6話 金絡みの婚約
ブラック家での三日間の宿泊を終え、グレイスとアーサーは「婚約の儀」を執り行うため、貸し切った教会にある小部屋で向き合っていた。
この儀式を終えれば、この二人は国に認められた正式な婚約者となる。それもあってか、二人はきちんと身なりを整えた姿でこの場に現れた。……アーサーに限っては「自分なりに」という枕詞がつくくらい、普段とそう変わらない真っ黒な服装だが、トール以外の誰もその事を突っ込まなかった。
緊張感漂う二人の目の前に立ち、神父が厳かに告げる。
「婚約の義を執り行います。両者、よろしいですね?」
「は、はい!」
「……」
「……えっと、あの。婚約しちゃうんだけど……良いんですよね?」
「わ、わたくしに聞かないでくださいましっ!」
小さな悲鳴を上げ、グレイスはアーサーを上目遣いに見上げる。視線を向けられたアーサーは、無垢な視線から逃げ出す様、静かに目を逸らした。
こうして紆余曲折ありながらも、婚約の儀は無事に終わった。……二人は正式な婚約者となり、グレイスは(言い方は悪いが)ブラック家へ入り浸る事となった。
――とある日のブラック家の庭園。トールに案内され、グレイスはソフィーと共に美しく咲き誇った薔薇を眺めていた。案内を終えたトールは「お茶の用意をしてまいります」とその場を後にした。
「――おい、お前」
「えっ?」
背後から掛けられた粗暴な声に、グレイスは咄嗟に振り返る。……そこには、いかにも女性受けの良さそうな美しい男が立っていた。
男の顔は、すべてのパーツが美しく、均整が取れている。金の瞳はふさふさとした長いまつ毛に覆われているし、筋の通った高い鼻と、厚さの均一な唇はバランスが良い。少し長めな金髪はウルフカットにしていて、手入れもしっかりとしているのか光を受けてキラキラと輝いている。しかしながら体つきはしっかりしていて背も高い。――「美丈夫」という言葉を人間にしたなら、この男のようになる。そう言われても納得できるほどの美しさと男らしさが、この男には感じられた。
しかし、そんな男を目の前にしても、グレイスの「淑女っぷり」には敵わない。彼女はにこりと聖母の様な微笑みを浮かべると、カーテシーを披露した。
「お初にお目にかかります。わたくしはクロノス伯爵の娘、グレイスと申します。……ルーカス・エルロイド公爵、でございますね?」
「へぇ。俺の事、知ってるんだな」
「もちろんでございます。エルロイド公爵のお噂はかねがね――」
「俺の話なんて今はどうでも良い。それよりも、お前」
「? はい、何でしょう?」
金髪の美丈夫――ルーカスに失礼な態度を取られている事を気にせず、グレイスは首を傾げた。そんなグレイスに容赦なく、ルーカスは口を開いた。
「アーサーとの婚約を取り消せ。今すぐに、だ」
「……はい?」
言われた言葉の内容が理解できず、グレイスは間抜けな声を返してしまった。しかしながらルーカスは、蔑むような目をしたまま、グレイスを睨みつけるだけだった。
「……こちら、アッサムティーでございます」
ルーカス含むグレイス一行は、庭園へ用意されていたテーブルに着いていた。ずっとグレイスは微笑みを浮かべているが、ルーカスは固い表情を崩すことはなく。なんなら、グレイスを冷めた目で見てさえいた。当然、空気は張り詰めていた。
「ありがとう、トール。エルロイド公爵もどうぞ、お召し上がりください。トールの淹れたお茶はとっても美味しくて――」
「茶に興味はない。さっさと話しの蹴りを付けよう」
「ル、ルーカス様! うら若き女性にそのような言い方は――」
「トール」
グレイスの言葉を容赦なく切り捨てるルーカスに、トールは慌てて窘める様に声を上げた。しかしながら、ルーカスには逆効果だったらしい。トールの言葉を遮ると、ルーカスは座ったまま彼を上目遣いに睨んだ。
「覚えておけ。俺は、お前の事も許した訳じゃない」
「ホッ!? し、しかし……確かに始まりはよろしくなかったかもしれませんが、今はお二人の仲も深まってきておりまして……!」
「俺が、今のお前の言葉を信じるとでも思ってるのか? アイツを他の貴族に金で買わせた、お前の事を?」
「う、ぐぐ……」
「あ、あの!」
「あ?」
目の前で繰り広げられる会話に、グレイスは着いていけていなかった。しかし、グレイスも馬鹿ではない。今の会話で何となくの内容は分かった。
勇気を出して声を掛けたグレイスに、ルーカスの冷たい視線が突き刺さった。グレイスは少し怯みながらも口を開く。
「い、今の会話で、なんとなく状況は把握しました。……エルロイド公爵。お金のためにブラック公爵へ嫁いだわたくしと、それを計画したトールに大層怒っていらっしゃるのでしょう?」
「なんだ。どんなクソ令嬢かと思っていたが、少しは話が分かるじゃねーの」
「ル、ルーカス様!」
「トール、黙ってろ。俺は今、この嬢ちゃんと話してんだ。邪魔するってんなら、いくらお前とは言え容赦しねぇぞ。――今すぐ消えろ」
ギロリ。研ぎ澄まされた刃物のような鋭い瞳が、トールを射抜いた。
ルーカスに一喝されたトールは体を震わせると、命令の通り引き下がり、一礼をしてこの場を去ってしまう。残ったのは、ルーカス、グレイス、ソフィーのみとなった。
トールが去るのを見届けて、ルーカスは「さて」と言葉を漏らした。今のやり取りを見ていたグレイスはビクリと肩を震わせる。
「クロノス家のご令嬢。金のためにアイツと婚約していると聞いたが。……アンタ、アイツの事をどう思ってる?」
「え? ええっと――」
視線に冷たさは残っているとはいえ、こちらを真っ直ぐに見て、落ち着いた態度で唐突な質問をしてくるルーカスに、グレイスは少し面食らってしまった。
グレイスは何と答えるべきか、少しだけ考えあぐねいた。そうしてゆっくりと、「わたくしは」と静かに口を開く。
「ブラック公爵は……トールも言っていましたが、本当は優しい御方なのだと思います。わたくしが初めてお会いした時も、わたくしの身を案じて婚約から身を引こうとして。セオ君の命を救ってくれた事も、とても素晴らしい事だと思います」
「……アンタ、セオとも話したのか」
「は、はい。お友達になりました」
「お友達、ね」
ルーカスは溜息を吐き、ティーカップを手に取った。グレイスは困惑したまま、彼の動向を見守る。
音も鳴らさずティーカップをソーサーに戻し、ルーカスはグレイスを見た。
「アンタの事はなんとなく分かった。思ってたよりもまともなご令嬢だって事も」
「え。あ、あの――」
「でもな。俺は、アイツが金で買われるような形の婚約を結ぶなんて、許せない。……だから、アンタの事も許せない」
言い切って、ルーカスは立ち上がった。グレイスも慌てて立とうとするも、彼は静かに制した。
「良い。座って茶でも飲んでいてくれ。……突然押しかけて悪かったな」
「い、いえ……。わたくしこそ、申し訳ございません……」
「……はぁ。アンタが謝るなよな」
少しだけ苦し気に呟いて、ルーカスはこの場を去った。彼の姿が見えなくなるまでグレイス達は言葉を発する事も出来なかった。
「……いきなり何なんですか、あの人!」
「ソ、ソフィー」
「いくら公爵とはいえ失礼すぎます! 私、今からでも追いかけてガツンと――」
「わ~! それは絶対やめて!」
今にも走り出しそうなソフィーに、グレイスは抱き着いた。突然の主人の行動に驚きながら、ソフィーはグレイスの顔を見ようと見下ろすも、自分の腹に顔を押し付けていてそれは叶わず。
「……お嬢様?」
抱き着いたまま黙っているグレイス。ソフィーが手を回せば、グレイスはより強い力で抱き着いた。
「あの方の言う通り」
「え?」
「私、ブラック公爵をお金で買ってる。……家のためだけど、はたから見たら最低だよね」
「グレイスお嬢様……」
主人の弱音にソフィーは驚いた。グレイスがここまで弱音を吐くなど、中々ない事だ。それほどまでに、グレイスは自己嫌悪に陥っていた。
ソフィーは腹に回るグレイスを、包み込むように抱きしめた。
「お嬢様は立派ですよ」
言って、ソフィーはグレイスの頭を撫でる。優しく、まるで壊れ物を扱うような手つきだ。
グレイスのすすり泣く声が聞こえ始めた。その声はしばらく止むことなく続いた。
一方、同じ頃。
ルーカスに「消えろ」と命を受けたトールは、急いで事の顛末を主人へと伝えた。もちろん、金のための婚約という事は伏せて、だ。
報告を受けてすぐ、アーサーは仕事を投げ出し、執務室を飛び出した。早歩きで屋敷を探し周り、客間の扉を開けた先……そこに、目当ての人間はいた。
「――ルーカス!」
「よっ。思ったより早かったじゃねーか」
「お前っ……!」
ソファに腰掛け、へらりとした態度で手を上げるルーカスに怒りの表情を浮かべてアーサーは詰め寄り、その胸倉を掴んだ。強い力で引っ張られる形となったルーカスは、なんでもない事のように「おっと」と呟き、バランスをとる。
「お前、クロノス伯爵令嬢に何もしてないだろうな!?」
「手は出してない。でも、お前との婚約には口出しさせてもらった。……もしかしたら今頃、泣いてるかもな」
「ルーカス、お前っ……! 自分が何を言ってるか、分かっているのか!」
「分かってるさ」
激昂するアーサーに少し驚きつつも、ルーカスは薄笑いを浮かべながら、胸倉を掴む腕を振り払った。
ルーカスは乱れた衣服を整えると、アーサーに向き合って「なぁ」と口を開いた。
「アーサー。お前から見て、クロノス伯爵令嬢はどんな奴だ?」
「急に何を……今はそんな話をしているんじゃない! お前は――」
「――俺がどんな思いであの女との婚約話を聞いたか知らないお前が、怒る権利ってある訳?」
「は? お前、何を言って――」
言いかけて、アーサーは瞠目した。自分を見つめるルーカスの瞳には侮蔑と、少しの寂しさが見え隠れしていた。
「ハッキリ言っておく。今の俺は、お前の婚約話に納得していない。……だから、あの子が大事だと言うなら。俺を納得させてみろよ。なぁ、幼馴染」
「……」
ルーカスの言葉に、アーサーは黙り込んだ。暫くの間、二人には沈黙が続いた。
先に沈黙を破ったのは、意外にもアーサーだった。
「……あの子は、とても良い子だと思う。こんな俺にも良く笑いかけて、気を配ってくれる。俺だけじゃない、セオやトール、家の使用人達も皆、あの子を好いている」
「へぇ?」
アーサーの言葉に、ルーカスは目をパチクリさせ、面白そうに笑った。
「つまり、お前はあの子の事が好きなの?」
「……分、からない」
「……お前なぁ」
曖昧な言い方のアーサーに、ルーカスは溜息を吐き、くるりと背を向けた。
「……ま、いいや。とりあえず、俺はまだ納得してないって事だけ覚えとけ」
「は? いや、待て。お前、クロノス伯爵令嬢に何を――」
「じゃあな! 俺、トイレ!」
「待て、逃げるな!」
アーサーの制止を振り切り、ルーカスは逃走した。その逃げ足は速く、まるで風が駆け抜けるかのような素早さだった。
「……何なんだ、アイツは」
ルーカスのいなくなった客間で一人、ポツリとアーサーの呟きが溶けていった。
逃げ出したルーカスはというと――。
「――あれ? ルーカスさん?」
「……お、セオじゃねーか! 久しぶりだなぁ」
グレイス達のいなくなった庭園の入り口で、セオと再会していた。
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