11話 嫉妬の行く先
店に入った時から聞こえていた音楽は、一人の男から流れていた。帽子を深くかぶって顔は見えないが、口元には笑みが浮かんでいる。白に近い、長い豊かな金髪を低い位置で結っている。足を組んで、上の足にギターを乗せて陽気な音楽を奏でている。
「……アーサー様?」
「……あ、ああ。どうかしたか?」
「あの音楽家の方がどうかしまして?」
「いや、もしかしたら知り合いかもしれなくてな。久々に会うから、確証がないが――」
アーサーがそこまで言いかけると、丁度演奏が終わったらしい。男は席を立って、酔っ払いたちの歓声に応えるように手を振っていた。同時に、帽子で隠れていた瞳がこちらを向いた。翡翠の、美しい瞳だった。その瞳がアーサーを捉えると、男は顔をパッと明るくさせてこちらへやってくる。近づくにつれ、男の端正な顔立ちがよく分かった。
男の顔はひどく中性的だった。体つきを見ず、化粧をしてしまえば女性に見えてしまうだろう。それほどまでに、普通の男性には見られない儚げな雰囲気と柔らかな顔立ちをしている。
男は一行の前までやってくると、「やぁ」と声をかけてきた。優しげで明るい声だった。
アーサー以外は、突然やってきた謎の男の登場に首をかしげている。そんな視線をものともせず、男はにこやかな表情のままアーサーへと声をかけ続けた。
「君、アーサーだろう? 久しぶりだねぇ!」
「やっぱりハーパー、お前だったか。……本当に、久しぶりだ」
アーサーは席を立つと、差し出された手を握り返した。男――ハーパーは嬉しそうに握手した手を上下に振っている。手を離せば、彼はアーサーの連れている面々へと「はじめまして」と柔らかく微笑んだ。
「僕はハーパー。旅をしている音楽家さ。君たちは、アーサーのお友達かな?」
美しくにこりと微笑むハーパーに、一行は緊張を解して微笑み返し、次々に挨拶をしていく。セオに至っては、アーサーの知り合いということで興味津々といった様子でハーパーと、手に持たれたギターを見つめている。
「初めまして、ハーパー様。わたくしはグレイス・クロノスと申します」
「グレイスさんか。こちらこそ、初めまして。君はアーサーの恋人かな?」
「えっ!? こっ、ここここここ」
ハーパーの突然の言葉に、グレイスは顔を真っ赤にさせた。「恋人」と言いたいのに「こ」しか言えず、たまに声を裏返している。そんなグレイスを笑うわけでもなく、ハーパーはにこにことして「そうかそうか」と一人頷いた。
「そうなんじゃないかって思ってたんだよねぇ。アーサーの君を見る目、すっごい甘かったから」
「そっ、そそそそそそそ」
「……俺はそんな目をしていたのか?」
「あはは。君は相変わらずだねぇ。そして随分と可愛らしい恋人だ」
「こっ、ここここここ」
「お嬢様、落ち着いてください」
「鶏みてぇだな」
「なっ、お嬢様を馬鹿にするな!」
「ここここここ」
「グ、グレイス、大丈夫?」
「……アーサー。君の友人達って、君と違って賑やかなんだね?」
「フッ。そうだな」
ふんわり、微笑んで言うハーパーに、アーサーは笑みをこぼした。そんな彼に、ハーパーは目を細めた。
「大切な人ができたようでよかったよ」
「本当に最近なんだ。一人の女性を……彼女を大切だと思い始めたのは。……でも俺は、彼女を大切にできているのだろうか」
「フフッ。君がそう思う事こそ、大切にしている証じゃないか!」
少し不安げに呟いたアーサーへ、ハーパーは吹き出しながら答えた。アーサーは少し目を丸くさせた後、少し間をあけて「そうか」と呟く。どこか安堵したような声色だった。
「そうなのかもな。……ありがとう、ハーパー」
「どういたしまして」
アーサーの感謝の言葉に微笑んで、ハーパーは目の前の光景へと視線を移した。未だに顔を真っ赤にしたグレイスを中心に、各々が騒がしくしている。再び目を細めて、ハーパーは呟いた。
「大切な人のいる君が、少しだけ羨ましいよ」
「……ハーパー?」
少しだけ低くなった声彼の声に、アーサーは戸惑いながら声をかける。少しの静寂が二人の間に訪れた後、ハーパーはフッと溜息を吐いた。何かを諦めたかのような笑みを浮かべていた。
「いやぁ、僕って恋人いないし? ラブラブな君達が羨ましいなぁなんて思ったり?」
「? そういうものなのか? ラブラブ……? 別に普通だと思うが……」
「うわぁ、自覚なしなんだ……。君って本当に相変わらずだね……まぁ良いけど」
少し引き気味になりながらも、ハーパーは可笑しそうに笑う。一方アーサーは彼から言われた意味が分からず、首をかしげた。それを見て、またハーパーが笑う。
そんな二人のもとに「あの」と控えめな声とともに、小さな影が近づいてきた。二人は声の方を向いた。そこにはセオがいた。二人を上目遣いで見上げ、おどおどとした様子で立っている。
「セオ。どうかしたか?」
「え、えっと」
洋服の裾を掴みながらもじもじとしているセオは、決意したように二人を見上げた。
「その楽器、弾かせてくれませんか?」
「え、僕のギター?」
セオの視線の先にあったのは、ハーパーが持っているギターだった。アーサーとハーパーはきょとんとした表情で顔を見合わせると、ハーパーは少し笑ってセオの前に屈んだ。
「これはね、僕の宝物なんだ。命に代えても良い程のね」
「は、はい……」
「だから、優しく扱ってくれるかな? 女性を扱うように、大切に」
「えっ。い、良いんですか?」
思わぬ返答に、セオは勢いよく顔を上げた。ハーパーは少し笑うと「ああ」と頷いて、自身のギターを差し出した。
差し出されたギターを遠慮がちに受け取ると、セオは小さな手と体でそれを抱きしめるように抱えて持った。
「わ、思ってたよりも大きい……!」
「今の君には大きすぎるかもね。ほら、鳴らしてごらん」
「はい!」
セオは席に戻り、ギターを抱える。彼の手にはハーパーのギターは大きく、ネックも太い。コードを押さえる事も難しいだろう。
しかし、そんな心配など頭にないかのように、セオの瞳は輝いていた。輝く眼差しのまま、ギターの弦に触れる。ポロン、と音が鳴った。
「わぁ……!」
「ふふ、どうやらお気に召したようだね?」
「はい! すっごい綺麗な音で、かっこいいです! これを弾けるなんてすごい……!」
座ったままハーパーを見上げるテオの瞳は憧憬の色が浮かんでいた。先程までギターを自分の体の一部の様に弾いていた彼に、憧れを持っているのだろう。そんな視線を受けているハーパーは満更でもないらしい。胸を反らして鼻の穴を膨らませている。
「ふふん。ギターを弾いて十年以上になるからね、僕が上手なのは当たり前なのさ。よければ少し教えてあげよう」
「えっ! いいんですか!?」
「ああ、もちろんさ! 僕も弟子を取らなきゃいけないと思っていたからね」
「弟子? おい、ハーパー。お前、それはどういう――」
ハーパーの言葉にアーサーが食いついた。しかし、その言葉はセオの酷く嬉し気な歓声にかき消されることとなり、アーサーは微笑んで「よかったな」とセオのあまたを撫でる事へと落ち着いた。
こうして、酒場でのプチレッスンが始まった。その頃にはグレイス達も落ち着きを取り戻していて、皆でセオとハーパーの様子を見守りながら食事を続けた。
少し経ち、ハーパーは立ち上がりながら「さて」と口を開いた。
「セオ。君は筋が良いね。このまま続ければ、良い奏者になれるだろう」
「本当ですか!?」
「ああ。きっと、僕なんかよりもずっと良い奏者になれる」
そう言ってハーパーは微笑んで、こちらを見上げるテオの頭を撫でた。ハーパーに褒められたセオは破顔させると、「あの」と言葉を続ける。
「うん? 何かな?」
「その。僕、これからもハーパーさんからギター習いたいです! また来ても良いですか?」
「うーん、それはちょっとダメかな。酒場自体、子供が来ることはあんまり良くないだろうし」
「そう、ですよね」
ハーパーの返答に、セオは同意する言葉を漏らしながら俯いた。
そんなテオの様子に「何を落ち込んでいるんだい?」とハーパーは首を傾げ、言葉を続けた。
「この僕が君の家庭教師になってあげるんだから、もっと喜ぶべきだろう?」
「えっ?」
「はっ?」
ハーパーの言葉に、セオとアーサーの声が重なった。しかし、片方は嬉し気で片方は顔が強張っている。どちらがどの表情をしているかは、皆様ならお分かりだろう。
セオの顔を見て、満更でもなさそうに「ふふん」と鼻を鳴らすハーパーに、アーサーは「おい」と慌てて声を掛けた。
「お前、まさかうちに来るつもりか?」
「ハァ? 何を当たり前のことを言っているんだい?」
「ハァ? は俺の台詞なんだが? ……いや、なんでお前が『何言ってるんだ』みたいな顔をしているんだ。それも俺の台詞なんだが?」
渋い顔を向ける相手に、アーサーは眉間に皺を寄せて声に怒気を含ませた。そんな彼の事が面白いらしい、ハーパーは「ぷっ」と声を漏らすと、へらへらと笑いながら手を振った。
「良いじゃないか。アリスから聞いたけど、君、今は良いトコのお貴族様なんだろう? 僕一人雇うくらいどうってことないじゃないか」
「……確かに、実際何の問題はないな」
「だろう? なら、これで決まりだ!」
アーサーの返答に、ハーパーはひらりとマントを翻し、セオの前に跪いた。
「セオ。これから僕は、君の音楽の先生になる。僕の指導は厳しいけど、着いてこられるかな?」
「! は、はい! がんばります、よろしくお願いします!」
ハーパーの言葉に、セオは頬を上気させたまま頭を下げた。それを笑いながら、ハーパーは制止した。
「君は貴族の息子だ。易々と頭を下げるモノじゃないよ。後、敬語も敬称もなしだ」
「あっ、分かりまし……じゃなかった、分かった。よろしくね、ハーパー」
「こちらこそよろしく頼んだよ、我が愛弟子」
「もう愛弟子なのか……」
にこやかに手を握り合う二人を前に、アーサーがぽつりと呟いた。そんな彼を見て、グレイスはクスリと笑った。
「アーサー様。ルーカス様との時もそうですけど、あの方と過ごす時は表情が豊かですわね?」
「そうか? なんの実感もないんだが」
「ええ、そうです。……ちょっと、嫉妬しちゃいます」
「嫉妬?」
ぽつり。呟かれる様に吐き出されたグレイスの言葉に、アーサーは頭一つ分小さな身長の彼女へと視線を向けた。グレイスは少し俯いていて、上からでは彼女がどんな表情をしているかは分からない。
「醜い、嫉妬です。きっと、貴方に知られたら、わたくしは嫌われてしまうでしょうね」
「……グレイス?」
「……ふふっ、冗談ですわ!」
アーサーがグレイスの顔を覗き込んだ瞬間。彼女はパッと顔を上げ、明るい笑顔を浮かべた。しかし、アーサーには見えていた。一瞬だけ、自分と同じような仄暗い瞳を彼女が浮かべていたのを。
顔を上げたグレイスは、ピシリとその場で固まった。彼女が顔を上げた、その数センチ先に、自分の婚約者の顔があったからだ。こちらを心配そうに見つめる深海の瞳がすぐそこにある現実に、グレイスの顔に熱が集まる。
グレイスは慌てて後ろへと下がった。すぐ後ろにいたソフィーとぶつかりながらも、グレイスは熱くなった頬を手で覆った。そんなグレイスを、アーサーは不思議そうな、心配そうな顔で見つめている。
「もっ、ももも」
「グレイス?」
「ももも申し訳ございません、アーサー様! ま、まさか、あんなに近いとは思わず……!」
「? ……ああ、なんだ。そんな事を気にしていたのか」
「腑に落ちた」というように頷くと、アーサーはグレイスへと近付いた。グレイスのすぐ目の前まで来ても、アーサーは止まらなかった。
「アッ、アアアアーサー様っ?」
いつもよりも近い距離でアーサーは止まった。もう少しで服と服が、肌と肌がくっ付いてしまいそうな距離に、グレイスは戸惑いを通り越して焦っていた。
対してアーサーは真剣な顔を崩す事無くグレイスの顔をじっと見つめていた。少しの時間の後、アーサーはグレイスの小さな手を取った。びくりと震えたのも気にする事無く、そのままその手を……自身の頬へと当てた。
「……へ?」
予想外の展開に、その場の空気だけがシーンと静まり返った。グレイスは固まりながら己の手が婚約者に触れているその様子を見つめていた。
「俺は君に触れられても嫌じゃない。だから、距離が近い位、なんの問題もない」
「え、は、へ?」
「君は嫌か?」
「……へ?」
「君は、俺と距離が近いのも、触れられるのも、嫌か?」
言って、アーサーは甘えるようにグレイスの手に頬ずりをした。その顔は、少しだけ赤い。
「……嫌じゃ、ありません」
少しの沈黙の後、グレイスは答えた。目を逸らし、震えている声で。そんな彼女にアーサーは微笑んだ。今までで一番穏やかな笑みだった。
「あの二人、いつもこんな感じなのかい?」
「あー、最近増えたな。ま、仲が良いのは良い事だけどな」
「目の前でされるのはちょっとムカつかない?」
「……アンタ、意外と毒舌だな」
ハーパーとルーカスが小声でこんな会話をしていた事を二人は知らないまま、しばらく甘いムードが漂っていた。
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