エレベーター パート1 古泉知恵の場合
とある田舎に建てられている大型ショッピングモール。
関東圏ではあるが都心からだいぶ離れたこの場所に住む人たちは、食料品の買い物もランチも、そして、映画まで見れるこの場所に好んで集まる。
平日でさえ、駐車場が満車になるのだから休日など臨時の駐車場がいくつあっても足りないぐらいの賑わいを見せている。
若者から年配者までが楽しめる専門店の並ぶショッピングモール。
このショッピングモールの中のカフェで働いている、私、古泉知恵はお店の両替の隙をついてトイレに来て、ふぅーとため息をついた。
三連休の中日の今日の人の混みよう、予想はしてたものの、休む暇何て全く無い。
その中を抜けてのトイレ休憩は非常に貴重なものだった。
カフェは定食屋などと違い、お昼時だから混むと言うような時間帯は一切存在しない。
休日はいつでも混んでいて、人の列が切れることは無かった。
そんな中でのトイレ休憩……。
今日も疲れるな……。
「あ」
トイレから出てすぐに一人の男性とすれ違う。
「お疲れ様」
私は極めて穏やかな笑顔で彼に挨拶したものの、彼の方は気まずい表情のままトイレに入って行った。
不覚にも彼の左手の薬指に着けているシルバーの指輪が目に入ってしまった。
彼との関係はつい数年前に終わったはずなのに。
私から終わりにしたはずなのに。
『もし別れるような事があったら笑顔で別れられる、そんな関係でいよう』
そう言ったのは私だったのに。
ぐっと唇を噛み締めて、従業員専用のエレベーター前に立つ。
私が働いているところは三階にあり、両替機は一階。
いつも通り上の矢印を押しエレベーターが来るのを待っていた。
ここのエレベーターは2台あるのに、節電のためなのか一台しか動いてない。
向かって右側の赤色のエレベーターが通常運転されているエレベーター。
左側のがいつも動かない青色のエレベーター。
どこのショッピングモールもそうなのかもしれないが、華やかな店内と違い裏の扉を開けた瞬間、ひっそりと静まり返った薄暗い通路が広がっている。
数メートル感覚に蛍光灯がつけられているものの、やはり節電のためにほとんどの電気がつけられていない。
当然の事ながら、エレベーター前にも電気など無くいつも暗がりの中で開くのを待つ状態である。
だからだろうか?
待ってる時間なんて僅かのはずなのに、結構な時間待っている気がする。
それにしても……、今日はやけに待たされる気がする。
先程の彼の事もあり、イライラしながらエレベーターのボタンを連打した。
何なのあいつ……、言葉ぐらい交わしてくれたって、もう大人なんだから。
それでも、出会った頃はまだ幼さの残る顔をしていた。
彼と出会ったのは、高校に入学してすぐのことだった。
彼の名前、小泉繁、そして、私の古泉。
当然の事ながら、出席番号は前後どうしだった。
付属高校へ編入してきた場の雰囲気に馴染めなかった私たちが仲良くなるまで時間はかからなかった。
他人から友達、友達から親友、親友から恋人とトントン拍子に進んでいった。
別れの理由は……、ありがちな彼の浮気が原因だった。
一度は別れた私たちだったが、このショッピングモールが建ち、派遣社員としてここに勤め始め、彼に出会った。
彼はアパレルショップ『アーズ』の店長をしていた。
『ねぇねぇ、小泉店長って仕事もできるし家庭でもいい旦那でいい父親なんですって!』
『奥さまも小泉店長にぴったりな美人な奥さまなんですって!』
噂好きな女の子たちの会話が耳に入ってきた。
根も葉もない噂が飛び交うのもたくさんの従業員が存在するショッピングモールの特徴なのかもしれない。
他の人の噂話ならとにかく、彼の話を聞く度に私は自問自答する毎日を送るようになっていた。
もしあの時、高校時代彼の浮気を許してたら?
彼と別れていなかったら?
何かが変わっていたのかな?
『お待たせしました』
エレベーターが到着して、コンピューターボイスが聞こえた。
入ろうとして不思議なことに気付く。
あれ?
何でこっちが開いてるの?
青いエレベーターの扉が開いていたのだ。
まぁ、いっか。
深く考えずにそのエレベーターに乗ると、通常通りの注意書きが書いてあった。……ん?書いてあった?
異変に気付く。
そちらがわのエレベーターは、
『荷台をお持ちで無い方。
体調の優れない方。
以外は階段をご利用ください 』
と書いてあるのだが、そのエレベーターは。
『人生に未練のある方。
以外は今のままの人生を歩んでくだ さい
ただし…… 』
と書いてあった。
は?何これ?
意味分かんない。誰かのいたずらかな。と思い中に乗った。
中に入った途端、勢いよく扉が閉まった。
あれ?
これまた不可思議な事に気付く。
ボタンが無い……。
フロアを選ぶボタンも、扉を開閉するボタンも無い。
え……?
と思った瞬間、急降下で落ちていった。
え、え、え?
ちょ、ちょ……。
考える間も無く、扉が開いた。
腰が引いてしまった……。
何だったんだろう?
一刻も早く降りたいと言う気持ちが勝り、震える足に力を込めて降りる。
あれ?ここどこだろう?
「知恵」
誰かに名前を呼ばれて振り返る。
え?え?えー?
そこにいたのは、学生服を着た繁の姿。
エレベーターが消えてる……。
背後で扉が閉まる音、確かに聞こえたのに!
どーーーう言うこと?
「お前の勘違いだって!オレが好きなのはお前だって!」
ここは……、繁の浮気が発覚したあの日だ。
え?私?どうしてここに?
「なぁ、怒るなよ!」
若かりし、繁が肩を強引に私の方に引き寄せる。
「あ、あのさ……、何かごめん」
繁と目があった私は慌ててしまい、頭を下げてしまった。
「え、いや、悪いのはオレの方なんだけど」
「あ……」
場面が場所なのに、二人して大爆笑。
あのエレベーター……。
きっと、神様が時間を戻してくれたのね……。
もう一度やり直そう。
私たちはうまくいく運命だったよ!
私は彼の手を握り、
「今回は許すけど、もう二度と浮気なんてしないでね」
彼の笑顔を信じた。
大型ショッピングモールの従業員通路では、今日もたくさんの噂話が広がっていた。
『そう言えば、『アーズ』の小泉店長ー、また浮気がバレて大変らしいよぉ』
『知ってる知ってる、今回は他の女妊娠させたらしいじゃん』
動かないはずのエレベーターの扉が音もなく開き、注意書きの端が風に揺れている。
『人生に未練のある方。
以外は今のままの人生を歩んでくだ さい。
ただし……、
このエレベーターを利用しても今の ままの人生とさほど変わり はありません』