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第1部 Episode6:『Rain』

 俺は、そのサードの奴が、好きだった。

 言っておくが、なんせ相手はサードだから、クラスの女どもがくだらない話をしているような、ああいう浮ついた好きとか嫌いとか、ではない。

 でも、学校の中にだって、他にもサードの奴らはもちろん何人かいたけど、俺はそんな奴らには興味がなかった。

 俺が好きだったのは、同じクラスの……いつも窓際をぼんやりと眺めて一日を過ごしている、レインという名のサードだった。


 昼休み、教室のなかを見回すと、いつの間にかレインの姿は見えなくなっている。

 いつものことだ。

 こんなとき、俺は迷うことなく、廊下へ出て階段を駆け上がると、本当は立ち入り禁止のはずの屋上への扉を開けるのだ。


「おい、レイン!」

 

 俺の予想を裏切ることなく、レインは錆の浮かびかけたフェンスに寄りかかり、座っていた。

 艶やかな金色の髪は、襟足よりも短く切り揃えられており、一見した限りでは、まるで少年と呼ぶに相応しい様相をしている。昼飯は、とうに食べ終えたらしい。


 そんな時、レインの右手には、いつも水性の黒いペンが握られている。 

 無言のまま俺は奴に歩み寄ると、期待を込めた眼差しを隠そうともせず、無遠慮に奴の左腕の袖を捲り上げた。


 だって俺は知っていたのだ。

 ペンを握りしめているときのレインの左腕は、ひとつのキャンバスになっているのだということを。

 奴の左腕に描かれた紋様に、俺は性懲りもなく、今日もまた心を奪われたのだった。


 父親の仕事の都合で、この学校に転入をしてきたのは、去年の春。

 まだ友達も少なかった俺は、飯の後、昼寝でもしようかとやってきたこの屋上で、初めてレインと会ったのだ。

 いや、ただしく言えば、この時初めてこのレインという名のサードを、記憶に刻んだのだった。


 奴の腕に描かれた絵を、偶然初めて眼にしたときは、俺は一瞬、刺青なのかと思った。

 しかし、よくよく見てみれば、それはただのペンで描いた、いわばただの落書きだった。

 にも拘らず、奴の腕に描かれたその絵の美しさに、俺は訳もなく惹きつけられてしまい、目を離すことが……できなかった。


 いつも描いているのか?

 そう訊ねると、レインは躊躇いさえも見せずに、「うん」とだけ答えた。


 どうして、描くんだ?

 今度はそう聞くと、また淡々と奴は「描くのが、好きだから」とだけ答えた。


 レインの描く絵は、奴のその日の気分によって違うらしい。

 小さな薔薇のような花弁を幾つも散らすこともあれば、複雑に絡み合う蔓草を肩にまで届くほど描くこともある。

 神話のような様々な星の煌きを瞬かせることもあれば、悪魔が呪いのために刻み込んだ黒魔術のような紋様をなぞることもある。


 だけど俺は、一日として同じものを描かない、そのレインの絵が……好きだった。


 俺は、このレインの秘かな楽しみを誰にも言わないと約束した代わりに、毎日描いたその絵を見せてくれるように頼んだ。

 レインは、そんな俺を不思議そうに見つめ、けれど少しも表情を崩すことはなく、


「いいよ……」


と、短く答えた。


 それから、俺とレインの……、いや、少なくも俺にとっては秀麗で甘美な、秘密の時間がはじまったのだ。

 晴れの日は、錆びてきしむフェンスの傍で。

 雨の日は、雨だれの音を聞きながら、非常階段の扉の影で。

 そこまで毎日見に来る必要はないのではないか、とレインには訊ねられたが、俺は譲らず、文字通り連日、レインの左腕を愛でたのだ。


 だって、こいつの描く絵は、はかなくもその日のうちに消えてなくなってしまうのだから。

 

 奇妙で美しい絵を描く趣味があるという以外は、レインは取り立てて特徴のあるサードというわけはなかった。

 整った顔立ちをしてはいたが、体付きも同世代の学生に比べれば、やはり華奢。

 性格だって、よく言えば理性的で温厚、そして悪く言えば……無気力で、協調性には乏しい。

 まあ言ってしまえば、それこそが、典型的なサードの特性だったともいえる。


 学校の中でも、どうしたって、そんなサードの奴らは浮いた存在になる。

 そして、それを問題だと論議すべきなのかどうかさえ、教諭たちでも判断ができないのが、今のこの田舎町の学校の現状だった。


 でも、そんななかでも、なぜか俺はサードという人間たちが嫌いではなかった。

 少なくとも、他の奴らより、エゴイストではないし、他人のことに干渉してこないし、そして誰に媚びることもなくあくまで自然体で生きている。


 たしかにサードは、無愛想かもしれない。奴らは、ほとんど笑わない。

 でも、無意味な愛想笑いを浮かべなければうまく人間関係を築いていけないような他の奴らと一緒にいるくらいなら、俺はサードと……レインと一緒にぼんやりと空を眺めているほうが、はるかに気が楽だった。


 俺がこんなふうに思うのは、はっきりとは覚えていないが、俺が7歳の頃に病気で死んだ母親が、口数の少ないまるでサードのようなもの静かな女性だったせいなのかもしれない。


「クラウドは、お父さんの仕事の都合で、このアルシェイドに来たんでしょ?」


 今日もまた、静かに肌の上にペンを滑らせながら、レインがそう問いかけてきた。

 俺は「ああ」と答えて澄んだ青空の向こうに腕を伸ばすと、そこに見える切り崩された山々を指差した。


「あの山の盆地のあたりに、でっかいサードのための学校ができるんだろ。確か再来年には、開校の予定だって、父さんが言ってた」

「そうみたいだね」と呟いて、レインは乾ききらないインクに、微かに息を吹きかけた。


「クラウドは、あの大きな学校が出来るから、この町に来た。僕は、学校ができるから、そのうちここからは、いなくなる」

「…………」

「でも、たとえサードばっかりの学校に行ったとしても、腕に絵を描くのが好きな奴なんて、僕くらいかもしれないけどね」


 そして、レインはめずらしく、笑った。

 もしかすると、それは自嘲だったのかもしれないが。


「なあ、前から聞こうと思ってたんだけど……」

「なに?」

「どうして、わざわざ腕なんかに描くんだ? そんなに上手いんだから、ちゃんと紙かキャンバスに描いて、いくらでも残せばいいのに」


 それは、俺がずっと不思議に思っていたことだった。

 だが……、


「ねえ……もし、ずっと、ずぅっと死なない人間がいたとしたら、クラウドはどう思う?」


 レインは俺の問いに対し、逆にこんなおかしな質問を仕掛けてきた。

 その真意がつかめず、俺はやや面食らいながらも、戸惑いがちに返答を紡ぎだす。


「ずっと、なんて……、そんなの気持ち悪いよ」

「じゃあ、いつまでも歳をとらないで、ずっと若くて美しいままの女の人がいたら、それはどう思う?」

「それも同じだよ。それも、気持ち悪い」

「そうだね、僕も、そう思う。だからさ……」

「…………」

「命も、美しさも、もちろん僕の絵も……、消えてなくなるからこそ、綺麗なんじゃないかな」

「…………」

「僕はサードだから、何も残さずに、静かに生きて、静かにいなくなりたい」


 青い空に、荊を巻きつけたようなその腕を翳し、レインはなぜか寂しそうに微笑んだ。

 はっきりと、感じた。

 今の微笑みは、自嘲なんかでは、なかった。


 静かにいなくなりたいと奴はいま言いはしたが、それはまるで、生への執着の裏返しのようにも聞こえたのだ。

 まさか、サードのこいつに、生きることへの何らかの想いが存在していたのだろうか……?


 俺は、レインの腕に絡み付いた荊が、本当は奴の何を縛り付けているのだろうかと、夢想せずにはいられなかった。




 帰り道、思いがけずに、ぽつりぽつりと……雨が降り出した。

 俺たちは、たいした雨にはならないだろうと互いに判断したようで、どちらも、雨粒をよけることもせず、ただいつもの道を歩き続けていた。


 そのとき、ふいに……。

 俺の耳に、なにか遠くて近い、不思議な声が聞こえ始めた。

 俺は、その声に誘われるようにして、俯きながら横を歩く奴を、奴の唇を、じっと見つめた。


    Rain rain go away....


 奴は、唄っていたのだ。

 降りそそぐ雨音に消え入りそうなほどに微かな声で、俺に聞かせるというわけではなく、まるで無意識とでもいうように、ある歌を口ずさんでいた。


    Rain, rain, go away.

    Rain, rain, go away.

    Come again some other day.

    Little Johnny wants to play....


 それは誰でもが知っている、そう幼い頃に母親から聞かされて覚えたであろう、あの語り歌。

 奴は、それを、繰り返し口ずさんでいた。

 おそらくは、奴もこの歌を子供の頃、母親に聞かされて育ったのだろうか。

 繰り返し、繰り返し……。


 呼びかけようとして、口から出かかった奴の名に、急に躊躇いを感じ、俺は言葉を飲み込んでしまった。


    Rain rain go away....

    雨なんか、どこかにいってしまえ....

    ........どこかにいってしまえ.......


 気がつくと、あれ程に優美に描かれていたあの左腕の紋様は、思ったより激しさを増した雨粒に洗い流され、その指先から黒い滴となって、地に向かい、零れ落ちている。


 こいつの母親には、まだ会ったことはない。

 彼女はこの童謡を、子守唄として赤ん坊の頃から奴に聞かせ続けたのだろうか。

 それならば、彼女はなぜ、こいつの名を、レインと名づけたのだろう。


 サードが心を閉ざして生きるのは、果たして本当に持って産まれた、性ゆえなのか。

 それとも……。


 俺は、こいつの指先から零れる黒い滴を、いつまでも、いつまでも、見つめていた。






 本能的な自己の性意識と、後天的に植え付けられた性意識、または……生の意識。

 どちらがより、潜在意識に与える影響は大きいのでしょう。


 サードは、本当に、神が創りだした存在なのでしょうか?

 あるいは……。


    Rain, rain, go away....


 

 第二部からは新展開です。

 第一部で登場した人物たちがアルシェイドという学園を舞台に集まり、ひとつの物語を繰り広げていきます。

 運命の糸に引き寄せられた彼らを、見守ってください。

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