28話 醜い化け物②(※グレイス視点)
「早急に! 嫁に行って欲しい!」
ある日、父ちゃんが私に頭を下げてきた。困惑しつつも話を聞けば、金を出してくれる公爵へ嫁ぎに行けという話だった。元来、貴族の結婚というものは、家を繁栄させるための大切な儀式だ。格上の家へ嫁がせる事など普通の事だった。しかし昨今は貴族の間でも恋愛結婚という物が増えてきている。市井で流行っているという恋愛小説の影響と、新生ベランクァ王国の王が恋愛結婚だから、というのが大きな要因だろう。だから、「金のための結婚」と聞けば、気の弱い令嬢なら失神しているだろう。……でも、私は違う。
「父ちゃん。顔、上げてよ。良いよ、父ちゃん。私、結婚する。いつかはクロノス家を継ぐかどっかに嫁ぐかって思ってたし。これも運命なんだよ、きっと」
事情を聴いた私は、すぐに婚約の話を受け入れた。だって、やっと役に立てると思ったから。勉学を励んでも、「完璧な令嬢」と言われても、私は所詮「仮初の令嬢」だから。クロノス家の本当の一員じゃないから。そんな私がやっと役に立てる。そう思って、私は酷く安心した。
アーサー・ブラックという人物は良い人だった。仄暗い目をしているしぶっきら棒な言い方しかしないけれど、その言葉の端々には優しさが溢れていた。――ああ。私とは正反対の人間だ。そう思った。
ブラック家へ通うようになってからも私は「良い人」を演じた。テオ、ルーカスさん、ハーパーさん。彼等は皆、私の「良い人」の面を好きになってくれた。私も彼等と接するのは好きだった。私が「普通ではない」という事を忘れさせてくれるからだ。
でも、たまに……彼等の言動に、苦しくなる時があった。
「親の愛を受けて、子供は初めて『愛され方』と『愛し方』を知る。……それは他の誰でもない、『家族』が教えるべきだと、わたくしは思います」
「君は?」
「え?」
「君は、そうやって育ったのか?」
違う。「親からの愛」なんて、知らない。
「父と母は、わたくしを愛してくれていました。妹も真っ直ぐで、誰よりも優しい良い子です。クロノス家の全員がわたくしを愛してくれたから、今のわたくしは存在している。……わたくしは、クロノス家の一員になれて良かったと、心の底から思いますわ」
「……そう、か。君は、良い家族に恵まれたんだな」
違う。違う、違う、違う。
「ったくよー。アイツ、本当に素直じゃないよな。傷付いたならそう言やぁ良いのに」
「もう、ルーカスさんってば。人には言われたくない事の一つや二つ、あるものですよ? あんな風に言わなくったって……」
「俺のせいかよ! んだよ、傷付いたなら『傷付くから言うのやめてください』って素直に言えば良いじゃねーか」
「言えない人もたくさんいるんですよ」
「それは相手が他人だとか気の許せない奴の場合だろ? 俺達は兄弟も当然に育ったんだ。なのにそんな事も素直に言えないなんて、関係性として歪んでるだろーが」
私は知らない、そんな関係。
「お嬢様、いかがなさいました?」
「何が?」
「いえ、その。……何だか、お嬢様の顔が、迷子になった子供の様に見えて……」
「いいなぁ、って思ったの。……嫉妬って奴かな」
汚い、醜い。溢れ出す感情が、全て嫌い。
いつしか、毎日夢を見るようになっていた。怖い夢だ。体の身動きが取れなくなって、真っ黒な人の形をした化け物がじりじりと私に寄ってきて、囁く。
――「なんでまだ生きてるの? アンタの事、好きな人なんていないのに」
分かってる。分かってるけど、仕方がないじゃん。死ぬ勇気がないから。きっかけがないから。
――「ただの言い訳だよ。アンタみたいな奴が生きていていいわけないじゃん。愛し方も、愛され方も知らないアンタが」
だって誰も教えてくれなかったじゃない、そんな事!
――「そうやって他人のせいにして生きてきた。そんなアンタに生きる価値あるの?」
うるさい、うるさい!
化け物が近づいてくる。人の形をしたそれの顔が見えそうになる、いつも決まってそのタイミングで目を覚ます。額に滲む汗を拭って、私は息を整える。そして鏡に向かって笑って見せる。
「……大丈夫」
それが私の日課になっていた。……私は、人の愛し方も、愛され方も知らない私が嫌いだった。
でも、そんな私が変わりつつあった。原因は、そう、アーサー様だ。
彼は不思議な人だ。そっけないと思えば、こちらを気遣うような行動をして、ぶっきら棒かと思えば優しい言葉と微笑みを向けてくる。不思議と彼の事を「知りたい」と思うようになった。
「君が俺を大切にしていると知れて、嬉しく思うよ。ありがとう、グレイス」
知ろうとする事が嬉しいだなんて、変な人だ。頭の片隅で思いながら、低くて優しい声に耳がくすぐったくなった。
「もし君が嫉妬してくれているなら、俺は嬉しいと思う」
その一言だけで、私の体は夢見心地の様に軽くなったのを、彼は知らないんだろう。
「俺は君に触れられても嫌じゃない。だから、距離が近い位、なんの問題もない」
「君は、俺と距離が近いのも、触れられるのも、嫌か?」
嫌じゃない。嫌じゃないから戸惑った。人に、こんな思いを持った事なんてなかったから。
「君が俺をかっこいいと思って恥ずかしがっているという事が、酷く可愛く見えたんだ」
「ああ。俺を男として見て恥ずかしがっている君が、堪らなく可愛くなってしまって。思わず笑ってしまった」
「――ずっとその気持ちを俺に向けていて欲しい。飛び上がったって、泣いたって良い。戸惑って言葉に詰まったって良いから……その気持ちを言葉にして、俺に伝えて欲しい。これからも、何度だって」
嬉しかった。飛び跳ねてしまいそうな程に、嬉しいと思ってしまった。
「グレイス、すまない。俺は今、生きてきた中で一番幸せなんだ」
私を抱きしめる腕が温かくて、あの日の事を思い出した。アレッタが私を抱きしめてくれた日の事を。
「俺の話なんかよりも、君とこうしていたい。……ダメか?」
私の頭を撫でる手が大きくて、あの日の事を思い出した。お母さんに首を絞められた日の事を。
アーサー様の隣にいると、機能していなかった様々な感情を思い出させてくれる。私はきっと、彼の事を好きになってしまったのだろう。こんな私でも人を好きになれるんだ、と嬉しく思った。
夜、私はいつもの夢を見た。人の形をした、黒い化け物の夢だ。
化け物は段々と近づいてきて、私の目の前まで来る。そしてその顔を上げた。
「……え?」
目の前にあったのは私の顔だった。……そこで私は目を覚ました。寝ていただけだというのに息は切れ、体は震えている。私は自分の体を抱きしめた。
――私だった。私を呪っていたのは、私自身だった。それに気付いて震えが止まらなかった。
その日、いつもの様にエラとお茶会をした。アイザック殿下との事をふざけながら聞けば、彼女は話題を逸らす様に話し始めた。
「そ、そんな事より! ……ねぇ、知ってる? 『最低公爵』の話」
「なんでもその公爵、平民の女性に夜の相手をさせるのが好きで、とっかえひっかえで相手を変えていたらしいわ。そして相手をしない女性は自らの剣で切り殺す事もあったとか! 怖いわよねぇ」
「そうそう。その公爵、貴女と同じ、珍しい銀髪の男性だったとか」
私と同じ銀髪の、貴族の男。その情報だけで、それが誰なのかを知るには十分だった。
ハーパーさんの話を聞いた時から、「もしかして」とは思っていた。でも「まさか」という気持ちの方が大きくて、「もしかして」の気持ちに蓋をしていた。
エラと別れた私は、すぐに父ちゃんの元へと向かった。
「私の本当のお父さんって、誰?」
真っ直ぐすぎる私の質問に父ちゃんは驚きつつも、真摯に答えてくれた。
「お前の本当の父親は、ケイト・プレーグ。旧ベランクァ王国の汚点と呼ぶべき人物だ」
「汚点……」
思わず呟いた私に、父ちゃんは少し慌てて弁解した。
「すまない、別にお前の生みの親を馬鹿にしたかったわけじゃないんだ。お前と同じ銀髪に空色の瞳をしていた、それはそれは美形な男だった。ただ……お前の父親はそれはもう酷い人物でな。今ではアイザック殿下の緘口令も伴って、知っている人物も減ってきている。だが、知ってる者から言わせてみれば、プレーグという男は『悪魔』だ。人を人とも思っていない、最低最悪な人物」
「……父ちゃんは、それを知っていて私を引き取ったの?」
「そうだ、知っていた。けれど、お前に罪はない。お前はただ、生まれてきただけだ」
そう言って父ちゃんは私を抱きしめた。豊満な体はとても温かくて、けれど私はグルグルと考えの止まらない頭を落ち着かせるのに必死だった。
私は、私を抱きしめる父ちゃんの腕を優しく解いた。
「ありがとう、父ちゃん」
……それからの記憶はハッキリしていない。思っていたのは「どうしよう」と「打ち明けなくちゃ」という事だけだった。
ハーパーさんにこの事を打ち明ける。それはきっと、とても残酷な事なのだろう。でも、無理だった。この真実を隠したまま彼と接するなんて、私が耐えられなかった。
そんな中、一週間ぶりにブラック家へ行った時の事だ。アーサー様は、いつもの様に私を優しくしてくれた。だから、私はつい言いそうになってしまった。
「……今は、まだ。でも、いつか絶対に、絶対に言います。だから、私を――」
――私を嫌いにならないで。なんて自分勝手なお願いだろう。私はまた自分を嫌いになった。
けれど、それを遮るようにアーサー様は言う。
「――待ってる。ずっと、どんなに時間がかかっても良い。待ってるよ」
嬉しかった。涙がこぼれた。「この人なら」と期待を抱いた。……だからこそ、絶望した。
憎悪の瞳がこちらを向いて、獣のように吠えた時の事だった。
「君と俺が似てるって話だよ。気になってただろ」
「おい、ハーパー」
「俺とお前は、お互い偽善者だ。人に好かれる様に振る舞って、でも腹の底では人が憎くてたまらない……やっぱりそっくりだよ。自信がなくて臆病で、他人の目ばっか気にして。良い人を演じてるくせに、それに罪悪感を覚えて!」
「ハーパー!」
「疑心暗鬼になって迷って傷付いて、それでも前を向くしかなくて! そんな欺瞞的で偽善的な自分が一番! 一番嫌いなんだろ! 死にたがってるんだろ!」
――そうだよ。全部正解だ。私は絶望を感じながら、どこか諦めを感じていた。しかしハッとして振り返った。そこにいたのは、驚いた顔のアーサー様。知られてしまった、と思った。
「ごめんなさい」
それだけ言って、私は逃げた。ハーパーさんを傷付けるだけの事実を言い残して、まるで被害者の様に逃げた。逃げ込んだ先はブラック家の一室。良く見ればそこはアーサー様と良くお茶をしている部屋だった。
「――うっ、ひっく、うぁ……!」
どうして泣いているんだろう。私が傷付けたのに、私が加害者なのに。どうして被害者ぶっているんだろう。悲劇のヒロインを演じているんだろう。
分かっているのに涙は止まらなかった。喉から押し上げる様に溢れ出す声が無様に部屋に響いた。……その声に交じって、バンッと大きな音が聞こえた。
「見つけた……!」
私は恐る恐る顔を上げた。
「……アーサー様」
一番会いたくない人がそこにいた。
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