守護の心得
息子が『人攫い』にあってから。人の世で数年は経ったある日。
大神のコウは、すっかり守護範囲となった縁ある人間の庭先で、息子と、息子が強い関心を抱いている小娘の姿を見つけた。
問題だったのは、小娘が目を丸くして赤い顔になったのと、息子がさらに迫ろうとしている事だった。
「あいつめ」
母親、兼、監視役であるコウは唸り、小娘に二度目の接吻を試みる息子の頭部にげんこつを落とした。様々な事態に対応できるよう、こちらには基本的に人の姿でいるようにしている。
それもこれも、息子の愚行に目を光らせるためである。
コウの出現に、息子は慌てたようにコウをふり仰ぎ、小娘は涙目になって助けを求める様子で見上げてきた。息子が嫌というより、驚きと恥ずかしさから来るものと見た。
コウは息子の衣装の襟首を左手でつかみ上げ、小娘から引きはがしてから、小娘に詫びた。
「すまんな。これには、よくよく言い聞かせておくのでな」
コウは宙から花びらを取り出し、小娘に渡した。
「これを食むが良い。無かったことになるゆえに」
戸惑いながらも受け取った小娘と対照的に、息子の方が抵抗を示してジタバタ暴れたが、言葉はすでに封じてある。煩くてかなわんのだ。
「全くお前というものは嘆かわしい。そんな心根では守り神の任も解かれるぞ」
心から呆れて教えてやれば、驚いて目を丸くし、息子は動きを止めた。
「すまんな、ハナ。あの男には秘密にしておいてくれまいか。でないと、会う事も禁じられる恐れがあるゆえ」
あの男とは、この小娘の叔父、兼、保護者の事である。
コウの言葉に、小娘がコクリと頷いたので、ついでに持たせた花びらを咥えさせてやってから、コウは左手で宙釣りにした愚かな息子を荷物のようにひきずって己たちの場所に戻った。
***
もう心底何度目であろうか。説教の時間だ。
例の騒ぎの日から気づいてはいたが、息子は小娘に恋をしておるわけだ。
「全くお前は。ハナは人間だ。お前が焦がれるのは勝手だが、ハナは人として生きるために生まれて来ておる。邪魔をするでない」
このままでは気づかぬうちに押し倒していそうで恐ろしい。
オオカミの姿に戻って唸りながら、オオカミの姿の息子を叱る。息子は大層不満らしく、ぐるる、と唸っておる。
「良いか。そのままではお前は任を解かれるぞ」
とはいえ、解かれる方が危険だとコウは察している。
他者とは異なる縁が消え、遠ざけられてしまえば、息子は間違いなくねじれてしまう。小さい存在なら捨て置く事もできるが、息子は力の大きい存在になる。正道から転落して貰いたくもないし、落ちたなら始末する必要さえある。
「ハナが人として、人の世で多くに出会い、多くを生み出し、多くを愛し愛される。それを見届け危険から守ってやるのがお前の仕事である」
息子が鼻先に皺をよせて唸っている。
コウは嘆息した。
やれやれ。幼齢で先に相手を見つけてしまうと面倒くさいことだ。指導の大変さよ。
コウは太いシッポをパタリと振り、力をぬいて地に伏せるように寝そべった。
「まぁ、お前が生まれてすぐに嫁を見つけたのは褒めてやろうぞ」
ピク、と息子が下げていた鼻先が上がる。キョトンと見つめる様は、まだまだ幼いというのになぁ。
「よぅよぅ聞けよ。クガ。何度も教えておるが、ハナは人よ。お前はオオカミよ。だがお前の嫁もハナよ。だがハナは今は、人として生きるために生まれておる。意味が分かるか?」
息子はキョトリ、と小首を傾げた。最近、オオカミの姿でもこの仕草を取るようになった。
「嫁にできるかはお前の熱意と誠意次第よ。ハナが人であるうちは、人であるためにお前の力を使い守ってやるが良い。それが守り神の務めよの。そうやってハナは成長する。さて、クガ、お前は、どこかでハナにうまい具合に聞いてみろ。人の務めを終えた後、自分の嫁になってもらえないか、とな」
「嫁にと、言って良いのですか」
息子が声を出した。
まだまだ可愛い幼い声である。
「押し付けて、ハナの意志を捻じ曲げたなら相応しくなく、失格であろう。ハナが素直に応じてくれれば、人としての生のあと、こちらに生まれてくれるだろう。お前との約束を叶えるためにな」
ブンブンブンブン、と息子のシッポが激しく振れ出した。嬉しいらしい。
「母上。母上」
「落ち着けよ。注意事項を申しておこう。心して聞け」
「はい、母上!」
意気揚々と声も弾んでいる。
そうかそうか。
コウはためいきを吐きつつ、頷いた。
「一度、返事を貰えたとて気を抜くなよ。終わりまで誠実にハナを守り、ハナの気持ちが変わらなければ叶えられる。時期を置き、折あらば尋ねてみると良い。ただし、心が変わっていてもへそを曲げるな。お前が望むのなら、最後まで心を砕いてこそよ。それから、ハナの人の生を決して曲げず邪魔せぬように。ハナに人として愛する男が出来てもそれをハナのため、ハナの人としての成長のためと心から祝福するように。それが守り神の務めである。分かったか」
「・・・分かった・・・ような、分からないような、分かったような気がいたします!」
「・・・分かったところを申してみよ」
「ハナの人の生を精一杯守れば、次にオオカミとして、私の嫁として産まれて来てくれるという事なのですね!?」
「・・・まぁ、最もうまく行った時には、そうなろう」
「母上もそうだったのですか!?」
「いや? そもそもお前のように頻繁に人の世に出ようと思う気がしれぬわ」
あぁしてくれ、こうしてくれという希望ばかりで、煩わしいばかり。
コウは伏せていた身体を起こし、改まって息子を見た。
説教開始前とは打って変わって、息子は今にも飛び跳ねそうにうずうずしているのが見て取れる。喜びと希望に溢れておるのだ。
「良いか。つまり、人のハナを押し倒してはならん。お前は守り神ぞ」
「はい! 母上!」
うんうん。コウは二度頷いた。
やっと言葉が息子に届いたようである。
***
この時の説教、もとい心得が契機となり、コウの息子は打って変わって真剣に鍛錬に取り組み、守り神としても目覚ましい成長を遂げる。
後年は叔父の仕事の手伝いを行うようになった小娘の危機を何度も救い、立派に役目を遂げたという。
めでたしめでたし。
おわり