17話 デート
ブラック家の執務室。仕事が片付き始め、終わりが見えてきたアーサーは、側でお茶を飲んでいるグレイスを見て言った。
「グレイス」
「? 何でしょうか、アーサー様」
「――これから『デート』をしないか」
「……へ?」
グレイスは固まった。お茶を片手に固まった。それもそのはず、この男の口から直々に「デート」という単語は出た事がなく、いつもなら「出かけないか」という言い方しかしないはずなのだ。
「デート」。その言葉の意味を理解したグレイスは、顔を真っ赤にさせてどもった。
「デッ、デデデデートォ!?」
ブラック家にグレイスの叫びが木霊した。それを聞いたトールが「ホッホ」と笑った事は、近くにいたソフィーしか知らない。
*
「……失礼いたしました。アーサー様の前であんな大声を出すなんて、令嬢失格ですわ」
「グレイス、落ち込んじゃった……。ブラック公爵様……」
赤くなった頬を押さえ俯くグレイスを、セオが心配そうに見上げる。テオの視線を受けながら、アーサーはふっと笑って、「そういうところも可愛い」と口にした。グレイスの顔は更に真っ赤になった。
目の前で繰り広げられるいちゃつきに、いつの間にかセオと共にやって来たハーパーは大きな溜息を吐いた。
「全く。僕達がいても関係なしかい? 妬けるねぇ」
「うるさいぞ。……というか、セオ、ハーパー。なんでお前達がここにいる」
入れられた茶々にアーサーがジロリとハーパーを睨めば、彼は「はぁ?」と零した。「何を言ってんだコイツ」と言った顔だ。
「グレイスのすごい叫び声が聞こえて、心配したセオと一緒に様子を見に来たんじゃないか」
「うぐっ。す、すみません……」
「あー、いや。別に君が謝る事ではないんだけど……」
ぐさり。ハーパーの言葉が突き刺さったグレイスは胸を押さえながら謝る。そんなグレイスを見てハーパーは少し動揺しながらも、再度溜息を吐いた。
「それで? 叫んでいた通り、デートに行くんだろう? さっさと行ってきなよ、あー憎たらしい」
「憎たらしいって……」
「えっ、公爵様、グレイスと出かけるんですか? 僕も行きたいです!」
「えっ!?」
ハーパーとアーサーの会話へ割り込まれた言葉に、グレイスは驚いて声を上げた。……その言葉を発したのは、キラキラと輝いた顔をしたセオだ。
セオは頭が良い。幼いながらに空気も読める。だからこそ、二人のデートに着いて行こうとするなんて、グレイスは予想にもしていなかった。
どうしよう。グルグルと考えながら、グレイスはセオに話しかけた。
「えっと、セオ? 今日はわたくしとアーサー様だけのお出かけなの」
「? どうして?」
「ど、どうして……?」
「みんなでお出かけした方が楽しいよ?」
「うっ、ううう」
グレイスはもうお手上げだった。子供の純粋な善意を打ち砕く言葉が思い浮かばず、助けを求める様に視線を彷徨わせた。最初に目が合ったのはハーパーだった。
ハーパーは盛大な溜息を吐いた。そして切り替える様に笑顔を浮かべると、セオと同じ目線になるようにしゃがんだ。
「セオ。『お出かけよりも良い事』、ハーパー先生としないかい?」
「おでかけよりも良い事?」
「ああ、そうさ。今までテオが経験した事のない、大人の時間になる事間違いなしさ」
「待て。お前、テオに何するつもりだ」
ハーパーの発言に、テオはキラキラと、グレイスとアーサーは引き気味に彼を見つめた。大人が子供へ言う言葉にしては怪しすぎる。怪訝な表情を浮かべて見つめてくるアーサーに、ハーパーは笑った。
「嫌だな、ちょっとした冗談じゃないか。……でもまぁ、テオにとっては本当に『お出かけよりも良い事』かもしれないけれど」
微笑んで、ハーパーはセオへと何かを耳打ちした。瞬間、セオは今までにないほどの輝いた顔でハーパーを見上げた。
「ぼ、僕でもできるの!?」
「ふふっ、もちろん! なんせ、この僕が付いているんだから」
そう言ってハーパーはキザったらしくウィンクをする。セオは興奮した様子で「すごい……!」と呟いている。見守っているアーサー達に何が何だか分からないのだろう、困惑した様子を見せていた。
「おい、本当におかしな事じゃないんだな?」
「ああ、もちろん。君の大切なご子息だ、変な事には巻き込まない。約束する。……なんなら、楽しみに待っていて欲しいものだ」
「楽しみに? ……まぁ、良く分からないが、変な事に巻き込まないなら何でも良い」
ハーパーの台詞に首を傾げならも、アーサーは安堵の息を吐いた。そしてグレイスの方へ振り返り、「行くか」と声を掛けた。グレイスは頷いて、セオ達へと手を振り、その場を去った。後ろではハーパーとセオが、グレイス達の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
*
屋敷を出たグレイス達は馬車に乗っていた。グレイスが「どこへ行くのですか?」と尋ねれば、アーサーは少し微笑んで「良い場所だ」と答えるだけで、明確な場所を告げる事はなかった。
静かな会話の中、グレイスは向かいに座るアーサーを見た。彼は腕を組んで外の景色を眺めていて、深海の様な瞳に陽の光が当たって輝いて見える。
ふと、グレイスは思案した。――この人は、こんなにかっこよかっただろうか? と。
前までぼさぼさだった髪は前よりも輝いてさらさらとして見えるし、髭が剃られている頬はつるりとしている。服装は……全身黒で暗い事に変わりはないが、前よりも断然、スタイリッシュさが加わっていた。会えば会う度に少しずつ変化していっていたからか、グレイスは気付かなかった。
かっこいい、と思った瞬間、グレイスは赤面した。別にアーサーの事を異性として見ていなかったわけじゃないが、急速に「男性」である事を意識させられたのだ。
じっと見つめるグレイスの視線に、アーサーが気付かない訳もなく。ふっと外から視線を外した深海の瞳が、空色の瞳とぶつかった。
「? どうした、グレイス」
「うぇっ!? な、何がですか?」
「いや、俺の事をじっと見ていた気がして……俺の勘違いだったか、すまない」
そう言って少し笑うアーサーに、グレイスは目を奪われた。――良く笑うようにもなったな、かっこいい。そう思ってしまっているのが丸わかりの顔で。
しかし、アーサーは鈍感な男だ。グレイスが熱い視線を送っているというのに、その真意に気付かず。
「……やっぱり、俺を見ているな。本当にどうした?」
「えっ、あっ、いやっ、その!」
慌てふためき、グレイスは少し俯いた。首を傾げるアーサーの目を少し見て、震える唇を薄く開いた。
「……アーサー様が、かっこよくて」
「え?」
「アーサー様が、物凄くかっこよくなっていて! それに気付いちゃって、恥ずかしくなっちゃって……それで、その……」
勢いの付いた声は、段々と小さくなっていた。グレイスはまた少し俯くと、蚊の鳴くような声で言った。
「ごめんなさい。アーサー様が、かっこいいんです」
グレイスの言葉を最後に、しんとした空気が車内に漂い始める。少しの間、馬の足音だけが二人の鼓膜を震わせた。
……最初に沈黙を破ったのは、アーサーだった。
「……クッ」
「……?」
「フッ……ハハッ、ハハハッ!」
突然、アーサーが笑い始めた。しかも、今までにないほどの大笑い。グレイスは驚きのあまりぽかんと彼を見つめたまま固まっていた。
しばし笑い続けていたアーサーも段々と落ち着いていき、長い息を吐くと、彼は微笑みを浮かべたままグレイスへと視線を向けた。
「ああ、いや、すまない。突然笑ったりして」
「い、いえ、それは大丈夫なんですが……わたくし、そんなに面白い事言いましたか……?」
恐る恐るグレイスは尋ねた。その瞳にはどこか不安が混じっている。
控えめに尋ねるグレイスに、アーサーは「いや」と前置きして話始めた。
「君が俺をかっこいいと思って恥ずかしがっているという事が、酷く可愛く見えたんだ」
「え、か、可愛い……?」
「ああ。俺を男として見て恥ずかしがっている君が、堪らなく可愛くなってしまって。思わず笑ってしまった」
「すまない」と続けて、アーサーは微笑み、グレイスの頬に触れた。ドクドクという心臓の音を聞きながら、グレイスはアーサーの瞳を見つめた。仄暗かった瞳は、いつの間にか光が宿っていた。その瞳に自分が映っていると知った途端、グレイスの体は燃えるように熱くなった。
「アーサー様」
「なんだ?」
グレイスに呼ばれて、アーサーが優しく答える。グレイスは優しさを帯びた顔を見つめたまま、頬に触れる彼の手に、己の手を重ねた。
「どうしましょう。私、アーサー様に可愛いって言われて、すっごく嬉しいんです。飛び上がってしまいそうな程に、泣いてしまいそうな程に嬉しいんです。……こんな気持ち初めてで、私、どうしたら良いのか分からないんです。わ、私、どうしたらいいですか?」
顔を真っ赤にさせ、潤んだ瞳でアーサーを見つめながらグレイスは言った。酷く震えた声で、今にも泣きだしそうな顔で。
アーサーは一瞬だけ驚いた顔を見せて、すぐに穏やかな顔を見せて言った。
「――ずっとその気持ちを俺に向けていて欲しい。飛び上がったって、泣いたって良い。戸惑って言葉に詰まったって良いから……その気持ちを言葉にして、俺に伝えて欲しい。これからも、何度だって」
グレイスは目を見開いた。そうしてすぐに、瞳に涙を溜めて笑った。
「――はい。これからもずっと、アーサー様に伝えます。私だけの気持ちと言葉で」
「ああ。……俺も、君の婚約者にふさわしいよう、努力を続けるよ」
グレイスの言葉に、アーサーは笑った。グレイスも、彼の言葉に笑った。
そんな時間を過ごしていると、馬車は止まった。アーサーの手に引かれ馬車を出たグレイスは、思わず声を上げた。
「綺麗……!」
――そこは一面の花畑だった。様々な色の花々が、緑と共に風に揺れている。
グレイスはアーサーに手を引かれ、花畑の中で一本だけ生えた大きな木の根に腰掛けた。
「すっごく綺麗な場所ですね!」
「気に入ってくれたか?」
「もちろんです!」
アーサーの問いに、グレイスは満面の笑みで答えた。本当に気に入ったのだろう、キョロキョロと花畑を見渡すグレイスに、アーサーはつい笑みを浮かべ、口を開いた。
「ここは俺が所有している土地でな。昔から良く来る場所なんだ。……君にもこの景色を見てもらいたかったんだ」
「そ、そうでしたか。……でも、今日は本当にここに来れてよかったです。こんな素敵な場所があったなんて――」
言いかけて、グレイスは言葉に詰まった。……彼女の華奢な肩を、アーサーが優しくつかんでいたからだ。
「ア、アーサー様?」
「――すまない」
「え? ――きゃっ」
突然引っ張られ、グレイスはアーサーへと倒れ込んだ。何が起こったのか分からなかったグレイスは少しの間頭が真っ白になった。
彼女は抱きしめられていた。自分よりも一回りは大きな男の腕の中へと閉じ込められ、必然的に顔の距離はいつもより近い。
彼女は震える声で尋ねた。
「ア、アーサー様?」
「……ああ」
「ど、どうして、私を――」
――どうして私を抱きしめたの。その言葉が出てこないグレイスの頭を、アーサーは抱きしめながら撫でた。
「グレイス、すまない。俺は今、生きてきた中で一番幸せなんだ」
耳元で囁かれた甘い声に、グレイスは固く目を瞑った。そして動かせずにいた自身の手を、アーサーの背中へと回す。
「……私もです、アーサー様」
彼等はしばらくの間抱きしめ合い、その内穏やかに話し始めた。
その話題が出たのは、グレイスからだった。
「あの。聞いて良いのか分からなくて、ずっと聞けてなかった事があるんですけど……」
「なんだ?」
「……アーサー様の過去についてです」
グレイスが話題を変えた瞬間、ピクリとアーサーの体が揺れた。グレイスは「しまった」と思ったが、口に出してしまったものはしょうがない。恐る恐る、話を続けようと口を開いた。
「ルーカスさんから聞いたんです。いきなり目の前から消えて、十数年経ってから急に目の前に現れたって。……何があったんですか?」
「……そう、だな」
グレイスの問いかけに、アーサーは呟いた。そして遠ざける様にグレイスの肩を押し、自身の体からグレイスを引き離した。
「アーサー様……?」
「……いつかは言わなければならないと思っていた。話すよ」
そう言ったアーサーの顔には、力ない笑みが浮かんでいた。
アーサーは浅く息を吸い、口を開いた。
「あれは、俺が十四の時だった――」
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