第89話 静かなギルド(2)
――ハンクさん、今なんて?
「あ、あの。俺、マルヌスなんですが……」
「……僕も馬鹿じゃない。君のあの戦いぶりを目の前で見ていたんだ。
わかるさ。
君が本物の――『魔弾の射手』なんだろう?」
……俺の戦いぶり、か。
確かに俺はあの時、彼の目の前で空中に飛び、そこからゴブリン達を倒した。
しかし、その後に現れたワイバーンに対して、俺ができたのは、たかだか目潰し程度だった。
その時、彼は崩れた劇場の下敷きになっていた人を救おうとしていた。
だからか。
彼は俺とワイバーンの戦いを見ていないんだ。
――見ていたら、彼はどう思っただろうか。
あの不甲斐ない姿の俺を見たら。
俺に対して思う事は、今とは違うものになったんじゃないだろうか。
「隠しているのかい?」
黙ったままの俺の顔を覗き込むように訊ねてくるハンクさん。
そんな彼に対して、俺はゆっくりと首を横に振る。
「いや、俺は別にそんなつもりはなかったんですけどね……」
俺はふと、遠くを見るような感覚で、今までの事、そして昨日の一件を振り返った。
――元々は、学園に編入する際に、偽名を名乗るようサーロンに言われただけだった。
『お前は狙われの身なのだから』と。
突然、学園に通えと言われた事も相まって、最初は少し腹立たしかった。
何が偽名だ。
他のみんなは堂々と自らを囮にするかのように動いているじゃないか。
俺だけは特別扱いか?
サーロンに対して、俺を舐めるな、と言ってやりたかった。
そして俺を狙う奴に対しても。
俺はここにいるぞ、いつでもかかってこい、と息巻いていた。
母親代わりだったマザーが殺されたのだ。
そして、歳の離れた兄のような存在だった、クワードとサクリーも。
もちろん、ギルドランキング上位陣として、彼女達がいつ命を落としても、おかしな事ではないと思っていた。
そんなこともあるだろうと理解していた。
頭では。
だからこそ、俺はその事実を受け入れた。
そして怒った。
マザー達の仇に対して、どんな制裁を下してやろうかと、怒りに燃えた。
……だって。
戦えると思っていた。
例え一人でも。
山に住んでいた時だって、一人で戦えていたんだから。
俺は冷静さを欠いていた。
――違ったのだ。
俺はその事実を受け入れたフリをしていたんだ。
怒ったフリをしていたんだ。
その喪失感を埋める為、無理やり強がっていたんだ。
でも結局……俺一人ではワイバーンも倒せなかった。
俺は一人じゃ戦えなかったんだ。
気付けば俺の頬には、生暖かい雫が流れていた。
――今まで固く閉ざしていた、蓋が外れてしまった。
俺を絶望の淵から救ってくれたマザー。
彼女は、もういない。
俺の後ろにはいつもマザーがいた。
だからこそ、俺はいつでも強気に戦えた。
ブロル山に一人で住んでいた時だって同じだ。
あの山には、俺が一人で倒せない魔物はいなかった。
だからどこかで勘違いしてしまったのかもしれない。
心のどこかで、いつも思っていた。
マザー見てくれ、俺はこんなに強くなったよ、と。
俺の心の隅には、いつもマザーがいた。
その存在がいなくなって初めてわかった。
そして昨日の一件で、その事実が残酷なまでに身に染みた。
俺は別に、強くなってなどいない、と。
この上なく心細い。
俺は一人じゃ何もできない。
俺は――弱い。
溢れ出る涙。嗚咽。
ごめんなさい、ハンクさん。
突然こんなことになって、訳わからないだろうな。
「……」
俺が泣き止むまでの間、ハンクさんは何も言わなかった。
ただただ、何も言わずに隣に座っていてくれた。
***
「――今日はすみませんでした」
ギルドから出た先の通りで、恥ずかしさを隠すように笑いながら、俺はハンクさんに言う。
あたりは既に少し暗くなり始めていたのだが、恥ずかしながら、俺が落ち着いたのはつい先程である。
俺の瞼は、泣き腫らして若干重たくなっている。
そんな俺の様子に、慌てた様子で口を開くハンクさん。
「とんでもない! 君は僕の命の恩人なんだから!」
相変わらずのこの謙虚さ。
全く、この人はどんだけイケメンなんだ。
外見だけでなく中身までとは……敵わねぇな。
そんな事を考えていると、今度はなぜかハンクさんが気恥ずかしそうに頬を指で掻き、「その、さ」と切り出した。
「話して気が楽になるなら、いくらでも聞くから。
いつでも呼んでよ。
その代わり――」
……その代わり?
「今度は僕の愚痴も聞いておくれよ。
知っての通り、僕の業界も闇が深くてさ。色々と大変なんだ」
そう言ってニカッと笑うハンクさん。
俺に負い目を感じさせないためにそう言ってくれたのが伝わってきた。
ああ、やべえ。惚れそう。
***
ハンクさんと別れた後の帰り道。
俺は改めて考えた。
昨日の舞台を見て、わかったことがある。
どうやら世の人々の間では、『ギルドランキング10位のマルヌ・スターヴィン』は、かなり美化されている。
というより、美化されすぎている。
正体不明の凄腕魔法使い。
そのイメージだけがあまりにも先行しすぎている。
それこそ、本人である俺を置いてけぼりにするほどに、だ。
――だからこそ、思ったのである。
今の俺じゃあ、マルヌ・スターヴィンを名乗ってはいけない気がする、と。
最初は呆れていた偽名作戦。(といっても、音的にはほとんどそのままだが。)
しかし今となっては、それが幸いしたかもしれない。
少なくとも、世間一般のイメージに追いつけるほどの使い手にならなければいけない。
俺が目指すべきは、昨日舞台の上で優々と戦っていた、あのハンクさんの姿なのだ。
……強く、ならなきゃ。




