四話 使用人スニル
くだらない。
実にくだらない。
祖国のためと白人を襲う同胞も。
祖国のためと同胞を使い捨てる白人も。
森に近づくにつれ、足早になるこのジジイも。
見えなくなった太陽も。
俺は雇われてここにいる。
女より雑草が好きなこの糞爺の面倒を見ろと押し付けられた。
間違っても使用人じゃあない。
なのにやれノックだなんだと実に口煩い。
以前未来ある若者にあれこれ口を出し始めたら老人だとかなんとか言っていたが自覚がないのか。
だが仕事は仕事だ。食いっぱぐれない程度には働かないといけない。
血を啜り、灰を飲む中央へ回されなかっただけ良しとしよう。
それに、人を雑草のように、雑草を人のように扱うこの爺からは期待されることがない。
他人に何も期待を持てない俺としては不本意だが居心地がいい。
「おい!ちゃんとついてきとるのか!」
「問題ございませんよ旦那様。」
ガザゴソと音を隠しもしない爺を見失うなんてあるわけない。
近くに居たら居たで、やれ足元に気をつけろだのなんだの言われるのだ。
視界に入らないほうがお互いのためだろう。
この爺は無自覚に薬草とやらをばらまいていた。
スリナガルに来てからも育てようとしていたらしいが、代わりのものが既にあった。
阿片だ。
俺のいた義賊にも好んでいるやつが多くいた。
東インド会社にとっても有益なようでよく火種になっていた。
そんなものを白人の国でばらまいていたこいつはお尋ね者だったろう。
祖国では空をなくして"薬草"を育てられなくなったらしく、今ここにいる。
この爺を飼っていた組織に買われて俺もここに居る。
俺の腕は人を殺すためのものだ。
腰に下げたスクラマサクスは山道を切り開くものじゃない。
最近は専らその用途だが。
こんな僻地まで来てこいつをどうこうするようなやつがいるのだろうか。
何も変わらない報告を定期便の兄ちゃんに告げる度、苦笑いされる。
それでもずっとこの爺についているのだろうから本題はそこじゃあないんだろうと猿でも気付く。
こいつをうまく飼えば金になる。
うまく飼えなくなったが、誰かの金になるのは我慢ならんと、まぁそういうことだろう。
本人は知ってか知らずか、いや知らないだろう。気にかけてもいない気がする。
学者なんて頭のおかしいやつらはそんなものだ。
「スニル!見たまえこの濃い赤を!祖国では見たこともないな…やはり気候と土壌が大きく関係しとるんだろうが…」
「大変素晴らしいですね。」
棒読みでもなんでもいい。人のことを呼びながらこちらには目もくれないのだから。
爺は瓶を取り出して花を数輪、葉を十二枚ほどむしって入れた。
その後中央に突起のついた蓋をしてその上から筒状の金属を差し込む。
腰ベルトに下がった蒸気タンクの内、一番手短なものを瓶の脇に置き、銅管で筒と繋ぐ。
タンクのバルブを開けると筒から汽笛のように短く音がなる。
爺は筒についた圧力計を確認して逆の手順で片付けていく。
詳しくは知らないが、空気がなければ植物は腐らないらしい。
たかだかそのためにこれだけの手間をかけるのだから本当に理解できない。
さらにこの爺は土を指ですくって舐め始めた。ついにボケたか。
「何をなさってるんです?」
「土を知りたいなら舐めればいい。常識だろう。ううむ、少し酸性が強いか?これではここまでの森ができた理由が…いや光合成が不足したことで植物自身が土を駄目にしているのか。恐らくはそうだろうが、空が明るい場所との比較がなければ分からんではないか…。」
また訳のわからないことを。
もういい、黙って好きにさせるか。
黄昏時までに声をかければいいだろう。
「おいスニル。ここらで土砂崩れを起こした場所はないのか。」
「失礼ですが旦那様。ここは森です。土砂崩れは山にしかありません。」
「そんなことは分かっとる!最寄りの山で起きてはないのか!」
いちいち声を張り上げるな。聞こえてる。
「でしたら東にあるコーラホイが遠目にも岩肌を見せています。近隣のものが信仰しているため山道もあるでしょう。」
「ではすぐに出立だ!準備せい。」
「本日中にはたどり着くこともままならないでしょう。最寄りのソラフ・ローまで出向き、そこから出立すべきかと。」
「距離があるか、ならば…いやしかしだな…。」
ボケジジイにも仮にも商館の執務室にいる事実を思い出せたか。
「しかたあるまい。商館の運営は代理人に任せ場所を移すぞ。帰ったらすぐに文を出す。いつもの郵便屋を逃がすなよ。」
ああ、思い出せていなかった。残念だ。
「最善を尽くしましょう。今日はこれで切り上げるので?」
「何を言う。この森の散策は始まったばかりだろうが。」
何を言う。それでいつ文を出すのか。
「畏まりました。お供いたします。」
そういうと彼はまたしゃがみ込み土を掬って瓶に詰め始めた。