27話 醜い化け物①(※グレイス視点)
ずっと隠していた。卑怯で薄汚い、本当の自分を。
「っ、はぁ、はぁっ……!」
走りながら思い出す、子供の頃の記憶。痛くて苦くて、今でも私を苦しめる記憶を。
*
「――このクソガキがッ!」
そんな怒声と共に、頬に衝撃と痛みが走る。私は思わずその場に倒れ込んで、今しがた私を叩いた女性を見上げた。彼女は私とよく似た顔を醜く歪めて私を見下ろしている。――彼女は私の実の母親だった。
ボロボロで薄汚れた服が床の汚れを吸い、更に汚くなる。それに気に掛ける余裕なんて当時の私にはなくて、空腹で力の入らない体でゆっくりと体を起こした。
「お、母さん」
「――うるさい、この犬が!」
私が呼べば、母はキッと目を吊り上げ、鬼の様な形相になった。母は私からそう呼ばれるのが嫌いだった。しかし私は彼女を母と呼ぶ事に固執した。私は母の愛情が欲しかったのだ。
罵声を飛ばすと持っていたパンを私へ投げつけた。それはとても固く、まるで石のようなそれが体に当たるとじんじんと痛んだ。彼女は移動して椅子に腰かけると、顔を手で覆った。
「ああ、どうして。ケイト様、どうして帰ってこないのですか……」
うわ言のようにブツブツと呟きながら母は泣いた。「ケイト様」、その名前を彼女から聞くのは何度目だろうか。私は薄々気づいていた。その「ケイト様」が、私を作り、そして私達を捨てた人――私の実の父親なのだろう、と。
座り込んでいても仕方がない。私は汚れの付いたパンを拾い上げると、床に座ったまま口を付けた。固くてカビ臭い、いつも通りのパン。もう慣れてしまったけれど、今思えば母は私への嫌がらせとしてそれを寄越していたんだろう。それでも当時の私にとってそれは、母からの愛情が感じられる唯一の物だった。
ある日、私は街の人達から母の誕生日が近い事、誕生日には真っ白なクリームに覆われたケーキを焼く事を教えられた。街の人達は良かれと思って幼い私へ教えてくれたのだろう。実際、当時の私は「母のためにできる事がある!」と喜び、彼等へお礼を言ったのだ。
私は森へ出かけた。街の人達は危ないと止めてくれたけれど、忠告を無視して入った。貧しい生活をしている母へ食べ物をあげようと思ったからだ。真っ白なクリームのケーキは無理だと分かっていたから、森に自生している野イチゴでも収穫しようとしていた。
私の思惑通り、野イチゴは採れた。それも籠いっぱいにだ。私は嬉しくってしょうがなくて、スキップ交じりの歩き方で帰宅したのを覚えている。
家に着き、音の鳴る古い扉を開ければ、母はいた。いつもの様に椅子に腰掛け、顔を覆って泣いていた。
私は母を元気づけようと思って、野イチゴでいっぱいになった籠を目の前に差し出した。
「お母さん、お誕生日おめでとう!」
今まで言われた事のない言葉をたどたどしく言って、私は笑った。母は私を見下ろして目を見開いていた。私は彼女が驚いていると思って、悪戯が成功した気持ちになった。
……でも、私がやった事は、彼女にとっては最悪な行動だった。
母は立ち上がると、私の腕を掴んだ。彼女が初めて私に触れようと思ったのかと思い嬉しくなるも、掴まれた腕の痛みにすぐに夢から覚めた。
「おかあさ、いたっ、痛いよ!」
彼女は私の腕を引きながら家の扉を開いた。そして次の瞬間、私の頬に耐えがたい痛みと、全身に強い衝撃が襲った。
何が起こったのか分からなかった。少しして、私は母に頬を打たれ、外に放り出されたのだと悟った。そこからの母は凄かった。
「――お前のせいでケイト様はぁ!」
そう言って母は私の上へ馬乗りになり、私の首を絞め始めた。私はパニックになって必死に彼女の腕を掴んでいたが、大人の力に勝てる筈もなかった。私が抵抗している間にも、彼女は「お前のせいでケイト様は帰ってこない」「お前のせいで」「死ね」と繰り返し口にしていた。
母は街の通行人に取り押さえられ、私の気道は自由になった。咳き込む私を心配した女性が私を抱きしめる。私には永遠に感じられた時間だったが、それほど時間は経っていなかったらしい。生きているのがその証拠だった。
母は街の人達に取り押さえられ、どこかへと連れて行かれた。その間も彼女は私への呪いの言葉を吐き続けた。私はようやく理解した。「母に愛される事は一生ない」と。
失意の中、私は街の人達の手によって孤児院へと連れて行かれた。そこは親を亡くした子供達の行きつく場所で、中には私の様に虐待を受けていた子もいるらしかった。私はそこで、自分の父親は女をとっかえひっかえする最低な貴族の男だという事を知った。院長が教えてくれたのだ。
私は孤児院の過ごす中で誰ともつるまなかった。ただひたすらに勉学に励み、神父様からは計算の仕方や作法を習った。愛される事はないと知った私は、それでもなお愛される事を諦めきれなかった。
でも、「愛されたい現実」と「愛されない現実」のギャップは凄くて。私はどんどん心をすり減らしていった。そしてある日、ぷつんと糸が切れたかのように勉強をする手が止まった。
「――なんで生きてるんだろう」
呟いてから私は席を立った。孤児院を抜け出し、いつしか来た森の奥へと進んでいく。
森を抜けると崖がある。私はそこにたどり着くと、少し震えた体で歩みを進めた。もう全てを終わらせたかった。
その時だった。
「――なにしてるの?」
舌ったらずな幼い子供の声だった。私は思わず振り返った。そこにいたのは、金髪に茶色の目をした、私よりもいくつか年が下であろう女の子だった。
「死ぬつもりなの」
私がぶっきら棒に告げると、彼女の愛らしい瞳がまん丸になった。そして眉を吊り上げると、私へ駆け寄ってきて言った。
「そんなのダメ! 絶対にダメだよ!」
彼女は私の体に抱き着いた。私は驚いて思考停止していた。「抱きしめられている」と理解するのにたっぷり三十秒はかかったと思う。それほどまでに私は人とスキンシップをとっていなかった。
「死ぬなんて絶対、絶対言わないでぇ……!」
そう言って女の子は私に抱き着いたままわんわんと泣き出した。私は訳が分からなくて、でも年下であろう彼女を泣き止ませなきゃいけないと本能で感じ取っていた。
私は彼女を抱きしめ返していた
「――ごめんね」
その言葉は、思ったよりもするりと出た。私はそんな自分に驚いていた。
苦しい、痛い、悲しい、辛い、憎い、愛したい、愛されたい。私の中にはそんな醜い感情しか渦巻いていないというのに、彼女の純粋な「死なないで」に心打たれていた。「何も知らないくせに」という気持ちを持つと同時に必要とされている気がした。
その後、私は女の子と遊んだ。今まで遊んだことのない不器用な私を、彼女は笑い飛ばして遊んでくれた。しばらくすると父親と名乗る金髪の男性が現れて、女の子は帰っていった。私は「今起きた事は夢なんじゃないか?」という気持ちのまま孤児院へと帰った。もちろん、院長には怒られた。
私は勉強する事を再開した。私の中には「認められたい、愛されたい」という感情が強く蔓延っていた。
そうして何日か経った頃。院長先生が朝から機嫌のいい日があった。
「今日はとぉっても偉いお貴族様が来ますから、皆さん良い子にしてるんですよ!」
そう告げた院長に子供達は「はぁい」と気の抜けた返事を返した。私は「ふぅん」と思いながら、貴族が来ることに浮ついた子供達の中、静かに朝食をとった。
お昼ごろになると、院長は私を含めた子供全員を集めた。そして「もうすぐ、お貴族様が来ますからね!」と告げると、子供達は嬉しそうに声を上げた。私は特に何の感情が湧く事もなかった。
しばらくすると、孤児院の扉が開いた。……その向こうにいた顔を見て、私はあっと声を上げた。
「やぁ、院長。久しぶりだね」
「トルツ様、お待ちしていましたわ!」
扉の向こうにいたのは、森で出会った女の子とその父親だった。院長は彼の元へ駆け寄ると、私達の元へと彼等を案内した。彼等が目の前に来た瞬間、女の子と目が合った。
「あっ、あの時の子!」
彼女は私を指さして声を上げた。周りの子達の視線が一斉にこちらへと向き、私は息が詰まりながら彼女がこっちにやってくるのを見守った。彼女は私の手を取ると、きらきらと輝く瞳で私を見つめた。
「ここの子だったんだ!」
「え……あ、うん」
「すごいすごい、運命だ!」
私の手を取ったまま彼女が飛び跳ねるものだから、釣られて私の体も合わせて上下に動いた。院長はそんな私達を見て不思議そうにしながら女の子の父親へと話を振った。
「知り合いだったのですね」
「先日、ちょっとね。……こら、アレッタ! あんまり暴れると、その子に迷惑だろう。やめなさい」
「っえー? 楽しいよ、ねっ? ええっと……お名前、なんだっけ」
女の子は私を見て首を傾げた。私はドキドキと鳴り続ける胸の音を聞きながら答えた。
「グ、グレイス」
「グレイス……! グレイス!」
彼女は私の名前を、まるで大切な宝物のように呟いた。私はなんだかむず痒い気持ちになって、彼女の父親を見上げた。彼は私に少しだけ微笑んで、院長へと視線を戻して言った。
「彼女を引き取ろう」
「えっ!?」
院長は驚いていた。そしてハッと我に返ると、「この子で良いのですか?」と心配そうに声を上げた。
「確かにこの子は秀才です。同世代の子達と違って読み書きも、計算だってできます。……でも、協調性はありませんし、可愛げもありません。そんな子をご令嬢にするなんて――」
「院長。そういった事は、子供の前で言うものじゃない」
注意して、女の子の父親は私の前へ跪き、呆然と見上げる私に優しく言った。
「私の名前はトルツ、この子はアレッタだ。――グレイス、私達の屋敷へ来ないか?」
ゆっくりと手が差し伸べられた。どうするべきか分からなくて、私は女の子を見た。彼女はもじもじと、恥ずかしそうにドレスの裾を掴んで上目遣いに言う。
「私のお姉ちゃんになって、グレイス」
――その言葉を聞いた私は、差し伸べられた手を取った。何故か分からないけれど、彼女を守らなければいけないと感じた。それが、トルツとアレッタ――父ちゃんと愛しの妹との出会いだった。
クロノス家の一員となった私は、孤児院にいた時と同じように勉強漬けの毎日を送った。遊ぶのはアレッタや父ちゃんが誘ってくれた時だけ、それ以外は勉強と、家庭教師に頼み込んで増やしてもらった宿題をこなしていた。二人が心配しているのを感じ取っても、私は何でもないように彼女たちと接した。だって、私は本当の家族じゃない。過度に甘えてはいけないのだ。
二人は私を愛してくれていた。父ちゃんはアレッタと私を分け隔てなく接してくれていた。けれど、その度に私の脳裏に浮かぶ、悍ましい記憶。
――「お前のせいで! お前のせいでケイト様はぁ! 死ねぇ!」
私は彼等の愛を受け取らなかった。受け取った振りをして、拒んだ。彼女達が気付いているか私には分からない。でも、気付いていて欲しい様な、気付かないで欲しい様な矛盾した気持ちが心の奥底にあった。
アレッタは優しく素直で明るく、誰とでも仲良くなれる子だった。私はそんな彼女が自慢であり、同時に妬ましかった。こんな風になりたいと何度も願った。努力もしたつもりだった。……でもなれなかった。私はいつまでも人を妬む事しかしない、ひねくれていて、本心を見せる事のない。だから友達もできなかった。私に話しかけてきた子達も、私の事を「完璧な淑女だ」と言って距離を置いた。私は淑女でも本物の令嬢でもない、ただの醜い人間だというのに。
そんな中だった。私に金絡みの縁談が来たのは。
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