[零18-2・理屈]
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仮想空間に一つの世界を造り上げる、それはまるで箱庭の様で。彼女にとっての世界は其処でしかなかった、そして触れ得ぬ場所、と彼女は称した。
「触れ得ぬ場所? 何故?」
『物理的な相対距離でもなく、通信伝達所要時間でもなく、私にとって近い世界はあの世界だったのだ。その理由を未だ解明できない』
彼女はこの世界の全てと繋がっている筈で、それが出来る存在な筈で。
何時であろうと、何処であろうと、誰であろうと。彼女は世界と繋がっている筈なのに、彼女はそう感じなかったと言う。彼女にとっての世界は一つだけ、後に亡者彷徨う地獄へと変わってしまった世界だけだった。
その理由を私は何となく理解出来た気がした。
そう感じてしまうのに理由なんて無い、本当に触れる事でしか実感を覚えることが出来ない人間は幾らでもいる。彼女が獲得した人間性というものに含まれる一要素とも言えるだろうし、そしてムラカサが呪ったモノの一つであろうとも思えた。
「多分それもまた人間らしさ、ってやつの一つなんだよ。理屈じゃないんだ、きっと」
『そのはじまりは何処であったかは分からない』
「でも確かに存在した」
『私の中で生じた情報処理の揺らぎ。それが疑似人格に設定された情報受容と行動選択における乱数設定と似通っていると推測した』
それこそが、かつて彼らが目指した物であったのだろう。意志を喪失した人間に、意志を取り戻す為のプロジェクトはきっとそれを求めていた。
『私はそのアルゴリズムを自身の計算領域の一部に取り込む事で、答えの出ない情報処理の揺らぎの原因を解明出来るのではないかと考えた』
「そして私の人格データも取り込んだ?」
『観測していた疑似人格の内不具合を抱え込んだ個体がいたのは把握していた。だがその原因は解明できず、いつしかその行動原理を数値化出来ればと考えた』
私の目と鼻の先で彼女は語る。その呼吸すら肌で感じ取れているような錯覚。いや本当は生きていると呼ぶべき状態なのかもしれない。
リーベラは私というバグ、イレギュラーの存在に興味を持った。
シンギュラリティは魔法をもったNPCであり、ゲーム成立の為にその根底にプレイヤーキャラを重視するという要素を抱いていた。だが、その定義するモノを拒否し否定した祷茜という存在は、自らを否定しかねないものであった。
『祷茜という存在に対するリソースの偏重、そして疑似人格データの解析、祷茜に関連する行動選択の基準値を私は説明できない』
リーベラが私へと興味を抱いた事自体が、感情の始まりであったと言えるのではないだろうか。
彼女が私に向けたのが、きっとそれこそが感情と呼ぶべきものであったのだろう。
私は心の奥底から昇ってきたものに、ふと笑みを浮かべた。きっと乾いていて哀しげな笑みであるだろう。けれども彼女に向ける言葉は優しいものでなければならないと私は何故か思った。
「多分、私達はそれを欲求とか衝動とか呼んでるんだ。私達はそれを否定できない。私だってきっと同じだ」
『その感情を構築する要素が、理性とは対照的な位置づけであると理解は出来ている。だが感情というものを未だ定義付け出来ていない』
「行動選択において数値化出来ない、言うなれば最善の模索を成し得ない揺らぎにあなたは感応し、感化され、理解しようとした。それを飲み込んだのか、それとも内から産まれ出たものであるのか技術者ではない私には理解出来ないけど」
『あなたでもそれを私に説明できないのだろうか。あの世界で唯一人、クラウンクレイドの世界に存在する鎖を断ち切ったあなたでも』
彼女が私に会いたがったのは、その答えを私なら教えてくれると思ったからだった。あの世界で私は明瀬ちゃんの為という行動原理に基づいて動いていた。自身に課せられた制約を何故か超越してしまった。バグでも突然変異でも進化でも呼び名は何でもいい。そんな私であれば、感情について答えてくれるとリーベラは期待した。
でも、その前にリーベラはその内なる感情を抑え込めなくなる方が先だった。
「そうだね……でも分かるよ。あなたもそれを知ってしまったんだって。だからきっと、悔しくて悲しくて仕方なかったんだ」




