21話 愛する者の側に
「グレイスお嬢様!」
いつも通り、一緒にお茶を嗜んでいたアーサーとグレイスの元に、慌てた様子のソフィーがやってきた。落ち着かない様子の自身の侍女に、グレイスは首を傾げて尋ねた。
「どうしたの、ソフィー? そんなに慌てて」
尋ねられたソフィーは、泣きそうな顔で答えた。
「――セバス様が倒れたそうです!」
「……え?」
ソフィーの一言に、グレイスは固まった。そして言葉の理解ができたのだろう、顔から血の気が引いた。
「は、早く、早く帰らなきゃ」
真っ青な顔で呟きながら、グレイスは動き出した。真っ直ぐに外へと向かおうとしているその動きに、アーサーは彼女の腕を掴んだ。
「待て、グレイス。まずは落ち着け」
「私は落ち着いています! それよりも、早く、早く帰らないと、セバスが……!」
肩を震わせ、グレイスは泣き出しそうな声で言った。アーサーはグレイスの腕を引き腕の中に閉じ込めると、「大丈夫だ」と優しく諭し、ソフィーの方へと視線を変えた。
「報せは馬車を使って直接来たようだな。馬車の定員は?」
「四人乗りです。ここにいる全員が乗れます!」
「分かった。それでは俺もクロノス家へと向かおう」
そこまで言って、アーサーはグレイスの名を呼んだ。呼ばれたグレイスはゆっくりと顔を上げる。不安に満ちた瞳がアーサーを見上げた。
アーサーは抱きしめる腕に力を込めた。
「……大丈夫だ、俺も共に行くよ。側にいる」
「アーサー様……」
アーサーの優しい声に、グレイスは彼の熱い胸板に顔を埋め、背中に手を回した。そして二人は離れると、ソフィーに導かれる様に馬車に乗り込み、クロノス家へ向かった。道中、車内は静かで、時たまグレイスのアーサーを呼ぶ声と、アーサーの「大丈夫だ」が聞こえるだけだった。
クロノス家の前に馬車が停まると、グレイスは車内から飛び出した。後ろからアーサー達が呼びかけるが、意を介さずに屋敷の奥へと消えてしまった。
ソフィーは門へと来ていた男の使用人へと近付いた。
「セバス様はどちらに!?」
「ご案内します!」
使用人は慌てながら言い、早歩きでアーサー達を先導する。そして一つの部屋の前まで来ると、叫んでいるかのような悲痛な声が聞こえてきた。
使用人は部屋の扉を開けた。……アーサー達に見えたのは、呆然と立ち尽くすグレイスの後姿だった。
部屋に入りグレイスの肩に手を置く。そしてその華奢な肩越しから見えた目を閉じたままの老人の姿に、アーサーは少し息を詰まらせた。
「グレイス」
「……目を覚まさないんです」
小さな声が部屋に響いた。誰も話すことができず、皆、ただグレイスの言葉に耳を傾けていた。
「セバスはいつも早起きで……誰よりも早起きで。いつも起こされてばかりだったから、びっくりさせようと思って。小さい頃、私、いつもよりずっと早く起きた事があるんです」
「……」
「結果は失敗でした。他の使用人達ですら寝ている時間に起きたのに、セバスは起きていた。むしろ起きた私に気付いて、朝の用意をしてくれて」
グレイスは床に膝をついて、セバスの手を握った。甘えるように自分の頬に寄せて、俯いた。
「ねぇ。早起き、セバスの一番の特技でしょ。いつもみたいに、早く起きてよ。……ねぇってば……」
それは祈りだった。消えかかった大切な者の命の灯に再び火を灯そうとする、切実な祈りだった。
――その瞬間だった。ピクリ、握られた手の指が一本、微かに動いた。一番に気付いたのはもちろんグレイスだ。
「……セバス? セバス!?」
「う、ぅん」
少し唸ってから、その瞳はゆっくりと開かれた。そして自身の手を握っている人物の方へ向き、小さく呟いた。
「グレイス、お嬢様」
「っ、セバス!」
グレイスはセバスに抱き着いた。勢いよく、しかし体重が乗らないように優しく。セバスは一瞬困惑した顔を見せたが、すぐに穏やかな顔つきへと変わった。そして辺りを見渡すと、静かに告げた。
「皆様。申し訳ございませんが、席を外していただけませんか」
「え?」
ソフィーは驚いた声を上げた。しかしセバスは冷静に、優しい声で続けた。
「グレイス様とお話があるのです。……どうか、老い先短い老体の我儘を聞いてはくださいませんか」
「し、しかし……」
ソフィーは振り返ってアーサーを見た。わざわざやってきた格上の相手に出て行けと言っても、普通は聞き入れてもらえるものではない。
しかし、ア=サーは頷いた。
「承知した。さぁ、俺達は出て行こう」
「え、は、はい」
軽く言って、アーサーは部屋を出た。一番各上の者が出て行っては、残りの者も出て行かざるを得ない。ソフィーと医者も続けて部屋を出て行き、残ったのはセバスとグレイスだけになった。
二人の間に沈黙が降りた。……最初に話し始めたのはグレイスだった。
「老い先短いって、何」
俯いていて、グレイス表情は分からない。しかしハッキリとしているのは、いつもよりも低い、怒りの籠った声だった事だ。
対してセバスはフッと微笑んで、グレイスの頬へと手を伸ばす。
「グレイスお嬢様。俯いていないで、私めに顔を見せてください。さぁ」
頬を触れる手に上げられて、グレイスの顔が上がった。……彼女は泣いていた。流れ出る涙を必死にこらえるため唇に力を入れているが、流れる涙は止まる事を知らない。
セバスは「おやおや」と笑った。
「お嬢様のこんな泣き顔なんて何時ぶりでしょう。たくさんの方と関わって、感情豊かになったお陰でしょうか」
「たくさんの、方?」
思わず呟いたグレイスの言葉に、セバスは頷いた。
「ソフィー、トルツ様。ルーカス様にテオ様、ハーパー様にエラ様。――そしてアーサー様。特に、アーサー様の話をするときのお嬢様は、彼と出会う前よりもずっと穏やかな笑顔が増えていました」
「……」
「正直、最初は複雑な気持ちでした。金の絡んだ婚約と知っていたのですから、良い感情を持たなかった。でも、段々と……アーサー様の事を話す貴女の顔が、『普通の女の子』になっていって、私は思ったのです。彼が、貴女を幸せにしてくれる人なのだと」
鼻水を吸い込む音を響かせて、グレイスはセバスの名を呼んだ。しかしセバスは笑って、話を止める事はない。
「初めてお嬢様が私に笑いかけてくれた時、孫ができたらこんな感じなのだと、密かに思った物です。……ふふっ、トルツ様には内緒ですよ」
頬を撫でていたセバスの手はやがて、彼女の頭の上へと降り立った。グレイスの柔らかな髪をいつくしむように撫で、セバスは目を細めた。
「幸せにおなりなさい。完璧な淑女じゃなくていい、伯爵令嬢らしくなくたっていい。ただ愛する者の前では素直になって、愛する事や愛される事を許しなさい。……本当の貴女は、それが下手くそでしょう?」
「セ、バス」
ポロポロと涙を流し続けるグレイスは、言葉を詰まらせながらもセバスの名を呼ぶ。セバスはそれを嬉しそうに聞きながら、しかし少し疲れたように手をベッドの上に戻した。
「申し訳ございません、お嬢様。この老体、少し眠くなってしまいました。……少しだけ、眠らせてください」
「っ、ま、待ってセバス! 嫌、嫌ぁ!」
「ああ。次に目を覚ました時は、きっと――」
――きっと、お嬢様の子供を抱かせてください。その言葉を最後に、セバスはもう二度と目を覚まさなかった。
その後、セバスの葬儀はクロノス家の庭園にて速やかに行われた。そして遺体は近くにある丘に埋葬された。
葬儀が終わり、クロノス家屋敷の一室。グレイスはトルツと向かい合うようにソファに座っていた。ソフィーがお茶を淹れたティーカップを置けば、小さくコトリと音がした。しかしそれを気にする事もなく、グレイスは深く俯いている。
「……セバスは、私の奥さん――セレナの執事だったんだ」
唐突にトルツが語り始めた。グレイスは微動だにしない。
「セバスは、それはもうセレナを大事にしていた。クロノス家に嫁ぐ事となったセレナに着いてくる程、彼女の事を大切にしていた。私はそれを疑問に思ってな、聞いた事があるんだ。『どうしてそんなにセレナが大事なんだ』と」
「……どうしてだったのですか」
返答を急かしたのはソフィーだった。トルツは少し微笑んだ。
「答えは簡単だ。彼女の……セレナの母親の事を愛していたんだ。一人の女性として」
「え、でも……使用人と主じゃ、結ばれる訳――」
言いかけて、ハッとしたように口を押える。そんなソフィーに苦笑して、トルツは続ける。
「ソフィー、お前の言う通りだ。使用人が自分の主と結ばれる訳ない。今と違って政略結婚が大事にされてきた時代だ、余計にな。……でも、二人は愛し合ってしまった。決して結ばれる事はないと知りながらも、愛した。だから、ある約束をした」
「約束、ですか?」
「ああ。――『愛する人の愛する者の側にいて守り続ける』。セバスはそう約束したんだ」
トルツの言葉に、グレイスの指がピクリと動いた。それを見守りながら、トルツは優しく笑った。
「グレイス。お前はな、セバスの愛した人の孫だったんだ。だからきっと、セバスもお前を本当の孫の様に可愛かったんだろうなぁ。セバスのお前を見る目は、本当に優しかった」
「……っ」
「……お前に『ブラック家へ嫁に行け』と言った日の事を、覚えているか?」
尋ねたトルツに、グレイスは俯いたまま、何も答えなかった。
「あの日、セバスと喧嘩をしてね。『大切な娘を金のために嫁へと行かすのか!』と怒鳴られたよ。しかも私の胸倉を掴もうとして、転んで足を怪我してな」
「……ぁ」
トルツの最後の言葉に、グレイスの脳裏に一つの記憶が蘇る。
――「ねぇ、セバス」
――「何でしょうかな、お嬢様」
――「右足、怪我したの? 大丈夫?」
グレイスの問いに、ピタリ。セバスの動きが止まり、グレイスは彼の背中に鼻をぶつけ、咄嗟に謝り、顔を見上げた。
――「……セバス?」
グレイスが見上げたその顔は一瞬、どこか悲しそうに、寂しそうに見えた。一瞬の後にふっと微笑んで、セバスは優しく応えた。
――「……なんでもございませんよ。さ、早く参りましょう」
――「? 変なセバス」
「っ、ぁ……」
あれは、自分のために負った怪我だった。そう認識した瞬間、グレイスの瞳に涙が溢れた。
「セバスはお前を愛していたんだよ。本当の孫の様に……本当の家族の様に」
「……ぅ、あ……!」
グレイスは俯きながら手で顔を覆った。隙間からは泣き声と涙が零れ落ち、まるでそれらを啜っているかのように地面にシミを作っていく。
トルツは立ち上がり、グレイスの前まで来ると、小さな体を抱きしめた。
「大丈夫だ。お前には、私達がいる。……大丈夫だ」
暫くの間、部屋にはグレイスの泣き声が響いていた。部屋の外、扉の横では、アーサーが腕を組んで天井を見上げていた。
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