第3部 Volume2:『協力者』 SIDE:ニック
「サードの血が青いのが、何故だか知ってるか?」
俺の突然の台詞に、彼女は一瞬だけ身体を強ばらせたが、けれど振り返ろうとはしなかった。
しかし彼女の反応はしばらく無視して、俺は勝手に講釈を続けることにした。
「通常の人間に流れている赤い血は、誰もが知っているように赤血球の中にあるヘモグロビンという呼吸色素が酸素を運んでいる。血の色が赤いのもこのヘモグロビンが鉄を核とした高分子で、酸素と結びつくときに酸化して赤く変色するからだ」
そう、ここまではごく当たり前の話。だが問題なのは……。
「けれどサードの場合、血液中で酸素を運んでいるのは鉄じゃない。銅だ。銅を核としたヘモシアニンという呼吸色素が酸素を運ぶ。だから血液の色は酸化した青銅色……つまり、青になるって訳だ」
これがサードの薄気味悪さを助長させる最大の原因であることは言うまでもない。
「だが、問題なのはこのヘモシアニン……、赤い血を作るヘモグロビンに比べて、酸素の運搬効率が悪いんだ。だから青い血を持つサードは、普通の人間に比べて気性も穏やかだし、体力もない……そして寿命も短い。まして怪我なんかして出血した場合には、赤い血の奴らより何倍も早く止血をしてやらないと、すぐに命を落とすことだってある。だけど今の段階では、こういう医学的な知識はサードを持つ家族にさえ、まだ浸透しきっちゃいない」
その時、背を向けたままではあるが「……あなた、家族にサードがいるの?」という微かな彼女の声が聞こえてきた。俺は自分が誘導したはずの彼女の問いかけなのに、聞かれた瞬間、思わず苦笑し下唇を噛みしめてしまった。そして、やや大袈裟に自棄を装い答える。
「ああ。サードなんだよ……、俺の女房がね」
だが、さすがにその答えは彼女にも想像外だったのだろう。
ジャンヌは俺の言葉を耳にすると、横たえていた身体を起こし、そのまま無言で俺をじっと見つめてきた。
「俺の女房の名前はルイーザという。結構な金持ちの家の産まれでな……、外見も本当の女みたいに綺麗な奴だった」
「でも、やっぱり……サードだったの?」
「ああ。色々な薬で、とにかく外見だけは女みたいに作りあげられていたけど、でも血も青いままだったし、子供も産めない身体だった。だけど俺の親父が、当時ルイーザの父親の会社で働いててさ、なんの因果か家の恥である『行き遅れの娘』のルイーザは、回りまわって、結局しがない二流雑誌の記者なんかをやっている俺のところに厄介払いさせられてきたんだ」
「…………」
「俺だって、正直、最初は戸惑ったよ。サードなんて奴のことなんて全然知らなかったし。おまけにルイーザは他のサードに比べても、特に身体も弱かった。恐らく女性らしい身体にさせるために、下手に薬なんかでいじられまくった分、余計にそんな状態にされられたんだろうよ。俺はあいつが倒れるたび、サードについてのまだ数少ない研究書やレポートを、必要に迫られ読み漁ることになった」
次第に俺の話に真剣に耳を傾けるようになっていたジャンヌだったが、不意にあることに気づいたのであろうか。探るような目をしながら、俺にひとつの問いを投げかけてきた。
「それで……いま、彼女は?」
……さあ、いよいよだ。
俺の本音を語ったこの賭けがどう転ぶかが……、もうすぐ分かる。
「あいつは今は、俺の元には、いない」
「え……?」
「あいつが、何度目かで倒れた時だった。あいつの父親の独断で、今までよりも大きな病院に入院させられることになったんだ。ルイーザは俺が留守の間に勝手に家から連れ出され、その病院まで運び込まれてしまった。それを知った俺は、大急ぎで彼女の元へと向かったけれど……、俺がやっと病院に着いた時、すでにルイーザはそこにはいなかった」
ジャンヌが瞳を俺の顔を覗き込むようにして来た時……俺はつい、彼女から目を逸らしてしまった。
しかし、それが演技のつもりだったのか、それとも無意識だったのか。正直いって、自分でも解からなかった。
「詳しいことは教えてもらえなかったが、彼女の父親の話だと、ルイーザのところにある研究所の連中が来たらしい」
「…………」
「そしてそいつらが言うには、ルイーザのようにサードでありながら完全な女性としての外見を形成している例は非常に稀なんだそうだ。だから奴らは、ルイーザを研究のために提供して欲しいと言ってきたそうだ」
「そんな、サードは物じゃないのよ……! それで、彼女のお父様は!?」
「……お父様?」
ジャンヌの言葉をオウム返しにすると、俺はつい、鼻で笑いを浮かべてしまった。
「あの男はルイーザの親なんかじゃない。金のことしか頭にない、最悪の野郎だ。あいつは……、研究所の奴らに、金で、ルイーザを売り渡したらしいよ」
「…………」
「ルイーザの行き先を問い詰める俺に対して、あの野郎は何て言ったと思う? 『あいつを育てるのにかけた金よりも、高い金額で引き取ってもらえたよ。思いがけないビジネスになった』って……、あの野郎は笑って、そう……言いやがった……」
傍らでジャンヌの顔が蒼ざめるのが伺えたけれど、その時は俺自身、もう言葉を止めることができなくなっていた。俺は、膝頭のうえで拳をきつく握りしめると、
「その日以来、俺はルイーザの居所を探し続けた。そして調べていくうちに、ルイーザを連れて行った連中がどうやらツェラー教授に関係のある奴らだったことまでは分かってきた。だが、どこの研究所にルイーザがいるかまでは、どうしても分からなかった。そんな時だったんだ……、国をあげてサードのためだけの総合学園ができるという噂を聞いたのは」
「それが……、このアルシェイドのことね……」
「そうだ。そしてそこには学園設備だけでなく、サード医療のための最先端の病院も併設されるっていうじゃないか。おまけにそこの最高責任者は、あのツェラー教授だ」
「…………」
「今はどこにいるのかが分からなくても、きっとこの学園と病院……、いや、病院という名目だが恐らく実際は研究所だ。そしてそれが建設されれば、ルイーザはきっとそこに搬送されるに違いないと思った。だから……、だから、俺は……」
あと、一息だと……思った。
なのに、これまでほとんど誰にも語ったことのなかった本心を、賭けとはいえこうも包み隠さず口にしてしまうと……、喉の奥が詰まってしまい、それから後の言葉が続かなくなってしまった。
駄目だ。ここで終わらせてしまっては……!
ここで終わらせてしまったら、安っぽく同情されてそれで終わりだ。
ここまでの話を聞かせたんだ。ジャンヌというこの女性には、何としても、俺の味方になってもらいたかった。
誰かしら学園内部の者の協力を得ることが出来なければ、ルイーザの居所を突き止めるなんて、困難であることは分かりきっていたのだから。
けれど、どうしても……、打算とは違う想いが胸の中を埋め尽くしてしまっていて、最後の一言が、ジャンヌに協力を訴えかけることが……、出来なかったのだ。……しかし、その時だった。
「愛していたのね? 彼女を?」
淀みなく呟く彼女の声が、唐突に俺の耳に飛び込んできたのだ。
俺はその問いに対し、どう答えてよいのか分からなかった。
そう……、本当に分からなかったんだ。分からないままに、俺はただ夢中で、もう何年もの間ルイーザを探し続けていたんだ……。
俺は……?
だが、俺が完全に言葉をなくしていた、まさにその瞬間だった。
突然、外からこの部屋の扉を叩く音が、淡いライトの輪の中に響いてきたのだ。
「ジャンヌさん、いらっしゃいますか? 守衛室の者です! ジャンヌさん!」
俺は自分の存在が知られたのかと思い、部屋の中で身を隠せそうな場所をとっさに視線で探した。
だが驚いたことに、その瞬間ジャンヌが取った行動は素早かった。
彼女はベッドから飛び上がると、右足を庇いながらもすぐに扉に張り付き、けれど扉は開けずに怯えを含んだ声だけで、しおらしく、こう返事をしたのだ。
「ええ……います。ごめんなさい、私、こういう夜だけは、どうしても……」
「はい。ジャンヌさんが雷が苦手だというのは、私どもも伺っています。ただ、ちょっとお伺いしたいことがありまして……」
守衛は扉の向こうでそう言い掛け、いったん言葉を濁した。
「実は、寮内に残っているはずの生徒さんの所在を確認して回っていたのですが、ロイ・ラザフォードさんと、レイン・マコーミックさんのおふたりだけ、学園内のどこにも姿が見当たらないんです。何か、お心当たりはありませんか?」
ロイと……、レイン?
ふたりとも、俺たちがつい先程まで顔を会わせていた奴らじゃないか?
俺とジャンヌは、思わず顔を見合わせた。しかし正直なところ、俺たちもその行き先は分からない。
「さあ……、ごめんなさい。私はずっと自分の部屋におりましたもので……。もう少し落ち着きましたら、私も寮内を探してみます」
「そうですか、ありがとうございます。私どもも、再度学園の周辺を探してみますので」
守衛はそれだけ言い残すと、すぐに踵を返したらしい。足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
いったい何があったというのだろう?
つい先程まで寮内にいたはずのふたりがいないというのも、非常に気になる話ではあった。
だが、それよりも……俺は、自分の胸の混乱で手一杯になってしまっていた。
中途半端に興をそがれてしまったぶん、語り聞かせてしまった俺自身の話に、いったいどう収拾をつければ良いのか余計に困惑してしまったのだ。
ところが……、次の瞬間彼女が口にしたのは、俺がまったく予想だにしていない言葉だった。
「……もし、私があなたの奥さんを探すのに協力をしてあげたら……、代わりに私の願いにも、手を……貸してくれる?」
彼女の真意を図りかね、俺は驚き顔を上げた。
そんな俺を見定めるようにジャンヌは慎重に俺を見つめ、そして乾いた喉から絞り出すように……こう言ったのだ。
「私の願いは、ここから……このアルシェイドから、逃げること」
「逃げる?」
「そう、私は敷地内ならどこへでも出入りすることを認められている。でも、学園の外に出ることだけは、絶対に許されていないの。だから外に逃げるなら、誰か協力してくれる人がいなければ無理だと思ってた……」
なるほど……。彼女自身も、何か訳ありってことか……。
だが利害が一致しているなら、むしろ好都合かもしれない。そのほうが、信用が置けるかもしれない。
果たして彼女は俺にとって、真の希望の女神となりうるのであろうか。
俺は目の前に凛と佇む「協力者」と……、見つめあった。
互いの協力者を得た、ニックとジャンヌ。
しかし、この学園から逃げ出せないジャンヌの置かれた立場とは?
謎は、またも謎を呼ぶようです……。