7話「ソロライフ」
『銀猫の宿』の前にて。
夕食を食べ終わり、シモンがそろそろ自分の宿に戻ると言うので、宿まで送ろうとしたが、不敵に笑いながら「大丈夫よ」とキッパリ断られてしまった。
シモンが宿に帰ってしまう前に、伝えたいことがあったので、率直に言うことにする。
「シモン、よかったら小団を組む話、考えてくれないか?」
シモンは姿勢を改めて僕を見た。その顔は少し複雑そうだった。
「……ちょっと、考える時間をもらえないかしら。あなた、これからもここに泊まるのよね?」
「ああ」
「考えが決まったら、またここに来るわ。そのときまで待っててもらってもいいかしら?」
僕は頷くと、シモンは片手を挙げて「じゃあ、またね」と言う。僕が「また」と返答すると、すぐに走り去ってしまった。賑やかな酒場の前で、1人取り残される。
あとは返答を待ち続けるしかない。
明日からすべきことは、クエストを受けて稼ぎつつ、実戦で鍛えていくのみだ。
まずは、魔物に遭遇したときに、すぐに対応できるようになりたい。今日戦ったピジョルプは、かなりの速さで向かってきて、僕は完全に遅れをとってしまっていた。なので、最初はピジョルプをひたすら倒して、反応速度を鍛えたい。ピジョルプは森の入口付近に生息しており、他の魔物よりは遭遇しやすく気軽に戦うことができる。鍛えるにはもってこいだ。
今の僕の実力で、森の奥に進んでいくのは危険だと思った。ならばまず、森の浅いところで特訓していくしかない。
* * *
それから5日間。早朝に森に入り、ひたすらピジョルプの相手をして、夕方頃に町に帰るという生活をしていた。
「火球!」
目の前に飛んできたピジョルプに向けて放ち、直撃した。ぽとりとその場で落ちたものの、甲羅で身を守ったのか、まだ息絶えていないようだった。ピジョルプは素早いうえに防御力がとても高い。
今、僕が対峙しているピジョルプは3体だ。最初は1体だったが、戦う音を聞きつけたのか、追加で2体が乱入してきた。
目の前のピジョルプに精一杯になっているうちに、真横に2体目のピジョルプが現れた。そのピジョルプは、なんと、その場でドリルのように回転し始める。
……なんかやばそうだ。
そう思っていると、いきなり、顔面に強い衝撃が走った。
「ぐっ……!」
次に、さっきよりも強い衝撃が腹に走る。耐えることができず、僕は呆気なく、はね飛ばされ地面に叩きつけられる。
顔面もじんじん痛むが、それよりも腹がかなり痛い。思い切り殴られたかのような痛みだ。痛みで、思うように身体が動かなかった。
多分、回転するピジョルプに目が行っている隙に、3体目のピジョルプが顔面に向けて突撃してきたのだろう。それとほぼ同時に、回転するピジョルプが、勢いをつけて腹に突撃してきた。
魔物も連携して攻撃するみたいだ。地味に賢い。
……なんて感心している場合ではない。3体のピジョルプが、はね飛ばされ倒れた僕に向かって容赦なく突進してくる。
「ぅ……ぐっ……水流!」
腹が痛くて声が上手く出せなかったが、かろうじて属性強化装置を発動させ、手のひらのコアから勢い良く水が流れ出る。水は3体のピジョルプを逆方向に流し、なんとか突進を食い止めることができた。
ピジョルプは硬くて、甲羅をナイフで貫くことはできない。
僕の火球も、攻撃を食い止めるのが関の山だ。水流だって、ダメージを与えることはできない。
せめて1体なら、火球でダメージを与えてから、その隙にナイフでとどめを刺すことができる。しかし3体同時は無理だ。
どう頑張っても、対抗手段が思い浮かばない。
だめだ、ここは逃げるしかない。
僕はピジョルプが体制を整える前に、腹の痛みに耐えながら立ち上がる。そして、全力で逃走した。
その日、僕はピジョルプを1体も倒すこともできず町に戻った。身体はくたくたで、何の収穫もなく、ただ腹と顔面が痛むだけだった。
銀猫の宿に戻ると、猫のマダムが僕の顔を見るなり驚いた顔をした。
「あら……あなた、顔にひどいアザが出来てるわよ。医療院に行ってきたら?」
「いえ……大丈夫」
僕は首を横に振った。今から医療院まで行く気力が僕にはもう残っていなかった。たかがアザなら、治療しなくても大丈夫だろう。心配そうな顔をするマダムの視線を浴びながら、僕は部屋に向かった。
次の日。
刃渡りの短いナイフと属性強化装置だけでは歯が立たないと思い、森に行く前に武器屋に寄った。
弟子時代、槍を扱うことが多かったので、できれば扱いに慣れている槍を買いたかった。だが、どれも高すぎて、全財産をもってしても、槍を買うことができなかった。結局、最も安い中古の短剣を購入した。それでもなかなか高く、財布の中身は150ランを切った。
あまり良い買い物ではなかったが、ないよりはマシだ。欲を言えば、昨日のピジョルプのこともあったので、腹を守る防具も買いたかったが。
あと、だいぶ金欠になってきたため、冒険者ギルドでクエストを探した。真っ先に、ピジョルプの甲羅を5体分納品して欲しいというクエストが目に入った。報酬は100ラン。僕は迷わず、クエスト掲示板から依頼書を引き剥がした。
そもそも5体も倒せるか怪しいが、気にしないことにする。この際、稼げるならなんでもいい。
* * *
この町に来てから、3週間が経過した。貯金が底を尽きそうな日もあったが、現在、なんとか420ランまで増やすことができた。
今も相変わらずピジョルプ狩りを続けている。最初の頃よりは、ピジョルプの突撃を食らうことはなくなった。しかしそれでも、2体同時に相手をするのが精一杯だった。3体以上現れた時には、『水流』を発動し、迷わず逃げるようにしていた。
この3週間で学んだことは、現れた魔物をひたすら倒し続けるよりは、分が悪いと判断したときは、迷わず逃げた方が良いということだ。
シモンみたいに、魔物を即死させるような力は僕にはない。ならば、倒せると思った時だけ戦うしかない。
進歩が全くないわけではなかった。朝から夕方までピジョルプを相手しているので、知らぬうちに体力や気力が鍛えられたのか、疲れにくくなっていた。
属性強化装置を発動するとき、『気力』を消費する。装置を使えば使うほど気力が無くなっていき、完全に尽きたら術師は意識を失ってしまう。だから、術師は自分の気力を様子見しながら、装置を使わなければならない。
前より気力が鍛えられたということは、それだけ装置を発動できる回数が増えたということだ。確実に成長はしている。
今日も、朝から夕方まで悪戦苦闘しながらピジョルプを狩り続けた。町に戻り、いつものように銀猫の宿1階の酒場に来ていた。
いつもは『ピリカ入りのトマト煮込み』を注文しているが、肉を食べて力をつけたい気分だったので、肉料理を注文した。座る席も、毎日来ていたら決まっているようなもので、いつも隅の方に座っていた。
酒場で見かける人たちも、ほとんど常連らしく、何となく顔を覚えていた。隣に座っている剣士も、いつも隣だ。
料理を待っていると、隣の剣士が急に話しかけてくる。
「なぁアンタ、最近ピジョルプ狩りばっかしてる錬金術師だろ」
酔っているのか、僕の肩に肘を乗せてきた。かなり酒臭くて嫌な感じだ。
「うはは! けっこう噂になってるぜ? 新人の錬金術師くんが1人で、性懲りも無くピジョルプばっか相手にしてるって」
剣士の仲間らしき人達が、どっと笑い出す。
そういえば、ピジョルプ狩りをしているときに他の冒険者に出くわすこともあった。噂が広まった原因は多分そのせいだ。
「知ってるかぁ? 錬金術師は弱いって話。オズとか別格の奴もいるけどな、錬金術師は貧弱だから、誰も仲間にしたがらないんだってー。アンタもピジョルプごときに手こずるなら、早いとこ引退した方が、身のためだぜ」
剣士はニヤつきながら言う。仲間も「やめなよー」と言うが、煽っているようにしか聞こえない。
悔しいが、事実は事実だから何も反論できなかった。
確かに、この町で過ごしてみて、錬金術師が貧弱だから不人気という空気感は、何となく感じるところがあった。どこの小団にも入れず、生計を立てられず、仕方なく引退する者が多いという話も耳にしていた。正直、僕も冒険者よりは研究職の方が適性があると思っていた。
だが、向いてないからといって、ここで辞めるわけにはいかない。辞めて屋敷に戻ったところで、師匠が許すとは到底思えない。
「なぁー、引退するのーしないのーどっちなのー」
剣士の男は、わざと僕が怒るように煽るが、ここで騒ぎを起こしても、何の解決にもならない。喧嘩沙汰になって店を出禁になるのだけは避けたかった。
「……しない」
僕はできるだけ平然を装って答える。内心、もどかしかったが。
「声がちっさい、なんて?」
剣士の男はニヤニヤしていた。明らかに聞こえているはずだ。
「引退はしない。ソロでも頑張るさ」
僕ははっきりと答えた。剣士の仲間全員に聞こえるように。
「ふーん……」
僕が怒りをあらわにしないのが面白くなかったのか、剣士の男は引き下がった。完全に興味を無くしたのか、それ以降は絡まれることもなかった。