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第四章

 鳥のさえずりと共に目が覚め、時計は朝の七時前を指している。どうやら目覚ましのアラームより早く起きた様だ。

 昨晩は眠るのが遅かったが、疲れによってぐっすり眠れたので頭はいつもより冴えている。今から二度寝する程の時間も無いので、私はそのまま制服に着替えた。

 今日は土曜日で授業は午前中に終わり、明日は日曜日で休みという、とても気持ち的に楽な日だ。

 着替えも終わり、いつもの様に階段を下りて顔を洗った後に台所へ向かう。台所には母親が既に居て、ラジオを聞きながら朝食を楽しんでいた。父親は週休二日なので今日は休みでまだ寝ている様である。

 「あら、今日は早いのね?」

 「うん、早く目が覚めてね」

 私はそう言いながら食パンを袋から取り出し皿の上に乗せ、マーガリンと牛乳を冷蔵庫から出して自分の朝食の準備を始めた。時間は十分あるのでゆっくりと食事が出来る。たまにはこんな日も良いなと思った。

 朝食を食べ、少しくつろいでから今日は少し早く学校に行こうと思い、いつもより十五分程早く家を出ることにした。

 


 革靴にもだいぶ慣れてきた。足取りが軽い。いつも通る畑や田んぼの風景も見慣れてきた。見慣れたというよりは馴染んだのかも知れない。風に乗って土や青臭い匂いが流れてくるのもこれはこれで良い物だ。

 だんだん学校に近付いて来ると坂道が見えてきた。

 「ん?」

 私は坂道の麓にある物、いや、ある者を見つけた。そこには坂の頂上を見上げながら立ち止まっている雪乃が居た。そして私はこの間のことを思い出した。そろそろ私の後ろを付け、驚かそうとしたらしいが、その時に私の踵を踏んだことを。

 私は見付からない様にゆっくりと雪乃に近付く。どうしてやろう。同じ様に踵を踏むか、それともスリーパーでも掛けてやるか、色々考えながら近付き、雪乃との距離が二メートル程になった。「よし、スリーパーで決まりだ!」そう思い最後の一歩を踏み出した。その時だった。

 「痛っっっっっっ!!!!!!」

 「あ・・・・・・」

 雪乃が視界から消えた。私は恐る恐る目線を下に送ると、そこには踵を押さえて蹲る雪乃の姿があった。雪乃はこちらを向いて目に涙を浮かばせながら私を睨みつけた。

 「七海!?何!?わざと!?仕返し!?」

 「ご、ごめん!わざとじゃない!わざとじゃないよ!」

 確かにわざとじゃない。私は嘘はついていない。

 「じゃあ、何で踵踏むんだよ」

 少し冷静さを取り戻した雪乃が立ち上がり私に言う。

 「いや・・・ね、後ろからそーと近付いて・・・」

 「近付いて?」

 「スリーパーをしようと・・・」

 「何故そんなことをしようと?」

 雪乃の表情が笑顔になる。恐怖としか例えれない笑顔だ。

 「この前・・・踵踏まれた仕返しを・・・」

 「やっぱり仕返しじゃないかっ!!!」

 雪乃はそう叫び、私の顔を掴んで握りしめた。女とは思えない力だ。

 「痛い痛い痛い!!!雪乃!本気で痛いよ!!!!!」

 「謝るか・・・?」

 「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」

 私が誤ると雪乃の手から力が抜け、私の顔から手を離した。あまりの痛さにその顔を今度は私が抑える。

 「痛たたたたた・・・・・・」

 「まったく、何がスリーパーだ」

 雪乃が仁王立ちをして言う。仕返しするつもりが返り討ちにあってしまった。

 「坂の上を見てボーッとしてたから、やってやろうと思って・・・」

 「ん・・・?ああ、桜を見てたんだよ」

 「桜?」

 桜と聞いて私も坂の方向に顔を向ける。桜の花弁が散り、風に乗って宙を舞っている。地面にも多くの花弁が落ちている。今が丁度ピークの様で来週にはこの景色も見れないだろう。

 「もう見納めだよ。七海も今の間に見ときなよ」

 「うん」

 しばらくの間、私は雪乃と一緒に桜を眺めた。今の間にこの桜を目に焼き付けておこう、そう思いながら。

 「さあ、そろそろ行こうか?上りながらでも桜は見れるし」

 「そうだね、なんだかんだでいい時間になって来たし」

 そして私は雪乃と話をしながら坂を上った。

 「そういや、今日は午前中で終わるよ」

 「おお、そうだな!気楽だよ」

 雪乃がにこやかな表情をして言う。

 「七海は昼ご飯はどうするの?」

 「んー、別にどうと決まっては無いよ」

 「じゃあ、食堂寄って帰ろうよ。香苗も誘って」

 「うん、いいよ」

 そんな会話をしながら坂を上る。今日はいつもより早めの登校だが、周りには多くの生徒が私達と同じ様に坂を上っている。だいぶ暖かくなって来たので上着を着るのには少し暑いので、上着をカーディガンに替えている生徒が多い。私も雪乃も今日はカーディガンを着ている。

 坂を上りきり、学校の前まで来るとボードを持った上級生が何人か居た。数日後から始まるクラブ活動の入部に向けての宣伝をしている様だ。

 「ふ~ん、クラブかぁ・・・、七海はソフトボール部とか入ったら?」

 「勘弁してよ、昔の遊びじゃ無いんだから。雪乃の方こそ向いてるんじゃない?」

 「無理無理、香苗の腰にぶつけちゃうよ」

 「また懐かしいことを引っ張り出して来て・・・」

 「へへへ」

 これだけの広い校庭があるので、運動部は豊富な練習量を得ることが出来そうだ。昔のキャッチボールなどの懐かしい思い出を話しながら校舎に入る。

 「そういや雪乃はいつもこの時間に来てるの?」

 「いんや、いつもはもうチョイゆっくりだよ。今日は早く目が覚めてね。早めに登校したら桜が気になって、それで見てたんだよ」

 「それで私が踵を踏んじゃった訳ですね・・・」

 「・・・その通りです・・・・・・」

 「・・・・・・・・・」

 「七海も今日は早いじゃん?」

 「うん、私も今日はちょっと早く目が覚めて」

 「ふーん、そうなんだ。香苗はもう来てるのかな?」

 「あの子は割りとキッチリしてるから来てるんじゃない?」

 私がそう言った頃には丁度、一組の教室の前に着いた。この教室も今では見慣れたものである。そんな見慣れた教室に入り香苗の机を見ると、そこには以前に見たイソギンチャクが参上していた。

 「ほら、イソギンチャクだよ」

 「うん、イソギンチャクはキッチリしてるね」

 雪乃はそう言ってイソギンチャクを持ち上げる。

 「キスしてやろうか」

 「この子の将来に関わるからやめときな」

 そんなことを言っていると香苗が「ん?」と呟きながら、目を覚ましたようだ。

 「おはよう、イソギンチャクさん」

 「おはよ・・・ん?イゲソンチャク?」

 何かまだ寝ぼけている様だ。そっとしておこうと思い、ゆっくりと頭を元に戻すと香苗はうつらうつらとしながら頬杖をついたまま目をしょぼしょぼさせ、無言のままじっとしていた。

 「七海さん?キッチリしてますか?」

 「すみません、してないです」

 私達はお互い顔を見合わせた後「ふう・・・」とわざとらしく小さな溜息をしてから自分の席に着いた。とりあえず一時間目の国語の用意をする。ちゃんと昨日に宿題もしてきた。私が用意を済ました頃に雪乃がこちらに来る。

 「香苗?宿題はちゃんとやってきた?」

 「うん、やってきたよ」

 「うわ、つまんね!写さして昼ごはん奢って貰おうと思ったのに・・・」

 なんて奴だ、私から写さしてくれと言ったならまだしも自分から来るなんて。

 「残念でした。てか、写さすも何も教科書の下の漢字書くだけだからみせて貰わなくても大丈夫だよ」

 「へ?漢字?」

 「?」

 「何言ってんの?数学の宿題のことだよ・・・・・・」

 「へ・・・、数学?」

 「国語のなんか教科書写せば大丈夫だろ」

 そんなんあったっけ・・・。そういえば何か教科書三ページ分程出てた様な・・・。

 「その顔・・・・・・やってないな!」

 「やってないです・・・・・・。かけうどんで良い?」

 「お揚げさんが入ったのがいいなぁ・・・」

 「きつねうどん・・・・・・わかりました」

 そう言うと雪乃は「ははははは!」と笑い勝ち誇った様な顔で数学のノートを差し出す。

 「ここから・・・・・・ここまで!」

 「うわ、結構多いなぁ・・・」

 雪乃のノートを開くと二ページに亘り数学の問題が書き記されていた。さっきは「なんて奴だ」なんて思ったが、今は少し教えてくれた雪乃に感謝をしている。正直、二時間目の数学までに一人で出来るとは思えない。

 「それじゃ、きつねうどんよろしく」

 雪乃はそう言うと、手をひらひらさせながら自分の席へ戻って行った。

 時計を見るとホームルームが始まるまで十五分程まだ残っている。今日は早めに登校したのが不幸中の幸いだった。これだけ時間が残っていれば丁寧に写すことも可能である。そう思いながら雪乃のノートを見ながら写した。雪乃はあんな性格だが、ノートの中身は綺麗にまとめられ、字も丁寧で綺麗である。とても見やすいノートだった。それは小学性の頃からノートは丁寧に書かれていて、字が綺麗だったのを覚えている。

 着々とノートを写し、最後の問題を書き終えた頃には、時間はホームルームまで二分程になっていた。とりあえず書き終えたので私は雪乃にノートを返しに行く。

 「雪乃、これ、ありがとね。助かったよ」

 「いやいや、どういたしまして。間に合って良かったね」

 「うん。それと相変わらず、字綺麗だね」

 「お!ありがとうね。まあ、乙女ですからね!」

 もうこれは持ちネタなのか?



 四時間目が終わり、ホームルームも終わった。二時間目の数学の宿題も雪乃のおかげで無事に済み、平和に過ごすことが出来た。

 「それじゃ、香苗の掃除手伝いましょか」

 「そうだな」

 「ごめんね、わざわざ手伝って貰っちゃって」

 今日は香苗が掃除当番である。昨日は私と雪乃が掃除当番だったのを香苗が手伝ってくれたので、今日は私達が香苗の掃除を手伝うことにした。まあ、何より香苗を残して帰る様なことはしないが。

 「ありがと。二人増えたら助かるよ」

 月島さんが言う。月島さんは香苗の後ろの席の生徒だ。続いて他の生徒達も私達に感謝の言葉を言う。すると、雪乃が私の耳元で呟いた。

 「何か・・・感謝されるのも悪くないね」

 今まで知らない人間に感謝の言葉を言われるのは何か恥ずかしいのか、雪乃の顔は少し照れた様な表情だが、嬉しそうだった。

 掃除の方はというと、やはり二人多いというのは作業が早く進むもので、あっという間に掃除が済んだ。

 「今日はありがとうね。ゴミと鍵は私達がやっとくから。香苗も二人と一緒に先に帰りなよ」

 月島さんがそう言ってくれる。

 「それは悪いよ」

 「いいよいいよ、私達もゴミ捨て場とか知っとかないといけないし」

 月島さんは運び出そうとしていたゴミ箱を香苗の手から奪い取る形でそう言った。

 「あ・・・」

 「いいんだよ」

 「・・・・・・じゃあ・・・お言葉に甘えて・・・・・・」

 香苗は申し訳なさそうな表情で苦笑いしながら言う。香苗は人に親切にすることに対しては気にしないが、されると気にをする。いわゆる気遣いだ。

 「そいじゃ、僕らは先に帰らして貰おうか」

 私達は月島さんの言葉に甘え、教室を出た。今日は午前中の授業なので、まだまだ時間はたっぷりある。こんな日は家に帰ってゆっくり昼寝でもしようか、それとも時間が勿体無いので何かするか・・・。そんなことを考えながら校舎を出て校庭に足を踏み出そうとした時、私の肩をむんずと掴み引っ張られた。

 「おい・・・・・・」

 「何・・・?」

 「逃げんなよ」

 私の肩を引っ張るのは低い声のポーカーフェイスな雪乃だった。

 「きつねうどん」

 「覚えていたか・・・・・・」

 「そりゃね」

 私は渋々食堂に向かった。



 「おお!今日は混んでるなぁ」

 今日の食堂は以前に比べ人が多い。座れる席も以前よりは少なくなっている。私達と同じ様に、昼食を食堂で済まして帰宅しようと考えている生徒が多い様だ。

 とりあえず三人分の席は確保出来た。後は注文をしに行くだけだが、何しろ今日は人が多く受け渡し口での列が長い。しかし並ばないと始まらないので、今日は手っ取り早く注文する為に、席にカバンを置いて三人で列に並ぶことにした。

 前から順に七海、私、香苗という順で列に並ぶ。すると、香苗が私に聞いてきた。

 「ねぇ七海?きつねうどんって何のこと?」

 「ああ、今日の数学の宿題あったじゃない。あれ私するの忘れちゃって、雪乃にノート写させてもらったんだよ。その代償できつねうどんを奢らないといけないんだよ」

 「だから朝必死にノート書いてたのか。ぼんやりと覚えてるよ」

 確かに香苗はその時にはまだ起きたばかりでうつらうつらしていた。

 「それと・・・」

 「?」

 「イソギンチャクって何?」

 「多分それは幻聴だよ」

 「そうか、幻聴か」

 この子は多分天然だ。そんな私と香苗の会話を聞いて雪乃が肩を震わせ笑いを堪えている。堪えているのを誤魔化したいのか、雪乃が私達に言う。

 「今の間に何頼むか選んどきなよ。七海は僕の分のきつねうどん頼んどいてね」

 「お金渡すから自分で注文してよ。何か私もよく食う奴みたいに思われて恥ずかしいよ」

 「そんなん僕だって恥ずかしいよ。乙女だから」

 「うどん含まなくても沢山頼むだろ」

 「会計がややこしいんだよ」

 何で私が怒られないといけない?言い返してやろうと思ったが、恐らく雪乃も言い返して来ると思ったので、私はそれまでにして、きつねうどんは私が頼むことにした。

 この間はハンバーグ定食を頼んだ。今日は何にしよう?今日はそんなにお腹も空いて無いので軽く単品にしようと思い写真付きのメニューの一覧を見ながら考えた。きつねうどんを頼んで麺類を頼むのは恥ずかしいので麺類はやめておこう。そう思って丼メニューを見た後、親子丼があることに気付き、それに決めた。

 「すみません、親子丼ときつねうどん」

 私は支払いを済ませた後、親子丼ときつねうどんを受け取り、席に戻った。

 「はい、きつねうどん」

 「お、待ってました!七海さん、ありがたく頂かせて貰います!」

 雪乃にきつねうどんを渡した後、自分の席に座る頃には香苗も食べ物を持って戻って来た。

 「今日も二人は沢山食べますねぇ」

 テーブルの上には沢山の料理が乗って、さぞかし楽しいパーティーが今から始まる様だ。主に丼鉢だが。

 私が親子丼が半分食べた頃に二人は一品を食べ終わる。よく食べるのは健康的なのかも知れないが、この風景はどうも不健康に見えて仕方が無い。別に急いで食べているのでは無いが、ちゃんと噛んで食べているのか心配だ。私が食べ終わる頃に二人も全て食べ終わる。このタイミングは何か論文の一つでも書けてしまいそうだ。

 「あー、お腹いっぱい」

 雪乃がお茶を啜りながら言う。なんとも幸せそうな顔で。

 「お弁当も良いけど、やっぱ炊きたてのお米が良いよね」

 続いて香苗が言う。これを見ていると、日本の米の消費率が下がっているというのが嘘に思えてくる。この子達の炭水化物の摂取率は尋常じゃない。

 「今日は寝ないでよ」

 「了解。食べた後すぐに寝ると牛になっちゃうからね」

 牛なんて想像も付かない体系だ。そんな体の牛が居たら栄養不足だ。

 私達は食事を終えた後、まだ多くの生徒が席が空くのを待っているので、このまま席を占領するのも気まずいので、食べた後の食器を返却口に返してから食堂を後にした。

 


 学校を出て坂道に差し掛かる。そこで、雪乃は今朝見せた様な表情で桜を眺めていた。

 「雪乃って桜好きなの?」

 「え?何で?」

 「いや、朝もじっと見てたから」

 「ん・・・特別好きという訳じゃないけど・・・・・・まあ、好きかな。花は散るから美しいって言うけど、やっぱり咲いてる時が一番輝いてると思うな・・・」

 雪乃はそう言いながら少し寂しい表情をした。坂を下りながらも桜を見ていて、雪乃はいつもより口数が少なかった。

 「それじゃ、僕はこっちだから」

 坂の麓に着くといつもの様に雪乃と別れ、私は香苗と一緒に帰ることにした。



 「あ~、午前中だけっての楽でいいね~」

 私は大きく伸びをして香苗に言った。

 「お昼も食べたし、午後はゆっくりだよ。七海は午後から何か予定はあるの?」

 「いんや、特にすること無いよ」

 「じゃあ、少し家に寄ってく?」

 香苗の家。そういえば昔から香苗の家は大きいことから、私達の遊び場の一つになっていた。香苗の部屋も大きく、格好良く言えば私達の集会所として使われていた場所である。この間家の前までは行ったが、中には入ってないので、家に行くとなればかなり久しぶりだ。

 「いいの?久しぶりだなぁ」

 「雪乃も今から呼ぶ?」

 「いや、雪乃はもう電車じゃないかな?」

 「あー、家遠いみだいだもんね」

 一応雪乃に連絡をしてみたが、「ごめん、もう電車くる~」と言ったので残念だが雪乃は来ることが出来ない様だ。

 「雪乃もう電車だわ」

 「残念。雪乃も中二以来なのにね」

 という訳で、私は香苗の家に久しぶりに遊びに行くことになった。昼食も済ませたので、香苗の家に寄って帰ることを家に連絡して香苗の家へと向かった。

 普段とは違う方向へ曲がり、こちらは少し住宅街の様になっている。この辺りは昔から別荘地とされていて、比較的大きな家が建てられている。ハウスメーカーが建てた似たような形の家が数件並んでいれば、昔からの大きな和風の家も建てられている。

 その先を真直ぐ進んでいくと、ようやく香苗の家が見えた。香苗の家は二階建ての大きな家だ。白い壁で落ち着いた雰囲気である。香苗が門を開け、私達は中に入る。

 「わあ、懐かしい!池も!」

 私は懐かしさのあまり、つい庭に向かって走って行ってしまった。池の中を覗き込む。

 「おお、鯉が居る・・・」

 池の中には数匹の錦鯉が泳いでいた。白地に赤の綺麗な模様だ。私が池の前で屈むとエサを貰えると思っているのか、口をパクパクしながら近寄って来る。

 「この鯉は新しく入れたんだよ。この前鳥が来て持って行っちゃったんだ」

 「あら・・・・・・」

 この鯉達も池の中で約束された食料を与えられ、安心して暮らしていると思っていたが、どうやら外部からの危険はいっぱいの様である。

 しばらく鯉を見物した後、私達は香苗の家の中に入った。

 「おじゃましまーす」

 広い玄関だ。私の家の倍程の大きさがある。最後に来たのは五年程前だろうか、そこ頃のことはまだ覚えていて、あまり変わってない気がする。

 私達は靴を脱ぎ家の中に上がり、香苗は奥の部屋に行った。

 「あー、誰も居ないみたい。とりあえず私の部屋に行っといて」

 「確か階段を上って左の部屋だよね?」

 「正解!良く覚えてたね」

 「そりゃ、昔良く来たから」

 私はそう言った後、香苗に言われた通り香苗の部屋に向かった。

 床や階段は木で出来ていて、太陽の光に反射していてピカピカしている。ソックスを履いたままの足で歩くとツルツル滑って階段は手すりを持たないと危ない感じだ。昔よく下りるとき転んだのを覚えている。

 階段を上り終え、左の部屋のドアを見ると『カナエ』と書いたプレートが掛けてあった。私はそのままドアを開け、香苗の部屋の中に入る。香苗の部屋は昔とは違った雰囲気だった。昔はぬいぐるみなどが窓際に沢山飾っていて部屋の色もカラフルだったが、今は何も置いていなく全体的に落ち着いた色で少し大人びた雰囲気になっている。

 とりあえず香苗が来るまで待っておこう。昔よく来た所だからいっていきなり寝そべったり、ソファーに座ったりするのは失礼な気がして、とりあえず何も無い地べたに座って待つことにした。地べたといっても部屋に引き詰められたクリーム色のカーペットはフカフカしていて、まるで座布団の様な座り心地である。

 しばらく部屋を眺めいるとドアノブを捻る音が聞こえ、ドアが開くと同時にペットボトルとコップと箱に入ったお菓子を持った香苗が入ってきた。

 「ごめん、こんなのしか無かった」

 「いいよいいよ、そんな気遣わなくて」

 私の前にそれらを置いた後、香苗も私と向かい合う形でその場に座る。

 「何か香苗の部屋変わったね」

 「そう?」

 「うん、前はもっと可愛らしい感じだった」

 「今は可愛らしくない?」

 「いや、そういう意味じゃないけど・・・。何か、大人っぽくなった気がする」

 「そりゃもう高校生だし。でも、昔は雪乃が持ってきたバットとか釣り竿が置いてあって、一眼に可愛いとは言えない部屋だったよ」

 そう言われればそんな気がする。昔、雪乃が持って来ては忘れて帰る物が香苗の部屋を占領していたことが。

 「これはちゃんと残して持ってるけどね」

 香苗はそう言って立ち上がり勉強机の上に飾ってある物を持ってきた。


 大きな貝殻である。


 「七海、これ覚えてる?雪乃がくれた貝殻」

 「雪乃がくれた・・・・・・」

 「そうだよ、秘密基地を作った時に雪乃がくれた貝殻。秘密基地に入る為にはこの貝殻が無いと入れない、いわゆる鍵。そして、仲間の証だって。雪乃がそう言って私達二人にくれた」

 言われてみれば・・・・・・。



 「いやー、遂に完成したな!」

 「意外と大きいのが出来たね」

 「ダンボール結構使ったからね」

 私達三人は目の前にあるダンボールで作られた『秘密基地』を前にして、達成感に浸っていた。大きさは四畳半くらいの広さで、小学生の私達からしたら十分過ぎる大きさだ。カッターナイフで開閉式の窓も作っていて、中から外の景色が見れる工夫もしてある。

 「とりあえず中に入ってみようよっ!!!」

 雪乃が興奮気味に言い、基地の中に飛び込んだ。その雪乃の後に続いて私と香苗が基地の中に入る。基地の中は既に窓が開けられていて、そこから日差しが入っていて、電球やろうそくが無いにも関わらず明るい。本を読むぐらいなら十分な明るさだ。

 「んー、結構落ち着くね」

 香苗が横になり大の字になってくつろぐ。一方、雪乃の方は忙しそうに、持ってきていたリュックから数冊の少年雑誌を取り出して隅に並べている。

 「雪乃?何してるの?」

 「ん?こうして置いとけばいつでも好きな時に読めて便利だよ」

 雪乃はそう言ってリュックの中に入っていた雑誌を並べ終わると、お菓子やジュースを出して開封する。みるみる新品の基地の中が散らかり、既に使い古された倉庫の様になっていった。それから私達は特別何かをする訳でもなく、お菓子を食べながらジュースを飲み、延々と会話をするだけだった。

 「ん・・・今何時?」

 「あ、もうそろそろ五時になるよ」

 「じゃあ、そろそろ帰ろうか?」

 五時になったら家に帰る、というのがこの町の小学生の決まりだった。私達は基地から出ると、外は既に夕空になっていて西の空が眩しい。さて、そろそろ帰ろうかと思い、足を踏み出した時雪乃が私達の足を止めた。

 「ちょっと待って!二人に渡す物がある!」

 「ん?渡す物?」

 私と香苗が足を止めて雪乃の方を見る。

 「うん、これ・・・・・・」

 雪乃がリュックの中から三枚の貝殻を取り出す。大きな貝殻でホタテの様な貝殻だ。どれも同じくらいの大きさで鮮やかな模様をしている。

 「わあ、綺麗な貝殻だね」

 香苗が目をキラキラ輝かせながら貝殻を見つめる。

 「これ、鍵・・・」

 「鍵?」

 「うん、これが無いと秘密基地に入れない。いわゆる鍵。みんな好きなの一つ取って」

 「それいい考えだね!秘密基地って感じがする!」

 私は中から青っぽい貝殻を選んで受け取った。香苗は緑色の貝殻、雪乃は最後に残った黄色い貝殻を手に持つ。

 「ねえ雪乃、これどうしたの?」

 「昔ね、庭掘ってたら見つけてね、綺麗だし三枚あったから採っておいたんだ。ほら、この辺り昔海だったっていうじゃない?」

 そういえばそんな話を聞いたことがある。私達の町は海に面している、そして十数年前まではこの辺りも砂浜だったと。今でも土を掘ればたまに貝殻が見付かるとも聞いた。

 「鍵なんだから絶対無くさないでよ!」

 「うん、わかったよ」

 「それに・・・それは・・・・・・」

 雪乃にしては珍しく真面目な、そして少し頬を赤らめて言う。

 「これは、僕ら三人の仲間の証だから!絶対に無くすなよ!」



 「うわ!あいつ子供ながら何か恥ずかしいこと言ってる」

 「そんなこと言っちゃかわいそうだよ。折角雪乃が見つけてくれたんだから」

 私は当時のことを思い出した。確かに雪乃は貝殻を私達にくれ、それを私達三人の仲間の証と称した。先ほど恥ずかしいことなどと言ったが、雪乃はそれだけ私達のことを大事に思い、失いたくない仲間だと思ってくれていたのだろう。正直にその気持ちは嬉しいし、私も雪乃と香苗は失いたくない一番の仲間だった。私が引っ越す前日の雪乃と遊んだ日、あの時は本当に辛かった。

 「七海はまだ持ってる?」

 「え?」

 捨てていないのは確かだが、どこにしまっただろう・・・。雪乃があれだけの気持ちでくれたものだ、それをどこにしまったのか覚えていないなんて。今まで貝殻の存在を忘れていた自分に無性に腹が立ち、雪乃に対して申し訳なかった。

 「多分・・・どこかにはある筈だけど・・・」

 「でも、捨ててないなら・・・・・・大丈夫だよ!」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そんな話しをしていたら貝殻のことが気になって仕方が無かった。

 「ごめん香苗、どうしても気になっちゃって・・・・・・・・・今から探しに帰るよ」

 「うん、その方が良いと思う」

 そう言って香苗は微笑んでくれた。折角家に招待してくれた香苗には申し訳無いが、今は貝殻のことが気になって仕方が無かった。

 家の玄関まで香苗が見送ってくれる。私は少し早足で来た道を通り、自宅へ向かった。早く帰りたい気持ちで、家までの距離が無性に遠く感じた。

 家に着き、そのまま階段を駆け上り自分の部屋に入る。

 「どこだろう?貝殻」

 まずは押入れのふすまを開き、中に入っているダンボール箱を数個取り出した。確か引越し前に本や雑貨はダンボール箱に詰め込んで持ってきた。一つ目のダンボール箱を開けると中に二つ工具入れの様なボックスが入っていた。その内の一つを開けてみるた。

 「あ!これは・・・・・・!」

 中には凄い数の貝殻が入っていた。しかし、どれも小さい物ばかりで雪乃にもらった手のひらサイズの貝殻とは程問い物ばかりだった。

 「少し期待したんだけどなぁ・・・・・・」

 諦めず次のボックスを開く。その中には工具入れの通り工具しか入って無かった。ダンボール箱は全部で六個ある。私は次から次へと開封し中を調べた。中は古い物ばかりで期待が募る。三個目、四個目、五個目、どんどん開封するが中からは古い本やおもちゃしか出て来ない。そして、最後の段ボール箱を開封する。

 「あ・・・・・・・・・」

 最後のダンボール箱の中身は衣類しか入ってなかった。恐らく引っ越して来る時に、冬服をまとめて入れた物だろう。その後、試しにベッドの下も探してみたが結局貝殻は見付からなかった。一気に体全体の力が抜け、そのまま床に仰向けになった。周りを見ると物の見事に部屋の中が散らかっている。工具に本、昔使っていたおもちゃに大量の小さな貝殻。よくこんな物今まで残していたなと感心し、それらが今は雪乃がくれた貝殻で無いことに腹立たしく感じる。私は仕方なく体を起こし、散らかった物を渋々片付けた。

 「どうしてだろ・・・・・・・・・まさか、捨てちゃった」

 そう思うと目頭が熱くなって、目から涙が溢れて来た。貝殻をもらってから二回の引越しをしている、その間に捨ててしまったという可能性は十分にあった。私はそのまま片付けを続けたが、その時も目から涙が流れたままだった。

 片付け終わった後、こんな顔親に見られたら変に思われると思い、一階の洗面所で顔を洗おうと思い、部屋を出た。

 一階に下り、顔を洗い終えて二階に戻ろうと思った時、何やらいい香りがするのに気が付いた。その匂いは食べ物の匂いでは無く花の匂いだった。

 「お母さん?この匂い何?」

 一階の居間でテレビを見ている母親に私は尋ねた。

 「これ?これ前に香苗がくれたお線香だよ。ラベンダーの」

 「お線香?」

 思えば私は中学の頃流行に便乗して、少し調子に乗りアロマの線香(百円均一)を集めていた。しかし、途中で飽きてしまいほとんど母親にあげてしまった。

 「そういえば、そんなん集めてた・・・・・・」

 私は一階から皿とマッチを持ち出し、部屋に戻った。線香のほとんどは母親にあげたが、少しは私も残している。とりあえず今は少し落ち着きたかったので、私は自分の部屋で線香を焚くことにした。

 「確か、竹の匂いってのがあったよね」

 私は線香が入っている勉強机の一番大きな引き出しを開けた。中からは棒状の『竹のかほり』と書かれた箱が出現し、私はその箱を開け、棒状の線香を二本取り出しマッチで火をつけた後、皿の上に

置いて匂いを楽しんだ。

 「なんとなく・・・・・・落ち着く・・・・・・・・・。てか竹ってこんな匂いなんだ」

 竹の匂いがイマイチ分かっていない私だが、いい匂いなのは分かる。五分程経つと部屋の中が線香の匂いでいっぱいになった。

 「おお、凄い。何か他に種類無いかな?」

 少し私は元気になり、匂いの凄さを改めて感じさせられた。私は更なる匂いを求め引き出しの奥を探る。確かもう何種類か所持していた筈だ。奥に手だけを入れ探ると何やら先程見つけた線香の箱の様な感触を感じ、引き出しの奥から取り出した。

 「痛っ!」

 その時だった、人差し指の甲に痛みが奔った。箱を取り出すときに何やら硬く鋭い物に擦った様だ。指を見ていると赤い線の傷が出来ていて、血が少し滲んでいる。引き出しの中に何があるのだろう?そう思い、引き出しを目一杯引っ張り出した。

 「!!!!!」

 その引き出しの奥から見付かった。


 雪乃から貰った貝殻が。


 「あ・・・あった・・・・・・」

 私は貝殻を持ったまま引き出しの上にうつ伏せに倒れ込んだ。全身の力が抜ける。

 「あああああ・・・・・・良かったよ~・・・・・・」

 良かった・・・本当に良かった。頭の中にその言葉が過ぎる。半分見付かることを諦めていたが、最後にこんな所で見付かるとは。しかし、あって本当に良かった。そして、私はまた目から涙が溢れて来たが、それは先程とは全く違う涙だった。

 私は香苗と同じ様に勉強机の上に貝殻を飾った。こうして見ると、意外と良いインテリアとして使えそうだ。

 体の緊張が解れ、今夜の夕飯は非常に美味しく頂くことが出来た。そしてその後、貝殻が見付かったことを香苗に連絡した。香苗は自分のことの様に喜んでくれた。

 これが私達の仲間の証。

 これからはちゃんと置いておこう、絶対に無くさない。

 私は心にそう誓った。


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