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そのさん_エルフと英雄

うちの奥様と旦那様の糖分過剰な日常に、そろそろ飽き飽きしていませんか?

まだ大丈夫? そうですか…………


わたしは、うんざりです。

 

 

 北限の町リオリスにある冒険者ギルド。

 その二階にある執務室で、シルファ・シルヴィンは書類を処理していた。

 積まれた書類を引き抜いては、流れるように承認のサインを記していく。

 かつて、ギルドの不正を一掃し、幾つもの改革を断行した立役者。

 そんな彼女の優秀さを(うかが)わせる仕事ぶりに見えるかもしれない。

 しかし注意深く観察すれば、すぐに気付くであろう。

 その目はどこか虚ろであり、視線がまったく動いていないことに。

 彼女は書類の内容を確認していない。そしてサインを続ける手が時折、ぴたりと止まる時間がある。

 しばらく硬直してから、作業を再開する。その動きは、動作不良を抱えた機械のようであった。

 黙々と作業を続ける彼女の鼓膜が、扉をノックする音を捉える。

 シルヴィンが返事をすると、その人物は足音を立てずに入室した。


「ミルチル?」

 机の前に立ったのが栗鼠獣族の女の子であることに、シルヴィンは少し驚く。

 一介の受付嬢が、ギルドマスターの執務室を訪れる理由が思い当たらないのだ。

「あ、あの、お邪魔してごめんなさい」

「邪魔だなんて。いつでも大歓迎よ?」

 居心地の悪そうなミルチルの緊張を解くように、シルヴィンが軽口を叩く。

 しかし、やはりどこか上の空な様子で、声に張りがない。

「それで、何か用かしら?」

「あの、その、これなんですが…………」

 ミルチルは手にした書類を、ひどく申し訳なさそうに差し出す。

「サインが抜けていまして…………」

 シルヴィンは不審そうに数枚の書類を受け取り、目を通す。

 彼女の言う通り、シルヴィンがサインすべき箇所には何も書かれていない。

 しかるべき順番で回覧されなかったのだろうと、シルヴィンは嘆息する。

 些細なミスだが、注意すべきかと頭を悩ませる。

 担当者を呼び出すことさえ、今の彼女には億劫だった。


「よく気付いてくれたわ。ありがとう」

「いえ、そんな」

 などと、きまり悪げに頭を下げる彼女の姿に、シルヴィンは微笑を浮かべる。

「そうだ、これを事務に渡してもらえるかしら」

 退出しようとするミルチルを呼び止め、処理し終えたばかりの書類を手渡す。

「お疲れ様、ミルチル」

 一言労ってから、作業を再開した。


「あ、あの、ギルドマスター?」

 ところが、ミルチルは退出せずに立ち尽くしている。

「なに? まだ用事があるの?」

 シルヴィンが、ちょっと苛立たし気に尋ねる。

 怯えたミルチルはおずおずと、受け取った書類から一枚を抜き出した。

「すみません。こちらにもサインがなくて…………」

 シルヴィンは、思わず書類をひったくる。


 その空白部分を目にして、シルヴィンは愕然とした。


      ▼▼▼


 シルファ・シルヴィンはエルフである。


 かつてエルフは、列強種族として大陸統治の一翼を担っていた時代もあった。

 それが現代では、南方の森の奥深く、寂れた集落で暮らす少数種族となっている。

 しかし、種族としては凋落したエルフだが、生来の能力までが衰えた訳ではない。

 魔力量、魔法適正、思考加速、長寿命など、個々の資質は高く、魔族と双璧をなすほどだ。

 特に妖精眼(フェアリーアイ)は、エルフのみの固有能力である。

 真実を映すとされる鑑定能力で、幾多の英雄、聖女を発見してきた。

 それゆえにエルフは、各地の人族国家で独自の地位を確立することに成功したのである。


 エルフとして能力的には折り紙付であるはずの、シルファ・シルヴィン。

 しかし、最近の彼女の様子がおかしいと、ギルド内部でもっぱらの噂である。


 その日、シルヴィンは珍しく定時でギルドを出た。

「…………疲れた」

 ぼそりと呟き、肩を落としてトボトボと歩き出す。

 サインを書き漏らすほど、疲労が蓄積しているのだと気付く。

 一旦自覚してしまうと、彼女は仕事を続ける気力が湧かなくなってしまったのだ。

(明日、休んじゃおうかな…………)

 そんなことを考えながら、彼女は足を引きずるようにして家路をたどった。


 部下である職員達は、密かに彼女のことを、ギルドの専制君主と呼んでいた。

 自らが信ずる目標を、時に強引な手段で押し通し、邪魔者するものには容赦しない。

 そんな彼女に反発する者も多いが、その責任感の強さを疑う者はいない。

 しかし最近の彼女は仕事に身に入らず、細かいミスを連発している。

 ギルド内部で様々な憶測が飛び交っていたが、正解に至ることはなかった。



 一〇日も前のことである。

 執務室で書類に目を通していたシルヴィンは、突然凄まじいプレッシャーを感じたのだ。

 部屋がぐるぐると回るほどの目眩を覚え、判然としない焦燥感に駆られた。

 思わずバルコニーへと逃げ出した彼女は、そこで目の当たりにしたのである。


 天空に輝く、二つ目の太陽を。


 エルフゆえの魔法適正が、この場合はあだとなった。

 彼女は、瞬時にして理解してしまったのである。

 妖精眼さえ(くら)ませるそれ(・・)が、高密度の魔力塊であることを。

 内包する魔力量の膨大さは、妖精眼の許容値を完全に振り切っていた。

 神災レベルの緊急事態で、対応策などありはしない。自分は、この町ごと消滅するだろう。

 そう悟った途端、彼女の口から乾いた笑いがこぼれた。


 前触れもなく、いきなり訪れた終末に、絶望よりも運命の(たわむ)れを感じてしまう。

(怒鳴りつけてやろうかしら?)

 なんでもいい。あの理不尽な現象に向かって、文句の一つでも投げつけてやりたい気分だ。。

 彼女が衝動のままに、大きく息を吸い込んだ瞬間である。


 魔力塊が、あっさりと掻き消えた。


 出現したのと同じ唐突さで、跡形もなくなってしまったのだ。

 しばらく呆然としていたシルヴィンだが、やがて沸々と怒りが煮えたぎった。

 ふざけるなと、叫びたかった。(もてあそ)ばれている、そう感じたのである。

 彼女は妖精眼に全力を注ぎ、天空の一点を睨んだ。

 あれほどの魔力塊が、簡単に消失するはずがないと確信する。

(あそこに、まだある!)

 不可知の帳で、覆い隠されているのだ。

 それを突き破ろうと、額に汗を滲ませて集中する。

 エルフの矜持を掛け、シルヴィンは理不尽な現象に挑んだ


 その彼女を、鋭利な刃物のごとき殺気が貫いた。

 膝から崩れ落ちた彼女が、テラスの柵に手を掛けて身体を支える。

 激しい動悸に息苦しさを覚え、胸元を掴んだ。全身が汗に塗れ、恐怖に(おのの)く。

 いま感じた殺気の意味を、彼女の生存本能が正確に理解する。

(これは、警告だ)

 あの現象を暴こうとした自分に対する、メッセージだと悟った。

 青く染まる空を見上げ、彼女は無力感に打ちのめされた。



 それ以来である、彼女の様子が変わったのは。

 あの出来事が脳裏に繰り返し再現され、執務に集中できなくなった。

 彼女の思考をかすめたのは、最近冒険者登録したローズの存在である。

 あの魔力塊と関連しそうな人物といえば、彼女ぐらいしか思いつかない。

(でも…………)

 シルヴィンは、納得できずにいる。明らかな違和感を覚えるのだ。


 確かに正体不明なローズだが、彼女の印象とあの時の殺気と結びつかないのである。

 ローズとは、何度も顔を会わす機会があった。

 しかし彼女は、ごく自然に振る舞い、特に含むところはないように見える。

 だとすると――――どういうことなのだろうか?


 自宅に戻る道すがら、頭を悩ますシルヴィンはその時、不注意になっていた。

 あっと悲鳴をあげた時には既に遅く、小石につまずいて倒れそうになった。


 思わず目を瞑った彼女を、ふわりと空気が支える。

 そう錯覚するほど柔軟な動きと、力強さを兼ね備えた腕が身体にまわされる。

 誰かが抱き止めてくれたらしいと、彼女はぼんやりと考えた。

「君、大丈夫か?」

 聞き覚えのない声に、彼女は閉じていた瞼をそっと開いた。

 反射的に妖精眼を発動したのは、見知らぬ相手に対するエルフの本能である。


 瞬間、彼女は白く輝く空間を浮遊していた。

 そこは春の日差しのような、心安らぐ温かさに満ちていた。

 思考がふわふわと遊離してしまい、彼女は全てを委ねたくなる。

 彼女がいるのは、妖精眼でも届かない、果て無き内面世界。

 そこにたった一人でさ迷いこんだのに、孤独や恐怖を覚えることがない。

 この世界そのものに愛され、包まれている。そんな気持ちになれるからだ。


「怪我はないか?」

 改めて声を掛けられ、シルヴィンは現実に戻った。

 そしてようやく、自分が見知らぬ男の腕の中にいることに気付く。


「ひゃはひっ!?」


 シルヴィンは、素っ頓狂な悲鳴をあげた。

「立てるかい?」

「ひゃひ! ひゃいひょうふふぇふ!」

 ろれつが全く回っていない。

 見知らぬ男は、そっと彼女を立たせてから、心配そうに眉をひそめる。

「…………あまり呑み過ぎないようにね?」

「違います!」

 見当違いな気遣いに、思わず叫ぶシルヴィン。

「そう? ちゃんと歩けるかい?」

「は、はい――――助けて頂いて、ありがとうございます」

 無様を晒した自覚があるのか、顔を赤らめて俯くシルヴィン。

「気にしないで。じゃあ、気を付けてね?」

 そう言い残し、男は立ち去った。


 シルヴィンは、男の背中が見えなくなるまで、呆然と立ち尽くしていた。


      ▼▼▼


「やがて運命に導かれし稀代の人物が、このギルドを訪れるでしょう」


 翌日、冒険者ギルドの朝礼でなされた訓示は、何やら予言じみていた。

 シルファ・シルヴィンは、整列する職員達に向かって、さらに言葉を紡ぐ。

「その時は、わたしに連絡してください。いかなる業務や事態にも優先するようにお願いします」


 なんとも言えない空気が、事務室に流れた。

「えーと、それはいったい、どのような人物なのでしょうか?」

 古手の職員が、周囲の圧力に負けて質問する。

 問われたシルヴィンは、不思議そうな顔になった。

「どのような、とは?」

「ですから、あの、名前とか、容貌の特長とか、年齢とか、性別とか」

 それは当然の疑問だったはずだ。その場にいた職員全員が、そう思った。

 ただ一人、ギルドマスター、シルファ・シルヴィンを除いて。


「見れば分かります」


 当然のごとく答える。そこに自らの言葉に対する疑いは、欠片もない。

 あまりと言えばあまりな言い様に、職員一同は唖然とする。

 彼らの表情を見て、シルヴィンがようやく理解する。

 そうだった、相手は妖精眼を持たない他種族だったことを思い出す。

 こういう場合、普通のエルフだと沈黙するので、彼らは偏屈だと他種族から思われがちだ。

 エルフにとっては余りにも自明なことなので、改めて語るのが面倒なのである。

 しかし、シルヴィンは他種族との交流が長いので、きちんと説明する必要を感じた。


「分かりやすい表現でたとえるなら」

 しばし考え込んでいたシルヴィンは、やおら口を開いて滔々と語り始めた。

「宝石から紡いだような髪は光輪を帯び、その頭上には七つの栄冠が燦然と輝き、そのかんばせは精悍にして慈愛に満ち、その声は力強くも清々としていて耳朶に優しく触れ、瞳は深い英知を湛えて静まりつつも、天上で歌う星々の光のごとき強き意思を秘め、見る者の魂を焦がすこともあれば、乾いた大地に降る慈雨のように潤すこともあり、溢れる生命は奔流となって身の内にたぎり、立ち振る舞いは毅然として、年齢を重ねた落ち着きと若々しい精神が相まった華やかさがあります」

 そこでシルヴィンは言葉を区切り、職員達を見回す。

「簡潔に言えば、そんな感じの方ですが、理解できましたか?」


 ぜんぜん分かりやすくねーよ!

 簡潔どころか長ったらしいし、何一つ理解できねえよ!

 そう叫びたかったが、職員一同は賢明にも口を閉ざした。

 男性陣は、こう思ったのだ。ギルドマスターが、壊れた!

 女性陣は、こう断じたのだ。ギルドマスターに、春が来た!


 職員達の複雑な視線も意に介さず、シルヴィンは物思いに耽る。

(まさかわたしが、英雄を見出すとは! 彼はいつかきっと、このギルドを訪れるでしょう!)


 一介の庶民が冒険者となり、やがて天下に名を馳せる英雄となる。

 そういう事例が、過去に何件もあった。

 エルフが冒険者ギルドを密かに支援し、広く門戸を開かせているのも、それが理由なのだ。

(早くいらしてください、英雄様! シルヴィンはお待ちしております!)


 彼女が相手にどのような感情を抱いているのか、本人も含めて誰も知らない。

 しかし、ここ数日来、彼女の顔に落ちていた暗い影は、もはや微塵もない。



 彼女は晴れ晴れとした表情で、業務の開始を告げるのだった。

 

 

今朝方、旦那様が珍しく、くしゃみをしました。

風邪だ感冒だと奥様が大騒ぎして、煎じ薬を旦那様に吞ませました。

まったく、心配性にもほどがあります。旦那様が風邪などひくはずがありません。

どうせ誰かが、旦那様のうわさ話でもしていたのでしょう、まったく。

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