第2部 Volume1:『アルシェイド』 SIDE:ニック
穏やかな緑の木々が生い茂る山肌を抉るようにして敷地を拡げ、その存在を誇示するかのように建設された……、赤煉瓦の馬鹿でかい建物。
……アルシェイド総合学園。
世界に先駆けて設立された、国中のサードの子供達のみを集めた全寮制の総合学園。
景観との調和なんて大義名分のもとに煉瓦造りの外観をしているが、内部は超近代的な設備の塊だってことは俺でなくても誰もが知っている話だった。
当然、敷地内には最先端の医療機器を備えた病院も併設されている。
サードという人種への生態研究がまだ十分とはお世辞にもいえないこのご時勢においては、まさにサードのための理想郷……といった学園だ。
すでに開校して今年で2年目を迎えていたが、その評判はすこぶる良い。
いや、この学園自体の評判が良いというよりは……。
サードという厄介者たちをこの学園一箇所に押し込んでしまえたため、その家族や周囲の者たちの負担や不安が減ったという、それに関しての遠まわしな「好評」であると言ったほうが正しいかもしれない。
この現実を是とするか非とするか、それは今の段階では誰にも判断がつかない。
そう、それが出来るのは文字通り……神、のみであった。
俺は手油の滲んだ取材用のバックを肩から下ろすと、警備室の前で立ち止まる。
係員に取材のアポイントメントを予め取り付けてあることを告げ、そしてプレス用の身分証を提示し、にも関わらず、ひとしきり待たされた後で……、俺はようやくその敷地に足を踏み入れたのだった。
「いやあ、お待たせして申し訳なかったね」
案内された応接室で、それからさらに20分ほど待たされ、いい加減指先がテーブルの上を叩きそうになっていた頃、やっとお目当ての人物が扉を開けてその姿を現した。
「いえいえ、こちらこそ。お忙しいところお時間をいただき恐縮です」
自分でも白々しいと思えるほどの決まり文句を口にする。
そして軽く握手を交し合った後で、俺は目の前の初老の男性を愛想笑いを浮かべながらまじまじと見定めた。
ボタンダウンのシャツのうえに皺ひとつない白衣をまとったこの男こそ、ヴォルダー・ツェラー教授。
世界的にもサード研究の第一人者といわれる人物だった。
そして彼のすぐあとに続くようにしてまた扉が開き、今度は30代半ばと思われる女性が現れた。
「申し訳ありません、遅くなりました。私……」
「アン・メイヤー先生、ですね? この学園で、生徒のカウンセリングをご担当されている」
「……はい」
彼女はやや警戒の色を浮かべた瞳で俺を見つめ、そして「失礼ですが……」と、呟く。
「ああ、すみません。まずは、自分のほうから名乗らせていただくべきでしたね。申し遅れました、私、ニック・ボードヴィルと申しまして、『ソーシャル・コーエジステンス』という雑誌の社会部の記者をしております」
名刺を差し出しながら浮かべている薄ら笑いが自分でも胡散臭さすぎるのは充分承知していたが、とはいえこの状況で微笑まない訳にもいかないだろう。
言ってみれば、こういう条件反射も一種の職業病かもしれない。
「なるほど、雑誌記者かね……」
呟きはしたものの渡した名刺をろくに見もせずに、教授はそれをすぐに上着に仕舞い込む。そして、
「すまないが、私たちもあまり暇を持て余しているわけではないのでね。早速で申し訳ないが、具体的なご用件を聞かせてもらっても構わないかね? 何か、ある取材を申し込みたいとのことらしいが……」
顔色ひとつ変えないツェラー教授の言葉を合図に、俺たちは一度ソファへとそれぞれ身を沈めた。
俺は内心の逸る思いを懸命に抑えこみながら、手帳を取り出すと単刀直入に自らの希望を語りだした。
「来月頭に、サードの生徒さんのためのカウンセリングが行われますよね?」
「はい。ですが、カウンセリング自体は、毎月2回、どの生徒にも均等に受けてもらっています」
予想どうりのメイヤー女史の言葉が飛んできて、俺は思わず苦笑いをかみ殺した。
「ええ。それは伺っています。ですが、その通常の月に2回行われているカウンセリングとは別に……、年に一度だけ、来月行われる予定のものは、サードの生徒さんご本人だけでなく、そのご父兄も同席のうえで行われることになっていますよね?」
「…………」
「いやあ、すいません。こういう話って、どうしてもマスコミなんて仕事してると嫌でも耳に入ってきちゃうものなんですよ。それに実際のところサードとの共存というのは、いまやこの国だけでなく世界中が抱えている問題です」
「ああ、たしかにそうだが……、それで?」
「そう、それでですね! この、世界に先駆けてサードのためだけに造られたアルシェイド総合学園は、人類の未来を示唆する意味でも、いま全世界から注目をされています。ですからうちの編集長としては、ここで来月行われる、そのご父兄同席のうえでのカウンセリングのご成果を、なんとしても、ぜひうちの雑誌で取材させてもらえないか……、とまあ、こう言ってまして。だから、今日私がこうして、おふたりの貴重なお時間をいただいてまで、お伺いさせていただいた訳なんですよ」
愛想笑いを浮かべつつも、俺は細めた視界を通して目の前のふたりの様子を探る。
この外界から閉鎖された特殊な空間であるアルシェイドに取材を申し込むこと自体、編集長の許可を得るまでにすでに相当の駆け引きがあったなどとは……、彼らは知りもしないだろうが。
実際に当日のカウンセリングを担当するのは、このメイヤー女史のはずである。
だが彼女は自分ではどう答えてよいか判断に窮したようで、隣のツェラー教授へと視線を流した。
教授は膝のうえで両手を組むと、憎らしいほど冷静に俺を見つめ、そしてこう切り替えしてきた。
「……これは私たちの一存では決められる問題ではないですな。ご家族のプライバシーに関わる問題だ」
「そ、それは、もちろん存じております。ですから、そこを教授やご担当されるメイヤー先生に、ご家族へのご理解とご協力を、ぜひお力添えいただきたいわけです」
……なぜだろう……。
ここに来るまでに何度も頭の中でシュミレーションしてきたはずの遣り取りなのに、教授に……この男に面と向かって見つめられると、その重圧で知らず知らずのうちにペンを握る掌に汗が滲んでしまう。
「教授……」と、不安げにメイヤー女史が彼の横顔を仰ぎ見た。と、そのとき、
「よし、では、こうしよう」
「…………」
「我々のほうで、一応生徒のご父兄に君の取材の意図を伝え、その合意か否かを訊ねてみよう」
「あ……、ありがとうございます!」
「ただし」
立ち上がりかけた俺を片手で制し、教授は、一言一言、念を押すようにこう言い添えた。
「もし、その取材に対し、ひと家族も参加の合意を得られなかった場合……、この時は申し訳ないが、潔く、この話はなかったことにしてもらおう。我々としても、ご家族に無理強いはできないからね」
「それは、まあ……」
「キミも、それでいいかね、メイヤー君?」
言葉を投げかけられ、僅かに躊躇したものの、最終的には彼女も静かに頷いた。
「1週間後に、私宛に電話をかけたまえ。その時に、また話をしようじゃないか」
最後にそういい残すと、教授は俺の返答を待たずにソファから立ち上がった。
あとを追うようにして、メイヤー女史も形ばかりの会釈だけを残し、そしてふたりは応接室から去って行った。
……1週間後。
果たして、教授たちは本当にサードの父兄たちに取材の参加の合否をあおいでくれるのだろうか?
しかし聞いてもらったところで、協力を受け入れる家族が実際に一組もいない場合だって考えられる。
その場合は……、どうする……?
3年も前からこのアルシェイドに目をつけ、ようやく今日、この敷地内までやってくることができたというのに。
1週間後の教授の返答次第では、俺は二度とこのアルシェイド自体に足を踏み入れることさえできなくなるだろう。
もし、そうなったら……、俺はどうやってこの何年間も心に渦巻いたままの憤りを解消すればいいというのだろうか……。
握りしめた左手の薬指の、鈍く光るリングを見やる。
しかし教授の提案を受け入れざるを得なかったいま、俺にできることは1週間後を信じて待つほかはない。
気がつけば、額いっぱいに冷たい汗の粒が浮かんでいた。
俺はそれを袖口で乱雑に拭い去ると、薄汚れたショルダーバックを背負い、そして……アルシェイドを後にした。
いつの頃からであろうか……。
人類のなかに、男でも女でもない、性別を持たない青い血の流れる不思議な人間たちが現れ始めた。
人々は彼らを、第三の性『サード』と呼んだ。
そして、そのサードという青い血を持つ生徒たちばかりを集めてつくられた学園、アルシェイド。
不思議な物語の幕が、今、上がろうとしています。
でも、けっして忘れないでください……。
サードたちが、私たちと同じ、「人間」であるということを……。
あなたに流れている血の色は、「赤」ですか?
それとも……?