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12.真実の欠片

 (リウ)の視線はまっすぐ空也に、空也だけに向いている。

(この視線! 中華料理店で感じたのと同じだわ!)

 劉自体は穏やか過ぎると言ってもいい態度なのに。そばにいるだけのルージュにも、真剣すぎて痛いほどの威圧感を感じる。ルージュは空也と劉の間からそろそろと離れた。

(どうしよう? いつもの装備はないし……そうだ、アクアに命令を)

「ばぁや! 緊急……」

 決断は小百合の方が早かったのだが。

「アクア!」

 それよりも先に劉が叫んだ。

「『優先規準変更《メタッラゲー プロテレーマ クリテーリオン》』! 『私を一番に(プロートス エメ)』! 待機(ドルミーレ)!」

 ばぁやの瞳が明るさを失った。小百合の悲鳴が上がり、何度も再起動を宣言するが動く気配はない。

 ルージュの脇を守っていたミニスカポリスの瞳も、劉の横にいる大男の瞳も、同じように深い青に変わっている。

(この場のアクア全員に通用する高位の指令文! 私が知りたかった開発者命令。やっぱりあったんだわ)

「社長! むやみにその指令を使っては……」

「私はもう社長ではないよ」

 劉は、ラウ ウォカーレ、と大男のロイドのみを起動させた。

「お嬢さんたち、妙な真似はしないことだ。ラウに手荒なことをさせたくないのでね」

(あのロイド戦闘用じゃない。いくら私でも、あんなのに向かっていくほど命知らずじゃないわよ)

 戦闘用とはいえロイドなので、実際に人間を殺しはしない。しかし『殺さない』というだけで、残酷な機能が多く盛り込まれている。その機能を知っているだけに、ルージュの緊張は高まった。

 小百合はと見ると、ばぁやが指令を受けつけないのがよほどショックだったらしく、青い顔で放心している。

 窓には、いつの間にか新しい遮光窓が張っていた。割れたときに警報も鳴らなかったことから、粉砕すると(粉砕できるなんてルージュは初耳だったが)その粉によって、センサーが異常なしと誤認するようだ。

 つまりこの部屋の異常は誰にも伝わっていない。

「さぁ、これで邪魔は入らない。永瀬空也。君の正直な気持ちを聞かせてもらおう。意思を持ったアクアは人間に劣るのかね? 意思があるのならば、定義に縛られない、一つの生物として認めても良いとは思わんかね? その始まりがなんであれ、自由意志を持って生きている彼らを、私たちの一存で処分するのは正しいことなのかね?」

 空也もゆっくりと話し出した。

「劉さん。アクアは、いえアンドロイドは、定義があってこそアンドロイドなんです。それを奪ってしまっては、アンドロイドとして生きられません」

「そんな月並みなことを聞くために私はここまで来たのではない!」

 静かに叫ぶ劉に負けず空也は続ける。

「アンドロイドの幸せは、登録者(マスター)のために役立つことです。あなたのアクアだって」

「そうだろうとも。フェイは私の幸せを願って、私を守るために息子を殺したのだ。だが、そのためにフェイは破棄された。フェイは私の役に立ったと言うのかね?」

「大切なあなたが無事だったんです。自分の身を呈して守りきれたことを、誇りに思ったことでしょう」

「……くくくくく」

 劉から引っかくような哄笑が響いた。

 声が続く間、凍りついたように、劉以外の誰も口を開けず動けなかった。

「話にもならん」

 劉は無造作に腕を上げた。その先には銃が握られていた。銃口は空也ではなく小百合に向けられた。

(え?)

「劉さん、なにをするつもりですか!」

「わかるだろう?」

「やめて下さい! 彼女は関係ないでしょう!」

 慌てる空也をよそに、小百合は毅然とした態度で言った。

「かまいませんわ。どうぞ引き金をお引きくださいませ」

「小百合ちゃん!」

「大丈夫です、空也様」

 気丈に小百合は笑顔を浮かべた。

(そっか。この子には完全クローン体があるのね)

 小百合は自ら一歩、また一歩と踏み出した。

「さぁ、どうしましたの? 早くお撃ちなさいな!」

「………」

 劉は銃口をルージュに向け直した。

(はい?)

 三人が息を飲む中、劉は少しも熱のない声で言った。

「この娘なら妙な小細工はしないだろう。さて、お嬢さん。用意はいいかな?」

(いいわけないでしょ! 私まだまだやりたいことあるんだから! いきなりそんなこと言われて、いいですって言えるわけないわよ!)

 と、叫んだつもりだったが、口が遠くに離れてしまったようで声にならなかった。

(逃げなきゃ。どこに? 走るの? 叫ぶ? なんて?)

 空也や小百合、劉がなにか言っているのかもしれなかった。けれどルージュには、もう声も音も、なにも聞こえない。言葉は浮かぶのに声になる前に消えていく。

 ただ、劉の持つ銃口から目が離せなかった。

 それは、黒い穴だ。

 小さな黒い穴だった。

(私、撃たれるの? 『ルージュ』は終わり? あの指が動いたら、私は、私は……!)

 なんの予告もなく劉の指が動くのが見えた。

 堪らずルージュは目を閉じる。

 振動に押されたようにルージュは床に倒れた。

(いった――………くないってことは、ここってもう天国? こういう時って、もっと、長く感じるものじゃないの? 走馬灯が走ったりするって聞いてたけど、実際はあっと言う間なのね)

 そっと開いた目に、淡いグリーンの床と、そこに花のように落ちた赤い色がうつった。

(まださっきの部屋だわ。撃たれても、案外、痛くないものなのね。最近の銃ってそんなものなのかしら)

 床に倒れたままぼんやりしているルージュを、さらに二度三度と激しい振動が襲った。

「~~! ~~~~!」

 まだルージュの耳は音を認識できない。振動の発信源だと思われる方向に、のろのろと顔を向けた。

 ほっとしたような笑顔を浮かべた空也が、鮮血を引きながらルージュに覆い被さってくるのが見えた。空也の透き通った瞳と出会う。チューニングが合ったかのように言葉が耳に飛び込んできた。

「君には代わりがいないだろう? もう一人の僕に会ったら、ホームにある箱を開けろって、伝え、て……」

「永瀬様!」

 ルージュに暖かい重みがのしかかる。

「失敗だ。だが、問題点は理解できた。今日はこれで良しとしよう。ラウ、サンプルを」

 ラウはルージュの目の前で空也の腕を一本切り取った。空也はルージュにもたれて目を閉じたままぴくりとも動かず、悲鳴も上げようとはしない。

 切り取った空也の腕を手にしたラウは、音を立てて黒いマントを翻すと劉を包み、来たときと同じように窓から出て行った。

 待ちかねたように小百合は空也に駆け寄った。血で汚れるのもかまわず、小百合は空也の首と残っている手首に手を当てた。

「永瀬様、永瀬様! ばぁや起きて、お願い! 永瀬様が! ばぁや、起動(ウォカーレ)!」

 涙混じりの叫び声にばぁやは起動した。

「ごきげんよう、マスター。これは……蘇生いたしますか?」

「ばぁや!」

 小百合は破顔した。が、すぐに表情を硬くした。

「いいえ、蘇生はいいの。永瀬様を一体、起こして来てくださいませ!」

「承りました」

 ばぁやが出て行くと部屋はなんの音もしなくなった。その間にも、空也の命をつないでいた血は流れ出し、重なっているルージュの服を染めていく。少しずつ暖かさが消えていくのをルージュは感じていた。

 じれたように小百合が口を開いた。

「いつまでそうしているつもりですの? 当然のことですけど、あなたに差し出す手は持ち合わせてなくってよ。それに、それはもうなんの役にも立ちませんわ。早く床にお置きなさいませ」

 ルージュは目だけで小百合に問うた。

「その抜け殻のことですわ。それはもう魂が抜けていて役にたちませんの」

 小百合は冷たくなり始めた空也を力任せに押した。空也は床にずり落ちた。べっとりと血に濡れたルージュは、重く感じる体を起こしながら言った。

「クウヤの完全クローン体もあるのね?」

「もちろんですわ。ですから永瀬様の危険をいち早く察知してすぐにお起こしできる、ここホワイトストーン病院が一番安全なのです。いくら完全クローン体を用意いたしましても、早く起こさないと意味がありませんの。抜け出た魂は不安定な状態ですわ。他に似た入れ物があれば、そこに入り込んでしまう可能性も出てきますのよ。永瀬様のパーツを持ち帰ったということは、劉様にも完全クローン体を作るだけの技術があると考えたほうが良いですわね。本来でしたら記憶のコピーも行うべきなのですが、劉様にとっては、永瀬様の記憶なんていりませんものね。むしろ、記憶の無い永瀬様を思うままになさるおつもりなのでしょう。もう少しも油断できませんわ。今度、同じような状況になろうものなら、まさしく一分一秒の争いになりましてよ!」

 今、まさに今、目の前で空也が死んだというのに。

(全然、平気なんだ……。ううん。この子にとったら、クウヤは死んでないんだわ。それだけクローニング技術を信頼してるのよね。でも)

「本当に、クウヤは大丈夫なの?」

「私を賭けても良ろしくてよ。もちろん完全クローン体ですから、従来どおり保存していない記憶は消えますけど。こんなことになるとわかっておりましたら、ここに来てからすぐに記憶のバックアップを取りましたのに」

 悔しそうな小百合だったが。

「いえ……そうですわね。あなたと出会わなかったことになりますから、これで良かったのかもしれませんわ」

「勝手なこと言わないで。私は昨日クウヤと会ったんだから、出会わなかったことにはならないわよ」

(この子ったら、本当にクウヤを好きなのねぇ)

 しかし小百合はこう続けた。

「その記憶も消えますのよ。永瀬様のバックアップデータを作成したのは昨日の午前ですわ。あなたと出会う直前のデータまでしかありませんの」

「え?」

「その抜け殻もクローンですわ」

 床に横たわる空也をルージュはまじまじと見つめた。

(このクウヤがクローン? 外見はもちろん、雰囲気も全然変わらなかったのに?)

「そんな。だって、まさか……」

「永瀬様は『あなたとお会いしたことを覚えていない』とおっしゃっておりましたでしょう? 当然ですわ。あなたと出会った永瀬様は潮に飲まれたままなのですから」

「ちょっと待って。あの後、奇跡的に助かったんじゃないの?」

「潮に飲まれてすぐならともかく、あんなに時間が経ってしまっては助かる見込みはありませんわ。書類上保護者である上原様からの依頼がありましたので、永瀬様のクローンをお起こししましたの。事故の直前に永瀬様のデータを取っておいて本当に良かったですわ。要領のいい白石と言いたいところですが、クローニングも上原様の指示でしたから、さすが上原様の采配と言ったところですわね」

 皮肉気な小百合の声も、もうルージュには聞こえなかった。

(病院でクウヤと出会った時、診察カードに健康診断って出てた。あれはカムフラージュで、本当は社長が受けさせた、クローニングのサンプル採取と記憶のバックアップだった。クウヤが潮に落ちたのを、社長はトレースしていて知っていた。すぐにクローンを起こしたから捜索を止めさせた。社長の「簡単に命を捨てるようなこと」の言葉は事実だった。本当に社長は全部知ってたのね。社長はきっと、空也にはクローン体だってことを知らせてなかった。でも、この子が寮に来たときに言ったんだわ。それでクウヤは素直にAQA寮を出てホワイトストーン病院に来たのよ。クローン体である自分にはAQAにいる権利がないと思ったんだわ。社長の話を聞いて悲しそうになったのも、自分が前の自分とは違うと知ったからよ)

 空也の気持ちがルージュには痛いほどわかった。

 黙り込んだルージュに小百合は目を細める。

「あなたって疫病神じゃありませんこと? 永瀬様が潮に飛び込むようなことになったのも、あなたが孤島行きモノレールへと誘ったからですわよね? 今回だって、あなたを庇わなければこんなことにはなりませんでしたわ。そもそも、この部屋へ永瀬様を呼ばなければ、危険な目にもあいませんでしたのに」

(その通りなのかもしれない。私とクウヤが会わなければ、こんなことにはならなかったのかも……)

 うつむいたルージュに小百合は声をやわらげた。

「おわかりいただけのでしたらよろしいですわ。今日はシャワー室をお貸ししますし、着替えも差し上げます。ですがこれ以上、永瀬様に近づかないでくださいませ。永瀬様がお目覚めになりましたら、劉様があきらめるまで、白石の特別室から一歩も出しませんわ」

 ルージュはうな垂れたまま、なんの言葉も返すことができなかった。

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