22話 邂逅
セバスがこの世を去ってから、グレイスは見るからに元気をなくしていた。
本人としてはいつも通りの態度を見せているつもりらしいが、親しい者から見たらそれは空元気の様に見えていた。笑顔も、いつもよりもどこか儚げだ。
そんな状態でも、グレイスはアーサーと会う事を止めなかった。そんなグレイスが心配で、アーサーは「無理しなくていい」と告げるも、グレイスは一瞬どこか傷付いたような顔をして、「来たいから来ているのです。……ご迷惑でしたか?」と泣きそうな顔をしたものだから、それ以上アーサーは何も言えずにいた。
そんなある日の事。ブラック家屋敷にて、いつも通り二人がお茶を嗜んでいる時だった。
ティーカップを静かにおいて、アーサーは口を開いた。
「グレイス。話しておかなければいけない事がある」
「? はい、何でしょう」
同じくティーカップを置いて首を傾げるグレイスに、アーサーは言いにくそうにしていた。
「オビデンス男爵令嬢が、我が家へやって来る」
「……え?」
グレイスは固まった。脳裏には、アーサーの事を罵倒するシャーロットの姿が浮かんでいた。
そんな事はつゆ知らず、アーサーは話を続けた。
「何でも、君に危害を加えた罰として、期間限定で我が家の使用人にさせるとの事だ。俺は断ったんだが、アイザック殿下のごり押しで決定してしまった。……だから、グレイス。君は我が屋敷に暫く来ない方が良いだろう」
「どうしてですか!?」
アーサーの最後の言葉に、グレイスは慌てた。慌てふためくグレイスを落ち着かせながら、アーサーは理由を話す。
「君はオビデンス男爵令嬢に危害を加えられている。彼女がそれを反省していようがしてなかろうが、また君に危害を及ぼさない可能性がないと言い切れない。だから、グレイス。君は自分の家で大人しく――」
「嫌です」
ハッキリした声がアーサーの話を遮った。アーサーは驚いてグレイスを見る。グレイスの顔には怒りが浮かんでいた。
「なんで……なんで私が我慢しなきゃいけないんですか?」
「それは、君を傷付けたくないからで――」
「私もアーサー様も、何も悪いことしてません! 被害を受けた側が我慢するなんて、おかしいです!」
「グレイス、気持ちは分かるが、少し落ち着け」
「なんでアーサー様はそんなに冷静なんですか!? 私とアーサー様が、会えなくなっちゃうのに……!」
涙ながらに言うグレイスに、アーサーは目を見開いた。そしてすぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「グレイスは、俺との時間を大切に思ってくれているんだな」
「当たり前です!」
「……そうか」
即答された返事に、アーサーは自身の座っている椅子をグレイスへと近付け、また座った。困惑するグレイスを横目に、アーサーは嬉しそうに微笑んでいる。
「俺も君との時間が大切だよ、グレイス」
「……そ、そうですか……」
赤くなったグレイスのすぐ隣で見ながら、アーサーは続ける。
「だから、さっき言った事は取り消すよ。君はいつでもここに来て良い。オビデンス男爵令嬢には、君とは遭遇しないであろう場所の事を任せればいい」
「……ほ、本当に良いんですか?」
「なんだ。君が望んだことだろう?」
「そうなんですけど……」
さっきまでの勢いはどこへやら。グレイスは少し俯いて、自分の指をいじり始めた。アーサーは笑って、その指を握りしめた。
「俺は、君が我儘を言ってくれるようになったんだと感動したんだ。君はずっと、俺に従順な姿しか見せてくれなかったから。――本当の気持ちを伝えてくれてありがとう、グレイス。嬉しいよ」
「っ……」
グレイスの指にアーサーの指が絡まる。その光景に息を詰まらせながら、グレイスは俯いた。顔は茹蛸のように真っ赤だった。
そうして数日が過ぎ、とうとうその日――シャーロットがブラック家へやって来る日が来た。
シャーロットは綺麗なドレスを着て、沢山の荷物と共にブラック家へと到着した。その荷物達を運ばせようとするシャーロットの無垢な傍若無人ぶりに、ブラック家の使用人たちは大層驚いた。
そしてメイド服を着せ、清掃の仕事を任せた上級使用人が自分の元から去ると、シャーロットは指定された場所に行く事なく屋敷の中をフラフラと歩いた。
――そんなあてもなく歩くシャーロットの前に現れたのは、庭園で練習をしているセオとハーパーだった。シャーロットは彼等に近付く。それに二人は気付かず、いつものように授業を進めていた。
「――そのコード進行良いね! 僕じゃ思いつかなかったよ!」
「えへへ、そうかな? やった。……あれ。お姉さん、だぁれ?」
和気あいあいとした授業を行う二人の元に、シャーロットがやってきた。尋ねられたシャーロットはそれに応える事無く、セオのギターへとジッと視線を送っていた。次第にセオは戸惑い、困惑する。それを遮るように立ったのはハーパーだった。
「こんにちは、お嬢さん。僕達に何か御用かな?」
「? こんにちは。それって楽器?」
「そうだよ」
「そうなんだ! ねぇ、私に貸して!」
「え?」
唐突な言葉にハーパーとセオは戸惑った。そしてその隙を掻い潜るかのようにハーパーの前を通り過ぎると、シャーロットはセオの持つギターをおもむろに掴んだ。
「ね、貸して!」
「い、嫌です! 放してください!」
「はぁ? 口答えしないでよ、子供のくせに!」
「ちょっと……!」
シャーロットとセオがギターを引っ張り合う。それを止めるためハーパーが声を掛けた瞬間だった。
セオがギターを放してしまった。引っ張る力がそのままのシャーロットはギター諸共後ろへ倒れた。ギターは不気味な不協和音を奏でて地面へ突撃し、辺りには木の折れる音が鳴った。
「あっ……!」
セオの悲痛な声が響いた。視線の先には、地面に放り出され、無残にもネックの折れたギターがある。セオとハーパーはシャーロットの横を通り過ぎると、すぐにギターへと駆け寄った。
「これは酷い」
「ブラック公爵様に買ってもらったギターが……」
折れたギターを抱きかかえ、セオは振り返った。怒りと悲しみに満ちた幼い顔がシャーロットと目が合った。
「なんでこんな事をするんですか? 人が嫌がっている事はしたらダメと教わらなかったんですか?」
「は? 何、私に説教してるの? 子供のくせに偉そうに、アンタ何様!?」
「その子はアーサー・ブラックの養子となった子だ。使用人の君の主という事だが?」
激昂し始めたシャーロットに冷静な口調でハーパーが告げた。しかし、シャーロットはそれを鼻で笑うと、立ち上がった。
「ああ、アンタ、あの『最低公爵』って呼ばれてる人の子供なの? かわいそー。人として最低なんでしょ? あの人」
「何を言って……」
突然饒舌となったシャーロットに、セオとハーパーは呆然と彼女を見つめた。しかし、シャーロットは二人の視線を気にする事もなく楽しそうにアーサーの悪口を続けた。
「あの旧シシリア帝国の皇子だもんね! 何か気に食わない事があればすぐに人を殺したっていう皇帝の息子! あははっ、そんな奴と結婚しなきゃなんて、本当、グレイス様ってかわいそう――」
「私が、何ですか?」
シャーロットの言葉を遮るように、言葉が重なった。セオはシャーロットの後ろを見て、「あっ」と声を上げると、一目散に駆け出した。横を通り過ぎたセオを追うように、シャーロットは振り返った。
「御機嫌よう、オビデンス男爵」
「――あれ、グレイス様じゃないですかぁ!」
シャーロットは歓喜の声を上げた。喜びで蒸気する頬の向かう先、そこにはセオを抱きしめるグレイスの姿があったのだ。彼女はいつもとは考えられないような冷めた顔をシャーロットへ向けたまま、静かに口を開いた。
「もう一度聞きます。私が何ですか、オビデンス男爵?」
「グ、グレイス……?」
低く冷たい声に、セオは思わずグレイスの顔を見上げた。セオの視線に気づいたグレイスは少しだけ微笑んで、すぐにまたシャーロットへと視線を戻す。
グレイスの醸し出す空気に気付いていないらしい、シャーロットは嬉しそうにグレイスへと駆け寄ると、セオを押し退けて彼女の華奢な手を取って笑った。
「前と同じ、グレイス様の事がかわいそうって話をしてたんです! ほら、前はグレイス様、他の子達のせいで思ってもない事言ってたじゃないですか? だから今度こそ聞きださなきゃって!」
「何をです?」
「あの『最低公爵』の事、本当は嫌いだって!」
場違いなほどに明るく笑ってシャーロットは言い放った。今にも怒り出しそうなセオを、ハーパーが止めた。
「何で止めるんですか!?」
「……大丈夫だよ。グレイスに任せよう」
そう言って「ね、グレイス?」と微笑みを送るハーパーを見て、グレイスは微笑んだ。そして、次の瞬間、パンっと大きな音が辺りに響いた。
「……え?」
呟いたのはシャーロットだった。一瞬にして自分の身へと降りかかった衝撃に、折れたギターの前へと尻餅をついた。そしてじんじんと痛みだす頬に手をあてると、やっと理解した。「グレイスにぶたれたのだ」と。
その瞬間、シャーロットの頭に血が上った。今後どうなるか等も考える事無く、折れたギターを持って立ち上がった。
「――何すんの、このブス!」
シャーロットはグレイスの脳天目掛けてギターを振りかぶった。セオの悲鳴が上がる中、グレイスは微動だにすることなく彼女の動きを見守っていた。
……痛いほどに静かな時間が流れた。そんな中、シャーロットの怒りに震えた声だけが響いた。
「ア、アンタ……!」
「人の婚約者に随分な事をしてくれたな?」
――シャーロットの攻撃を防いでいたのはアーサーだった。右手でグレイスを抱き寄せ、残った左腕一本でギターを受け止めていた。グレイスは少しだけ驚いた顔を見せた後、涙を滲ませてアーサーの胸に顔を埋めた。
「アーサー様……!」
「……だから言ったろう、俺も一緒に行くと」
「だ、だって。アーサー様の事悪く言うの分かってたんですもん。アーサー様を傷付けたくありません」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら話すグレイスに、アーサーは溜息を吐いた。
「俺は、君に嫌われる以外の事で傷付かないよ」
アーサーはグレイスの頭を撫でた。そして呆然と立ちすくむシャーロットを一瞥すると、背後へと声を掛ける。
「捕らえろ」
「はっ」
「……え? は? ちょ、何!? 放してっ!」
アーサーの一声で出てきた何人もの使用人たちがシャーロットの身柄を捕らえる。何が起こっているか分かっていないらしい、シャーロットは怒りに委ねたまま暴れているが、アーサーに鍛えられている使用人たちにはビクともしていない。屋敷の方へと連れて行かれ、彼女の上げている怒声は段々と聞こえなくなっていった。
アーサーは、自身の胸に顔を埋めるグレイスの頭を撫でた。
「グレイス、もう行った。もう大丈夫だ」
酷く優しい声だ。しかし、グレイスは顔を上げようともしない。
「……グレイス?」
「……少し――」
掠れた声が漏れたグレイスは、顔を上げた。アーサーは目を見開いた。
「――少し、疲れました」
「……グ、レイス」
アーサーの目に映る微笑みは、苦し気な微笑みだった。グレイスはまたアーサーの胸に顔を埋め、彼の背中に手を回した。力の入った彼女の腕に、アーサーは戸惑いつつも抱きしめ返す。二人はハーパーに話しかけられるまでそうしていた。
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