2話「銀猫の宿と錬金術師オズ」
『銀猫の宿』1階の酒場に入ると、独特の香辛料の香りが立ち込めていた。店は多くの冒険者でごった返しており、空席があまりなかった。
「いらっしゃい! さあさあどうぞ座って!」
カウンターにいる酒場の店員が、店の奥の方にある、大きなテーブルを指さしていた。テーブルには他の冒険者も座っていたが、端の方は座れそうだった。僕はその店員に会釈し、空いている席に座る。
メニュー表を見ているとすぐに店員が来たので、1番先に目に付いた『ピリカ入りのトマト煮込み』というのを注文した。ピリカとは何だろう。
「見ない顔だな」
メニュー表を見続けていると、右斜め前に座る男が突然話しかけてきた。
その男には見覚えがあった。馬車に乗っている時に見かけた錬金術師だ。片腕に金色の派手な装飾が施された属性強化装置を付けており、背中と左腕を覆うようなマントを身につけている。マントの中に星が散りばめられたような緑色のコートを着ており、全体的に派手な印象だ。肩にかかる長さの金髪で、髪の隙間から覗く顔は色白で端正な顔立ちをしていた。
錬金術師の男は、僕の両腕に付いた属性強化装置を見ていた。同業者だとわかったから話しかけてきたのだろう。
「ああ、今日この町に来たばかりで」
「なるほど、新米の冒険者か」
「そんなところだ」
男は僕に興味が湧いたのか、右前の席から移動して、正面に座った。
「俺はアカデミア出身の錬金術師だ。あんたもか?」
アカデミアとは、錬金術の町と言われるアルトラッシュにある、錬金術研究機関のことで、多くの錬金術師がここで錬金術を学び、研究している。錬金術師といったら、アカデミア出身か、僕みたいに錬金術師に弟子入りしているかの2択だった。
「いや、錬金術師に弟子入りしていた」
たぶん次に、誰の弟子かと聞かれるのだろう。正直、先生の名前は出したくなかった。シャーラ先生は名の知れた錬金術師なので、その弟子がちゃんとした研究者の道を歩んでいないのは、あまり良くないことだったからだ。はっきり言えば、面汚しだった。なので、別の話に持っていくことにした。
「アカデミアはどんなところだ?」
「ん……別にそんな良いところでもねぇよ。長ったらしい授業を聞かされるだけで、俺にはあんまり向いていなかったかな。だから研究者にならずに冒険者になってんだ。んで、あんた誰の弟子だ?」
「……」
完全に話を戻されてしまった。聞かれてしまった以上は答えるしかないので、僕は正直に先生の名前を出した。男は驚き、目を見開いていた。
「シャーラ・ヴァルター? けっこう権威ある人じゃねぇか。弟子を一切取らないことで有名だそ。……でも、養子が1人いるって聞いたことがあるな、あんた名前は?」
「レイ」
「そうじゃなくてフルネームは」
「……レイ・ヴァルター」
男は「ふーん、やっぱりか」と言い、軽くため息をついた。
「俺、何年か前にその先生に弟子入り頼んだことあるんだ。即答で断られたよ。それがまさかこんなご縁で、養子様に会えるなんてな」
頬杖をつき、苦笑いしながら言う。
「んじゃー、そろそろ行くぜ」
男は気分を害したのか、すぐに立ち上がる。立つと思ったよりも高身長で、無言で威圧されているように感じた。席を離れる途中で男は振り返る。
「俺はオズだ。まあ、せいぜい仲良くしようぜレイ」
余裕のある口ぶりでそれだけ言い、去っていった。この町についてとか、色々聞きたいことがあったのに、どうやら敵視されてしまったようだ。
複雑な気分になった。やっぱり、正直に先生の名前を出すのは控えた方がいいような気がする。
暇になったときにちょうど、頼んでいた『ピリカ入りのトマト煮込み』が来た。持ってきた店員は気の毒そうな顔をしていた。
「あんた、可哀想に……オズに目をつけられたみたいだな。あいつはな、『エメラルドの星』っていう小団のリーダーなんだ。ここ最近できた小団なんだが、もう既に、この町でトップクラスに強い連中だよ。だが、オズは喧嘩を売ってきた奴を徹底的に叩きのめすような人だ……くれぐれも気をつけろよ」
店員は小声で言い、料理を僕の前に置くと去っていった。
トマト煮込みをスプーンですくい、口に入れる。最初はまろやかな味だったが、だんだん辛さが口の中に広がっていった。どうやらピリカとは香辛料の名前みたいだ。慣れない辛さに戸惑い、コップに入った水を慌てて飲んだ。
想像以上に辛いトマト煮込みを何とか食べ切り、会計を済ませる。店員によると、酒場を出て、建物の左手にある階段を上ると宿屋になっているらしい。早く寝床につきたいと思い、急ぎ足で2階にあがり、宿の扉を開ける。
「あら、いらっしゃい」
そこには予想外の光景、というか、奇妙な光景があった。
「ね、猫……?」
猫の顔をした人間……いや、人間のような姿をしている、マダム風の白猫が受付に座り、人の言葉を喋っている。
「あら、猫人族を見るのは初めてかしら」
猫人族……名前は聞いたことがあるが、見るのは初めてだった。というか、人間以外の他種族を目にするのが初めてで、あまりの衝撃で空いた口が塞がらなかった。地方から多くの人々が集まるこの町では、他種族がいても不思議ではない。衝撃と同時に、自分の世間知らずを痛感した。
何も喋らずにいると、猫人のマダムは受付の前まで来るように前足……ではなく手で促した。フワフワの手をしており、ピンク色の肉球だった。
「ここを利用するのは初めてみたいね。1泊前払いで30ランよ」
財布を開け手持ち金を確認すると、460ラン入っていた。ここで泊まり続けるとしたら、食費などもかかるとして、10日ほどで全財産が底を尽きるかもしれない。早く稼がなければ、だいぶまずい。
「高いって顔ね。他の宿よりはだいぶ安い方よ。もしかして……この町に来たばかりかしら?」
「ああ、まだ冒険者登録もしてない。登録はどこで?」
「あら、そうなのね。ちょっと待ってね」
猫人のマダムは机の引き出しを開けて何かを探し始めた。しばらくすると1枚の紙を引っ張り出して、僕に渡してきた。この町の簡易的な地図のようだ。
「広場の向かい側に『冒険者ギルド』って書いてあるところがあるでしょ。まずはそこに行って登録するといいわ。登録すると、正式な冒険者だってことを証明する証明書がもらえて、ギルドや酒場に張り出されているクエストが受けられるようになるわよ」
地図をマダムに返そうとすると、「それはあげる。サービスよ」とウインクした。猫のウインクは初めて見るので、ちょっと感心した。
マダムに30ランを払い、さっそく宿の部屋に入った。部屋は意外にも広く、作業台まで置いてあった。錬金術師は属性強化装置の手入れを定期的に行うので、こういった作業台はとてもありがたい。マダムは気を利かしてこの部屋にしてくれたのだろうか。
馬車の長旅が想像以上に身体の負担になっていたのか、どっと疲れを感じた。あれこれ考える前に、とりあえず休むことにする。