1章ー2
別段、道順を変えたところで何か風景が変わるわけでもないのだが予定より早めに終わったので少し遠回りすることにする。小枝も寄り道先を聞くと頷いてくれた。
「天狼さんはどうしてあそこが好きなんですか?」
小枝が尋ねてくる。今回の寄り道先のことである。
「雷槌は嫌いか? あの神社。」
「そんなことはないですけど。そもそも嫌いだったら、寄り道なんか許しませんよ。」
「それもそうだな。」
言いながら苦笑いする。仕事の場でならともかくこういう場になると主導権を握っているのは常に彼女だ。確かに小枝が否といえば会社への帰り道で寄り道することには絶対にならないだろう。
「でも好きな理由か・・・。やっぱり雰囲気かな。」
ふと口をついて出たのはそんな理由だった。
「あの店と同じ・・・ですか?」
「そうだな。やっぱり顔に出てたか。」
「それはそうですよ。天狼さんが仕事に不真面目なのはいつものことですけど、あんなに自分から脇道にそれてくのはさすがにびっくりしました。どんなところが好きなんですか?」
「不真面目なのはいつものこと、か。まあそこには一応頑張ってるって言いたいところだけどあの神社とかさっきの店とかが好きっていうのは間違いないな。理由か・・・。」
一瞬考え込んでしまう。確かになんで自分はあんなに好きなのだろう?
悪い癖が出て再び思考の海に沈みそうになった。
そしてまたも小枝に思考の海から引っ張り出される。
「考え込み過ぎですよ。直感でいいんですから。直感で。」
言われて直感で答えようとする。考えずに・・
「やっぱり受容力って奴かな。」
ふと口を着いて出たのはこの一言だった。彼女が不思議そうな顔をする。そりゃあ戸惑うだろう。俺だってよく分からないのだ。
顔のままに彼女が言った。
「受容力ですか? どういうことです?」
本当にどういうことなんだろうか?
再び考え込みはじめてしまう。小枝はそんな様子の俺を見て肩をすくめていた。
目が呆れとも諦めともつかない感情を物語っていたが、それすらも目の前の思考が優先されて頭の中から滑り落ちていってしまう。
何分か経つと頭の中に注意勧告が鳴り響く。目的地の神社が近いのだ。
仕事で出向くときは小枝か自分のデバイスに誘導してもらう。だがこの神社はその類の誘導をつけずに行くことに決めていた。数少ないデジタルとの距離のとり方の一つである。機械に頼ってしまうと、まるで自分の聖地を汚されたような気持ちになるのだ。
我ながら偏屈だとは思うが、この類のこだわりは捨てられないものである。
見上げるとかなり急な階段が見えてきた。安全第一に危険なものは排除しようとAIがやっきになっている中でよくその傾斜を維持しているものだと思う。最近手すりがついたのもその社会の風潮を意識してのものだろう。
普段から何かと運動不足な俺には登るのにちょっとした覚悟がいるが、手すりには頼らずに登り始める。小枝の方はといえば有るものは利用していく性質なので躊躇無く手すりをつかんでいた。
何度登ってもやはり息切れするのは相も変わらず階段を登りきると境内が見えてきた。ただでさえ皆が信心深さを失っている中でこの階段がさらに参拝のハードルを上げている。やはり境内は閑散としていた。だが寂しい感じはない。むしろ邪魔されずに済むという喜びさえある。
階段を登りきるとすぐに鳥居があり、そこで衣服を整えると境内内に足を踏みいれた。居住まいを正して鳥居を超えればもはや異空間である、と俺は思っている。参道の端を歩いて手水舎で手水をとって心身を清めると、前へ進んでお賽銭を投げ入れた。後は拝殿に向かって二拝二拍手一拝して一通りの流れは終わりだ。
日々の喧騒から遠ざかり自分が本来のリズムへと戻っていく独特の感覚を味わうと、少しいつもと異なる自分に気づいた。どことなく揺り戻しが少ないように感じる。あの店のお陰だろうか?
拝殿から遠ざかると、ふと人の気配がしてその方向を見た。視線をやった先には予想通りの人物が笑いながら立っていた。
この神社の巫女で塞翁と名乗っている人物だ。本名は未だに分からない。巫女だから当然女性であるにも関わらず、なぜ老人を名乗るのか訊いたこともあるのだが返事は
「塞翁が馬という言葉は知っているかの? 吉凶禍福は予測できないという意味じゃ。巫女が予測できないという名前をつけるなんて痛烈な皮肉だとは思わんか?」
と返された。この通りなかなかの皮肉屋である。
だがその性格とは反対に見た目は非常に幼い。もちろん実際の年齢など分かるはずもなく、ひょっとしたらすさまじく高齢なのかもしれない。たまに垣間見える無邪気さも子供のそれとはどこか違うのだ。何か巫女なりの特殊事情が関わっているのかもしれない。
「相変わらずお主は参拝が丁寧だの。」
彼女が口を開いた。
「そんなもんか? 俺的にはただ自分のリズムを整えているだけなんだが。」
俺的には、適当に参拝してはそれこそわざわざ参拝する意味がない。
「それこそが参拝の形式がある意味じゃよ。神と対話するのにこちらの精神が整理されていないのであればお話にならんからの。」
彼女の口振りは実に慣れたもので普段から染み付いているのがよく察せられた。神職の職業病のようなものか。
「そんなもんかねぇ。」
「そんなもんじゃよ。まあ、お主は言われんでも体得できておるのじゃから、わざわざ言葉にして理解する必要もあるまいが。」
彼女との会話も自分の調子をよく整えてくれる。
そして彼女は切りだしてきた。
「ところで今日は何の用で来た? まだお主は仕事中の時間帯ではないか。小枝まで連れてきて。さぼりに部下まで巻き込むのは感心せんぞ。」
単刀直入に切り出すところも彼女らしいところである。
「大した用じゃないさ。落ち着いて考えられる場所が欲しかっただけだ。ちょっとあっちの方行ってきていいか?」
言いながら拝殿の奥にある本殿の方を指す。
塞翁との縁は長い。おそらくこれで察してくれるだろう。ここに来たのにはもちろん休憩の意図もあるが、それだけではない。相談したい相手がいるのだ。
「ああ、取り計らっておこう。」
どうやらちゃんと察してくれたらしい。意味ありげに目を合わせると今度は小枝に向き直って言う。
「そうじゃ。小枝。上司のさぼりに巻き込まれたのは災難じゃったが、せっかくじゃ。お茶の一杯くらい飲んでいかんか?」
そして強引に小枝の手を引いて俺とは反対の道から本殿の方に向かっていった。
俺も拝殿の横を通って神社の置くに入っていくと本殿ではなく、その隣の小さな堂に入った。ある程度は伝統ある神社らしく、大抵の建物が歴史あるものだが、この建物だけは歴史が浅い。ちょうど魔術が流行り出した頃に出来た建物である。
扉を開けて入っていくと、どうやらちゃんと塞翁は「取り計らって」くれたらしい。中には十二単とまでは言わないまでもなかなかに厚みのある和装をした女性が座っていた。
「我が主にお主の相談にのってくれと頼まれたのだが、儂に相談事とは何事じゃ?」
彼女は塞翁同様、一癖も二癖もありそうな笑いを浮かべている。
だがその人間のような表情にも関わらず、彼女にはどこか神々しさがあった。人間である俺には到底犯しがたいような底知れなさを感じさせられるのだ。
実は、彼女は人間ではなくどちらかといえば神に近い存在なので当然といえば当然なのだが。そんな彼女がこんなところに存在してしまっているのには理由がある。
世間一般で魔術が騒がれ出したころ、当然神職の間でもその影響はあった。特に直系の巫女家系などは特殊な魔術―召喚術―に適性があることが判明している。これは実行するに当たり被召物との縁が必須であり初期のハードルはかなり高い。だがその欠点があっても、この魔術にはそれを引いてなお余りある程の価値があった。一度召喚すれば、人間には直接行使が不可能な魔術すらも行使可能であり、現在戦略級と呼ばれる魔術の大半はこの召喚術を通して間接的に行使されるものである、というのがその価値だ。無論、この意味での価値を重視しているのは召喚技術のある当人たちではなく国家なのだが。
そして目の前に座っている女性も塞翁によって召喚された被召物が化けた姿である。当然のことだが彼女の存在はそうそう広まっていいものではなく、俺のようにその存在を知っている一握りの人間も話そうと思えばお忍びでなければならない。こういう訳で俺も小枝の前でははっきりとは言えなかったのだ。
そして小枝を巻き込んでまで急ぎで相談したのには理由がある。彼女は今回の案件と深い関係のある存在なのである。そう、彼女の正体は九尾の狐なのだ。始めに知ったときにはいかにも塞翁が呼びそうな奴だと思ったものである。
じらすこともないので早速切り出すことにした。
「ああ、実は今、俺が抱えてる案件の中に殺生石に関するものがあるんだ。」
相手の余裕ある態度が一変した。本人からすれば自分が討伐されたときの一品である。気分のよい話であるはずもない。
だが彼女は努めて冷静であろうとしていた。主の影響だろうか。
「今ここに来たということは今日発生した案件か。ふむ、それで何が聞きたい?」
それでこちらも過度に気にすることを控えて会話を続ける。
「まずは、お前は殺生石の存在を今日感じたか?」
だが彼女の返答は思いのほかはっきりしなかった。
「言われてみればここ数週間なんだか落ち着かないという時は何度かあったが、本当に殺生石だと確信を持てるほどかと訊かれれば否であろうな。」
「今日、何か強く感じるときはあったか?」
続けて問うた。こういうのは早めに終えてしまうに限る。
だが、今度も彼女の返事は否であった。
「小枝がかばん持ってただろう? あそこに入っていたんだ。」
だがやはり彼女にピンとした感じはない。
おかしな話である。あれだけ近づいたのに本人が異常を感じない訳がないのだ。
「よほど強力な封印でも施してあるのかも知れんの。少なくとも儂には分からん。」
どうやら押さえてはいても不愉快さは隠し切れぬらしい。言葉の端々に不機嫌な様子が滲み出ている。ほとんど感じないと言っているのだから、これ以上訊いても彼女を不機嫌にさせるだけだろう。会社に持ち帰る前に何がしかの情報が欲しかったのだが、仕方が無い。
協力してもらった感謝もこめて頭を下げる。
「仕事とはいえ、不愉快な話をすまなかった。」
すると彼女も表情を緩めて言った。
「よいよい。不愉快でもなんでも直接儂に関わることじゃからの。どの道関わることになったじゃろう。単に知るのが少しばかり早まっただけじゃ。」
どうやらあまり機嫌を損ねずに済んだようだと安堵している様子の俺を見て、彼女は意地悪っぽく続ける。
「じゃが、何の埋め合わせもなしというのも気に食わんのう。さてさて何をして貰おうか。」
この言葉を聞いて戦慄する俺を楽しそうに見ると続けた。
「そんなに恐れなくてもよいぞ。そうだのう。今日のお主の機嫌の良い理由でも聞くことにしようか。小枝殿と我が主の茶の席もまだかかりそうだからのう。」
「何だ、そんなことでいいのか?」
いつもと違うことをこの一瞬のやり取りだけで察した彼女の洞察力には驚くばかりだがそれ以上にとんでもないものを要求されなかったことに安堵する。
ほっと胸をなでおろす様子の俺を見て彼女は口を尖らせながら言った。
「一体何を要求されると思っていたんじゃ? 儂はそんなに性格悪くないぞ。」
九尾の狐といえば厄介な妖怪どころではなく呪術から変化まであらゆる術が使える妖怪である。それこそ、本気で呪われたりしたら洒落にならない。
性格悪くない、か。悪くないのにどうして玉藻の前化けたりなんてしたのか。などと失礼なことを考える。
「どうせ無礼なことを考えておるのじゃろう? 知っておるわ。まあ良いからとにかく話せ。」
彼女は見透かしたように言うと俺を急かす。彼女の気まぐれはいつものことだが、こうまで意欲的というのは珍しい。そんなに俺は普段と違うだろうか?
俺は彼女の態度を不思議に思いながらも話し始めた。
俺が「旧宝堂」に着いてからここに着くまでのいきさつを話し終えると彼女は心底楽しそうに口を開いた。
「ふむふむ。なかなかに興味深い話じゃの。お主に訊きたいんじゃが、受容的っていうのは結局どういう意味なのじゃ?」
にやにやしながら興味津々といった彼女の態度は無邪気そのもの。こういうところまで主に似たらしい。
だが俺の頭の中にそれらしい解答はとんと浮かばず、彼女の満足するような答えは全く浮かんできそうになかった。
俺が答えられずに黙り込んでしまうと彼女はやれやれと呆れながら再び口を開く。
「集中力があるのはいいんじゃが、考えこみすぎるのはお主の悪い癖じゃな。」
だがこれは俺的にはこれは大事な問題だ。そう簡単に答えられるものでもない。
やはり上手い言葉が出てこずに固まっている俺を見て、彼女は諦めたように切り出す。
「まあ、お主のその癖は言って治るものでもなかったの。では仕方が無い。質問を変えるとしよう。」
てっきり彼女は全部分かっていると思っていた俺は驚いて言った。
「何かヒントをくれるのではないのか? どうせお前のことだ。質問の答えなんて見当がついてるんだろ。」
すると彼女はつまらなさそうに言った。
「もちろん、ついておる。だが儂がこうだと思っていることをお主に言わせたところでおもしろくなかろう。とはいえ、お主の場合放っておくと勝手に思考の迷路に入りこんでしまいそうだからの。ちょっと質問の角度を変えてみようと思ったのじゃ。」
そして彼女は再び宝物を前にした子供のような顔をして続けた。
「ここと例の旧宝堂とやら、共通点はなんじゃと思う? これならそう考え込むこともあるまい。」
確かにこれならそう考え込むこともないだろう。
「そうだな。静かなこととAIが及んでないことか。」
「それだけかの?」
「ぱっとは思いつかないが。」
「それだけなら、お主は単に人もAIいないのが好きというだけの偏屈な奴になってしまうぞ。確かにお主は趣味といい、関わりがある者といい、変なこだわりがあるとは思うが偏屈とはちょっと違うと儂は思っているのだがのう。無論、そんな変り種を快く迎えてくれるという意味ではここもその店も受容力の塊かもしれんがな。」
とんでもないことを言いながら彼女はからからと笑っている。
そして、確かにどこかずれているような気がするのだ。細かくても大事な何かが欠けている、そんな感覚。
再び考え込みそうな俺を見て彼女がまた口を開く。
「ではお主の悪い癖が発動する前にまた視点を変えてみるとしよう。次の質問はそうじゃな・・・お主が例の店で働くことになったとしたら何がしたい?」
次の質問は意図不明であった。顔に疑問符が浮かんだ俺の様子を見て彼女は見て言う。
「じゃから、深く考える必要はないんじゃ。お主はその店が好きなのじゃろう? だったらそこで何がしたいか考えるなどそう難しいことではあるまい。」
言われてできるだけ小枝に言われたように直感で答えようと努力する。
「そうだな、仕入れの手伝いとか店内の掃除とかかな?」
すると彼女はさらにおもしろそうに言った。
「その店をいじりたいとは思わんのか? 一つぐらいは何か入れたかったり交換したかったりするだろう。」
確かにいくら趣味が似ているとは言っても、セレーナと俺では違う人間である。並びの中に欲しいと思ったり、逆に要らないのではないかと思ったりするものはあった。
だが、いざお前の好きなように並び替えていいと言われたらと考えてみると、全く魅力を感じないのである。
「思わないな。」
すると彼女は何か笑いたくて仕方が無いのをこらえているような様子で言った。
「お主にはその店以上に気に入る配置が思いつかないということかの?」
そして俺はさっき思ったとおりに告げる。
「あっちの方が好きなのにと思う箇所はある。だけど何故か、その通りにしたいと全く思えないんだ。」
とうとう彼女は爆笑した。そして一通り笑い終えると笑われて釈然としない顔をしている俺を見て言った。
「どうやらお主は一生物の宝に出会ったようじゃな。儂はもう十分に楽しませてもらった。後は好きに考え込むがよい。この件には考え込む価値があるぞ。この儂が保証しよう。」
そして勝手に満足すると
「では、儂もそろそろお暇するとしようかの。我が主の方も終わったようじゃ。」
などと言って立ち上がる。どうやら消えてしまうつもりらしい。
俺は慌てて彼女を呼び止めて言った。
「なあ。やっぱり何かヒントをくれないか? もう満足してくれたんだろう?」
すると彼女はじりじりと実体化を解きながら言った。
「お主の今の仕事。どういう仕事じゃ。」
訊かれて何を当たり前のことを・・・と思いながら答える。
「魔術道具とか骨董品とかをやり取りすることだろ。」
すると彼女は首を横に振って言った。
「それはレガシーの業務じゃ。お主の仕事は骨董品をどうすることじゃ?」
言われて今日の仕事を思い出しながら告げる。
「骨董品に価値をつけることだ。」
すると満足そうに彼女は言った。
「何じゃ。分かっておるではないか。補償金を決めたり、個人から直接買い取ったりというのは結局そういう仕事じゃ。なら、そんなお主が得たかったもの、それを考えてみればよかろう。」
そう言って彼女は消えてしまった。ヒント自体はくれたものの、どうやら最終的には自分で考えろということらしい。
「俺が得たかったもの、か。一体何なんだろうな。」
だがこの問いに答える者はいない。
手元のデバイスに表示される時刻を見てみるとかなりの時間がたっていた。そろそろ戻らないとさすがに怒られるだろう。特に成果も無かったが、考えることだけは増えた感じで俺は来た道を戻ると再び拝殿の前に出た。すると計ったようなタイミングで小枝と塞翁が出てきた。どうやら小枝も塞翁との茶を満喫できたらしい。
小枝の方も俺の姿を認めて走ってきた。
「結構遅くなっちゃいましたけど、丁度良かったみたいですね。」
すると後ろから塞翁が言う。
「じゃから、大丈夫だと言ったろう。儂と明人の付き合いは長いんじゃ。タイミングなど大体分かる。」
言われて小枝は振り返り、彼女に言う。
「そうですね。本当にぴったりでした。」
そして頭を下げると別れを告げた。塞翁も手を振って小枝に応えると帰ろうとする俺を引き止めて言った。
「そうそう。今日の仕事について小枝から話を聞いたんじゃが、そのセレーナとかいう店主、儂や奴と同じような匂いがするぞ。ちょっとした謎掛けくらいはしてあると思っておけ。」
奴とは? と小枝が不思議そうな顔をしたが、当然俺には分かっている。さっきまで話していたのだ。
そして俺も別れの挨拶を済ませると例の階段を下り始めた。




