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そのいち_旦那様とさかな

奥様になった魔王様と、王国を出奔した聖騎士な旦那様。

流浪の果てに、北限の町で定住を決めた御二人の、とある日常です。

 

 


 最近、旦那様は魚料理への苦手意識をすっかり克服したようです。

 そのことを奥様はたいそうお喜びになり、毎日張り切って腕を振るっております。

 これこそが、旦那様のために奥様が望んだ平穏な日常でした。


 それなのに、まさかあんなことが起きようとは、わたしは夢にも思わなかったのです。



 一人暮らしだった旦那様は一通りの家事を心得ており、野菜の皮むきぐらいなら無難にこなします。

 ですから奥様と台所で二人並び、料理や洗い物の手伝いをすることも珍しくありません。

 もっとも、旦那様の目的は別にあるようですが。

「いけません!」

 頻繁(ひんぱん)に奥様の腰に手を伸ばしては、ぺしっと(はた)かれています。

 まあ、旦那様を台所から追い出さないところをみると、奥様もまんざらではないのでしょう。

 仲睦まじい御二人の姿を拝見していると、微笑ましくなります。


 …………けっ


 おや、いけません。つい本音が。

 そんなある日の晩、たまたま奥様がスープの火加減を見ていた時です。

 (かまど)から薪を抜いて火を弱めながら、旦那様に頼みました。

「すみません、そこの魚を(さば)いてもらえますか?」

 後ろも見ずに、自分の腰に伸ばされた旦那様の手首を、おたまでビシッと打ち据えます。

 ちなみにこの場合、腰とは婉曲な表現なので、あしからず。

 何気に妙技を披露した奥様は、スープの味見をして満足げに頷き、振り返りました。


「旦那様?」

 まな板の前で硬直している旦那様に気付き、奥様は不審そうな顔になりました。

 旦那様は包丁をぶらりと手に下げ、まな板の魚を見詰めています。

 まるで魅入られたように、奥様の声にも反応しません。

「どうかしましたか、旦那様?」

 奥様が目の前でひらひらと手を振ると、我に返って瞬きしました。

 そしてため息を吐き、手にした包丁を慎重にまな板の脇に置きます。

「ごめん、ローズ。俺にはできない」

 旦那様が面目なさそうに謝ると、奥様が不思議そうに首を傾げます。

「出来ないって、魚を捌くことがですが?」

「ああ、俺には無理だ」

 旦那様はちらりと魚に目を向け、慌てて逸らしました。

「いったい何が…………」

「目が、駄目なんだ。何を考えているのか、さっぱり読めない」


 ひどく真剣な口調と、生真面目な表情で語る旦那様。

 冗談を言っている雰囲気は微塵もありません。

 奥様とわたしは、まな板の魚を同時に見詰めました。

 青い背中と、銀色の腹をした、小ぶりの魚です。

 ご近所のマヤと弟達が一生懸命獲って、配達してくれたものです。

 それが五匹、きちんとまな板に並べられていました。


 目? 思わず奥様と一緒になって、覗き込みます。

 おそらく、(まぶた)が無いせいでしょう。

 黒々と見開かれた眼球に、感情らしきものは窺えません。

 当たり前ですが、魚に感情なんてあるとは思えません。旦那様は意外と神経質なのでしょうか?

 これから自分がたどる末路への嘆きもない、ただただ虚ろな目です。

 しかし、じっと凝視すると、どこかで見た覚えがあるような気もしますが、はて?

 記憶を探ったら、ふと思い至りました。

 そう、これは古き深淵の神々と同じ目です。

 時間と次元の概念を超越した彼らが、ちょうどこんな感じの――――


(おい、大丈夫か?)

 奥様の念話に、ハッとなって自分を取り戻しました。

 いけない、わたしまで思わず魅入られてしまったようです。

 不本意ですが、旦那様の気持ちをちょっとだけ理解してしまいました。

「昔から魚の目が怖くて…………」

 旦那様が俯き加減で呟きます。

 ひょっとすると旦那様の魚嫌いは、そのことが原因なのでしょうか?


 ふーんと、興味なさそうに鼻を鳴らす奥様。

 二匹の魚の尾っぽをまとめて掴むと、目の前でぶら下げて観察します。

 旦那様やわたしと違い、まったく何も感じないように見えました。

 食材となる生き物に対して、奥様はけっこうシビアなのです。

 魚は生きたままでも平気で捌きますし、鶏だってクイッと絞めます。

 辺境暮しの主婦ならば当たり前なことで、いちいち躊躇(ためら)っていてはやっていけません。

 架空庭園の小妖精と戯れて育った奥様ですが、ずいぶんと(たくま)しくなったものです。


 ――――その時、何を思ったのか。

 奥様がひょいっと、手にした魚を旦那様に向けてかざしました。

 じりっと、旦那様が一歩後退(あとずさ)ります。

 さらに奥様が距離を詰めると、同じように下がる旦那様。

 そしてしばし、間合いを取って互いに身構えます。

 奥様がぶらぶらと二匹の魚を揺らせば、旦那様の視線がそれを追います。

 次第に緊張感が高まり、ついに弾けました。


 奥様が突進すると、旦那様が反転して逃げ出しました。


 食堂に駆け込んだ御二人が、テーブルの周りで追いかけっこを繰り広げます。

 顔を強張らせた旦那様が、四隅でカクッカクッとターンして逃げました。

 その後ろを、二匹の魚をビッタンビッタンと振りかざして追い掛ける奥様。

(なんぞ! なんぞこれは!?)

 奥様が、野獣のように吠え猛りました。

(この心の奥底からほとばしる感覚は、いったい何なのだ!)

 まるで獲物を追う猟犬のように、爛々と瞳を輝かせます。

 さして広くもない食堂で御二人が駆け回ると、家具がガタガタと揺れました。

 吹き荒れる竜巻のように、御二人は食堂を旋回します。

(必死に逃げ惑う旦那様が可愛い! 恐怖に引きつった顔が愛おし過ぎて、胸が張り裂けてしまうぞ!)

 奥様が、愛情と狩猟本能と変な性癖をごっちゃにした雄叫びをあげます。

 とてもではありませんが、旦那様には聞かせられない台詞でした。

 百年の恋も、いっぺんに醒めるというやつです。

(どうしてくれようか! 旦那様は余をどうするつもりなのだ!!)

 奥様がヒートアップすると、旦那様がいきなりスピードアップしました。

 一瞬にして奥様の背後に回ると、


「いたっ!?)

 奥様の後頭部に、旦那様のチョップが炸裂しました。



 こうして、せっかく克服した魚嫌いが、ちょっとぶり返してしまった旦那様。

 まあこれも、奥様と旦那様の他愛もないじゃれ合い、日常の風景なのでしょうね。


 …………けっ

 

 

機会があれば、またお会いしましょう。

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