18話 命の価値①(※アーサー視点)
「兄様!」
剣術の稽古をしていた俺の耳に、幼い子供の声が飛び込んだ。思わず稽古を中断して振り返れば、俺と同じ髪色、同じ瞳の色の子供が一生懸命に走ってくる様子が見えた。それは俺の弟――ア=チーの姿だった。
「アーチー!」
俺は慌てて彼に駆け寄った。そしてお互い近い距離になり走るのをやめたアーチーは、息も絶え絶えになりながらも笑顔で俺を見上げていた。
「に、兄様っ……!」
「アーチー、何やってるんだ! 走るなんて無茶な事を……!」
「へ、平気だよ! お薬も飲んだし……それに、今日はなんだか体の調子が良いんだ!」
俺の心配を意も介さずといった様子で笑うアーチーに、俺は溜息を吐きながらもその小さな頭を撫でた。
アーチーは生まれつき体が弱い。医者曰く「この年まで生きてこられたのが奇跡」との事で、走るのは勿論、剣術の稽古や遠出をするのも難しい。大半はベッドの上で過ごしている。だから、俺がここまで心配するのは家族として当たり前の事だった。
俺はアーチーの頭を撫でていると、背後から「なぁ」と声を掛けられた。振り返れば俺と同じ、十四の頃のルーカスがいた。
「走れるんだったらちょっと剣術やるくらい平気じゃね?」
「他人事だからって適当言うなよ。それでアーチーが倒れたらどうするんだ」
「倒れた時は倒れた時に考えりゃ良いじゃねーか」
「お前は本当に馬鹿だな」
「んだと! じゃあ剣術でどっちが馬鹿か決めようぜ! もちろん、負けた方が馬鹿だ!」
「……ハァ」
相当頭の悪いルーカスの発言に溜息を吐いたのを覚えている。こいつはこんなに馬鹿だったか? と思いつつも、アイツが本気でそんな事を言っていない事は知っていた。なぜなら、こいつは空気を読んだり場の空気を明るくさせるためにこんな事を言う。それは昔から変わらない、アイツの長所だった。
ルーカスの言葉に、アーチーは目を輝かせた。
「僕、二人の試合見ていても良いですか?」
「あ? ああ、もちろん! なっ、アーサー?」
「……まぁ、見るだけならいい」
「よっし決まり! じゃあ審判はアーチーな!」
ルーカスの言葉を皮切りに試合は始まった。結果は勿論俺が勝った。自慢じゃないが、アイツが俺に勝てた事なんて数えるほどだ。
悔しそうにするルーカスとは反対に、アーチーはキラキラとした瞳をこちらに向けていた。
「クッソ、さすが『若獅子』だな……手強い奴だぜ……!」
「兄様、すごい! さすが兄様です!」
「ハハッ、ありがとう、アーチー。……さ、体が冷えない内に戻ろうか」
そう言って俺はアーチーの肩を抱いて城へ戻った。……ルーカス? 置いて行った。
当時の俺の立場は、旧シシリア帝国の第一皇子だった。
旧シシリア帝国というのは、旧ベランクァ王国をぐるりと囲むように成り立っていた国で、今では新生ベランクァ王国となっている。
帝国と言うと「様々な国から成り立っているし、さぞかし栄えていたんだろう」なんて事を思うかもしれないが、実際は違った。帝王である俺の父親は傍若無人な人柄で、それは政治にも現れていた。……つまり、彼の贅沢三昧な生活の裏で民達は飢え、貧困に苦しんでいた。そんな国が栄えるはずもなく、今思えば俺達の生活もギリギリだったように思う。
二人で城に入れば、一人のメイドが慌てた様に俺達に近付いてきた。
「アーサー様、探しましたよ!」
「どうした、そんなに慌てて」
「お父上――皇帝陛下がお呼びです。すぐに着替えて参りましょう!」
そう言って彼女はアーチーを見ると「アーチー様はここで」とぴしゃりと言い放った。俺は眉間に皺を寄せ、彼女へと突っかかったよ。体が弱いからという理由でアーチーの待遇は悪かった。俺はそれが許せなかった。
しかし、アーチーは泣きだす訳でも怒る訳でもなく、ただ笑うだけだった。
「いいよ、兄様。それよりも早く行かなきゃ!」
「でも――」
「大丈夫だよ! ……僕なら大丈夫だから。ね?」
俺を見上げて言ったアーチーの瞳には、寂しさが浮かんでいた。まだ八歳の子供なのだ、こんな対応をされて何も思わないはずがない。
でも、アーチーに見つめられて俺は何も言えず、メイドに引きずられる様にその場を去った。振り返れば、アーチーが手を振っていた。
着替えて、玉座の間へ通されれば、先程までの浮ついた気持ちは吹き飛んだ。ここへ来るといつもそうなってしまうのは、玉座に着く男――俺の父親のせいだ。
父の前まで来ると、俺は片膝をついた。
「アーサーか。遅かったな?」
「申し訳ございません、剣術の稽古をしておりました」
「ふん、そうか。さすがは『若獅子』だなぁ?」
ニヤリと笑って父が言った。その嫌らしい笑みに、俺は顔を顰めた。この顔をするときの父は嫌な事を言い出す。俺は少し身構えて、「それで」と続けた。
「要件というのは?」
「ああ、そうだったな。――ベランクァ王国へ戦争を仕掛ける。お前、兵士として戦争に出ろ」
「は?」
俺は思わず顔を上げて、父を見た。彼はまたニヤリと笑みを浮かべていて、俺は混乱しながら口を開いた。ベランクァ王国と戦争なんて無謀だと思ったからだ。
「お、お待ちください! ベランクァ王国とは条約を結んでいるはずでは……!」
「先代が勝手に結んだものだ、俺には関係ない」
「そんな無茶な……!」
なんとも勝手な言い分に、俺は思わず立ち上がってしまった。父はそんな俺を咎める事無く、嫌らしい笑みのまま話し続けた。
「ベランクァ王国は資源が豊富なうえ、工作機械も盛んだ。そんな国を手に入れてみろ? 俺がもっと豊かな生活を送れるんだ。お前はただ黙って俺の駒として生きていればいい」
――天上天下唯我独尊。この男を言葉にするなら、それしかないのだろう。彼の気分で死んだ人間は数知れず、いつしか「妊婦の腹の中を見てみたい」という発言一つで妊婦を殺した事だってある。それほど人の事を考えない自分勝手で残虐な人間だった。
それを分かっていながらも、当時の俺はそんな奴にも逆らう事なんてできず――。
「……わかり、ました」
もう一度跪いて、俺は奴にへりくだった。奴は笑って「以上だ」と告げると、まるで邪魔だとでもいいたげにしっしっと手を振った。それが、俺が父を見た最後だった。
同年の夏、遂に戦争は始まった。父親の言う通り、俺は兵士として参加した。
ルーカスも兵士として参加していて、俺達二人は着実に戦果を挙げていた。
先程から何度か出ていたけれど、俺は「若獅子」と呼ばれていた。これまた自慢じゃないが、俺の剣術の強さは国一番らしかった。俺は特に何の自覚もないままだったから、「若獅子」という異名で呼ばれるたび不思議な気持ちになっていた。
「若獅子」である俺は、非情な人間だった。戦争が始まり、命乞いをする敵兵も容赦なく殺した。殺すたびに思うのは「戦果を挙げられた」という安堵と喜びだけだった。まるでゲームをしているような感覚だった。俺は、最低な人間だった。
戦争が始まって一年が経った時、アーチーが倒れた。戦争のさ中、隙を見つけた俺はアーチーが臥せっている城へと戻った。
鎧で重くなった体のまま俺は走った。そして、アーチーがいる部屋に入れば……彼はベッドの中で苦しそうに息をしていた。
ショックだった。久しぶりに会ったアーチーは、ふっくらとしていた頬はげっそりと痩せ細り、顔色は真っ青だった。それなのに息はヒューヒューと笛を吹いてるかのような音を立てている。
「アーチー」
俺は力が抜けていく体でアーチーの側に寄り、手を取った。小さな手は細くて、まるで枯れ枝の様だった。
俺に気付いたアーチーは「兄様」と呟くと、薄っすらと笑った。
「兄様、来てくださったのですね」
「当たり前だろう……!」
俺は手に力を込めた。弱々しい声の彼に、もう彼の命は儚いものになりつつあると知ってしまったからだ。
「兄様」
呟いて、アーチーは俺を見上げる。こんな状態だというのに、彼の瞳は輝いていた。
「どうか、兄様だけは生きてください。生きて……幸せになってください」
「アーチー、お前、何を言って――」
「僕の分まで、幸せになってっ……! おじいちゃんになるまで生きてっ……!」
――アーチーの顔は、涙でグシャグシャになっていた。しゃくりを上げながら言葉を紡ぐ彼に、俺は言葉が出てこなくて、ただ彼の名前を呼ぶことしかできなかった。
そしてそのままアーチーは死んだ。側にいた医者はアーチーの脈をとって「死亡を確認しました」と冷静に告げた。俺は怒りを覚えて医者の胸倉を掴んだ。
「お前医者だろ! 何をしてたんだ!」
「何をって……手は尽くしました。なんなら、前にも言った通り、アーチー様がここまで生きてこられたのは奇跡なのですよ。彼は一生懸命生きました」
優しく、諭すように話す医者に、俺は呆然とした気持ちになった。胸倉を掴んでいた手からも力が抜けた。医者の襟元には大きな皺がついていた。
「……戦に、戻る」
それだけ告げた俺は、部屋を後にした。戦争へと戻るために。……言うなればそれは、ただの現実逃避だった。
戦に戻った俺は、人を殺した。沢山殺した。そして、片腕を無くした一人の敵兵が、俺へと頭を下げて乞うてきた。
「待ってくれ、頼む! 家で家族が待ってるんだ!」
……その言葉を鮮明に覚えている。けれど当時の俺は気にする事無くその男の命を奪った。男はその場で倒れた。目を見開いたまま、恐怖を覚えた表情のまま。
男が倒れて一歩足を踏み出した時、足裏に変わった感触を覚えた。地面とは違う、何か固い物を踏んだ感触だった。俺は足をどけて、それを拾った。ロケットペンダントだった。
俺は何の気なしにそれを開いた。そして――。
「――ぁ」
小さな呟きが俺の口から漏れた。……そこには、今殺した男の幸せそうな家族の集合写真が写っていた。
――「僕の分まで、幸せになってっ……! おじいちゃんになるまで生きてっ……!」
何故かアーチーの姿が思い浮かんだ。小さく細い体で、一生懸命に生きていたその姿が。
――「待ってくれ、頼む! 家で家族が待ってるんだ!」
今しがた殺した男の言葉を思い出す。そして、ふと思った。「彼も、そうだったんじゃないか?」と。彼も、俺と同じように大切な家族がいて、アーチーと同じように生きていたかったんじゃないのか? 生きて、家族の元に帰りたかったのではないのか?
そう思った瞬間、殺した男の屍と目が合った。虚ろな、全てを見透かすような目だった。……俺は怖くなった。何も思わず、何なら楽しんで人を殺していた俺も、戦争と言う殺し合いの場も。
「――危ないっ!」
突き刺すような声にハッとして、俺は前を見た。敵兵が俺へと切りかかっていた。いつもの俺なら咄嗟に反応して対応できるのに、その時の俺は何もできずにいた。……人を殺すのが急に怖くなったんだ。
結局、敵兵が俺に切りかかる事はなかった。その敵兵の背後にいたルーカスが切りかかり、殺した。俺の目の前でまた、一人の命が失われた。
「ッフー、危なかったぁ。……おい、アーサー!」
「……え?」
「え? じゃねーよ! 何ぼさっとしてんだ!」
「ル、ルーカス……俺、俺は――」
――もう殺せない。それだけ告げて、俺は駆け出した。ルーカスの呼びかける声が聞こえたけれど、すべて無視した。
戦地を抜け出し、それでも俺は走り続けた。……着いた先は、ガラクタの様になった見てくれの街だった。
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