元バカ王子の憂鬱
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ドドドドドドと降り注ぐ水を浴びながら「ロリコンじゃない……ロリコンじゃないんだ……!」とブツブツ呟くジークリード。春先の水は冷たく、中々に耐えがたい苦行だが、今のジークリードにとってこのくらいの精神修養が丁度良かった。
「ふぅ……こんなものか。グレイ、例の物を」
「では、こちらを」
滝行を終えて岸に戻ってきたジークリードがそう言うと、グレイは片手に持っていた一冊の本を広げる。この国の貴族のプロフィールが載っている、貴族名鑑の最新刊だ。
貴族は公人で、円滑な社交の為にそのプロフィールは写真付きで公表されている。そこには領主一家のものだけではなく、実績に寄って爵位を与えられた領地を持たない貴族……宮廷貴族の情報もあった。
「まずはこちら、ベルベット・シュタインローゼ公爵令嬢様。国内でも特に評判の良い御令嬢で、容姿端麗、スタイル抜群、更には革新的なアイデアで領地経営に多大な貢献をもたらし、国内外から求婚者が集まるほど。しかも婚約者を未だ決めておられないため、人気にさらに拍車をかけておられます」
グレイはかけているメガネのレンズで陽光をキランと反射させ、大真面目に問いかけた。
「ジークリード殿下は、ベルベット公爵令嬢様とエロいことをする想像が出来ますか?」
何も知らない人間が聞けば「何言ってんの……?」とドン引きしそうな発言だが、ジークリードは眉根を寄せて大真面目に答える。
「……無理だ。魅力ある女性であるのは確かだが、上手く想像することは出来ない。むしろ子供の頃の非礼があったから、そういう眼で見るのも憚られるというか……」
「では次はこちら、ミリア・ハートフィールド男爵令嬢様。昨年男爵家に養子として迎え入れられた御令嬢で、庇護欲がそそられる愛らしい方だと既に評判になっておられます。この方とエロいことをする想像は?」
「それも無理だ。そもそも会ったこともない人間とどうこうしようとは考えられない」
「なるほど……では次は――――」
ペラペラと貴族名鑑に載っている年齢問わずに見目の良い女性貴族のページをめくっては同じことを問いかけ続け、それに答えるというのを繰り返す2人。ジークリードの答えは一貫して、「想像できない」で統一されていた。
「では、次で最後です。覚悟はよろしいですか?」
「……こい」
重々しく頷くジークリードを見て、グレイは最後のページを開いた。
「護法騎士が一人、【臥龍の召喚士】アルテナ・オートレイン様。説明不要である我が国の英雄にして、ジークリード殿下の命の恩人。普段は大きなローブを羽織っていて分かりにくいですが、容姿も非常に優れています。この方とエロいことをする……殿下にその想像が出来ますか?」
「…………」
そう言われて、ジークリードは想像する。
白いシーツに沈む小さな体。羞恥で紅潮する白い頬。涙で潤む瞳。そして震える声で「ジーク様ぁ……」と呼ぶアルテナに覆いかぶさり――――。
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ‼」
突如奇声を上げながら再び滝に突っ込んでいくジークリード。
アルテナ相手にエロい想像が簡単に出来てしまった。今までどれほどの美女が相手でも全然想像できなかったのに。何なら今まで1度も呼ばれたことのない愛称呼びを脳内変換することすら余裕だった。
「煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散……!」
「殿下、風邪をひく前に戻ってきてください」
「まだだ……! この煩悩を消し去るまでは出る訳にはいかない……!」
「はぁぁぁ~……一体何をそこまで思い悩むのですか? 好きな女性でエロいことを想像してしまうなど、私たちの年齢ではよくある事でしょうに」
「す、好きかどうかなどまだ決まったわけではないだろうっ!? そもそも王族のみでありながらそんな邪な想像をするのもどうかと思うが!?」
グレイは相変わらず呆れた視線を主君に向けながら言い返す。
「そこは恥ずべき事ではないでしょう。王族だって人間なんですから性欲があるのは致し方ない事です。それとも、【臥龍の召喚士】様には、そういう眼で見ることも躊躇われる瑕疵でもあるのですか?」
「そんな事はない! 俺にとって、オートレイン卿ほど素晴らしい女性はこの世に存在しないのだからなっ!」
大きな声で即答するジークリードの言葉は紛れもない本音だ。
かつてのジークリードは救いようがないほどの愚か者だった。大した実力もないのにプライドばかりが先行し、心配する家族も諫言を言ってくる臣下も遠ざけて、それでも自分の非才を認められず周囲に当たり散らす、権力だけはある粗暴で傲慢なバカ王子だった。
それを変えることが出来たのは、【魔竜の召喚士】が起こした事件と、危険を顧みずに助けてに来てくれたアルテナの献身によるものだ。
(今でも目を閉じれば鮮明にあの日の事を思い出せる。生涯忘れることはないだろう)
王国屈指の召喚士同士の戦い。激突する巨竜と巨竜。そして傷付きながらも、怒鳴って文句を言って怖がらせてばかりだった愚かな自分すらも見捨てずに助けてくれた、アルテナの姿。
ハッキリ言って、脳が焼かれた。好きにならない方が可笑しいレベルだ。
それが切っ掛けでジークリードは改心することが出来た。自分に出来ることと出来ないことが認められるようになったし、家族とだって和解できた。全てはアルテナのおかげだ。だから本来、恩人であり、しかも美少女であるアルテナを好きになることは、決して憚られることではないはずなのだが……。
「だが……見た目が完全に幼女ではないか……!」
「……まぁ、言わんとしていることは理解できます」
そういう眼で見るのも憚られるくらい、アルテナの外見は幼かったのである。
「おかしくないか!? オートレイン卿は俺と同じ年のはずだろう!? 何なら誕生日的には向こうの方が若干年上だ! なのになぜ俺は自分がロリコンかどうかで悩まなければならないんだっ!?」
女性を外見で判断するのは間違っていることだとは思う。しかし幼女性愛は犯罪であるというのが当たり前の世界で生まれ育ったジークリードにとって、下手すれば10歳に届かない子供のような外見のアルテナを恋愛対象として見るのは、かなりの抵抗があったのだ。
「オートレイン卿……貴女はとんだ小悪魔だ……! 一国の王子の心をこうも搔き乱すなんて……!」
しかし人の心というのは当人ですらままならないもの。ましてや本能に近い恋愛感情を操作するなど、誰にでもできることではない。
「正直、私は特に問題ないとは思いますけどね。見た目はどうあれ【臥龍の召喚士】様は殿下と同じ15歳。法的には何の問題もありませんし、護法騎士は歴史を遡れば王妃になったこともある人物を輩出した重鎮だから身分問題もなく、お人柄は言うに及びません。私個人としては、殿下の恋路を応援いたしますよ」
「……グレイ……」
「まぁ、それでも見た目は大事だと思いますけど」
「何故上げて落とすような真似をするんだ貴様ぁああああああっ!?」
「大事な事ですよ、見た目は。肝要なのは中身だとは思いますが、色恋において見た目を蔑ろにすることは出来ません。特に【臥龍の召喚士】様を娶る場合、周囲からのロリコン扱いにも耐えなければなりません。こんな所で滝に打たれながら思い悩む殿下に、その覚悟はございますか?」
「分かっている……! だからこんなにも悩んでいるんじゃないか!」
滝に打たれながら頭を抱えるジークリードだが、本音を言えば、自分へのロリコン扱いは覚悟を決めて開き直れば済む話だというのは分かっていた。法的には何の問題もないのだから、堂々としていればいい。
(だが……それが出来るようになる前に、俺の態度が彼女を傷つけてしまうことが怖いんだ)
やはり自分はまだまだ未熟者だと、ジークリードは痛感する。未だに下らないプライドに気を取られて望んだ未来に歩くことも出来ないのだから。
変わる為に色々な努力をしてきたが、染み付いた性根というのはそう簡単には変わらないようだ。
こんな体たらくでは、何時まで経ってもアルテナに胸を張ることは出来ない。ジークリードは自分の目を覚ますように顔を冷や水で洗って勢いよく岸に上がった。
「さぁ、今日の精神修養は終わりだグレイ! まずは戻って父上から仰せつかった仕事を恙なく終わらせるぞ!」
「突然元気になりましたね。何かありましたか?」
「う、うるさいっ! いいから行くぞ!」
世の中、ままならないことが多くある。それはきっと、どれだけ成長しても変わらないのだろう。だがそれがどうしたと、ジークリードは構わず歩き出す。
(彼女がそうしたように、今俺に出来ることをやろう)
そうすることが、自分が望んだ未来に繋がっている……そう信じて、ジークリードは足を動かした。
その姿に、かつて卑屈になって何もしなかった愚かなバカ王子の面影はどこにもなかった。
この世界にもカメラみたいな魔道具があります。高級嗜好品としての側面が強く、あまりに世に出回ってはいませんが