第3部 Volume11:『ローリー』 SIDE:クラウド
「ああ、すごく似合ってるよ……」
という、非常にぶっきらぼうなものだった。
しかしこれでは、褒めているのか、貶しているのか、どっちなのかわかりゃしない。
なのに、そんな横を向いたままの俺をローリーが下から覗き込んできたかと思うと、突然……。
「あぁ! クラウド、赤くなってるよ!」
彼女は遠慮なしの馬鹿でかい声で、そう叫んだのだ。
その瞬間、レインが小さく「……え?」と呟くのが聞こえ、そのせいで俺はますますどうしていいか分からなくなってしまった。
「ば、ばかなこというなよ! そんなことある訳ないだろ!」
「嘘じゃないもん。だって、本当に赤くなってるもん」
「お、おまえなあ、冗談も大概にしろよ! いい加減にしないと、本気で怒るぞ!」
ああ、もう……! 俺は本当に十歳の子相手に、何をムキになってるんだ……!
そうは思うのだが、しかし目の前ではしゃいだ笑い声をあげて、俺とレインの間を駆け回るローリーをついつい追いかけずにはいられない。けれど、俺がやっきになればなるほど、彼女は楽しそうに駆け回り続けるのだった。
だが、そんな時、くすりと噴出すレインの声が聞こえてきた。
そして奴はローリーの手を捕まえると、優しげな声で彼女にこう語りかけたのだ。
「ローリー、もうそのくらいにしておいてあげなよ。あんまりいじめちゃ、クラウドが可愛そうだよ」
「えー、だって、面白いんだもん!」
「面白くても、ダメだよ。それにほら、早く絵の続きも描かないと」
「あっ、そうか! 忘れてた!」
レインに絵の話を持ち出されると、たちまち彼女は駆け回るのをやめ、また先程までのようにポーズを取って大人しく座ってくれたのだ。
「なんなんだよ、まったく……」
ローリーに翻弄されっぱなしの俺は、悔し紛れのぼやきを呟くのが精一杯だった。
しかもこれでは、彼女と遊んであげているのではなくて、完全に遊ばれてしまっている状態だ。
おまけに、何故かレインのほうが彼女の扱いが上手いのだが、俺にしてみれば尚更それが気に食わない。
俺はふんと鼻を鳴らすと、レインの絵が完成するまで、また樹の下で不貞寝を決め込もうと歩き出したのだが……、けれど、俺が奴の後ろを通り過ぎようとした、その時……。
「クラウド、似合うって言ってくれて……、ありがとう」
それは、もう少し距離が遠ければ聞き逃してしまったかもしれないほど、本当に微かな声だった。
それを耳にした瞬間、俺の胸が、どうしてだろう……急にどきりと高鳴った。
俺はそれを悟られまいとして、わざと短く「ああ」と答えただけで、そのまま樹の下に戻るとごろりと横になり、それきり奴の顔は見なかった。
いや、本当は……見られなかった、という方が正しいのかもしれない……。
その後は、時折聞こえてくるローリーの笑い声と、レインの奏でる小気味よい鉛筆のリズムだけが、大樹の葉ずれのなかに響いているだけだった。
やがて、鉛筆の音が止まった……と思った時……。
「うん、こんなもんかなぁ……」
という、レインの呟きが聞こえてきた。
その声を合図に、俺とローリーは我先にとレインの元へと駆け寄り、そして奴の手の中の肖像画を覗き込んだ。
その刹那……。
「わぁ……!」
ローリーの唇から、思わず感嘆の溜息が零れた。
そして彼女は「すごいね! これ、お兄ちゃん、そっくりだよ!」とレインの左腕を揺らしながら、はしゃぎ声を上げ続けている。
「肖像画、なんて描いたことなかったから、結構……緊張しちゃった」
そう言って奴ははにかんだが、正直俺はこの時、今まで味わったことのないほどの震えを感じていた。だってそれほどまでに、奴の描いたふたりの肖像画は、生き生きとした生命の煌きを放っていたのだ。
今までのレインの絵は、確かにどれもみな美しかったが、それらはすべて儚げで、無に還ることを前提としているような……そんな危うい輝きを放つものばかりだった。
しかし、今までのそれと今日のこの肖像画は明らかに違っていた。
俺は奴に秘められた計り知れないその才覚と、奴自身の心境の変化、その両方に魅了されてしまい、気がつけば無意識のうちにレインの肩を強く抱き寄せていた。
「……レイン……、おまえ、すげえな……!」
「……本当?」
「ああ、おまえは、本当にすごい。すごい奴だよ!」
語彙の乏しい俺は、ただ「すごい」を連発するしか出来なかったが、それでもレインは、俺の陳腐な賛辞を聞くたびに嬉しそうに微笑んでくれた。そんな奴の青い瞳は、見るたびにその輝きを増しているように思えてならなかった。
……と、俺が奴の微笑みに心を奪われていた、そんな時だった。
「あっ! ママぁ!」
ローリーのひときわ明るい声が聞こえてきた。
その声につられ、顔を上げた俺たちの目に飛び込んできたのは……、事務局からちょうど出てきたばかりの、彼女の両親とメイヤー先生、それと父さんの姿だった。
ローリーは一目散に母親のもとに駆けてゆくと、その腰に抱きつきながら、
「あのね、今ね、お兄ちゃんとの絵を描いてもらってたの!」
開口一番に、そう言った。
その言葉を耳にすると、彼女の両親は僅かに目を見合わせたが、しかしローリーはそんな父母の手を引くとレインの元まで連れて行き、「ちょっと貸してね!」言って、奴の描いた肖像画をふたりに手渡したのだ。
そして、そこに描かれた子供たちの姿を目にした途端……。
「……これは……ロイなの……?」
大きく目を見開いた母親の声が、かすかに擦れた。
すると、事の次第を少し離れたところから見守っていた父さんとメイヤー先生までもがこちらに歩み寄ってきて、母親の背中越しに彼女の手の中にある肖像画を覗きこんだのだ。
絵を目にするや否や、メイヤー先生の口から「……まぁ……」という驚きの声が上がった。
そればかりか父さんまでもが、じっと目を見張った後で
「これを描いたのは、君なのかね?」
と、訊ねてきたのだ。
レインは一瞬、俺を不安げに見上げはしたが、けれど父さんに対しても微かに頷いて見せ、創作者が自分であることを認めたのだ。
「たしか、君は、レインと言ったかな?」
「……はい」
「この学園に、これほどまでの絵の才能のある生徒がいるとは知らなかったよ。芸術は最高の自己表現の手段だ。サードである君が、これほどまでの自我を持っていたとは、正直驚いた」
「あ……ありがとうございます……」
「これからも、ぜひ頑張りなさい」
父さんは俺が耳を疑いたくなるほど嫌味もなく、手放しでレインの絵を賛美したのだ。
けれど、俺がそんな驚きの余韻に浸る間もなく、今度はロイの母親がレインの元にゆっくりと歩み寄ってきたかと思うと、彼女は奴の目線にあわせるために膝をつき、そして穏やかにこう囁きかけてきた。
「あの……、レイン君、だったかしら? ロイの絵を描いてくれて、ありがとう……」
「いえ、そんなにお礼言われるほどのことじゃ……。あ、よかったら、これ、持って帰ってください」
奴はそう言うと、ふたりの肖像画のページを、丁寧に針金の留め具から引き剥がした。
「……いいの?」
「はい。喜んでもらえる人に、もらってもらえる方が、僕も嬉しいし」
「そう、ありがとう……。私ね、ロイのこんな笑った顔、見せてもらったこと……なかったから……」
母親は僅かに涙ぐみながら、レインを抱き寄せると感謝の意を込めて、その額に柔らかくキスを贈った。
そして、もう一度「……ありがとう」と呟くと、レインの手からその肖像画を、譲り受けたのだった。
その後、レインはローリーから借りていたあの白い上着を彼女に返すと「またね」と再会を約束して、握手を交わした。俺は別にどっちでもよかったんだけど、ローリーの奴が俺にも握手をねだるから、仕方なく俺も、彼女の小さすぎる手を握り返してやった。
「レイン、クラウド! バイバーイ!」
走り出す車の窓から身を乗り出さんばかりに大きく手をふるローリーの姿が、やがて小さくなり、ついには見えなくなってしまった。
俺たちは振り続けていた手を名残惜しそうに下ろすと、とたんに静けさを取り戻してしまったいつもの学園の空気を感じ、ほんの少しだけ溜息をついたのだった。
だが、その時……。
「メイヤー君……」
父さんがメイヤー先生を呼び寄せると、何かを小声で指示しているのが視界の隅に映った。
そして、先生は父さんの言葉に小さく頷くと、やおら俺たちに歩み寄り、にこやかに微笑みながらこう語りかけてきたのだ。
「ねえ、レイン。体調もだいぶ良くなったみたいだけど、嵐の日にあなたもだいぶ怪我をしたでしょう? だから明日にでも、念のために少し検査をさせてもらってもいいかしら?」
「あ、はい……」
「ありがとう。じゃあ、明日、迎えに行くわね」
そして彼女はレインの了承を得ると再度微笑み、しかしすぐに小走りで父さんの傍に駆け戻っていった。
父さんは、今度は「すぐに帰れ」とか、そんな俺に対しての言葉はひとつも口にすることはなく、すぐにメイヤー先生と事務局の中に戻っていってしまった。
まあ、こんなこと……、今に始まったことじゃないんだけど、さ……。
「ねえ、クラウド」
「な、なんだ……?」
俺は内心の愁いを奴に悟られたくなくて、空元気を装うと、勢いよくレインを振り返った。
しかし奴は俺とは違う何かを、胸のうちに強く感じていたらしい。
奴はぎゅっと胸のスケッチブックを抱きしめると、その想いを噛みしめるようにこう呟いたのだ。
「僕の絵を見て……、喜んでくれる人が、いるんだね……」
「……え?」
「僕、もっと絵を描いてみたくなった。クラウド、スケッチブックを僕にくれて……本当にありがとう」
そして奴は、俺のジャケットの裾をそっと握りしめたかと思うと「……最初、いらないっていって、ごめんね……」と、申し訳なさそうに上目遣いで俺の顔を覗き込んできたのだ。
俺はスケッチブックなんかがどうのというよりも、奴の気持ちの変わりようの方が嬉しくて……それが、たまらなく嬉しくて……。
「そんなこと、気にしてねえよ!」
それを必死でごまかすために、奴の背中を力一杯……、叩き飛ばしてやったんだ。
ローリーの無邪気な生命力に触れ、少しずつ自分の生きる道を見出してきた、レイン。
しかしそれとは裏腹に、むしろ様々な物思いを抱えていたのは、クラウドの方かもしれません。
レインの変化と、自分の父親の冷淡さ……。
その両面に揺れるクラウドの心、覗いてあげてください。