第188話 重い闇夜(5)
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大男――『グラヴィオ・ディートリヒ』は、顎をさすりながら辺りを見回していた。
(あの小僧、何処に行った?)
グラヴィオが探す小僧とは、言うまでもなくマルヌスの事である。
思わぬ不意打ちを食らったことで大勢を崩し、魔法がとけてしまった――その一瞬の間に、マルヌスの姿は物陰に消えていた。
(こんなんじゃ、またシュラムの兄ィにドヤされる)
グラヴィオが『シュラムの兄ィ』と呼び慕うのは、今から数分前、グラヴィオとマルヌスが対面した瞬間――丁度それと時を同じくして、反対の東門側でリブが出会った男である。
名を『シュラム・ディートリヒ』。
リブと対面した彼は、ある種神経質とも呼べる独特のこだわりを持つ、クセの強い男だった。
そんなシュラムが早口で自分を捲し立てる姿を想像し、グラヴィオは身を震わせた。
しかし間も無くして、グラヴィオの脳裏にもう一人、別の人物の顔が浮かぶ。
赤い瞳。その片方の目は、紫色の長い前髪が隠している。
それでいて、中性的な顔立ちの男。
その顔が浮かぶと、グラヴィオの表情は鋭くなった。
(そうだ、シュラムの兄ィよりも――『フランダル』の兄ィよりもッ!
オラが先に、あの小僧を喰らわねば――ッ!)
グラヴィオが思い浮かべたもう一人――『フランダルの兄ィ』。
名を『フランダル・ディートリヒ』。
その男こそが、ロータスの街にワイバーンを呼び出した黒幕であり、レタリーをはじめとする数名の学生を襲った張本人である。
グラヴィオが今夜街に繰り出したのには目的があった。
彼が兄と呼ぶ『シュラム』と『フランダル』――この二人よりも先に、例の『ワイバーンを倒した学生』の魔力を喰らうことだった。
それこそが、グラヴィオがマルヌスに漏らした『オラの糧になれ』という言葉の真意であった。
グラヴィオは再び辺りを見回し、マルヌスの姿を探す。
その顔には少しだけ、焦りの色が浮かんでいる。
「くっ……! 一体どこへ――。
……ハッ!」
(もしかして、逃げられた……?)
グラヴィオがそう考えた矢先のことだった。
――シュンッ!
鋭い風切り音と共に、何か小さな塊がグラヴィオに向かって飛んできた。
その塊はグラヴィオがそれを認知するよりも先に、グラヴィオの体に着弾した。
「痛ぇっ!」
グラヴィオは短い悲鳴を上げる。
一方で飛翔物は、屈強なグラヴィオの体を貫くには及ばず、彼の大柄な体躯に弾かれて、力なく地に落ちる。
見ればそれは、先ほどグラヴィオの顎をかち上げた氷の弾丸と同じ形状をしていた。
(逃げてはいない、な)
――それは間違いなくマルヌスの放った氷弾。
マルヌスはグラヴィオの魔法から逃れた今もなお、退くことなくこの場に残っている。
グラヴィオの顔色から焦りの色が消えた。
が、すぐにその顔は『苦悶の表情』に変わる。
「ぐおおおおおッ!!」
突如として、グラヴィオに襲い掛かる無数の氷弾。
それはグラヴィオに致命傷を与えるほどではなかったものの、彼の体をじわじわと削るには十分な威力を持っていた。
グラヴィオは慌てて手をかざし、氷弾の軌道上に重力魔法を展開。
飛んでくる無数の氷弾を地面に叩き落とした。
(小賢しい真似を……)
グラヴィオが一息つこうとしたのも束の間。
先ほどとは別の方向から、再び無数の氷弾が飛んできた。
「が、あああああッ!?」
夜の闇にグラヴィオの悲鳴が響く。
――未だ姿を現さないマルヌス。
彼は建物の裏を駆け回っていた。
いや、駆け回っていたという表現が適切なのかは定かではなかったが。
建物の影に隠れてグラヴィオを撃つ。
が、ひとたび発射方向がバレてしまえば、たちまち叩き落とされてしまう。
そうなったら、近くの別の建物の影に防御障壁を展開する。
空間に固定した防御障壁に、手から生やした木属性魔法の植物の蔓を伸ばす。
防御障壁に巻き付けたら、蔓を縮める。
同時に地を蹴り宙に浮く。
すると蔓が縮むのに合わせて、マルヌスの体は防御障壁を展開した側にぎゅんっと引き寄せられる。
そうやって、マルヌスは建物の裏と裏の間を素早く移動していた。
新しい場所に着いたらすかさずグラヴィオに向けて氷弾を放つ。
そうやって発射方向をコロコロと変えて、特定されないようにしながら、じわじわとグラヴィオにダメージを蓄積させていく――。
これが、マルヌスが取った『対グラヴィオ戦の策略』であった。
放った魔法なら兎も角、決してその身をグラヴィオの前に晒してはいけない。
仮に一度でもその身を捉えられたが最後。
グラヴィオの重力魔法に押し潰され、たちまち身動きが取れなくなってしまう。
一度目は奇襲で逃れる事が出来たが、それも二度目はないだろう。
マルヌスの『機動力』と『夜の闇』だけが頼りの、脆く険しい一本道。
それを進むと、マルヌスは決めたのだ。
「……いい加減にしろぉぉぉッ!」
やがてグラヴィオは、蓄積したダメージと共に募った怒りを爆発させるように、雄々しく叫ぶのだった。




