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ある竜の最後の子

作者: しらす

 ある夏の朝だった。

 老竜エンリーシュは、重い体を(きし)ませながら密林の中を歩き回っていた。

 普段なら一日起きて、一週間は眠り、また一日起きるエンリだが、昨夜は眠れぬ夜を過ごした。


 彼が探していたのは卵だ。

 まだ若い(めす)の竜が、愚かなことに崖の上で産んだ卵を、うっかり別の竜が蹴とばしてしまったのだ。

 竜の卵は頑丈だ。崖から落ちたところで割れたりはしていないだろう。だからそこは心配いらない。

 それに温めなくとも(かえ)るから、と母竜は眠ってしまったが、エンリは卵の行く末が心配でならなかった。


 古くから竜の住む密林は、大陸の一番南にある。

 他の種族は一口に密林と呼んでいるが、実際はおおよそ真ん中辺りに谷があり、二つに分かれている。


 近年はその谷の向こう側に、オークと呼ばれる種族が住むようになった。

 その谷からこちらへは、オークたちは入って来ない。同じように、竜もまたその谷より向こうへは行かない。

 特にそんな話し合いをしたわけではないが、いつの間にかそんな決まりが出来ていた。


 その境界の近くまで行ったところで、エンリはオークの子供と出くわした。

 まだ七、八歳であろう幼子(おさなご)だ。

 その子供は、両腕いっぱいの大きな布の包みを抱えていた。


 こんな境界の谷まで来てしまうとは、使いの途中で道にでも迷ったか、とエンリは思った。

 互いの住処(すみか)を侵す事は無いが、何かあれば助け合うのも、オークたちとの無言の決まりだ。

 特に迷子(まいご)を見つけた時は、親のいる所まで送る事にしている。



「どうした、幼子よ。道が分からなくなったのか」

 エンリが声を掛けると、オークの子供はびくりと肩を震わせた。

 竜を見るのは初めてなのだろう。しかもエンリが一口で飲み込めそうな小さな子供だ。


 やむを得ない、と思ったエンリは、小声で呪文を唱え、昔の友人だったエルフの男に姿を変えた。

 エルフと言っても(あご)にまばらな(ひげ)を生やし、底の見えない黒い目は眼光(がんこう)鋭く、お世辞(せじ)にも優美とは言えない顔立ちだった。

 だがその姿を見た子供は、目を丸くしながらも、ホッとしたような顔をした。丁度父親に似ていたのだろう。

 そしてエンリの目の前までやって来て、両腕に抱えていた包みを差し出した。


「お初におめもじいたします、このみつりんのぬしさま。わたしはガインともうします。こちらはあなたの落とし物ですか?」

 たどたどしいながらも丁寧にそう言うと、子供は抱えていた包みを解いた。

 出てきたのは、昨日からエンリが探していた竜の卵だった。


「ああ、そうだ。どこに行ったのかと思ったが、そちらまで転がっていたとは知らなかった」

「きのうあそんでいるときに見つけました。もってかえっておとうさんに見せたら、きちんとおかえしするようおこられました。ごめんなさい」

 急に子供らしい言葉に戻ってそう言いながら、ガインは両目にじわじわと涙を浮かべた。


「そうか、それは大変な思いをしたな。いいんだ、重かったろう? 私はエンリーシュ、この卵は同胞のものなのだ。ここまで運んできてくれてありがとう」

 卵を受け取ると、エンリはガインの頭を優しく撫でた。

 それがオークの子ガインと、エンリの出会いだった。




「ガイン、そこの水は危ない。飲むとお腹を壊すぞ。こっちに綺麗な泉があるからおいで」

 初めて会った日から、ガインはエンリを訪ねて、ちょくちょく谷までやって来るようになった。

 どうやら懐かれてしまったようだ、と分かった時には、エンリも彼から目が離せなくなっていた。


「そうなのか。うっかり飲むところだった」

「それからそこの葉は触るとかぶれる。こちらを歩きなさい」

「えっ、そうなんだ」

「もしかぶれたらあそこの木の葉を()んで汁を塗りなさい、すぐに治るから」

「分かりました、エンリ先生」


 なにくれとなく世話を焼いているうちに、ガインはエンリを先生と呼ぶようになった。

 先生と呼ばれるほどの事は教えていないのだが、なにしろ出会った頃は、危険なものの区別もつかない幼さだった。

 いくら毒や怪我に強いオークの体でも、食べれば死んでしまう植物はあるし、危険な動物が住む場所もある。

 それらにガインが近付くたびに、エンリは声を掛けずにいられなかった。


 だがガインは、エンリの感覚からすればあっという間に成長していった。

 もともと数千の歳月(としつき)を生きてきたガインにとって、一年などまどろみの間に過ぎる。

 あの日ガインが拾ってくれた卵は無事に孵ったが、ガインが十五の歳を迎えても、まだ赤子のようだった。


「お前は本当に大きくなるのが早いな。まるで春の木の芽のようだ」

「木の芽なんてせいぜい七日で膨らむじゃないか。そんなに早くないよ」

「それもそうだな。だがもう、気になる雌くらいはいるんじゃないのか?」

「雌なんて言わないでくれよ、先生!」

 泉の脇でいつものようにエルフ姿で話をしていると、ガインの顔が真っ赤になった。


 おや、これはもうそういう歳頃(としごろ)か、とエンリはまた一つガインの成長ぶりに驚いた。

 この頃になって来ると、ガインはエンリに対してまるで友人か、頼れる先輩のように話すようになっていた。

 しかしエンリからすれば、それでも彼は十分に幼子だ。まだまだ心配は尽きなかった。

 無事に生きて行けるように、出来るだけの事はしてやりたいと、いつの間にか(おのれ)の子を見るような気持ちでガインを見ていた。


 だがそれから幾らも経たないうちに、ガインは同じ村のアナンサという雌と結婚した。

 その歳月をあっという間に感じてしまうのは、己と違う時間を生きる者だからだと分かってはいたが、エンリは少し寂しさを感じた。


 結婚すれば、当然子供が生まれる。ガインは家族を第一にし、一人で気楽に出掛けることは無くなった。

 それでも時には顔を見せに谷の近くへやって来たが、いつもすぐに帰ってしまうようになった。




 それから十年後の冬だった。

 久しぶりに一年中気温が上がらず、とても寒い冬がやって来た。

 春が来るまであとひと月は掛かろうか、という頃に、ガインが久しぶりに竜との境界の谷にやって来た。


 ガインが来なくなってからのエンリは、元の一週間寝て一日起きる生活に戻っていた。

 だからそれが偶然ではないという事はすぐに察せられた。

 きっとエンリが眠っている間に、ガインは何度もここまで来ていたのだろう。

 すっかり大人になった彼は、エルフ姿のガインと同じように髭を生やし、がっしりとした体をしていたが、()せ細っていた。


「どうしたんだ、ガイン。ちゃんと食べないと死んでしまうぞ」

 駆け寄ってそう言ったエンリの顔を見て、ガインは不意に、出会った日のように両目に涙を浮かべた。

「食べるものがもう何も無いんだ、エンリ先生。助けてくれ、私の子も三人も死んでしまった。もう生き残っているのは二番目の子だけだ」

 (すが)るような目をして、泣きながらガインはそう言った。


 竜はだいたいエンリと同じように、一日起きて、一週間は寝る生活をするのが(つね)だ。

 それに一年くらいなら、何も食べなくても眠り続けることで生き延びられる。

 春から気温が上がらず、草木の実りが悪かったため、エンリはまだ幼い竜の子を見守るために起きていたが、一年眠る事にした仲間も多かった。

 だがオークである彼らは、そうそう絶食も出来ないし、眠ってやり過ごす事も出来ないのだと、今更のようにエンリは思い出した。


 一刻(いっこく)も早く食料を分けてやらねば、ガインも彼の最後の子も死んでしまうだろう。

 だが竜が殆ど食事をしないと言っても、その年の寒さは草木を()らし、動物たちも眠りにつかせていて、すぐに分けてやれるものはあまり無かった。

 もし食料を与えるなら、ガインだけにというわけにもいかない。

 彼にだけ渡してしまうと、その食料の(うば)い合いになってしまうだろう。


「分かった、我らの領域から出せるものは出そう。だがどれほど必要か分からない。まずは生き残っている者、全員のところへ案内してくれ」

「本当ですか、エンリ先生! ありがとうございます。村は三つあるので、すぐ案内します」

 ガインは何度も何度も頭を下げると、エンリを先導(せんどう)して村々を回った。



 どの村もひどく(さび)れていた。食料がないだけでなく、動物が居ないので、彼らの家に使う革や骨なども無いのだ。

 風は容赦なく吹いていて、それが家を覆う革を傷めているため、隙間から風が入って寒さもしのげない。

 火を()こうにも、夏の間に草木がろくに伸びなかったため、焚木(たきぎ)が無いのだ。


 三つの村を見て回る間、エンリはいつものエルフ姿のままだったが、彼の姿を気に留める者もいない。

 みな空腹と寒さで虚ろな目をして、少しでも食べられるものを見つけては口に入れている有様だった。


 こんなにも辛い生活をしていたとは、エンリは想像もしていなかった。

 しかも生き残っている者達はそれなりに多く、すぐに分けてやれる食料ではすぐに底をつくと、容易に予想できた。



「よく分かった、ガインよ。今まで大変な思いをしたな」

 そう言って幼い頃のように、エンリはガインの頭を撫でて微笑(ほほえ)んだ。

 ガインは少し恥ずかしそうな顔をしながらも、それを聞いてホッとしたように笑い返した。


 しかし、とエンリは声を低くして続けた。

「我々竜の領域でも、食料は尽き、みな空腹に耐えるために眠っている。そんな我らからなお奪おうと言うのなら……お前たちを我らの食料としてやろうぞ!」

 恐ろしい顔をしてガインを睨みながら、エンリはみるみる元の竜の姿に戻り、言い終えると咆哮(ほうこう)を上げた。


「そ、そんな……!待ってくださいエンリーシュ、私はあなた方の事情を何も知りませんでした。どうかお許しください!」

 そう言って、ガインはエンリの前でひれ伏した。

 どうか牙を収めてください、私どもの事は己で何とかします、今日の事はどうかお忘れください、と彼は必死に()びた。

 だがエンリは、そんなガインの前に更に歩み寄ると、大きく口を開けて噛みつこうとした。


「やめて! 私の旦那(だんな)に何をするの!」

 今しもガインの体に牙が立とうとしたその時、ガインと同じ年ごろと思しきオークの女が、棍棒(こんぼう)を持って飛び出してきた。

 彼女はエンリの頭を殴りつけ、彼の前に立ち(ふさ)がった。

 「旦那」とガインを呼んだという事は、彼女がアナンサかと思いつつ、エンリは今度は彼女に牙を()いた。


「やめてくれ、エンリ先生!!」

 さすがに妻を狙われたガインは、立ち上がると(かたわ)らにあった斧を拾い上げた。

 その瞬間を、エンリは見逃さなかった。


 エンリは首を高く上に振り上げると、ガインが上に向けている斧の刃に向けて勢いよく振り下ろした。

 バリンと(うろこ)の割れる音に続き、首に深々と斧の刃が刺さる。

 いくら長命で固い鱗に覆われた竜と言えど、致命傷を負えば死んでしまう。そして深く刺さった斧は、エンリの首を半分以上()っていた。



 一瞬の出来事に、ガインはしばらく何が起きたのか分からないような顔で突っ立っていた。

 だがやがて、すとんとその場に膝をつくと、エンリの鼻先に痩せた指を伸ばして、ぐっと抱き寄せた。

「エンリ先生……どうして」

「我が肉を食べよ、ガイン。お前は私の最後の子だ。優しく賢い、可愛い息子だ」

 間近(まぢか)にやって来たガインにだけ聞こえるように、エンリは魔法で最後の言葉を伝えた。


「そんな、そんな、できませんエンリ!!」

「泣かなくていい、幼子よ。仲間にもきちんと風に乗せて伝えた。私は空腹を埋めるためにお前たちを犠牲(ぎせい)にしかけた、恐ろしい竜だ。何も()いることは無い。私の肉も骨も革も、全て使って生き()びなさい」

「嘘だ、エンリ……あなたは私たちを助けるために、こんな……」

「分かっておろう、ガイン。そう言えばお前に私は殺せなかっただろう。私が自ら死んでも、(むくろ)を利用することも出来なかっただろう」

 エンリがそう言うと、泣きじゃくっていたガインは、ハッとしたように周囲を見回した。


 二人の話し声が聞こえない他のオークたちは、遠巻きにじっと彼らを見ていた。

 エンリは全員を生き延びさせるために、己にできる限界の選択をしたのだ。

 それをガインも理解したようだった。


「ありがとう、我が息子よ。お前と会えて……本当に、良かった……」

 最後の言葉を何とか伝えると、エンリはガインの腕の中で静かに目を閉じた。




 ガインも村の者達も、その竜のお陰で春になるまで無事に生き延びたと、彼は(のち)に息子たちに語って聞かせた。

 優しい竜であったこと、いつも面倒を見てくれたこと、そして自分を息子と呼んでくれたことも。

 だがエンリとの思い出は語っても、ガインを生き延びさせるために自ら犠牲になったという事は、彼は決して子供たちには話さなかった。

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