29話 愛する人は世界一(※アーサー視点)
「グレイス」
蹲っている彼女に近付く。近づくにつれて見えてくる。顔は涙に濡れ、目は赤く染まっていた。
自身へ近づく俺を、グレイスは怯えた瞳で見つめている。
「こ、こないで」
震える声に俺は歩みを止めた。良く見れば彼女の体は震えていた。それほどまでに俺が怖いらしい。「グレイスに嫌われない限り傷付かない」と言った事があったが、それはどうも本当だったらしい。少し胸が痛んでいる自分がいる。
俺はグレイスの制止を振り切って、彼女の華奢な体を抱きしめた。途端、彼女は暴れ出した。
「はなっ、放して!」
「放さない、絶対に放さない」
「なんでっ……私は汚い人間なのに!」
……グレイスは何を言っているんだろう。俺は彼女の言っている意味が分からなくて、思わず無言になってしまった。その沈黙を上書きするように、吐き出す様にグレイスは話し始めた。
「あんな父親から生まれて、愛も知らずに育って! 愛する事も、愛される事も知らない屑みたいな人間が、貴方に抱きしめられていいはずがない!」
「グレイス……」
「愛せない、愛せないの! 誰かを憎む事しかできないの! 妬む事しかできないの! こ、こんな汚い……醜い女が幸せになれるはずない! なっていいはずがない! 生きていていいはずがない!」
それは自分自身を呪う言葉だった。……それには覚えがあった。少し前の記憶、薄汚い男が発した言葉だ。
――「そんなはずある訳ないだろ? 俺の、俺のせいで死んだ! 俺が救えなかったから、俺が剣を握ったから死んだ! それなのに俺はなんだ? 贖罪だとか言って逃げてるだけだ! こんな……こんな薄汚れた醜い男が、生きていて良いはずがない! 違うか!?」
――ああ。彼女は俺とそっくりだ。
知らなかった。いつだって彼女はキラキラと輝いていて、俺とは正反対な存在だと思っていたから。だから、気付かなかった。彼女がこんなにも重い荷物を抱えている事に。
「すまない、グレイス」
今更の謝罪だ。俺はグレイスをきつく抱きしめた。
「気付けなかった、聞かなかった。君が辛い思いをしていたのに、俺はそれを見逃した」
「ち、違う……! アーサー様は聞いてくれた! でも私が隠した! 怖かったから! 嫌われるんじゃないかって怖かったから!」
泣き叫ぶグレイスの声に胸が張り裂けそうになった。……俺は、彼女に何と声を掛ければ正解なのだろうか。そんな事を思案していると、急にグレイスが大人しくなった。力の抜けた腕をぶら下げ、何も言わないまま俯いている。
「グレイス……?」
「――たい」
「え?」
「死にたい」
ガツンと、頭を殴られた感覚が俺を襲った。……俺の婚約者は今、何と言ったか? 「死にたい」、そう言ったのか?
それを認識した瞬間、俺の体は燃える様に熱くなった。俺は彼女の両腕を掴んだ。
「――そんな事、二度と言うな!」
驚いたようなまん丸の瞳と目が合った。彼女は分かっていない、なぜ俺がこんなにも怒りに燃えているのかを。でも俺には分かる、それは自分の価値を蔑ろにしているからだ。他人からどれだけ愛されているかを知らないからだ。……俺もそうだったから、良く分かる。
「初めてだったんだ、アーチー以外から誕生日プレゼントを貰ったの。君が、君の瞳と同じ色のネックレスをくれた時、俺がどんなに嬉しかったか、君は知らないだろう?」
――「お誕生日おめでとうございます。アーサー様が、幸福に包まれる人生を送れますように」
赤い顔で微笑む、いつしかのグレイスの顔が脳裏に浮かんだ。そこから、彼女とのいくつもの記憶が蘇った。
――「ええ、そうです。……ちょっと、嫉妬しちゃいます」
――「アーサー様が、物凄くかっこよくなっていて! それに気付いちゃって、恥ずかしくなっちゃって……それで、その……」
――「……私もです、アーサー様」
――「ダメじゃ、ないです」
――「なんでアーサー様はそんなに冷静なんですか!? 私とアーサー様が、会えなくなっちゃうのに……!」
どれも、俺にとっては宝石の様に輝いている記憶だ。彼女は、この記憶すらもなかった事にしようとしている。そう思えてならなかった。
「君が俺と過ごす時間をどう思っていたかは知らない。できれば俺と同じように、大切だと、そう思っていて欲しいと思う。君が望む事を何でも叶える。君が望まない事はしない。だから、お願いだから……! これからも俺の側にいて欲しい! 俺の側で笑って、泣きたいときは俺の胸の中で泣いて欲しい! 君を幸せにしたいんだ、他の誰でもない俺の手で……だから……!」
……いつの間にか俺は泣いていた。声も震えている。こんな大事な場面でこうなってしまうなんて、なんて格好悪いんだろうか。グレイスも、目を見開いてこんな俺を見つめている。
けれど、俺は伝えなくちゃいけないと思った。
「グレイス。……君が好きだ。君が自分を愛せなくても、他人を愛せなくても、俺は君を愛している。それだけは否定しないで……認めてくれないか」
グレイスは大きな目を更に見開いた。その瞳には見る見るうちに涙が溜まっていって、彼女はくしゃりと顔を歪めた途端、溢れ出した。
「――うっ、うわぁああああん!」
大きな声を上げて彼女は泣き出した。俺は彼女を強く抱きしめた。やっと感情をむき出しにした彼女を前に、俺はそうする事しかできなかった。ただ抱きしめ続けた。
暫くすると、彼女はしゃくりを上げつつも泣き止んだ。
「アーサー様……私、実は――」
そうして語られたグレイスの過去は辛いものだった。父親に捨てられ母親には愛されず、感情の出し方をしらない幼いグレイスは誰にも自分の気持ちを言えずに自殺を考えた事。それを止めたのは後に義理の妹となる少女だった事。その少女の父親に引き取られ、愛されて育つも愛情を認められなかった事。ルーカス達と出会ってからも嫌な感情係浮かんでいた事。……そして、真実を知った彼女が、ハーパー達にそれを伝えた事。
どれほど辛かっただろうか。どれだけ傷付いてきたんだろうか。俺には計り知れないほどの苦しいを背負って生きてきたんだろう。それだけしか、俺には分からない。
「私、アーサー様と出会って変わったんです」
「俺と?」
「はい。……貴方の側にいれば『愛し方』が分かるんじゃないかって、そう思って」
そう言ってグレイスは俯いた。その顔にはありありと自己嫌悪が映っていた。
「私は、そんな自分が許せなくて。私は貴方の事が好きなんじゃなくて、私の事を大切にしている貴方を利用しようとしてるんじゃないかって」
「……」
「分からないんです。本当に貴方が好きなのか、私を大切にしてくれるから好きになりたいのか。……分からないんです」
尻すぼみしたかのように小さな声でグレイスは言った。きっとこれは彼女の本心だ。愛し方を知らない、彼女のなりの愛だ。なんて不器用なんだろうと俺は笑みが零れた。
「そういうものだろう。人は、愛されてると思う人を愛するもんだ」
「……そういうものなんですか?」
「そういうものだ」
俺も前まではグレイスと同じようなものだったから、こうやって人に「愛」を説くのは不思議な気持ちになる。けれど、それと同時に「変われたのだ」と思えて嬉しくも思う。変えてくれたのは目の前の少女だというのに、彼女は「愛」を知らない。本当に不思議なものだ。
グレイスは俺の言葉に少し考え込み、俺を見て言った。
「やっぱり、良く分からないです」
「ハハッ。今はそれでいいよ」
「……でも」
「ん?」
言葉を区切って俺を見つめるグレイスに、俺は首を傾げた。彼女はもう怯えの色が見えない、真っ直ぐな瞳で俺を見た。
「愛する事がどういう事か、まだ良く分からないけど……私は貴方を愛したい。その気持ちは本当です」
「……!」
彼女の言葉に俺は目を見開いて驚いた。まさか、彼女が恥ずかしがらずにこんな言葉を言うとは思わなかった。……けれど、どうしてだろう。俺の心は、今までにない程に弾んでいた。
「――ああ。どうか、こんな俺を愛してくれ」
気付けば、俺の口からは酷く優しい声色が出ていた。彼女はぱちくりと目を瞬かせると、顔を真っ赤にさせた。
「……努力します」
目を逸らし、震える声でそう言ったグレイスは、やはり可愛かった。
俺は彼女をまた抱きしめた。もう彼女が暴れる事はなく、大人しく俺に抱きしめられていた。やはり彼女は世界一可愛いのだ。
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