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クラウンクレイド  作者: 茶竹抹茶竹
【零和 四章・空転する暫定神話について】
134/220

[零4-7・異物]

0Σ4-7


 確かにそうかもしれない。

 ゾンビに会う事無く、ここで生活していける。

 電気は使えるし、温かいシャワーだって出る。

 清潔な居住スペースで、何の不足もない食事も出来る。

 久しぶりに食べたマトモな食事だった。

 そう言えば、私はいつぶりに食事をしたことになるのだろうか。

 胃の中は空だった気分であるが、記憶の齟齬と実際の時間の齟齬の間に身体はどうなっていたのだろうか。

「それでも、故障だって、不備不良だって起こ得る」

「それをハウンドが対処しています」

 インフラの整備を行う為には、下層の世界に降りる必要がある。

 だから武装した人間がそれを担当する。

 理屈は分かる。

 けれども、問題は。

 私の目の前でそれを語る彼女の存在だった。

「……レベッカって何歳?」

「あたしですか? 16です」

「じゃあ私の一つ下だ」

 そう。

 私よりも年下だ。

 いや、おそらく。

 今この場で食事をしている全ての人達よりも年下で。

 喧騒の中で、温かな食事の前で、空の聖域の元で、彼女は私にこの世界の仕組みを語る。

 確かにそれは、完璧な社会に見える、平和で満ち足りた生活に見える。

 それでも、そこには彼女という歪みがある。

「どうしてレベッカみたいな子がハウンドにいるの」

 私は彼女の事を何も知らない。

 それでも、きっと目の前の彼女よりも屈強でタフな人間は幾らでもいる。

 彼女に、私の様な特異な優位性があるとも思えない。

 この世界に魔法が存在しているのならば、だが。

 レベッカが私の前に透明な包装材で包まれた一口大のチョコを置いた。

「……ハウンドは完全な志願制です。見返りもありません」

「何も?」

「万人に平等に提供される完璧なインフラは貧富の差を生みません。そこにあるチョコレート。他の物よりも高品質で数が少ない、それくらいがハウンドの見返りの一つです」

 ほんの少しだけ、他人より良い生活が出来る。

 シャワーの利用可能時間も制限されていないし、食品も希少性の高いものは優先的に回される。

 だが、私にとっては些細に思えるそれが、たった今まで命を懸けてきた見返りだと言う。

 水も食糧も電気も、インフラの全てが平等に提供される場所。

 生活の全てが完結した場所。

 故に此処にはきっと何の差も存在しない。

 空の上で行き止まりに突き当たった場所。

「そんなの」

「無責任でも無自覚でも生きていける、それが成熟した社会だってウンジョウさんはよく言います」

 聞いたことのある言葉であった。私は曖昧に頷く。

「いつの間にかそんな人間になってしまうのが嫌だったんです。パンデミックが起きた日みんな死にました、家族も友達もみんな、そう。その事を、その怒りを、忘れて生きていくなんて嫌だから。でも……目の前で……人が死ぬなんて……怖くてたまらないんです」

 それはいつの間に、涙の混じった声で。

 その言葉はいつの間にか、彼女の記憶を呼び覚ましてしまったようで。

 目の前にいるのは私と同じ年くらいの一人の少女でしかなかった。

 ショットガンを抱えてゾンビを蹴散らす勇猛果敢な戦士ではなかった。

 それは多分。

 私達に欠けていたもので。

「あなたは一体なんなんですか。突然訳の分からない時代に飛ばされてるんですよね!? それなのに目の前で人は死んで、ゾンビなんてもので一杯で。そんな中でなんであなたは平気な顔をしてるんですか」

「それは」

「ずっと平然とした顔をしてるんですよ! そんなのおかしいじゃないですか!」

「ゾンビと対峙したのは初めてじゃない……」

「それは私だって同じです! でも、目の前でカイセさんが死んだ時、頭の中が真っ白になって」

「……私が動かなきゃみんな死ぬと思ったから」

「それは……強い人の言葉です。きっと」

 その会話をしている時に思い浮かんだ光景はいつかの時の学校の景色で。

 初めて目の前で人が死んだ時。

 いや、友達が死んだ時。

 私の中で何か別の生き物がいて、それが命令を出したみたいに、やるべきことが鮮明に見えた。

 私は彼女みたいに動揺し、泣いた事があっただろうか。

 私の芯は、いつだって、どこか冷え切っていた気がする。

 そして同じ様な事を別の人にも言われたのを思い出す。

 あの時の加賀野さんは同じ様な事を思っていたのだろうか。

 おかしいのは私か彼女かそれとも世界か、私には分からない。

 彼女の方が、本当は当たり前の側にいるのだろうか。

 レベッカが少し沈黙を経た後に俯いたまま言う。

「取り乱してごめんなさい。部屋に戻ります。また朝に迎えに来ますね」

 レベッカに置き去りにされた私は部屋に戻ってベッドに潜り込んだ。

 清潔で良い香りがするシーツだった。

 ライトのスイッチが分からなかったが、ベッドの中で暫く動かないでいると勝手に消える。

 身体は疲労で満ちていたが、それでもあまりに多くの事実が、レベッカの言葉が、私の中で反響してしまって。

 暗闇の中、冴えてしまった目で虚空を見つめ続けていた。

 レベッカはパンデミックの記憶に対し憎悪を未だ燃やし続けている、自らを死の淵に置くことで。

 でも、他の人々はそれを忘れようとしている。

 望まざるか、そうでないかは分からないけれど、恵まれた生活がそうさせている。

 無自覚で無責任でも生きていける、それが確かに社会なのかもしれない。

 命をかけなくたって生きていける、そんなシステムを人は目指して、それを私達は社会と呼んだのだから。

 その先にあるものが、目指した世界が、此処にある筈なのに。

 何故こんなにも違和感を覚えるのだろう。

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