3話「紫苑色の髪の乙女」
朝日がカーテンの隙間から差し込む頃に、目が覚めた。
早起きは僕の特技だ。というのも、師匠の屋敷に住んでいた頃、師匠がとても早起きで、毎朝、師匠によって強制的にたたき起こされていたせいだ。嫌でも早起きが身につく。
1階の酒場を見に行っても、さすがに朝早くから開いていないみたいだった。冒険者ギルドもまだ開いていないと思うので、部屋に戻って属性強化装置の手入れをすることにした。といっても、ここ最近はルーイッヒの町に向かうだけだったので、全く使っておらず、油差しくらいしかすることはない。
部屋に戻り、作業台の上に工具箱を乗せて開ける。荷袋が重いのは、この重たい工具箱が入っているせいだった。
属性強化装置を分解し、中の状態を確かめた。特に異常はないので、数カ所油を差しただけで終わってしまった。
窓の外から、鳥のさえずりが聞こえてくる。せっかく暇ができたのだから、ゆっくりルーイッヒの町を散歩してみたい。そのうち冒険者ギルドも開くだろうし、付近を気の向くままに歩くのもいい気がしてきた。お金がじわじわとなくなっていくプレッシャーのせいもあり、部屋の中でじっとしているのは落ち着かなかった。
冒険者ギルドの登録がすぐに済めば、今日中に探索に出かけられるかもしれないので、腕に属性強化装置を取り付け、探索に必要最低限の荷物をまとめた。さきほど受付の猫人のマダムに聞いたら、連泊するなら荷物は部屋に置いていても良いとのことだ。けっこうこの宿が気に入ったので、今日もここに泊まることに決めていた。工具箱などの重たい荷物は部屋に置いていくことにする。
『銀猫の宿』を後にして、広場を歩き始める。広場にいる人といえば、散歩をする老人か、朝早くから探索に出かけるのであろう冒険者が数人しかおらず、昨日賑やかさが嘘のようだった。広場の中心にはルーイッヒの町の活気を象徴するような大きな噴水があり、傍にはベンチが複数あった。噴水の向こう側に一際大きな建物が見え、『冒険者ギルド』という文字が見えた。わずか徒歩1分ほどで着いてしまい、宿からかなり近かった。ギルドはまだ閉まっているようなので、もう少し別の場所を散歩してみることにした。
地図を見ると、ここから南東の方角に商店街があるみたいだった。何か面白いものがありそうだ。行ってみることにする。
少し歩くと、すぐに商店街に着いた。開いている店がちらほらあり、そこそこ人がいた。
パンの焼ける良い匂いがする。それとほぼ同時に、腹の虫が鳴った。そういえば、今日はまだ何も食べていない。
パンの香りを辿ると、すぐにパン屋を見つけることができた。開店しているようだ。
勢い良くパン屋のドアを開けて中に入ろうとしたその時だった。
「きゃっ!」
小さな悲鳴のようなものが真下から聞こえてくると共に、何かにぶつかった。どうやらちょうど店から出る人にぶつかったようだ。僕が勢い良くドアを開けて中に入ったせいだ。
「わ、悪い……」
ぶつかったのは、背の低い小柄な少女だった。あご辺りで切りそろえた薄紫色の髪に、桃色の袴……だろうか? とにかく、はるか遠くの東洋国の服装をしており、黒いブーツを履き、腰には長い刀を提げていた。冒険者のようだ。
「ちょっと! ちゃんと前を見なさ……」
袴の少女は怒っていたが、僕の顔を見るなり、急に動作が止まる。可愛らしい顔立ちをしており、くりくりした大きな黒目に、じっと見られるのはちょっと照れくさかった。
なぜ、僕の顔を凝視されているのかわからなかった。僕の顔に何か付いているのだろうか。さっき油差しをしたので、まさか、油がべっとり付いているとかは……
「僕の顔に何か……」
「あー!!!!!」
僕の言葉をさえぎり、少女が叫ぶ。少女の目線は僕の顔ではなく、彼女の足元に向けられていた。そこには、クロワッサンが1つ落ちている。ぶつかったときに落ちたのに間違いない。
「わ、私の朝ごはんが……」
少女は僕を睨みつけた。言い逃れは許されない。
「……あなた、わかってるわね?」
「う……はい」
結局、落としたクロワッサンの分だけでなく、追加で3個分、少女に買うことになってしまった。ちなみに自分の分は買いそびれた。
更に、「朝食に付き合ってちょうだい」とのことで、パン屋を出て近くのベンチに座り、隣で少女がクロワッサンを食べ始めた。ちなみに僕は空腹で、目の前で食事をされるという、ちょっとした苦行を味わっていた。
「見たところ、あなたも冒険者みたいね。えっと……錬金術師、で合ってるかしら?」
「ああ。君は?」
「私も冒険者よ。ここに来て2ヶ月ほどになるわ。職業は刀武士って言って、武器はこれを使うの。なかなか珍しいでしょ」
少女は得意げに刀を見せる。細い剣のようなもので、確かに初めて見る武器だ。
「細いな。使っているうちに折れたりしないのか?」
「ふ、まさか! この刀、大きな岩を真っ二つに斬ることができるのよ。そう簡単に折れないわ」
この小柄な少女が、大きな岩を一刀両断……全くその姿を想像できなかった。刀が壊れにくいのはわかったが、岩については誇張しているだけかもしれない。
そういえば、さっき少女が僕の顔を見て、動作を止めた理由が少し気になった。
「そういやさっき、何で僕の顔を見て黙ったんだ?」
「昔の知り合いに似てて、びっくりしただけよ」
少女はそう言いながら刀を提げる。
「名前聞いていなかったわね。あなた、何ていうの?」
「レイ」
「そう。良い名前ね。私はシモン! よろしくね、レイ」
少女はそう言い、微笑んだ。その笑顔を見て、僕は少しだけ肩の力が抜けたような気がした。この町に来て、初めて仲良くなれそうな冒険者と知り合えたからだろうか。昨日も錬金術師オズとは一応知り合いにはなれたが、馴れ合える様子は微塵もなかった。新しい町での不安が、一気に消し飛んだように思えた。
「よろしく、シモン」
僕も彼女に微笑みかけた。するとシモンは、残りのクロワッサンが入った紙袋を渡してきた。中身を見ると、焼きたてのクロワッサンが2つ入っていた。とてもおいしそうだ。
「それ、あげるわ。お近づきのしるしに、ということにしてちょうだい」
このクロワッサンは僕が買ったものだったが、それを言うのは野暮なので、素直に「ありがとう」と言った。お腹がかなり減っており、すぐに紙袋に手を突っ込み、クロワッサンを口に入れた。まだ温かくておいしい。
「そういえばあなた、見ない顔よね。錬金術師ってこの町じゃ数が少ないから、けっこう目立つはずなのよね……もしかして、最近ルーイッヒに来たばっかり?」
「ちょうど昨日。今から冒険者登録しようと思ってて」
「めちゃくちゃ新人じゃない! じゃあ探索とかもまだってことね」
シモンは驚いたように目を丸くした。
「それなら今日、一緒に探索行くのはどうかしら? 初めてなら、1人よりはマシだと思うわよ」
とても心強い申し出だ。断るという選択肢はない。
「ぜひお願いします」
「よし! そうと決まれば、早速ギルドに出発よ!」
シモンは僕の左肩を叩き、ベンチから立ち上がった。小柄なのに力が強い。左肩に若干の痛みが残っていた。
* * *
「必要事項と書かれているところは、必ずご記入くださいね」
冒険者ギルドの事務員から紙を渡される。必要事項とあるところは、名前、年齢、職業などがあり、意外と少なかった。名前欄にはレイ・ヴァルター、年齢欄には18歳、職業欄には錬金術師と記入した。フルネームで書くのは気が引けたが、錬金術師でなければヴァルターの名を知らないと思うので、おそらく事務員に師匠の養子であることをバレることはない。
「ふーん……18歳、ねぇ」
僕の隣に立つシモンが背伸びをして、紙を覗き込んでいる。
「そういうシモンは?」
「あら、女性に年齢を聞くのは良くないわよ。ノーコメント」
シモンはそう言い腕を組んだ。
実際、彼女はいくつだろうか。親元を離れて冒険者をしているというなら、僕と同い年くらいだろうが、小柄なのでそれより若く見える。16歳くらいか、あるいはもっと下か……
「……ちょっと。私の事、子どもかもしれないって思ったでしょ。断じて違うわよ」
「……気のせいだ」
これは小柄なことを気にしているタイプだ。肯定したらかなり怒られそうだ。
必要事項を書き終わり、他に書くべきところがないか確認する。任意事項の欄には、『所属小団名』とあったが、今のところ所属していないので、ここは空欄でも大丈夫だろう。
小団とは、冒険者同士で組む、2〜6人程度のチームのことだ。ソロで活動する冒険者もいるが、探索においては、冒険者同士の連携や助け合いが必要になるため、小団を組むのが普通だった。例えば、探索中に怪我を負ってしまったら、怪我を治す回復者が必要になる。最前線で戦う剣士の背中を守る、後衛を担うものが必要になる。だから僕も、なるべく早くどこかの小団に所属するか、結成するなどした方がいい。
書けるところは全て書き、窓口に提出する。事務員から「しばらくお待ちください」と言われたので、しばらくシモンと共に長椅子に座って待っていた。
意外とすぐに呼ばれ、事務員から1枚の紙をもらった。紙には『冒険者証明書』と書いてあった。これでクエストが受けられるようになり、収入が得られるようになる。
「ヴァルターさん、あなたは正式に冒険者となりました。証明書の右上に、赤い紋章の印が押してあるでしょう?」
確かに、盾やら剣やらが描かれた赤い紋章があった。冒険者ギルドの紋章のようだ。
「赤い紋章は初級冒険者を示しています。中級冒険者だと紋章の色が緑、上級冒険者だと青になります。ランクについては、完了したクエストの数や難易度によってギルドが決定します。なので、クエスト完了書を定期的にギルドに提出してくださいね。ランクが上がれば上がるほど、難易度の高いクエストが受けられるようになりますので」
なるほど、最初は難易度の低いクエストしか受けられず、上を目指すには成果をあげるしかないということか。
「説明は以上になります。上級を目指して頑張っていただきたいところですが、無謀な挑戦は禁物です。命を落とす冒険者は少なくないですから。それではヴァルターさん、頑張ってくださいね」
事務員はそう言うと軽く頭を下げた。
命を落とす冒険者は少なくない、か。お金がないので、割の良いクエストを受けて、手っ取り早く稼ぎたいところだが、死んでしまっては元も子もない。地道に、小さなことからこなしていくしかないのだろう。