第2部 Volume6:『Turning point』 SIDE:ニック
「いや、だから! 怪しい者じゃないって言ってるでしょう! この学園に取材で来たプレスの者ですよ! ほら、パスも持ってるでしょ?」
「だからって、学生寮内にまで取材が入るなんて話は聞いてません! 第一、どうして取材に来られた方なら、あんな雨のなかこそこそと窓の外から覗き見なんてしてたんですか!? それに……、ああっ! ちょっと、勝手に寮内に入らないでください!」
そんな怒鳴りあう声が、激しさを増してきた豪雨の音に混ざりながら、寮の裏口から建物の中へと、次第に移動しながら聞こえてくる。
「……どうしたんだろう? 何かあったのかな?」と、レインが不安げに呟いた。
「片方は間違いなくジャンヌの声だろ? もう1人、男の声がしてたみたいだけど……」
しばし顔を合わせて、俺たちはどうするべきかを思案したが、万が一、寮母のジャンヌに何かあってはまずいと思い、警戒をしながらも、少しだけ、扉を開けて廊下の様子を伺うことにした。
そして細めた扉の隙間から、俺とレインがそっと顔を覗かせた瞬間……。
「……あっ……」
ほぼ、それと同じタイミングで、はす向かいの部屋の扉が開くのが視界に映った。
おそらくは俺たちと同じように廊下での騒ぎを不審に思って、中にいた者が扉を開けたのだろう。
しかし、中から姿を現したそいつは、少々俺たちとは様子が異なっていた。
奴は警戒心などまるで持っていないかのように、妙に落ち着き払った態度で、閉じた扉に凭れ掛かると、揉み合うふたりの様子をただ冷静に眺め始めたのだ。
「あいつは?」俺はレインに小声で聞いた。
「彼は、ロイっていうんだ。このアルシェイドでも一番成績優秀で、だからどの教授にも気に入られてる」
「ふうん……」
鼻を鳴らすと、俺は吹き込んでくる風に黒髪を揺らして佇む、そのロイというサードを見やった。
自慢じゃないが、俺は学校の成績に関しては、本当にあのツェラー教授の息子なのかと疑われるくらい出来が悪かったから、元々あんまり秀才ってやつが好きではなかった。少しばかりテストの点がいいからってだけで、見下されているような気がして、なんとなく面白くなかったからだ。
でも、いま目の前にいるロイって奴は、確かに頭は良さそうだけれど、いい意味で物凄くサードらしくて、いわゆる秀才にありがちな嫌味っぽい表情は少しもなく、本当に物静かで……、そう、まるで澄んだ空気みたいな雰囲気の奴だった。
そしてロイは、しばらくは無言で騒ぎの様子を見つめていたが、やがて静かに両腕を組むと、相変わらず小競り合いを続けていたジャンヌに向かって、穏やかに声を投げかけた。
「大丈夫だよ、ジャンヌ、落ち着いて。その人が、取材に来た雑誌記者だっていうのは、本当だから」
「え……?」
「今日の僕のカウンセリングの時に同席していていた人だから、顔も覚えてる」
「そ、そうなの……?」
ひたすらに罵声を浴びせかけていたジャンヌだったが、ロイの言葉を聞いてやっと冷静さを取り戻したのか、ずぶ濡れになっていた男に対し怒鳴るのを、ようやく中断した。
言われてみれば、あのカウンセリングの時……、部屋の中にいたのは確かにこの男だったと、俺もおぼろげながら思い出していた。
しかし……。
「でも……、寮内にまで取材が入るとは、僕は聞いてないよ……?」
俺が思っていたことと同じことを、レインが扉の影に身を隠しながら訝しげに呟いた。
「まあ! じゃあ、やっぱり、寮内へは取材じゃなくて、勝手に入ってきたってことね!?」
「お、おい! 待ってくれ! ちょっとは、俺の話も……」
このレインの一言で、ジャンヌの興奮には、また火がついてしまったらしい。
普段のジャンヌはとても優しい女性だが、反面、実は意外と血の気が多いところもあるのかもしれない。
俺とレインは、さてどうしたものかと、激しく降りしきる雨の音に不安を煽られながらも、成すすべなく……ふたりして、顔を見合わせるしかなかった。
するとそのとき、再びゆっくりと口を開いたのは、またロイという奴だった。
「ねえ、ニックさんだっけ? 客観的に言わせてもらえば、この場合、悪いのは勝手に寮内にまで入ってきたり、僕の部屋を覗き見してた、あなたのほうだと思う」
「お、お前、それも気づいて……」
「ジャンヌは、寮母として自分の責任を果たそうとしているだけだから、非はないはずだよ。ただ、今はちょっと興奮しているから、あとは彼女のことは僕たちに任せて、あなたは早くここから出て行ったほうがいいと思う。……それとも、内線で守衛を呼んだほうがいい?」
あくまで淡々と、ロイは薄明かりの中で蠢くニックに向かって、そう言った。
一方のニックは、「チッ!」と軽い舌打ちをしたあとで、一旦はジャンヌから後ずさる。
覗き見云々に関しては、まあ……俺も人のことを言えた義理ではなかったが、けれどこの雑誌記者も、思ったよりも諦めは悪いようである。
ロイにあれだけはっきりと言われたにも関わらず、それでも彼はすぐには寮から出て行こうとはしない。
そればかりか、今度は俺たちまで懐柔しようと思ったのか、やんわりと厚かましい提案まで持ちかけてきた。
「いやあ、出て行けと言われれば、もちろん出て行くけどさ。そうだなあ……せめて、服くらい乾かしてからっていうのは、駄目かなあ、やっぱ?」
しかし、こんな図々しい言葉をジャンヌが快く受け入れるはずなど、ある訳がない。
「あなたねえ! 不法侵入のくせして、何ふざけたこと言って……!」
そして激昂した彼女が、もう一度、高々と声を張り上げた、その時だった。
刹那、まるで昼間かと見紛う程の蒼白く弾け飛ぶ光が、寮内の窓という窓から、鋭く差し込んできたのだ。
そして次の瞬間には、寮の建物全体が揺れ動くのではないかと思えるほどの激しい雷鳴が、まるで爆音のように、荒れ狂う空を、周囲の山々を、そして地表をも大きく震わせた。
そして、あたりは一瞬にして、完全な闇に包まれた。
どこかに落雷があったのだろう。
この瞬間、近代的な要塞であったはずのアルシェイドは……、完全に機能を停止した。
しかしそれでも、空を縦横に駆け巡る稲妻は一向に留まりを見せない。
そればかりか、雷鳴のなかに混じって、どこか遠くから何かが崩れ落ちるような轟音と、それに続いて足元を掬い上げるような揺れまでもが、各所から響いてきたのだ。
俺たちは凄まじい揺れに耐え切ることができず、みな、その場に崩れこんだ。
「……どこかで、地すべりでも起こったか!?」
最初にそう叫んだのは、ニックだった。
「地すべり?」
「ああ、このアルシェイドは、建物自体は相当頑丈に造ってあるが、その広大な敷地を確保するために、かなり周囲の山を切り崩して建設されたからな。それに、ここ数日降り続いていた雨……、もしかしたら思っていた以上に、山肌の地盤が緩んでいたのかもしれない」
「そんな……」
俺が、何かを言いかけようとした時だった。
再び凄まじい雷鳴が、天空から鳴り響き、寮棟全体をも震わせた。
と、その瞬間……。
「い……、いやああああああああ!!」
突然、ジャンヌが頭を抱え叫び声をあげると、長い髪を振り乱しながら、廊下の奥へと駆け出したのだ。
いくら激しい雷鳴が鳴り響いたとはいえ、今のジャンヌの叫び声は、とても尋常な行動だとは思えなかった。
それほど、彼女の叫びには、背筋が凍りそうなほどの恐怖が滲んでいたのだ。
「お、おいっ!」
やはり、彼女の行動に何かしら異常さを感じたのであろうか。
先程まではさんざん怒鳴られていた相手であるにも関わらず、反射的にニックは立ち上がると、ジャンヌの後を追って走り出した。
「ジャンヌ、どうしたっていうんだろう……? なあ、レイン、俺たちも……」
俺はそう呼びかけると、傍らのレインへと視線を向けた。けれど……。
「……レイン?」
どうしたことか、なぜかレインは、ジャンヌの走り去った方向ではなく、開かれたままの裏口の扉を、じっと見つめ続けていたのだ。そしてその時のレインの表情は、俺がこれまでに見たこともないほどに……、蒼白かった。
俺には、その表情の意味が解らず、思わずレインの肩に手を伸ばそうとした。
だが、それよりわずかに早く、レインは俺の横を通り抜けると、
「……聞こえるんだ、河の音が……」
まるでうわ言のように呟き、そして真っ暗な廊下を、おぼつかない足取りで歩き始めたのだ。
すると今度は、今まで一番冷静であると思っていたロイまでもが、まるでレインの囁きに誘われたかのように……。
「そうだね……。こんな夜なら、神の啓示が聞けるかもしれないね……」
そんな意味の解らない言葉を呟きながら、レインの後を追うように、暗闇が支配する廊下を扉に向かって歩き始めたではないか。
「ちょ、ちょっと待てよ! いったい、なんだっていうんだよ、みんな!?」
俺は慌ててふたりの後を追いかけたのたが、しかし裏口の扉を出て外の様子を目の当たりにした瞬間……、さらに現況の深刻さを思い知らされることになってしまった。
本来なら、夜間でも学園内を巡回しているはずの守衛たちでさえも、たまに建物の影を走り回る姿が見えるくらいで、完全に混乱をきたしていて、平常の体制を保ってはいないのだ。
思ったよりも、今夜の災害は各所で大きな被害を与えているのかもしれない。
しかし、俺の困惑はそれだけではなかった。
こんな危険な雷雨の中をふたりのサードが、あえて表に飛び出したっていうだけでも俺には理解が出来ないというのに、おまけに奴等ときたら……、あろうことか、ふたり一緒ではなく、別々の道を進もうとしていたのである。
俺は、風が舞い上げる前髪に視界を遮られながらも、懸命に薄靄の中のふたりの姿を探した。
……いたっ!
レインは……、正門をぬけ、自宅のある河沿いの道を目指しているようであった。
そしてロイは、レインとは逆に、寮の裏山へと続く道をただ独りで歩いている。
まったく……、こんな時にサードって連中は、いったい何を考えてるんだよ!?
俺は怒鳴りたいのを必死で我慢しながら、ふたりの後姿を交互に目で追った。
どうする……!?
しかし……、やっぱり俺にはレインを放っておけるはずなどなく、山道に消えてゆくロイの姿を気にしながらも、最終的には俺は、全速力でレインの後を追いかけたのだった。
人生の選択肢は、決してひとつだけではありません。
どのカードを選ぶかによって、物語は大きくその流れを変えてゆくのです。
では、あなたはどのカードを選びますか……?