だ、威勢の良い声があちこちから聞こえる。
「……そうだな」
気付けば、アーサーは穏やかさを取り戻していた。
屋敷までは後一時間弱はかかる。アーサーはトールと話す事もなく、その時間をぼうっと外を眺めて過ごした。
*
「――で、できたぁ~!」
ブラック家屋敷の厨房。――グレイス達の目の前には、たくさんの御馳走が並んでいた。
丸焼きにしたチキン、黄金色に輝くスープ、色とりどりなサラダと中が真っ白なパン、そしてこれまた真っ白なクリームと真っ赤な果実で飾られた大きなケーキ。
自分達の手で作られたそれらを、グレイスとセオはキラキラと眺めている。
「僕……僕、ちゃんと作れた!」
「やったね、セオ! イェイ!」
「やっとだな」
「つ、疲れました……」
はしゃいでいる二人を横目に、体のあちこちの骨を鳴らしているのはルーカス。ソフィーは腰を摩っている。……ちなみに料理番は、疲れ果てて床に寝転んでいる。口から魂が抜けている様に見えるのは、気にしない方がいいのだろう。
「後はブラック公爵を待つだけだね!」
「だな。ちなみに、十八時に帰宅するよう調整してくれるって、トールが」
「トール、グッジョブすぎる」
「じゃあ後やる事は……」
言いかけて、グレイスはちらりと壁に掛けてある時計を見上げた。今は十五時、まだ時間はある。
「あの、みんな。ちょっと良いかな」
「ん? なんだよ」
「私に良い考えがあるんですけど――」
そう言ってグレイスは三人を自分に近付けると、ひそひそと内緒話を始める。グレイスの話を聞いた三人は皆、「おお!」と顔を輝かせている。
「部屋の飾りつけか、良いじゃねーか!」
「えへへ、そう言って貰えると嬉しいです。……それじゃあ、もう少しだけ頑張りましょう!」
「うん! がんばる!」
「ったく、しゃーねぇ。アイツの為に一肌脱ぐか」
「こ、腰が……死ぬ……」
四人はそれぞれ決意を固めると、部屋を後にした。……ソフィーに関しては、まるで老婆の様な動きで、だが。
――十七時五十五分。ブラック家の屋敷に、アーサー達を乗せた馬車が到着した。
馬車から降りたアーサーは溜息を吐いた。
「大分遅くなったな……」
「ホッホ。申し訳ございません、旦那様。わたくしめの買い物に付き合っていただき……」
「いや、悪い。構わないさ。別に、予定もないしな」
言って、アーサーはふっと微笑んだ。反対に、トールは「左様ですか」と眉を下げ、屋敷の門を開けた。
トールを先頭に、二人は屋敷の中を突き進む。いつもならば、ここで執務室か自室へと戻る所だが、今日は違った。
「? トール、何処へ行く?」
「ホッホ。旦那様。今は何も言わず、このトールめに着いてきてくだされ」
朗らかに笑うトールは、上記二つとは違う道を進んでいる。この先にあるのは、客間だ。
客間の扉の前で歩みは止まった。トールは扉に手を掛けると、アーサーの方へ振り返った。
「旦那様、どうぞこちらへ――」
ギィッと鳴らしながら、扉は開かれた。徐々に見え始めた景色に、アーサーですら目を見開いた。
「――お誕生日、おめでとう~!」
明るい声と共に、キラキラとした何かが部屋の中で舞い散った。――部屋は豪華に飾られていた。調度品を飾っているとかじゃない。手作りであろう飾りがそこかしこに飾られていた。
部屋の中心にある大きなテーブルには、美味しそうな食事が並べてある。キラキラ越しに見えるそれらはどれも、光り輝いて見えて、アーサーは少し目を細めた。ルーカスはそれを見逃さなかった。
「ブッハ! なんつー顔してんだ。……驚いたか? 俺達が一日かけて仕込んだんだぜ」
「おい、待て。これはなんの騒ぎだ?」
「何って……今日はお前の誕生日だろ?」
「何言ってんだコイツ」と言いたげにルーカスが言い放つと、アーサーは少し固まった。
「……そうか。俺の、誕生日か」
「え、何。お前、自分の誕生日忘れてたの?」
「別に特別な事でもなんでもないからな」
「えぇ、俺ドン引き……」
「特別じゃないなんて、そんなこと言わないでください」
自虐的に言ったアーサーに、グレイスは怒ったように言った。アーサーは驚いて、自分の近くまで来たグレイスを見る。
「ブラック公爵のお誕生日が特別じゃないなんて、わたくし達の前では言わないでください」
「クロノス伯爵令嬢?」
「……ブラック公爵と出会ってまだ間もありませんが、貴方が優しくて素敵な人だと、わたくしはもう知っています。だから、そんな事言わないでください。……悲しくなってしまいます……」
勢いよく話し始めたグレイスの語気は、いつの間にか弱々しいものになっていた。グレイスの視線も、少しずつ下を向いてしまっている。
ルーカスは肘でアーサーを小突き、グレイスへ謝るように促した。戸惑いながらも頷くと、アーサーはグレイスの肩に恐る恐る触れた。ピクリと反応して顔を上げたグレイスは目を見開くと、思っていたよりも至近距離にあるアーサーの顔に、頬を赤くさせた。……しかし、アーサーは気付いていない。
「すまない。俺は、俺の事を蔑ろにする癖があるらしくてな」
「ヒェッ……!」
「――君が俺を大切にしていると知れて、嬉しく思うよ。ありがとう、グレイス」
「ヒョッ……!」
低く優しい声が、グレイスの耳を擽るように駆け抜けていった。グレイスの顔は言わずもがな、真っ赤である。
「? グレイス、どうした? 顔が赤いが、体調でも悪いか? トール、グレイスを――」
「――だだだ大丈夫ですわ! わたくし、ぴんぴんしております!」
叫ぶように言って、グレイスは肩に掛けられた手を握った。吃驚した様子のアーサーに、グレイスは逃げる事無く視線を向けた。
「わ、わたくしも! ――貴方が生まれたこの日を祝える事、嬉しく思います。アーサー様」
「……あ……」
赤い顔のまま微笑み、グレイスは手に持っていた物をアーサーへと差し出した。
「――お誕生日おめでとうございます。アーサー様が、幸福に包まれる人生を送れますように」
……差し出されたのは、シルバーのネックレスだった。シンプルなデザインで、男女どちらでも使い勝手の良さそうな品のあるネックレスだ。空のような青色の宝石がはめ込まれている。
受け取りながら、アーサーはお礼を言いながらグレイスの顔を見た。そして、時が止まった。……グレイスは、それはそれは美しい微笑みを赤い顔に浮かべていたのだ。
アーサーは見惚れた。ぼうっと見惚れ続けた。グレイスに止められるまで、見惚れ続けた。
「……そ、そんなに見られてしまっては、少し恥ずかしいですわ、アーサー様」
「ああ、すまない。君が可愛くて、つい」
「ヒィッ……!」
「……鈍感って怖いな」
二人のイチャイチャを遠巻きで見ていたルーカスがポツリと呟く。ソフィーは同意するように頷き、セオは首を傾げている。しかしそれでも皆どこか嬉しそうに、初々しい二人を見守った。
その後、誕生日パーティは夜まで続いた。ルーカスが酒を飲んで宿泊し、次の日、片頬を真っ赤にして起きる事以外は特に変わった事もなく。けれど、その日は確実にアーサーにとって特別な一日となった。
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