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第3部 Volume1:『賭け』  SIDE:ニック

 時折、廊下の窓から蒼白い稲光が差し込んでくるとはいえ、それ以外は学生寮の……、いや、アルシェイド中の電気系統がすべてショートしたらしく、建物の内外に明かりらしい明かりはまるで見当たらない。

 周囲は空に稲妻が走りぬける瞬間以外、完全な闇に包まれていた。

 俺は窓から差し込むその稲光だけを頼りに、勝手のわからない寮内の廊下をただ走るしかなかった。


 だがやがて、長い廊下もついに行き止まりになったようである。

 俺はあたりを見回したが、けれど付近には窓もなく、稲光さえもここいらには差し込んで来ない。

 しかし、俺はその闇のなかに、かすかな鼓動を感じていた。

 平衡感覚さえおかしくなりそうなほどの真の闇ではあったが、そのなかで僅かに震えた吐息を繰り返す何者かの存在を、俺は確実に感じていたのだ。


「おい……、いるんだろ?」


 闇に向かって呼びかける。

 けれど予想はしていたが、当然のように返事はない。

 だが返事はなくとも、俺の呼びかけに対し、その時零れていた吐息がかすかな反応を示していたのもまた事実だった。俺は仕方なしに片手を伸ばすと、辛うじて壁の位置だけを把握し、しばしその場に立ち尽くした。

 そう、闇に目が慣れるのを、待つことにしたのだ。


 しばらくすると、ようやく闇の中にぼんやりとではあるが、辺りのシルエットが浮かび上がってくるようになった。

 壁、天井、といった影がうっすらと見え始め、そして突き当りと思っていたその廊下の左奥に、かすかなくぼみがあったのが見えてきた。

 俺は足元に注意を払いながら、ゆっくりと歩を進め、その廊下のくぼみのさらに奥に目を凝らした。

 しかし、その瞬間……。


「来ないで!」


 まるで泣き叫ぶかのような、鋭い声が飛んできた。

 だが俺はその訴えをあえて無視し、くぼみの奥を覗き込んでみる。すると……、彼女はちょうど廊下の隅に、震える両肩を抱き崩れるようにして座り込んでいた……。

 とはいえこの怯えよう、やはり尋常な状態とは思えない。

 俺は下手に彼女を刺激しないよう、あえて先程までと変わらぬ口調で、けれどゆっくりと話しかけてみた。


「なあ……、せめてタオルくらい貸して欲しいんだけどなあ?」


 またも返事はない。しかし俺はそれでも構わず、更に言葉を投げかけ続けた。


「ほら、あんただって見ただろう? 俺、いま、けっこうびしょ濡れなんだけど……」

「…………」

「今夜の雷はまだ止みそうにないと思うぜ。あんた、ずっとそこでそうしてる気か? だとすると、俺、完全に風邪ひいちゃいそうなんだけどなあ」


 俺はあえて軽口のような言葉を並べ立て、そしてその後しばらくは闇のなかへと向けて、耳を澄ました。すぐに返事を期待していた訳ではない。ただ彼女の呼吸が、次第に緩やかになっていくかどうかを確かめたかったのだ。

 時間は、多少かかった。

 けれど辛抱強く待つうちに、やがて彼女が大きく息を吐いたのが聞こえ、そしてようやく……。


「……手を貸してもらえる? 走っている時に、転んで足をくじいたみたい……」


 まだかすかな震えは残っていたが、思ったよりもしっかりとした声が返ってきた。

 どうにか、峠は越えたかな?

 そう思えた瞬間、俺自身もやっと深く、息を吐き出すことができた。


「ああ、喜んで。か弱い女性に手を貸すのは、男なら当然さ」

「…………」

「ほら、つかまりな」


 暗闇のなかに手を差し伸べると、恐るおそるだが、彼女が俺の腕を掴んできた。そして、彼女がぎこちなく立ち上がろうとするのを手助けしてやる。


「とりあえず、どこに連れていけばいい?」

「すぐそこ……、廊下の反対側のところが、私の部屋だから。本当は自分の部屋に行きたかったんだけど、暗かったから、途中で……」


 彼女は痛めた右足を引きずりながら、そう言った。

 俺はジャケットの内ポケットから、小型のライトを取り出すと彼女が声だけで示した方向を、白っぽい明かりの輪で照らし出してやった。

 なるほど、窓から差し込む光だけではまったく分からなかったが、確かに目と鼻の先、廊下の突き当たりにひとつの扉が見えた。


「あなた……、明かり持ってたの? だったら、なんで……」

「暗闇の中、いきなり眩しい光なんか向けられたら、あんたじゃなくても余計にパニックになるさ」

「…………」

「歩けそうか? ほら、行くぞ」

「え、ええ……」


 彼女は戸惑いながらも、さっきよりも強く、俺の腕を握りながら扉に向かい歩き出した。

 これで少しは、俺に対する警戒心を失くしてくれたのなら良いのだが……。


「悪いな、あんた、名前はなんて言ったっけ?」

「……ジャンヌ・レイ」

「ジャンヌか。たしか、ここの寮母さんだとか言ってたよな。俺は、ニックだ。その、さっきは……」


 なんとなく、寮内への不法侵入の弁解を試みようとした俺だったのだが、


「タオルは……、大きいのが1枚あれば足りる?」


 という、思いがけないジャンヌの言葉で遮られた。

 やれやれ……。

 まずは、第一関門突破、というところか……。

 俺はひとつの可能性を見出せそうな予感を得て、「それで充分」とやや大袈裟に微笑んで見せた。


 彼女の自室だというその部屋は、意外に質素な印象だった。

 生活に最低限必要なものが、最小限に置かれている。そんな部屋だ。およそ女性らしさを感じさせるような装飾品のたぐいは、まるでない。

 だが彼女は約束どおり、タンスの引き出しから大きめのバスタオルを1枚取り出すと、無言でそれを俺に放った。俺も何も言わずにそれを受け取ると、とにかくざっと髪だけを拭き上げる。

 そしてその後、ジャンヌをベットのふちに腰掛けさせると、彼女に包帯などの在りかを問い、それを手に俺は彼女の足元に膝をついたのだった。


「右か?」


 彼女の足首を、加減しながら左右に幾度か動かしてみる。

 僅かにジャンヌも痛みで顔を歪めはしたが、おそらく軽い捻挫だろう。大したことはないと思えた。

 だがそれよりも、転んだ弾みで床に擦ったのであろうか、膝頭から赤い血が滲んでいたことに、俺は足首の包帯を巻いている途中で気がついた。


「おい、どっちかっていうと、こっちのほうが痛いんじゃないのか?」


 彼女が嫌悪感を抱かぬよう注意しながら、俺は控えめに彼女のスカートの裾を膝まで捲り上げた。

 意外と強がりなのか、ジャンヌとやらはその傷については、目を背け、痛いともなんとも言いやしない。

 けれど、まさか滲んでいる血をこのままって訳にもいかないので、俺は軽く傷口を消毒すると、膝頭にも包帯を巻いてやった。

 しかし、成り行きとはいえここまでご丁寧に怪我の手当てをしていると、少々過剰なサービスを提供している気分になってくる。まあここはひとつ後々のことを考えて、今は女王様のご機嫌取りに徹しても悪くはないのかもしれないが……。


 だが、俺がそんな調子で彼女にご奉仕をさせていただいている途中だった。

 彼女は、俺の左手にふと目を留めると、ぽつりと……こんな言葉を呟いたのだ。


「あなた……、結婚してるのね?」

「え? ああ、これか……?」


 彼女の視線が、俺の左手のリングに注がれていたのにはすぐに気づいたが、だからと言っていきなりそんな質問が飛んでくるとは思わなかった。まさか、たったこれだけの怪我の手当てをしてやったってだけで、いきなり俺にそこまでの好意を持ったっていうのか?

 いやあ、まさか、まさか。

 俺は何食わぬ顔で彼女の膝に包帯を巻きながらも、自分の頭に浮かんだ微妙な妄想を慌てて打ち消した。

 ほんの一瞬だったとはいえ、自分の中にあるどうしようもない「男」という本能が抱かせた愚かな妄想に、俺は自分自身のことではありながら心底呆れ返ってしまった。

 本当に、いい加減にしてくれよ。俺はここに、遊びに来ているわけじゃないだろう……。

 胸のなかで自分自身に対し、溜息まじりの愚痴を呟かずにはいられない。


 そしてどうにかこうにか、ようやく包帯をすべて巻き終えたときだった。


「ありがとう、助かったわ。雷の夜だけは……どうしても駄目なの」


 彼女は俺から目を逸らしながら、淡々とそう告げてきた。

 俺は気を取り直すと、本来の目的を遂行するために、瞬時にさまざまな計算を仕切り直した。

 そして妙な意味ではなく、やはりこの彼女とはもう少々お近づきになっておいたほうがいいだろうという結論に達する。

 そう、今の俺が何より欲していたのは、目的を遂げるために必要な「協力者」だったのだから。

 俺は当初の計画に立ち戻ると、彼女がその人物に成り得るかを見定めるため、先程よりもさらに友好的な態度で語りかけてみることにした。


「なあに、別に礼を言われるほどのことでもないさ。誰だって苦手なものくらいあるさ。なあ、それより……」

「だけど、お願いだから、すぐにここから帰って」

「……え?」

「ここは、あなたがいるべきところじゃないのよ」


 一瞬、俺は唖然としてしまった。 

 おいおい、ここまで色々と世話を焼いてやったんだぞ。多少は俺に心を許してくれてもいいんじゃないか。

 正直、そう思った。

 けれど彼女はあっさりと俺の予想を裏切ると、さらに苦々しくこう語りだした。


「あなたが悪い人じゃないっていうのは分かるわ。助けてもらったことにも、感謝してる……。だけど、あなたはマスコミの人間なんでしょ? 何が狙いかは分からないけど、結局は、ここのサード達のことを、興味本位で調べて世間に公表したいだけなんでしょ……?」

「…………」

「だったら……帰って。あなたのような、ちゃんと普通に男性として産まれくることができて、結婚までできて、そんな普通の幸せな生活を送っているような人に……、サードのことなんて分かるはずがないもの!」


 彼女は俺をきつく怒鳴り飛ばすと、そのままベッドに崩れこむようにして背を向けてしまった。

 背中が、小刻みに揺れていた。でも、泣き声は聞こえなかった。

 それが精一杯の、彼女の抵抗だったのだろう。


 彼女の言いたいことは、痛いほど理解できた。

 だが、俺だって目的がある。だから引く訳には、いかなかった。

 俺は彼女に張り飛ばされるのを覚悟の上で、彼女の隣、ベッドの縁にどっかりと腰を落とすと、ほの白いライトの照らし出す天井を見上げながら、聞かれてもいない話を勝手に喋り始めた。


 そう俺は、ひとつの賭けに出たのだ。






 ニックにも、胸に秘めた想いがあるようです。

 彼はジャンヌに対し、いったいどんな賭けをしかけようというのでしょう。


 ニックとジャンヌ……。

 未だ語られていない、時の流れの中に埋もれていたそれぞれの過去が、次第に明らかになっていきます。


 各々が背負う過去、ご注目ください。

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