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第2部 Volume3:『産まれた子供』  SIDE:クラウド

 守衛室までの一本道を駆け上がると、俺は少しだけ背伸びをして、いかにも頑丈そうなその窓のガラスを数回叩いた。中にいた守衛たちもすぐにそれに気づいたようで、ガラリと窓を開けると、大きな紙封筒をちらつかせる俺を渋面で見つめてきた。


「こら、クラウド。また来たのか? ここは関係者以外は立ち入り禁止なんだぞ」


 はいはい。今までだって、ここに来るたびに何度同じ台詞を言われたか分からない。

 だからこそ、こうして毎回、俺なりに策を弄して来ている訳だ。

 俺は手にしていた紙封筒を、これ見よがしに、守衛の目の前にちらつかせた。


「それは、分かってるけどさあ……、さっき父さんから電話がかかって来てさ、この封筒を忘れてきたから届けて欲しいって言われて来たんだよ」

「……本当か?」

「本当だよ。だったら内線で父さんに確認してみたら?」


 しばし躊躇したあとで守衛は軽く肩をすくめ、念のためにと受話器を手に取った。

 だが……、彼は、二言、三言、会話をしただけで、すぐに受話器を置いてしまった。

 その様子を見て、側にいた同僚が「どうしたんだ?」と訊ねている。


「ツェラー教授は、いま会議中だそうだ。電話を受けた助手も、封筒の件は分からないと言っている」


 そりゃそうさ。ちゃんと、会議の時間を見計らって来たんだから。


「だったら、念のために中の書類の確認を……」そういい掛け、窓越しに伸びてきた守衛の腕を俺はわざと大袈裟に振り払った。

「駄目だよ! これ、父さんの研究書類だよ! 勝手に中なんか見たら、おじさんたちだってあとで父さんに怒られるよ!」

「…………」

「ねえ、いいじゃない。別に、俺が学園の中に入ったって今まで問題なんか起こしたことないだろ? ほらあ、早く門を開けてよ」


 最後にほんの少しだけ猫なで声をだすと、渋々といった様子で、結局守衛たちは重い鉄扉を開けてくれた。


「サンキュー!」


 俺は待ってましたとばかりに門をくぐると、舗装された車道を無視して芝生の上へと走り出した。


「……いいのか? 毎度、毎度? あんな封筒、絶対にただの言い訳だぞ」

「分かってるよ。とはいえ、あのツェラー教授の息子さんだ。あまり無碍にも追い返せないだろう」

「それは、そうだが……」


 守衛室でのそんなやりとりがかすかに聞こえない訳ではなかったが、俺はそんなことは気にも留めなかった。

 だって、予定の時間がもう間近に迫っていたからだ。

 俺は学園の中庭を横切ると、目的の場所まで一目散に駆けていった。




 たしか、この部屋だったはずだ……。

 俺は庭木の間を背を屈めながら小走りに進み、とある窓の下までやってくるとかすかに首をのばし……そっと、中の様子を覗き見た。


 いた……。


 覗いた窓の右側のソファにまるで飾られた小さな人形のように座る、少年のようなレインの姿が伺えた。

 俺は上半身を仰け反らせるようにして、さらに部屋の中を見回してみる。


 まず目に付いたのは、いつもカウンセリングを担当してくれている白衣姿のメイヤー先生と、そして何者か分からないけれど、部屋の角で丸椅子に座る場違いな雰囲気の男。

 そういえば、たしか今日のカウンセリングにはどこかの取材が入るとか、レインが言っていたような気がする。

 ならば、あの男がその記者なのであろうか……。

 だが、俺が今日ここにやってきたのは、別に取材がどうこうののためなんかじゃなく……。


 この、ひと……なのか……?


 窓の縁ぎりぎりのところから、ソファに鎮座する長い銀髪の細身の女性の姿が見て取れた。

 そう、俺がこんな馬鹿げた覗き見までして見たかったのは、この女性……。

 他でもない、あのレインの母親の顔だったのだ。

 

 俺とレインは、まだこのアルシェイドができる前……、同じ学校に通っていた頃は、毎日のように一緒に帰り道を歩いていた。

 しかし俺の家は、この学園建設の関係者が住むために建てられた、新興住宅地の一角。

 そしてレインの家は、この街のなかでも河ひとつ越えた郊外にあり、俺とレインは当時いつもふたりの家の中ほどにある交差点で別れていたのだった。


    Rain, rain, go away....


 あんな歌を聞かせ育てながら、それでも奴の名前をレインと名づけたという、その母親の顔を一度くらい見てやりたい。本当は、俺はずっとそう思っていたのだ。

 だが……レインは決して、別れ道と決めたその交差点以降、俺が付いて来るのを許してはくれなかった。

 しかし、レインのそんな頑なな態度が余計に、俺の胸の中で、奴の母親に対する漠然とした何かを膨らませていったのだ。

 だから今日、俺はこんな馬鹿な真似をしてまで、あいつの母親の顔を見に来たのだった。


 ひとことで言うなら……、彼女は美しい女性だった。

 しかし、俺が来る前に何かあったのだろうか?


 部屋の中は異様に静まり返っていて、誰ひとりとして言葉を発している者などいない。

 俺は軋む膝に力を込めると、耳を澄まし……、次に発せられるはずの中の会話に、ただじっと意識を集中させた。


「あの……マコーミックさん?」


 まず、やや困惑気味のメイヤー先生の声が聞こえた。

 するとその呼びかけに対し、いままで無言だったレインの母親の唇が初めてかすかに蠢くのが見えた。


「ああ、すみません……。ちょっと、考え事をしていました。ごめんなさい、ご質問、なんでしたっけ……?」

「え……? そ、そうですか。では、もう一度、お伺いいたしますね」


 何とかにこやかに場を取り繕うとするメイヤー先生ではあったが、その努力は明らかに空回りしていた。


「それでは、マコーミックさん。レイン君には、何かご趣味とかありますでしょうか? サードの生徒さんとはいえ、大抵の方は、ひとつや、ふたつくらい、何か趣味などをお持ちの方が多いんですのよ? 何か、写真を撮るとか、またはお裁縫をするとか」


 しかしどんなに明るく問いかけられても、当の母親のほうは微笑み返すという訳でもなく、どこか虚ろに空を見上げたまま、こう短く答えた。


「この子に、趣味なんて……、何もありません」


 ……え? 俺は、思わず出かかった声を慌てて飲み込んだ。

 レインの趣味なんて、聞くまでもないはずなのに……。

 あんなに素晴らしい絵を描く奴だってことを、この母親は……知らないとでもいうのか?

 俺は信じられない思いを抱きながら、彼女が次に呟く言葉を、胸の鼓動を感じながらひたすらに待った。


「先生……、この子はサードです。写真やお裁縫なんて……そんな後に残せるようなものなんて、作り出してはくれません。サードは何も残さない生き物でしょう……?」

「それは……、生物学的には、そうかもしれませんが……」

「レインはサードです。この世に何も残してはくれません。そう、この子の父親が、私に何も残してはくれなかったように……」

 

 痩せた彼女の頬に浮かぶ笑みは、怪しいほどに妖艶で、けれど同時になにかしら薄ら寒さを感じさせる。

 メイヤー先生は慌てて手元の書類をめくっていたが、ある箇所に目を留めると控えめに言葉を紡いだ。


「お気の毒様です……。レイン君のお父様はすでにご他界されたと、こちらでも伺っております」

「ええ。そう……、それもあの人が交通事故で亡くなりましたのは、まだこの子が私のお腹の中にいたときでしたの」

「……そうでしたか……」

「それに、私のマコーミックという姓も、もともとの私の家柄のものですの。私……、入籍も式さえも済ませる前に、あの人に置いて逝かれてしまいました」

「…………」

「それでも、私はあの人を愛していたから……、自分独りになっても、あの人が残してくれたこの子がお腹にいるから……、そう思って、周囲の反対を押し切って、未婚のままこの子を産みました」


 擦れがちな彼女の声に、周囲の者はもはや誰一人として言葉を挟むことが出来ない。

 取材に来ていたであろうあの記者でさえも、身体を硬くしたまま、開いたままの手帳になにも記述できてはいないようだった。


「でも……」と、さらに母親の告白は続く。

 俺は両目を閉じ、壁に後ろ頭を擦り付け息苦しさを感じながらも、なのに彼女の言葉から耳を塞ぐことができなかった。


「でもね先生、産まれた子供は……、青い血の流れるサードでした。たとえ彼が亡くなっても、子供が大きくなれば、やがて結婚をし、そして孫も産まれ、私はおばあちゃんになって、あの人の血を継ぐたくさんの家族に囲まれて暮らせると思っていたの。なのに、それなのに……、産まれた子供は、サードだったんです……」


 虚ろに空を見上げる彼女の頬を、ゆっくりと……涙の筋が、伝い落ちていった。


「あの日……、あの人が事故に巻き込まれた日は、雨が降っていました。あの人より、ほんの少しだけ前を歩いていた私は、突然の物音に驚き、後ろを振り返りました。そこには、柱にのめり込むようにして潰れた車と、折れて被れた傘と、そして……倒れたあの人がいました。あの人から流れ出た赤い血が、雨に流され、どんどん、どんどん、あたり一面に拡がっていきました……」

「…………」

「降りしきる雨が、あの人の温かさを……、私の腕の中から奪っていきました。そして、彼が亡くなった後、私は彼の忘れ形見であるお腹の中の子供に、最後の希望を託していました。でも……産まれた子は、私に何も残してはくれない、サードだったんです。だから、私は……私から、最後の希望を奪っていったこの子を……あの日の雨と同じ、レインと名づけました……」

 

 彼女の最後の言葉は、もはや嗚咽に変わっていた。

 気がつけば、彼女は顔を両手で覆い、その場に泣き崩れている。

 メイヤー先生でさえ、自分自身もどこか胸を詰まらせたような声で、


「マコーミックさん、少し、別のお部屋でお休みしましょう……」


そう彼女に呼びかけ、肩を抱きながら、別室へと連れて行くのが精一杯だった。

 ふたりが縺れるように部屋を出て行く姿を、例の記者が伏目がちに見送るのが視界の隅に映った。


 でも俺は、それ以上……、部屋のなかを見続けることは出来なかった。


 俺は両膝の間で頭を抱え込むと、声を押し殺して、ただ肩を震わせた。

 とてもじゃないが、こんな意気地のない俺には、その時のレインの顔を見つめる勇気なんて……、あるはずがなかったんだ。






 サードは、無性……。

 サードは、子孫を残せません。

 サードは、愛を求めないと言われています。


 しかし……、クラウドでさえ、見つめることの出来なかった、この時のレインの顔には……

 いったい、どんな表情が、浮かんでいたのでしょう……。

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