第1部 Episode5:『サード』
彼らはなぜ、産まれてきたのか……。
私は緑色に点滅するモニターを見つめながら、いまだ誰も解き明かすことのできていない謎に対し、何度目か分からない溜息をついた。
「あまり根を詰めすぎないほうがいいんじゃないかね」
ふいに声をかけられ、私は腰掛けていた椅子を反転させると、背後に立っていた人物を振り仰いだ。
「……ツェラー教授……」
自分を見下ろしていたのは、白髪の混じる厳格さを絵に描いたような、初老の男性。
私は自らの疲労を取り繕うようにして微笑んで見せると、白衣の乱れを直し、こう答えた。
「私は大丈夫です。それより教授の方こそ、お疲れなんじゃありませんか。コーヒーでも、お煎れしましょうか?」
「ああ、そうしてもらおうかな」
彼は窓際の革張りのソファに深々とその身を沈めると、首に手をやりネクタイを緩めた。
几帳面なはずの彼のワイシャツの首筋にうっすらと汗が滲んでいるのが伺え、新参の自分には到底量れぬほどの彼の心労を垣間見たような気にさせられる。
ことの解明が急を要していることは充分に承知していても、それが思うように進んではいないのが、現実だった。
「出生率が……、また増加したそうだよ」
コーヒーカップをテーブルに置いたとき、教授が重々しい口調で呟いた。
正式な統計結果を待つまでもなく、この大学研究所で働く関係者の誰もが、予想していた結果だった。
「地域によって格差はあるが、およそ1万人にひとり……、といったところか」
「……そうですか」
「ここまで出生率が増えては、もうどこの国も彼らの存在を無視出来ないだろう」
眉間に深い皺を刻み、そして教授は琥珀色の液体に口をつけた。
混合性性腺異形成無性症、通称・サード。
人間の23対ある染色体のうち、性染色体と呼ばれる1対における先天性の疾患である。
通常、人間の性染色体は男性ならばXY型、女性ならばXX型を示している。
しかし、この患者の保有している染色体はモザイク型と呼ばれるもので、XY、XX、もしくはXO(X染色体と破損したY染色体のかけらの対)などの異なる3種以上の組み合わせが一個体内に混在しており、極めて複雑で不安定な生態を形成している。
発現形質はほぼ女性に近いが内性器は痕跡的で生殖機能はなく、身体的にも低身長で未発達なまま「成人」する。
平均寿命も20歳代から30歳代と、通常の人間に比べ短い。
かつて1950年代以降から1990年初頭までは、この特殊な染色体を持つ新生児たちは、インターセックス……いわゆる半陰陽児と同じようにノーマルな男性もしくは女性に見えるように外科手術によって「修正」され、その存在自体が社会から隠蔽されていた。
けれど、そんなインターセックスへの医療行為に対する批判運動が強くなるに従い、彼らを支援する運動団体などが発足する一方、無性であるサードは半陰陽の者たちよりもより異質な存在としての認識をされるようになっていった。
その理由は、大きく分けて、ふたつ。
ひとつめは、通常半陰陽の人々は、自身の身体的特徴やそれまでの生活環境などにより、最終的には社会的に男性・女性どちらかでの人生を選別し、それに順ずる生活を送っている者が大半である。
また、彼らには通常の男性や女性と同様に性的な欲求も存在する。
だがそれに対し、サードと呼ばれる者たちは自身が無性であることを本能的に認知しており、男性や女性としての人生を希望するものは非常に稀であるという。
そして、その無性という特徴ゆえか、異性に対しての性的欲求も介在しない。
ふたつめの理由は、こちらのほうが生物学的にはより大きな謎とされているのだが……、彼らの血は、なぜか一様に青色をしていたのだ。
現在の医学的見地からすれば、なぜ青色をしているのか、そんな成分分析的なとこは容易に解明することができた。だが、なぜ青い血を持った新生児たちが、突然変異のように次々と産まれてくるようになったのか……、その理由が分からないのだ。
そのため、サードと呼ばれる青い血を持つ新生児たちは、より異端視されざるを得なかったのである。
彼らがいつの頃からこの地球上に現れたのかは、分からない。
だがここ数十年の間で、その出生率は驚くべきほどに増加の傾向を辿っており、20世紀の初めには10億人にひとりといわれていた出生率が、いまでは1万人にひとりというまでになったという。
もはやこの現状に、世界の各国々もその存在を認めざるを得なくなり、ついには性別を持たない性、第三の性『サード』という存在を、正式に受け入れるをことを余儀なくされたのだった……。
「このままサードの出生率が増加していくと、いったい人間はどうなってしまうのでしょうか……?」
私は、今現在、この地球上で誰にも答えることの出来ない問いを、思わず口にしていた。
なぜサードという性が産まれるようになったのか、そしてこの鰻上りになっている出生率を抑制するにはどうすればいいのか。
今のところ、私たち人間は、この現状に対し講じられる手段を何も持ち合わせてはいなかった。
「メイヤー君……、アルシェイドという町を知っているかね?」
閉め切った窓枠がつよい風になぶられ揺れだしたときだった。
おもむろに教授は、私にそんな問いを投げかけてきた。
私はわずかに首をかしげ、おぼろげな記憶をたよりに返答をする。
「アルシェイド、ですか? たしか、山間にある静かな田舎町だと思いましたけど……」
「そうだ。今度その町に、大きな総合学園ができることになっている」
「……はあ」
「どうだね、キミ、そこで学生相手にカウンセラーでもやってみないかね?」
一瞬、教授のいった言葉の意味が分からなかった。
私が……、カウンセラー?
医学と人類生物学を専攻し、大学院を出てからそのままこの研究所に身をおいているような、この自分が?
私は言葉を失ったまま、ただひたすらに目を見開き、教授を見つめた。
「なにも、そんな顔をしなくてもいいだろう」
「で、ですが……」
「この役目は、メイヤー君、キミが適任なんだよ」
「しかし……、それは、私はこの研究所には必要がないということでしょうか?」
驚きを通り越し、私は思わず語気を強めてそう問いただした。
だが彼は、激しく唸る風の音に耳を澄ましたあとで、ゆっくりと私の顔を見つめ語りだした。
「アルシェイド総合学園には、国中のすべてのサードの子供たちが集められることになっている」
「……サードの?」
「国家が助成金を出し、今後、義務教育の対象となる年齢のすべてのサードの子供は、このアルシェイドに通うことになる。もちろん全寮制だ」
「ですが、それと私のこととは……」
「国がその存在を認めたとはいえ、まだまだサードは社会的には非人道的な対応を受けることも多いだろう。そんな現状から彼らを保護し、よりよい環境で教育を受けてもらえるよう世界に先駆けてのサードのための安全な学び舎だ。……だが、それだけではない」
「…………」
教授の声が、微かに低くなった。
「アルシェイドの地下には、サードの生態を研究するための施設が建設されることになっている。地上では彼らのための学園として、そして地下では彼らの生態の謎を解き明かす世界随一の研究機関として、アルシェイドはいま建設されている」
「サードの子供たちを……、検体にするんですか?」
「まさか。そんな非人道的なことはありえない。ただ、彼らの日常における身体的なデータを集めるだけだ。それに第一、彼らが万一なんらかの疾患に犯されたとしても、現状ではどこの医療機関でもサードの患者に対して満足な治療を行える病院はまだない。研究所には、彼らのための医療機関も併設させる予定で、彼らの命を疾病から守る意味も含まれているんだよ」
「…………」
「そして、サードの研究には必要不可欠なもうひとつの研究課題がある。それは、彼らの精神面での問題だ」
「精神……?」
「そうだ。生殖機能を持たない彼らは、種を残す本能を備えている男性や女性とは精神の構造が根本的に異なっていると考えられている。そんな彼らがこの社会の中で暮らすには、まだまだ摩擦を引き起こすであろう問題が山積みされている。……分かるね?」
厳かな声で同意を求められ、私は無言で頷くしかできなかった。
教授の言葉は、何よりも真実を語っていたからだ。
「サードの人口増加は、なにもこの国だけの問題ではない。できるだけ早く、彼らにとって棲みやすい社会をつくらなければならないし、また彼らの生態のメカニズムを解き明かすことで、その出生率を少しでも抑えなければならない。でなければ……、いずれ人間は、子孫を残せなくなる日がくるだろう」
その刹那、風がひときわ鋭く……悲鳴をあげたような気がした。
「そのためには、社会的な見地からも、また生物学的な見地からも、彼らが心を開きやすいであろう女性のキミに、カウンセラーとして学園に従事してもらいたいのだよ。そしてより多くの彼らのメンタルなデータを収集してもらいたいのだ」
教授の揺るがない視線と、肩に乗せられた掌の強い呪縛。
「頼まれて……くれるね?」
私は彼の言葉のから、逃げ道を見つけ出すことが……、出来なかった。
生物は、絶えず進化と退化をくりかえしています。
サードという存在は人類にとって、果たして進化なのでしょうか。それとも退化なのでしょうか。
私には、難しいことはよく分かりません。
ただ、人を愛せない人間たちが、むやみに性のみを振り回している世の中って、なんか哀しいな……って思ったとき、こんなお話を思いつきました。
愛と、性。
どっちが卵で、どっちが鶏だと、思いますか?