地獄についての考察
地獄について、創作の参考になればと考察していきます。
地獄に堕ちる。
一口にこう言って見るものの、地獄という言葉には様々な概念が内包されています。宗教や神話、その後の文化的な変容を経て、現在の創作世界での地獄など、その在り様は本当に千差万別に思えます。
本稿ではおおまかな括りで地獄について考察していき、創作における参考になればと考えております。
宗教・神話における地獄
キリスト教における地獄は大きく2つに分かれると思うんですね。ギリシャ神話におけるタルタロスのような、何かを堕として閉じ込めるための場所、キリスト教においては堕天し悪魔となったものの住まう場所ですよね。
でもう一方で死者の存在を消滅させる場所でもあったわけです。キリストは体の一部が信仰の妨げとなるなら、それを切り落としてゲヘナへと棄てなさいと説きました。
四肢の一つがゲヘナに落ちるほうが全身が処されるよりはましだと言うわけですね。もちろん、本当に切り落とせと言っているわけではなく、あくまでも比喩だとは思いますが、キリスト教の概念で考えるなら、復活を待って眠りについた死者が生前の行いでその存在そのものを焼き消される、焼却炉が地獄と言うわけですね。
キリスト教の基であるユダヤ教を信じるユダヤ人たちは旧約聖書に拠るのであれば、エジプトから中東を経由してヨーロッパにいたっているわけですが、エジプト神話では、死者の心臓は秤にかけられて、罪業があるとされれば、怪物の餌となって消滅してしまいますが、つまるところ、悪人の魂に責め苦を与える地獄は存在しないと言うことですね。
仏教では地獄は輪廻転生する六道の一つなわけですが、一方で罪人が送られる死者の世界でもあって、仏教の教義的には歪な存在だな~とも思います。
実際、地獄が死者の世界なのはインド神話の影響が大きいとも思います。
インド神話における死者の国の王はヤマですよね。
死者の世界に最初にたどり着いた人間で、そこを支配した王でもある。
仏教においては閻魔大王ですから、ばっちり受け継がれてるわけですね。地獄にて罪業が消滅するまで責め苦を受けて、また転生していくわけです。
日本神話では黄泉比良坂の先、根の方の国が死者の国ですが、天国や地獄という区分けは仏教によってもたらされたと思うんですよね。で、日本人の面白いのは神道的な穢れの概念を融合させてしまうところですよね。そこら辺は拙著「幽霊は何故怖い」で書きましたが、本当に日本人は魔改造が好きですね。
創作における地獄
現在、地獄は様々に描かれていますよね。
面白いのはキリスト教的な世界観でも、仏教的な地獄が描かれていたり、反面、仏教的な作品でキリスト教的な地獄が出たりします。
原初の宗教や東洋の思想では地獄、というより、死者の国はわりと現世と地続きなイメージなんですよね。ですが、キリスト教的な解釈だと、まるで別次元な場所なんですよ。こうした違いを活かすと面白いかな、なんて思ったりします。
生と死を表裏一体の同一のものと捉えるか、2極化した対極にある別のものとして捉えるかで思想的な部分がかなり変わるので、創作上、宗教組織を出す場合や、思想家や宗教家をキャラとして出すさいの考え方の中心に据えるのも面白いと感じます。
お読み頂きありがとうございますm(_ _)m