第3部 Volume6:『相棒』 SIDE:ニック
ジャンヌは本当に病院の正面入口から自動ドアをくぐると、そのまま受付へと向かった。
「あら、ジャンヌ……。何か用?」
受付にいた白衣の女性がジャンヌの姿を見るなり、すぐさまカウンター越しにそう呼びかけてきた。
しかしどういう訳か、彼女はジャンヌの来訪を快くは思っていないようである。その証拠に、眼鏡の奥の瞳には僅かにだが警戒の色が浮かんでいた。
だがジャンヌはそんな出迎えを前にしてもあくまで強気の姿勢を崩そうとはせず、カウンターに肩肘を乗せると、こう言い返したのだ。
「ずいぶんなご挨拶ねえ。昨日の夜、ロイが緊急収容されたって聞いたから様子を見に来たのよ。寮母が寮生を心配して見舞いに来たら悪い?」
正面から堂々と入ってきた割りには、思ったよりもスムーズな入場……という感じではなさそうだ。
内部事情の分からない俺はとりあえずはジャンヌに任せてみようと思い、無言のまま彼女の後ろに突っ立っていたのだが……、
「で、こちらの方は?」
思いがけず自分の方へ矛先を向けられた瞬間、慌てた俺はとっさに……こう、答えてしまった。
「わ、私は、マーティン・ロメールと申しまして……」
まったく、もう……。
彼女の用意してくれた『忘れたくても、忘れられない名前』が、功を奏してしまったではないか。
けれど俺が名前だけを名乗った直後だった。まるで待ってましたとばかりにジャンヌは横から身を乗り出してくると、皮肉っぽい笑みを浮かべつつ俺の代わりに返答をしだした。
「この人はねぇ、教授が私につけた……、監視役よ」
「え? でも……見たことない人だけど?」
「あら、そうなの? なんでも今度の災害のせいで、アルシェイドに常駐していた職員はもう手一杯なんですって。だから教授が自分が元いた研究所から急遽何名か呼び寄せたらしいわ。お気に入りの、エリート様達の中から、ね」
そしてジャンヌは白衣の女性に対し、威圧的に微笑んだのだ。
けれどその言葉を耳にしたとき、俺は思わず自分の耳を疑ってしまった。
なんだって? 俺が……監視役だぁ!?
しかし俺の心の叫びなどとは関係なく、ジャンヌの言葉を耳にしたとたん、白衣の女性は「まあ……」と呟くと、あからさまに俺への態度を改めた。
「そ、それは大変失礼致しました。ご苦労様でございます。ロイ・ラザフォードの病室は、4階の13号室です」
彼女はあっさりとロイの部屋番号を教えてくれたばかりか、俺に対して愛想笑いまで浮かべてきたのだ。
けれどジャンヌは短く「そう」とだけ呟くと、白衣の女性には礼も言わず、そのままさっさと歩き出してしまう。俺は形ばかりに彼女に微笑み返すと、やや小走りにジャンヌの後ろを追いかけた。
そしてエレベーターホールの近くまで来た頃だった。
俺は人目が途切れた瞬間を狙い、囁き声ながらもジャンヌに抗議を申し立てた。
「……おい、どういうことなんだ、監視役ってのは? 俺は聞いてないぞ!」
「そうでしょうね、言ってないもの」
「あのなぁ……」
「まあ、細かいことはどうだっていいじゃない。とりあえず無事に中に入れた訳だし。で、これからどうするの?」
彼女は俺の言葉には取り合おうとせず、その代わりにエレベーター脇に掲げてあるサインボードを指差した。
「基本的にアルシェイドは関係者以外は侵入禁止となっているけれど、この病院のみ、サードの患者に対してだけは生徒以外でも外来も入院も受け付けているわ。1階が受付、2階と3階が外来、4階から7階までが入院患者用の病室で……」
彼女はボードを指し示しながら、院内の説明をしてくれた。だが……、俺にはそんな話を悠長に聞いている気持ちの余裕などはなかった。
俺は彼女の腕を掴むと傍らの倉庫のような部屋に引き入れ、そして語気を強めてこう言い放ったのだ。
「一般病棟の話なんか、どうでもいいんだ。俺が行きたいのは、研究所だけだ!」
けれど、俺の言い方があまりに頑なだったのだろうか。わずかに彼女は違和感を感じたようだ。
彼女は両腕を組むと、まるで心を見透かすような瞳で俺を見詰め……ゆっくりと赤い唇を動かした。
「あなた……、やけに研究所に拘るのね。もしかしたら、あなたの奥さんが一般病棟にいる可能性だってあるかもしれないでしょう?」
「…………」
「どうしたのよ? なんで黙ってるの?」
「いや……でも、とにかくルイーザは……普通の病室なんかには、いるはずが……ないんだ」
今の返答が、お世辞にもうまい言い方だったとは自分でも思えなかった。
もしかすると、彼女に余計な警戒心を植え付けてしまったかもしれない。
しかし、俺の言葉を彼女がどう受け止めたのかは分からなかったが……。
けれど彼女はふっと唇を緩めると、「思ったよりも、意外としたたかな人みたいね。あなた、まだ私に隠してること……あるんでしょ?」苦笑いを浮かべながら、そう呟いたのだ。
「でも、いいわ。今はそれが何なのかは聞かないでおいてあげる。どうせ何か事情があるんでしょ。それに本音を言えば、私だって、あなたに話せていないこともたくさんあるし。だけど、とりあえずひとつだけ白状するわ。私があなたに手を貸したのには、本当は……ここから出る以外にも、もうひとつ別の理由もあったからなの」
「もうひとつ?」
「ええ……。でも、心配しないで。あなたに余計な手間を増やさせようって訳じゃないから」
「どういう意味だ?」
「私自身もね、用があったのよ、研究所に。どうしても……、処分したいものがあるの」
彼女は埃の舞う薄暗い倉庫のなかで、まっすぐに俺を見据えてそう告げた。
なるほど……、どうりで見ず知らずの俺にこうまで協力をしてくれたわけだ。俺は妙に納得するとともに、込み上げてくる自嘲を抑えることができなかった。
なるほど。お互い様……って、わけか。
ふたりとも腹の中にまだまだ何かを隠している。でも、それはそれで許せるような気がした。
それは自分自身が、いまだ彼女にすべてを語れないその後ろめたさの裏返しでもあったし、それに何より……、俺を見詰める彼女の眼差しが、未だ明かしきれない事情の有無に関わらず……、彼女の心の奥底にあるその実直さを如実に映し出していたように思えたからだ。
だから俺はこのとき直感的に、彼女を信じてみようと決めたのだ。
「オーケー、負けたよ。確かにあんたの言うとおり、俺もまだ隠していることがある。だからこそ俺もあんたがどんな事情を抱えているかは、このさい聞かないと約束する」
「そう。一応、ありがとうと言っておくわ」
「だが、その代わりと言っちゃあなんだが……」
「なあに?」
「勝手な話だが、俺はあんたを信用すると決めた。たった今だ。だから厚かましいかもしれないが、あんたも俺を信じてくれ。本当の……相棒として、な」
正直、もっと渋い顔をされるかと思っていたのだが、しかし彼女は、
「……いいわ。なんだか私たち、似たもの同士みたいだし」
と、驚くほどすんなりと俺の申し出を受け入れてくれたのだ。
しかもその時の彼女の顔からは険しさは消え、柔らかな笑みさも浮かんでいたのだ。
似たもの同士……。
確かに彼女の言う通りかもしれない。気がつけば俺自身も、彼女と同じような笑みを……浮かべていた。
しかし、そうと決まれば二の足を踏んでいる暇はなかった。
俺は彼女に信頼を寄せると決めたからこそ、表情を引き締め、本来の目的へとストレートに話を戻した。
「単刀直入に聞くぞ。まず、研究所の入口はどこなんだ?」
「こっちもこのさい正直に言うけど……、ごめんなさい、私も研究所の入口は分からないのよ」
「分からない?」
「ええ。私も今まで、こうやって何かしら理由を見つけては何度もこの病院に入り込んで、院内のすべての箇所を見て回ったわ。でも……入口はまだ見つかっていないのよ」
ジャンヌは唇を噛みしめながら、「だから、誰かの助けが必要だと思ったの」と、苦々しく呟いた。
相手が彼女でなければ、探し方が悪いだけなんじゃないのかと、俺は間違いなくそう言っていただろう。しかし、ここまで俺を病院内に導いた手際のよさからいっても、俺は彼女が「素人」であるとはすでに思っていなかった。その彼女が、そこまでして見つからないというのなら、何か見つからないなりの理由があるのではないだろうか。
「手がかりは、まったくナシなのか?」
「病院関係者や、研究チームの人間から、何度も『地下』という言葉は聞いているの」
「地下か……」
「でも、この病院の地下にあるのは、機械室と倉庫と、あとは……霊安室くらい。もちろん、そこら辺は何度となく探ってみたわ」
「でも……見つからない?」
ジャンヌは悔しげに頷いた。
俺は口元に手を当て、しばし考えを巡らせた後……、自分なりの考えを述べてみることにした。
「俺が思うに、見つからない理由はふたつあるんじゃないかと思う」
「え?」
「まず、ひとつめ。仮に、研究所が地下にあったとしても、その入口も地下にあるとは限らない。外部からの侵入者の撹乱を狙って、地下以外の別の階に入口があるのかもしれない。テレビ局なんかじゃ、よくある話さ。テロリストなんかの侵入や占拠を予め想定し、わざとそんな複雑な構造にしてあったりするものなんだ」
「…………」
「ふたつめ。なんと言っても、このアルシェイドは広い。俺自身も研究所は病院の一部にあると思い込んでいたが……、もしかすると、地下は地下でも病院以外の施設の地下なのかもしれない」
ジャンヌは俺の言葉を耳にするとほんの少しだけ戸惑いを見せたが、一度大きく息を吸い込んだ後、腹を決めたのだろうか、彼女のほうから俺に対して次の指示を……仰いできたのだ。
「もし、あなたの言うとおりだったとして……、だったら、今日のところはどうするべきだと思う?」
「そうだな。今はもうこうやって病院に入り込んでいる訳だし、とりあえず今日はもう一度徹底的に病院の中を探してみよう。ただし……上の階からだ」
俺の提案に対し、彼女は深く頷いた。
そして、エレベーターが最上階に到着する寸前だった。
彼女は一瞬だけ振り返ると「勝手に連れてきたくせに不案内でごめんなさい。返って……迷惑をかけたわね」と、まるで独り言のように囁いた。
「なぁに、なんせ相手は政府が関わってる組織アルシェイドなんだ。たった一日でケリがつくなんて、はなから思っちゃいなかったさ。むしろ、あんたの情報と協力に感謝してるぜ」
「…………」
「さあ、時間がないんだろ? 急ごう!」
そして俺は彼女の背中を軽く後押しすると、最上階の廊下へと足を踏み入れたのだ。
病院内の探索を開始した、ふたり。
果たして、彼らは研究所の入口を見つけることはできるのでしょうか?
そして、その途中、彼らが出くわすものとは……?