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第2部 Volume2:『神の玩具』  SIDE:ニック

 そして、カウンセリングの当日……。


 学園へと続くただひとつの道を、俺は複雑な想いを抱きつつ、タクシーの揺れにその身を委ねていた。

 車の窓ごしに暗い空を見上げる。

 相変わらず窓の外には息苦しさを感じさせるかのような黒雲が、空一面に拡がっていた。

 ここ何日かは連日のように強い雨が降り続いており、今でこそ雨足はやんではいたが、いつまた降り始めてもおかしくないような、そんな危うい雲行きであった。

 そう……まるでこれから始まる、今日という日を暗示させているかのような……。


 本音を言えば、俺は自分が再びこのアルシェイドに来れるとは、正直思っていなかった。


 しかし俺の予想に反し、学園側での協力要請の結果……、たった2組だけだが、カウンセリングのさい記者の……、俺の同席を許可してもよいと申し入れてくれた家族がいたというのだ。

 ツェラー教授からその伝達を受けた後、俺の胸の中にはさまざまな憶測が駆け巡った。


 果たしてこれは、本当に善意からの受け入れであったのだろうか?

 それとも、学園の好印象を誇示するための、予め仕組まれた一種の狂言なのか?


 けれど……、それでも俺の心は、行くしかないと、とうに決まっていたではないか。

 例えそこに、どんなからくりが仕組まれていたにせよだ。

 そんな俺の自嘲を合図にしたかのように、車は見上げるような鉄扉の前で緩やかにその車軸を止めた。

 そして今日、俺はまた、アルシェイドの門をくぐろうとしていた。




「メイヤー先生、いつもうちのロイがお世話になっております」


 上品そうな笑みを浮かべた母親はメイヤー女史に歩み寄り、そして彼女と握手を交わした。


「ラザフォードさん、遠いところをよくいらしてくださいました」


 柔和な笑みを浮かべメイヤー女史はそう語りかけると、隣に居た父親へも手を伸ばし同じように彼の手を握った。


 先日、俺と会話をしたときとはまるで別人と思えるほどの優しげなメイヤー女史の笑みに、俺は内心、苦笑した。

 あの時の俺が、よっぽど彼女を警戒させるほどに胡散臭かったからなのか……。

 それとも彼女のこの笑顔があくまで仕事上での仮面なのか。それを見抜くには、もう少し観察をしてからのほうがよさそうだ。

 俺は決して焦ってはならないと自分に言い聞かせ、部屋の隅にあてがわれた簡素な丸椅子に陣取ると、ただ無言でことの次第を見守ることにした。


「さあ、ロイ君も、お父さま、お母さまも、こちらへどうぞ」


 メイヤー女史に勧められるまま、夫妻は順番にソファへと腰を下ろす。

 そして最後に、サードとしてはやや長身と思えるその夫妻の子供が、傍らの一人掛け用のソファへと、音もなく身を沈めた。


 こいつが、ロイ・ラザフォード。

 今日の取材を受け入れてくれたサードの中の、まず、一人目。

 手元の資料に目を通す。高等部在籍、17歳……か。


 その名前からも分かるように、数年前この国の法律が改定されるまでは、おそらく男子として育てられてきたのだろう。艶やかな黒髪と、それに見え隠れする切れ長の瞳が、容姿の秀麗さを感じさせた。


 しかし……、やはり、サードはサード、なのだろうか。


 その美しいはずの切れ長の瞳には生気の色は感じられず、まるで精巧に創られた蝋人形を思い起こさせた。そう……、青い血の流れる、美しいだけのただの……蝋人形を。


「ええ……と、ご家族は、お父さま、お母さま、そしてロイ君と……」

「はい、ロイとは歳の離れた、ローリーという妹がおります。ローリーも学校がありましたので、今日は近所に住む私の母に預けまして、こちらへは私たちだけで参りました」


 主に口を開いているのは、母親のほうだった。

 旦那は笑みを崩してはいないものの、ただ黙って妻の言葉に時折頷きを見せるだけだった。

 おそらく普段からこんな夫婦なのだろう。いってみれば、まあ……どこにでもいる、ごく普通の平和なご家庭というやつだ。

 そして、この家族の持つただひとつの悩み……、それが、このロイというサードであることは、まあ……あらためて聞くまでもないことであろうが。


「ロイ君は、とても成績も優秀です。サードのお子さんは、他の男の子や女の子のお子さんに比べて、若干ですが、平均的な知能指数も高いという調査結果もでております。しかし、そのサードのお子さんばかりを集めましたこのアルシェイドの中でも、特にロイ君は、どの教科におきましても、とても優秀な成績を修めております」

「まあ……」

「学業面ではロイ君に関しましては、学園側ではまったく心配をしている点はございません。むしろ、これからのご成長に期待をかける教諭までいるくらいですのよ」


 メイヤー女史の言葉にはやや誇張を感じない訳ではなかったが、とはいえ、こんな数字で露骨にあらわされてしまうような内容に、彼女が嘘を言っているとも思えないし、またその必要もない。

 それに対して、形ばかりの謙遜を示しつつも、嬉しそうに微笑みあうロイの両親。


 だが、……違う。


 俺が聞きたいのは、こんな絵に描いたような、平和なおとぎ話じゃない。


「それと、ロイ君は読書が大変お好きだと以前ご本人から伺っておりますが、それはお小さい頃からなのでしょうか?」


 これでは、ただの紙芝居を見させられているに過ぎない。

 俺は横槍を入れたくなる気持ちを必死で抑えこみながら、無意識のうちに開いていた手帳に黒い円を無限に書き刻んでいた。


「ええ、この通り……、ロイは本当に物静かな子でございましょう? 特に私たちを困らせるようなことも何もなく、昔から大人びた子でしたの。でも、何故か本を読むことだけは、確かに昔から好きでしたわね」


 母親が同意を求めるように隣を向くと、慌てて父親も何度か頷いて見せた。


「ですから、本だけはこの子の望むものをほとんど買い与えて参りました。あ……、少し……過保護過ぎましたでしょうか?」

「いいえ、そんなことはないですよ。それだけたくさんの本を読まれてきたということが、間違いなく、現在のロイ君の成績にも現れていると思いますし」

「でしたら、それ以上に嬉しいことはないのですが……」


 母親は戸惑いながらも、僅かにほほを緩めた。


 俺がいることで、この母親が必要以上に「良い母」を演じたがっているのは手に取るように分かる。

 そして、そんな彼女を見ているうちに、俺は自分なりに幾つかの確信を得るに至っていた。

 おそらくこの母親は、こうやって表面上は息子……、いや、息子として育ててきた我が子に対して、自分なりに懸命に優しい母を演じようとしているのだろう。あるいは、自分の演じる優しい母親像を、より顕著に周囲に示すために、俺という存在を利用したのかもしれない。

 ということはつまり、それだけ彼女の内心がそれとは裏腹であるということなのか……。


 どうやら、アルシェイド側の仕組んだ芝居でないということだけは分かったが……、逆に俺は先程はあれほどに感じていた苛立ちさえも、どこかに消えてしまっていたことに気づいた。


 なぜなら、いま必死で俺の前で微笑んでいる母親が……、いつしか哀れに思えてしまったからだ。


 その証拠に、彼女はこの部屋に入ってきてから、一度も子供の顔を見ていない。

 必死に浮かべた微笑で、メイヤー女史と夫とを交互に見比べるだけで、そう、ただの一度も自分の子供と目を合わせようとはしていなかった。

 しかし、誰がこの哀れな母親を責められるというのだろう。


 ……これが、現実。


 俺の望んでいた成果とは形は違っていたけれど、しかしある意味、これ以上はないというほどにリアルなサードという存在を取り巻く現実を目の当たりにし……、俺は居心地の悪さから、知らず知らずのうちに爪を噛んでいた。


 この場を取り繕うのに必死な親と、にも関わらず相変わらず無表情なままの……サード。

 本当にカウンセリングを受けて精神の安定を図るべき必要があるのは……。

 そうは思ったが、それ以上は考えることさえ馬鹿馬鹿しかった。


 と、そのとき……。


「……ねえ、ローリーは、元気……?」


 今まで、まるで人形のように無言で座り続けていたロイが、ふいに……、そう、呟いた。


 静かな、たったそれだけの低く響く呟きであったが、ロイの発した一言は、一瞬にして周囲の者たちを沈黙させた。暗黙のうちに、ロイは神が作り出した秀麗な玩具で、言葉を発することなどないと、誰もが思い込んでいたかのように。

 その場に居たものはみな、そう、俺さえも、奇妙な恐れを隠すことさえも出来ずに、ただゆっくりと……、窓を背にして座るロイの姿へと視線を向けた。


「え……ええ、もちろん、元気にしてるわよ……」

「そう……、よかった。ローリーは、母さんの作ってくれたパイが、好きだったよね……」

「そ、そうね……」


 母親は、もはや作り笑いを浮かべる余裕さえ無くしたらしい。

 引きつりかけたその口元には、笑みよりも明らかな怯えの色が浮かんでいた。

 ロイの背にある窓からは、ぼやけた曇り空からの白くくすんだ光が差し込んできて、彼の姿を影絵のように淡く縁取っていた。

 だから誰一人として、その時のロイの表情を見定めることが出来た者は……いなかった。




 それからすぐに、脆い紙芝居のようであったこの一場は、突然吹き込んできた風に巻き散らかされたかのように収束する術をなくし……そしてメイヤー女史への挨拶も早々に、母親は父親に肩を支えられるようにしながら、その部屋を後にした。


 一方、当のロイはといえば、両親たちの足音が聞こえなくなってから、まるで何事もなかったかのように立ち上がると、メイヤー女史に深く一礼をし、来たときと同じように静かに姿を消した。


 ロイ・ラザフォード……。

 俺が今まで見てきた中でも、ある意味最もサードらしいサード。

 まさに生きている人形と呼ぶにふさわしい、神が気紛れで作り出したとしか思えない、美しい玩具。


 だが、なぜだろう……。

 俺の中に、たったひとつだけ、掴みどころのない疑問が残った。


 あのとき……、窓から差し込む薄もやのなか、彼の硝子球のような瞳にほんの僅かにだが……かすかに光が宿っていたように思えたのは、俺の見間違いだったのだろうか?


 しかし今の俺には、それを思い返している時間はなかった。

 なぜなら……、予定されたもうひとりのサードとその親が、すぐにこの部屋にやって来ることになっていたのだから。






 心を失くした、神の気紛れで作り出されたようなサード、ロイ。

 しかし、彼の心のなかは、本当に「無」だったのでしょうか?


 思い描いてください。あなたがもし、サードとしてこの世に生を受けていたとしたら……。

 その時あなたは、なにを、望みますか?

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