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VR

作者: 羽角企畫

 闇を切り裂く大きく派手な音とともに彼女は木っ端微塵になった。

幸い開けた場所で、特に誰かに見つかることもなく事を成しえることができた。

しかしじきに捕まるだろう、今世紀初の犯罪者として。

それでも彼は満足げに微笑んでいた。

ゆれる炎に照らされて、彼の微笑みも柔らかだった。


「これでいいのか」

夜に眠る前にぼやくのが習慣となってしまった。マウスウォッシュ装置を口に含み奥歯で噛むと「ヴーン」と低い音を立て、口腔洗浄を終えた機械は「ピピッ」という終了の合図を鳴らした。彼は装置をしまいポッドに横になった。

1960年代にVRが開発されて以来、技術革新が目覚しい2016年当時、仮想現実をゲームに組み込み、さまざまなものが世に送り出され、「VR元年」と呼ばれた。

2016年代当時はAIの開発も進んでおり、家電製品、主に携帯電話や照明器具、エアコンなど、簡単な指示のできる機器にAIを搭載し、人類の生活を便利に、また豊かにしていった。

 当時を振り返ると成長過渡期にあり、今後の未来は明るいものでしかなかった。

確かに現代はさらに便利になり、AIだけではなく、マイクロチップや虹彩認証、あらゆる技術をもってしてミニマリズムが推進され、人々は物を持たなくなり、貨幣すらも仮想通貨が一般的となった。

 そんな中最も発展した機能が「VR」だ。人々が暮らし、働き、恋をする場所はもはや現実世界ではない。仮想空間の中ですべてをすごすものが大半であった。仮想空間が現実で、現実は仮想空間の中にあった。法も整備されほとんどの企業や物、場所も人も仮想空間に拠点を移した。家族ですらも会う必要がない世の中で、彼だけは人との交流を求め、職場も寝食も現実世界で行っていた。

 だがそれが逆に彼を孤独にした。現実世界で彼の相手をするものはなく、すべての処理はAIで住んでしまう世の中に、わざわざ現実世界で生活を主にする物好きはそうそういなかった。

人々は面倒を避けたのだ。それはある意味で正解だった。個人間の争いがなくなり、ついには世界的な紛争も絶えた、ユートピアとも言える世界になったのだ。

「咳をしても一人」

彼は仕事をしながら今日も一人ごちる。その言葉はこの世界の華美な仮想世界とは間逆の現実という奈落に吸い込まれ、誰に聞かれることもなく消えた。

そんな彼も適齢期を迎え結婚を考えていた。だが相手がいるはずもなく、やむなく仮想空間にダイブした。婚活というやつだ。

そこで知り合えた女性はとても好ましく、外見や仕草、言葉遣いから性格からすべてにおいて彼のタイプだった。しかも彼女から積極的に話しかけられ、恋愛下手な彼は当然一目ぼれをしてしまった。だが彼はふと思う、

「彼女もまた、この仮想世界の産物か」

実態としての彼女はいったいどこに住み、どんな人なのだろう。この仮想世界では好きな髪形、洋服、容姿一切を自由に設定できる。以前は本来持つ容姿を反映していたが、仮想世界でのみ生きることが可能となった現代ではもともとの容姿など意味がなくなっていた。いわゆる美人や容姿端麗といった言葉が形骸化してきたのもここ数年の話だ。おそらく未来の辞書には載っていても口に出す人はいなくなるだろう。美人は褒め言葉ですらない。また、話し言葉や仕草といったものも本来思っている感情や、はいている言葉が勝手に変換されている。だからこその「ユートピア」でもあるのだ。

「これでいいのか」

彼は嘆くが圧倒的大多数の支持を得ているこの世界をひっくり返すことなど今更無理だろう。

「昔の人はどんな恋愛をしていたのんだろう」

AIを起動し、古典や純愛小説を読んでみるが想像や妄想のみで要領を得ない。過去に幾度となく繰り返してきたことだ。

「あまり乗り気はしないんだがな・・・」

この世界の娯楽はほとんどがAIのよる創作物だ。人が作るよりも早く、正確で、面白い。それでもたまに人が発信しているものもある。小説、舞台、映画、漫画やアニメに落語、そして漫談といったもの。今では人が考え人が行うものはほとんどない。師事するべき人もおらず、伝統的な歌舞伎だとかオペラだとかそういったものも一切ない。ただ、データとして無料開放されてはいるが、AIの作る娯楽に慣れてしまっている現代人たちにはおおよそ見向きもされない。

 個人の趣味といった形で発信し続けている者たちがいる。たださすがというべきか、そのコミュニティの属している者たちいわゆる「変人」と見做されるものばかりで、彼もいくつかの作品を鑑賞したもののほとんどが意味不明だった。作品の意図をつかもうと質問するもよくわからず、挙句の果てには、

「あなたにはまだ早いのね、10年後に出直してきなさい」

と一蹴された。それでもほかに相談できそうな人もいないので致し方なく通信をオンラインにした。

「そういえばなんでこのアプリの形はこれなんだ」

「あら、受話器のことを言っているのかしら」

突然の声に驚き、言葉に詰まっていると

「お久しぶりじゃない、あたしの声を聴きたかったのかしら?可愛いとこあるじゃない。今からくる?可愛がってあげるわよ」

 早口でまくしたてられ、普段から人との会話に慣れていなかった彼はなんと返せばよいかどもってしまった。

「何よ、とって食おうってんじゃないんだから。失礼しちゃうわねえ」

といきなりドスの利いた声にまたもやひるんで頭が真っ白になってしまった。

「で、どうしたのよ?珍しいわね。なんかあったから連絡くれたんじゃないの?」

このアキラと名乗る女性の格好をした男性は、こうして人の悩み相談なんてものを自ら引き受けたり、何かの作品を生み出したいと奮闘している変わり者たちの活動の場を提供する一風変わった人間でもある。

 この現代において悩み相談なんてもの自体がまれであるが、それでも人間らしさ、というべきか、全くないわけでもない。ただそのほとんどはAIが解消してくれるものだが、やはりきちんと人と話したい、というものもいるわけで、アキラの無料相談室なんてものがいまだにあるのがその証拠だ。そして自分もそのうちの一人となってしまった。

「で、なんなのよ。早く言いなさいよ。次の人も待ってるんだからただのいたずらなら切るわよ?」

「いや、待ってくれ!」

慌てた彼は誤操作によるヴァーチャル空間を展開してしまった。ボイスチャットのみで満足できないものはこうしたVRを用いた対面相談も可能となっている。が、しかし突如として現れた自分の3倍はあろう図体の凄味に気おされ思わず悲鳴が漏れた。

「会っていきなり悲鳴だなんてずいぶんじゃないの」

ひどく狼狽した彼はこの場を取り繕うためこう言った。

「さすがほかの人とは違いますね。あなたのような人を飾らない美人と呼ぶのかもしれませんね」

「あんた何しにきたのよ」

何も言い出せないまま数分が過ぎた頃、彼はぽつりとつぶやいた。

「もしかしたら彼女もこうかもしれない」

「何よあんた、恋愛で悩んでんの?」

「どうしてそれを」

「あたしすごいでしょう」

「すごいです」

「あんた馬鹿じゃないの。あんたの口から“彼女”って単語が聞こえたからよ。何があったのか詳しく聞かせなさい」

 促されるままに事の経緯を説明した

「彼女に会いたいが会ってくれるかわからない。そもそも会ったとして理想が崩れるのが怖いんです。僕はどうしたら・・・」

 しばしの沈黙の後、アキラはこう言った。

「目を見て話しなさい。」

 その声に彼は思わず顔を上げ、アキラの目を見た。

「そう、真剣な話のときはね、人の目を見て話すのよ」

「あの・・・アキラさんは恋愛したことって・・・」

「あるわよ」

「えーと、それは・・・」

「どっちもよ」

「えーと、それは・・・」

「学生の頃にね」

「えーと、それは・・・」

「若いときは好奇心旺盛じゃない?で、いろいろあって嫌になって、みーんな仮想空間にいっちゃうのよ」

「あの、さっきから僕何もしゃべってないんですが」

「大体あってるでしょ」

「ええ、大体は」

「じゃあいいじゃない。人と人とのコミュニケーションなんてこんなもんでいいのよ。何もあんたみたいにガッチガチに構える必要なんてないの。わかる?」

「はあ」

「命とられることもないし、会いたいなら会いたいって言ってみなさいよ。ビビッてちゃ何も始まらないわ。いい?大事なことは、きちんと相手の目を見て話すのよ。進展あったらまた話しにきなさい。次のお客さん待たせてるからじゃあね」

 一方的に切られた会話とともに無音の世界に引き戻された彼は、しばらく画面の前で呆けていた。するとAIの無機質な声が響いた。

「メッセージが届いております」

開封するとアキラからだった。内容は今度上映する映画の宣伝だった。「気になる彼女を誘ってみたら」というピンクのきらきらした文字に引き寄せられウェブ上に飛ぶと、男女が抱き合っているシーンとタイトルが表示された。そのすぐそばで、頼んでもないのに適齢期を迎えた彼向けの広告はこう謳っていた。

“愛せよ。人生においてよいものはそれのみである。”


 アキラが扱う作品も政府の検閲を受けて、仮想空間のみで上映が許されていた。アキラはそのことについて、

「まあ、上映できるだけでも良しとするわ。そもそも20世紀だったらねえ・・・」

と熱くなっていたが、上映してくれるだけありがたい、その言葉だけは身に染みた。アキラに言われた通り映画に誘ったところ、実はアキラ作品の大ファンだと言う。映画の内容はよくある恋愛映画だったが、彼女は満足してくれていたようだ。

ただ、僕が一番心ひかれたセリフは主人公のお父さんが言っていたセリフだ。

“人が変わるんだ。世界も変わるさ。”

時に人はひょんなことから刺激を受けて、思いもよらぬ行動を起こすことがある。だから娯楽作品もAIが作るようになったのかもしれない。映画の感想を笑顔で話す彼女を見るうちに口が滑ってしまった。

「あの・・・僕と会ってくれませんか」

微笑みながら彼女は答えた

「え?今こうして会っているじゃありませんか」

 二の句を継げない彼を察したのか

「現実で、ですか」

真っ直ぐに見つめる彼女の瞳は大きく、吸い込まれそうだった。映画のワンシーンで男女が共に見つめ合う理由が今、わかった気がする。

「はい。現実で、です」

精一杯振り絞った声は震えていた。我ながら情けなかったが、断られてもいいと思えた。こんなに真剣な彼女と、そして自分自身に向き合えたのだから。

「わかりました。今日はもう遅いので、今度のお休みでもよろしいですか」


 週末。いつもは味気ない世界が彩られている気がした。彼女に会える。それだけで彼の心は躍った。待ち合わせ時間に早く着きすぎてしまった彼は、誰かを待つということが、こんなにも楽しいことなのかと驚いた。なんでも予定通りに進む仮想空間とは違い、自分の意志で誰かを待てる喜びを噛みしめていた。

「お待たせ」

ふいに声がして、振り返った。そこにいたのは三つ目の女性だった。


 VR開発が進んでゆく中、世界情勢は不安定だった。度重なる災害と紛争。世界は疲弊していた。世界の均衡が崩れそうなギリギリの状態で先におかしくなったのは人類だった。気候変動と放射能汚染、そのほかの様々な要因により、複眼や多肢症、半身不随などの身体的な障碍をもって生まれてくるものが急激に増えた。ショッキングな事実だが、親の子殺しや、自分と違う見た目というだけでのいわれない差別、衝突、隔離。世界は二分しかけていた。

そんな中二枚舌の大統領がVR法案を提唱、世界規模でこの危機を乗り越えようと躍起になった。視神経に異常はないため、ARやVRを用いたバリアフリー化が推進された。不要な接触を避けるため人々は仮想空間に居場所を求めた。その中では皆が一様に同じような姿かたちだった。それはそれで気色悪いと思う人もいるかもしれないが、荒れかけた世界を思えば致し方ないことかもしれない。それに過去の人間だってマリリン・モンローにオードリー・ヘプバーンを真似したじゃないか。おかげで一度は全盛期の半分まで落ち込んだ人口も今は安定している。

「実は私たちずっと前に出会ってるのよ」

 彼女は以前アキラ作品を観に行ったとき僕を見かけたそうだ。彼女からしてもその作品は難解でパンフレットを買っているとき、監督に詰め寄る僕を見て興味がわいたらしい。しかし僕はその後仮想空間に現れることはなく、会えることをあきらめていたらしい。そんな折、突然僕が仮想空間に現れたのでつい話しかけてしまった、ということらしい。

「私も会いたかった。少なくともアキラさんの作品に興味がある人ならもしかして、と思って。でもまさかあなたから言ってくれるなんて思わなくて・・・。会いたいって言ってくれたとき、本当はすぐにでも会いたかった。でも私たちは仮想空間に慣れすぎているでしょう?いつも考えていたの。こんな見た目の私じゃって・・・」

「関係ないよ」

僕は彼女の大きな三つの瞳を真っ直ぐに見つめて言った。

「関係ない」

僕は強く抱きしめながら言った。


「準備はいいかい」

「ええ、大丈夫よ」

仮想空間内のとある空地。彼女のアバターを壊すため、またダイブした。現実空間で会っている僕らに仮想空間は不要だった。それでも考えたことがある。もしかしたらこの空間に、環境に、現代の常識に依存しすぎてしまっている人がいるんじゃないか。余計なお世話かもしれないが、抜け出したいと思っている人が他にもいるんじゃないか。一歩を踏み出したくても踏み出せない人がいるんじゃないかって。彼女に相談したら、彼女はいつもの真っ直ぐな瞳でこう言った。

「初めて一緒に観に行った映画覚えてる?一番好きなセリフがあるんだけど、当時は変な子って思われたくなくて言えなかったの。」

“人が変わるんだ。世界も変わるさ。”


世界はずっと変化していく。それは自分の思うようにはいかないことも多い。理不尽や不条理に見舞われることもたくさんあるかもしれない。でも自分から変わることで変えられることがあるかもしれない。僕が彼女と出会えたように。お互いに孤独に向き合えていたからこそ、同じ場所を見つめることができるんだと思う。共に歩むことができるはずなんだ。逃げずに向き合えばこそ。


 その日仮想空間で初の犯罪者が出たと大きなニュースになった。たとえアバターといえども、殺人にあたるのではないか。いや、これはあくまで所有物であり器物損壊だ、とか。どうでもいいことで大騒ぎだった。そしてニュースが流れて間もなくアバターを破壊するという事件が相次いだ。

「あなたには黙秘権があります。供述は法廷であなたに不利な証拠として用いられることがあります。」


あくまで他の人たちがアバターを破壊しているのは自身の意志であって、僕のせいではない。だからすべての責任を僕のせいにするのはやめてほしい、と訴えても、AIの取り調べでは埒が明かない。確かに多少の狙いはあった。でも、火種は僕でも広げたのは僕じゃないよ。マスコミでもない。それぞれの意志なんだ。

「弁護士を雇うこともできますが、もし自費で雇うことが難しいのであれば、公費で国選弁護士を雇うこともできます」


 さて、これからが大変だ。え?僕を心配してくれているのかい?それはどうもありがとう。でも僕が大変なんじゃない。世界が大変なんだ。つまりはみんなさ。この世はいつも選択を迫る。でも選択肢の中に必ず答えがあるとは限らないと思う。選択肢以外に道はないか、選び取った道は確かなのか、これが正解なのだろうか。それは誰にもわからない。だからこそちゃんと自分に問いかけるんだ。そして強く言い聞かせるんだ。

「防犯カメラにあなたの犯行が写っていました。これは大きな証拠となります。あなたは自身の犯行を認めますか」


 彼は相も変わらずひとりごちる。

「これでいいんだ」

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