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第3部 Volume12:『リタ』  SIDE:ニック

 俺はデスクの両脇に積み重ねられた書類の山に埋もれるようにして、背を丸めながら、喰い入るようにパソコンの画面を見詰めていた。

 所詮、2流雑誌のデスクだ。

 雑居ビルの中にあるお世辞にも充分とは言えないフロアーの中に、野暮ったい着古した上着を羽織った汗臭い連中が、通路とさえ呼べないような椅子の背もたれの間を、ガタリという耳障りな音を立てながら走り回っている。

 けれど、そんな環境下においても、俺の集中力はまったく途切れることはなく……、ただ、ひたすらに……、瞬きさえも忘れるほどに、鈍い光を放つパソコンの画面を眺め続けていた……。


 前回、俺がアルシェイドに侵入してから、今日が3日目だった。

 ということは、次のジャンヌとの約束の日までは、あと2日……、ということになる。


 当初は、5日なんてすぐだと思っていた。

 なのに……、たった5日という日が、これほど長く感じられたことは、今までの俺の人生の中でも初めてではなかっただろうか……。

 思わずそう感じてしまうほどに、ジャンヌが指定した5日間という時間は……、俺にとっては、気が狂いそうになるくらい、果てしなく、長い時間に思えてならなかったのだ。

 

 ……どうして、俺はこんなに焦っているんだ……?


 アクセスの遅い画面を、目を細めて睨みつけながら、苛立たしく自問自答する。

 そして、そんな俺が、爪を噛みながら必死に検索をし続けていたものといえば、それはある……人物名だった。


 そう、その名前は……、『リタ』。


 先日、ジャンヌが自らの恐怖に取り乱しながら思いがけず口にした、あの女性の名前だ。

 いや……、正確に言えば、一般的には女性名とされている名前……、といったほうが適切かもしれない。

 アルシェイドにいわば捉われているジャンヌが、思わず口走った名前なのだ。恐らく、この名前の持ち主は、女性ではなく……サードではないのだろうか……?

 俺の直感が、そう告げていた。


 そして、その『リタ』という名前に、あれほど怯えていたジャンヌ……。

 彼女の姿を思い出すたび、抑えきれない焦燥がとめどなく湧き上がってきてしまうのだ。

 だからこそ俺は……、その『リタ』という名前の待つ意味を、彼女との約束の日よりも前に何としても調べだしてやろうと、躍起になっていたのだった。

 

「…………」


 まず俺が侵入を試みたのは、アルシェイドに収容されているサード達の個人情報のデータバンクだった。

 お国が管理しているアルシェイドの情報だ。そう簡単に入り込んでいけるとは思っていなかったが、けれど俺だって、伊達にここ数年をかけて、あの学園を調べ続けてきたわけじゃない。

 今までだって、編集長にばれたらクビどころじゃすまないような政府のデータバンクにお邪魔させて頂いたことも、何度かは、ある。

 俺は今までに収集してきた、あらゆるルートや手段を用いて、『リタ』という名前の正体を探し続けていた。


 だが……。


 すでに調べ始めて3日が経とうというのに、俺はまだ、「これだ」と思えるような獲物には辿り着けずにいた。

 現在、あの学園に在籍している生徒の中に、『リタ』という名のサードは3名いるらしかった。

 しかし、どれほどその3名の『リタ』の詳細な情報を調べてみても……、誰一人として、おかしな要素をもつ人物は浮かび上がってはこないのだ。


 俺は、様々な憶測を巡らせながら、何度となく在学生のリストを相手に検索を繰り返してみたが、それでもやはり、この3名の他には『リタ』という名のサードは見つからないのだ。

 だが、ジャンヌがあれほどまでに怯えながら呟いた『リタ』が、この凡庸な3名の中の誰かであるとは……、俺にはどうしても思えなかった……。


「……まさか……」


 ふいに、俺の頭の中に、ある考えがふっと浮かび上がってきた。

 無意識のうちに息をつめ、自らの発想を審議してみる。

 けれど脳裏が蠢けば蠢くほど、それに煽られるように、俺の鼓動は激しさを増してゆくばかりだった。


 畜生……っ!

 何でもっと早く思いつかなかったんだ!? もしかしたら……!


 鋭く舌打ちをすると、すぐさま俺はキーボードに頬を擦り付けるようにして、新たなデータバンクへの侵入を開始した。


 俺が突如として狙いを定めた情報の出所、それは……、人口管理局。


 さすがに、この国の全人口の戸籍情報を一手に管理している政府直轄の機関なだけはあって、セキュリティーは予想以上に厳重であったが……、以前結構な金を積んで、人様には言えないルートで入手したハッキング・バイブルを片手に……、俺は、硬く閉ざされた電脳の門扉をこじ開けようと奮闘した。


 しかし、高い対価を支払っただけの価値はあったようだ。

 見た目には、ただのボロボロのメモ帳でしかないそのバイブルだが、その名に相応しく、中身の狡猾さでは人口管理局の上をいっていたらしい。

 程なくすると、俺は、とうとう人口管理局のデータバンクへと辿り着くことに成功したのだった。


 とはいえ、安心するのはまだ早い。むしろ本番は、ここからなのだ。


 不正アクセスが露見しないうちにと、俺は、大きく一息吸い込んだ後、すぐさま目当ての戸籍情報を得るために、そのデータバンクでの解析を開始した。

 けれど、俺が問題の『リタ』を探し出すにあたって、その絞込みに使用した検索の条件は、それほど多くはなかった……。

 

 俺が検索に用いた条件は、4項目だけ。

  

 第一に、『リタ』という名を有していること。

 第二に、出生年月日が、アルシェイドの就学対象となる範疇内であること。

 第三に、性別はサードであること。

 そして、第四の条件は……。


 期待と疑念の入り混じる奇妙な思いを胸に抱きながら、俺はそれら4つの条件を入力すると、その検索の結果を導くべく、エンターキーをカタリと押した。


 すると、すの瞬間……。

 耳障りなファンの音と共に、画面上に映し出された該当者名は……、たったひとつだけであった。


「……こ……こいつ、なのか……?」


 俺は左肘をつき、その腕で頭を抱えるようにしながら、鈍く光る画面に唯一表示された名前を、穴の開くほどに睨みつけた。


 その名前は……、『リタ・ヴィンヤード』。

 

 乾いた唇をひと舐めすると、俺はその名をゆっくりと……、声にならない声で呟いた。

 そしてやや震える指先で、けれど慎重にその名前をクリックし、瞬く間に表示されていく戸籍情報へと、視線を注いだ。


 埃の幕に覆われた画面に、冷然と並んだ文字が記していたのは……、この、顔も知らぬ『リタ・ヴィンヤード』というサードの、出身地、家族構成、生年月日、そして……、没年月日であった。


「…………」

 

 半ば予想していたこととはいえ、何故だろう。

 俺は、自身の胸のうちに、苦々しい思いが拡がっていくのを、抑えることが出来なかった。


 だが皮肉な話ではあるが……、俺は、自らが噛み締めた苦味の分だけ、寝食を忘れて捜し求めた『リタ』が……、既にこの世には存在しない、この『リタ・ヴィンヤード』であろうことを、確信したのだった。


 そして更に、人口管理局の詳細データを見てみると、この『リタ・ヴィンヤード』というサードは、2年前、アルシェイドの開校と同時に、入寮・就学したことになっている。

 だが昨年の秋……、持病の喘息の発作のために、急死……と、記載されていた。


 そうなのだ。

 何度アルシェイドの在学生のリストを検索しても、この『リタ・ヴィンヤード』に辿り着かなかった訳は……、彼女が既に、在学、してはいなかったからなのだ。


 生来、寿命も短く、生命力にも乏しいサードのことだ。

 ちょっとした病気や怪我で、簡単に命を落としてしまうことだって、珍しい話ではない。

 だが、そう思ってみてもなお……、俺の胸のうちには、何か釈然としない思いが渦を巻いていた……。

 そうして気がつけば、俺の視線は無意識のうちに再度モニターへと向けられ……、やがて手にしたペンで『リタ・ヴィンヤード』の家族の住んでいるであろう住所を、手帳へと書き記し始めていたのだ。


 しかし、俺が『リタ』の住所を書き終えた、まさにその瞬間であった。


「なぁ、ニック。これから、ちょっと出てくれないか?」


 背後から不意に声をかけられ、俺は手にしたペンを、危うく転がしそうになってしまった。

 けれど、すんでのところで落ちかけたペンを握りなおすと、何食わぬ顔で開いていた画面を閉じ、そしてふてぶてしいほど横柄な態度で、俺は後ろを振り返った。


「出かけるって……、いったい、どこにですか?」


 俺は椅子に腰をかけたまま、そう問い返すと、ふんぞり返って声の主を見上げた。

 すると、考えるまでもなく……、やけに高圧的な雰囲気でそこに立っていたのは、やや小太りな、マーティン・ロメール氏という初老の男性……。

 そう、要するに早い話、うちの社の編集長さまなのだ。


「どこぞの大学の研究チームが、サードの細胞の人口培養に成功したと発表したそうだ。もしその研究が実用化までこぎつけることが出来れば、今後サード医療は飛躍的に進歩するんじゃないかって話だそうだ」

「へえ、そいつは……何より」

「サードのことに関しちゃ、うちの課の中では誰よりもおまえが一番見識が深いからな。正式な記者会見は明日らしいが、一応、今日のうちにも学内の様子や関係者のコメントだけでも拾ってきてもらえないか。ええと、どこの大学だったかな……」


 偉そうに言い散らすわりに、大学の名前さえ把握していないらしい愚鈍なオヤジ……、いや編集長さまは、脇に従えていた今年入社したての愛嬌だけがとりえの若い女のカメラマンに、悪びれるでもなく、大学名と研究チームの教授の名前を聞いていた。


 確かにいつもの俺だったら、編集長の態度はともかく、この取材内容ならばふたつ返事で了承したかもしれない。

 だが、果たして今日の場合はどうしたものか……。

 俺は握り締めた手帳の皮表紙に寄った皺を……、ゆっくりとなぞりながら考えを巡らせた。


「おい、どうしたニック。何をぼさっとしてるんだ?」


 予期していたような色よい返事を俺がしなかったせいだろう。

 気の短い編集長は、すぐに苛立ちをあらわに、俺の答えを催促してきた。


 それに対して、考えた末に俺の出した答えはといえば……。






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