1話「錬金術使いの弟子」
「シャーラ先生、僕、そろそろ行きますね」
「……ああ、必要な物は持ったか?」
「はい」
あらゆる物が入った、重たい荷袋の紐を握りしめ、僕は返事をする。目の前には、大屋敷の前に立ち、少し寂しそうな表情を見せる女師匠の姿があった。先生がこのような感情を表すことは稀であった。
物心ついた頃から、師匠のお屋敷に住まわせてもらい、ずっと錬金術を教わってきた。ふと、師匠の背後にある屋敷の大きな庭が目に入る。ここは、よく師匠に戦い方の稽古をつけてもらっていた場所だった。
稽古はとても厳しく、小さい頃は泣いてばかりいた記憶がある。幸せな思い出とは言い難いが、見慣れた庭をこれから見なくなることを考えると、少しだけ、胸が締め付けられる思いがした。
18歳の春。少し寒さが残る季節に、僕は師匠の元を去り、冒険者として生きていくことにした。
「落ち着いたら手紙を書きます」
「よろしく頼むよ。ただし! 屋敷に戻りたいだの、甘えたこと書いたら承知しないからね?」
先生はいたずらっぽく笑った。
「冒険者になるってあんたが決めたことなんだから、自信持って上手くやりなよ。ほら! 行った行った!」
先生は僕の両肩を掴み、反対方向へと振り向かせた。そして思い切り背中を押され、重たい荷物を背負っていたせいもあり、こけそうになった。
まったく、見送りまで乱暴な先生だ。
振り返り先生の顔を見ると、思わず笑みがこぼれた。これでは見送りという感じがまったくしない。
「それじゃ、行ってきます」
先生は無言で、はよ行けと言わんばかりに、しっしと手であおるだけだった。これ以上は何も言わないだろうと思い、僕は歩き出した。
しばらく進んだところで、急に先生が大声をあげた。
「……レイ!」
振り返ると、先生は満面の笑みを浮かべ、大きく手を振っていた。弟子の門出を心から喜んでいるような笑みで、僕も嬉しくなった。
「死ぬんじゃないよ! バカ弟子!」
* * *
悪路に入ったのか、馬車が揺れだした。僕は思わず、横に置いてある荷袋が転げないように、片手で支える。
あれから、1週間ほど馬車を乗り継いで、ルーイッヒという町を目指していた。昼も夜も馬車の中で過ごす日々だったが、これから冒険者として生活していくことを考えると、これくらいで音を上げていてはいけない気がしていた。
ルーイッヒは新米冒険者が多く集まる町だ。なので、新人仲間を見つけるにはもってこいの町である。しばらくはルーイッヒの町を拠点にして、まずは仲間を探したり、冒険者として生計を立てる能力を身につけたいと思っていた。
冒険者はこの国・ウルスプルング王国の1つの職業として存在している。領土は王国によって統治はされているものの、この国は前人未到の場所が数え切れないほど多くあった。それも、あらゆる場所を魔物たちが巣食うせいで、人間がなかなか立ち入れないのだ。こういった場所の探索は、国の人間だけでは手が回らない。そのため、魔物たちと戦う力を持った民間人が探索を行い、その成果によって国から報酬が支払われる。
この『魔物たちと戦う力を持った民間人』こそが、冒険者と呼ばれる人たちであった。
未踏の地を踏破したり、強大な魔物を討伐した冒険者に報酬が支払われる。ただ、それだけでは生計を立てるのは厳しいため、最近では、クエストという形で、民間人から冒険者へと依頼が出されることが多い。クエストをこなすと成果報酬がもらえるので、それが大きな収入源になる。更に、魔物から取れる素材や、魔物の巣食う場所から取れる素材も、高値で買い取ってもらえる。
何を大元の収入源とするかは、冒険者によってそれぞれであるが、全ての冒険者に共通しているのは、未知の領域を求めて探索することだった。探索半ばで命を落とす者が後を絶たないなど、危険と隣り合わせな仕事だが、人を惹きつけてやまない職業なのだ。僕も冒険者の魅力に惹かれた人間の1人だった。
ルーイッヒに着いたら、まずは何をしようか。とりあえず野宿はごめんなので、最初は安い宿を探しておくことにする。酒場や食堂がある宿屋だったら、すぐに食事ができるし、色々冒険者に関する情報が集められるかもしれない。
あれこれ考えているうちに、いつの間にか馬車の揺れは収まっていた。どうやら悪路を切り抜けたみたいだ。窓の外を見ると、今まで木々に囲まれていた景色から、見通しの良い野原へと変わっていた。天気が良く、ここで寝転がり昼寝でもしたら気持ちが良いだろう。そういう発想になるのは、馬車にうんざりしているせいだろうか。
広々とした景色の先に、町のようなものが見え始めていた。たぶん、あれがルーイッヒの町だろう。次第に、町へと向かって道を歩く人の姿がちらほらと現れはじめる。剣や槍などの武器を装備している人、重たそうな鎧を身にまとっている人、どこの国かもわからない異国風の格好をしている人などがいた。おそらくルーイッヒの町を拠点にして探索をしている冒険者たちだ。
その中に、片腕に腕全体を覆う防具のようなものを付けている、金髪の男を見つけた。片腕のみの防具には、金の装飾が入っており、けっこう目立っている。間違いない。彼は僕と同じ錬金術師だ。
窓の外から視線を戻し、自身の両腕の全体を覆う、黒い防具のようなものを見つめた。これは『属性強化装置』というもので、防具としての役割もあるが、厳密に言えば武器だ。錬金術師が発明した武器であり、見た目は腕全体を覆う防具だが、その中身は機械仕掛けになっており、内側で歯車がびっしりとひしめいている。術者が装置を発動させ、手のひらから炎、水、雷、風といった属性を発生させることができる。
中身が機械になっているため、これがけっこう重たくて肩がこる。装置のせいもあるが、長く馬車の中で座っていたことも僕の肩こりに拍車をかけていた。
町が近付くにつれ、馬車の速度が上がる。そして、遠くに見えた町があっという間に目の前まで接近し、馬車が止まった。
着いたみたいだ。荷袋を背負い馬車を降り、御者に運賃を払った。ここまでの移動代を全部合わせたら、全財産の半分は飛んで行った。だいぶ痛手だ。うかうかしていたら宿泊費だけで手持ち金が底を尽くので、なるべく早くお金を稼がなければならない。
足早に町の入口にある門をくぐり抜ける。
「お……」
思わず感嘆のため息が出た。ルーイッヒの町は、ここに来るまでに経由してきた町とは明らかに活気が桁違いだった。どこを見ても冒険者がおり、賑やかだ。あと、全体的にガタイが良い人が多く、自分が小さくなったかのように錯覚した。
町の入口付近は露天商ばかりだ。何が売っているのか見てみると、薬や、ビスケットなどの軽食品、その他探索に役立ちそうな物ばかりが売られていた。どうやら冒険者たちが探索に出かける前に、ここで買い足しをしているようだ。売られている物を見ていると、何度か売りつけられそうになったので、何か無駄買いする前に、先に進むことにした。
通り道に武器屋や防具屋などの冒険者向けの店をいくつか見つけたが、入ってしまうとかなり時間を食いそうでやめた。現に日が暮れかけていたので、宿屋を探して、今日は休むことにしよう。
広場沿いに、1階が酒場で2階以上が宿屋になっている建物を見つけた。看板には『銀猫の宿』と書かれており、転げる猫のシルエットが描かれていた。ここなら食事をとって、すぐに寝床につくことができそうだ。
1階の酒場からは騒ぎ立てる声が聞こえ、少しスパイスのきいた料理の香りがする。早く空腹を満たしたいと思い、酒場へと足を踏み入れた。