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黒き空のハルピュイア  作者: 心鏡
一章 邂逅
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二話 ウィリアム・ウィザリング

私には亡くしたくない人がいる。


それは最愛の妻であり、健気な息子であり、気の許せる友である。

そんな彼らにももう久しく会えていない。会いたい想いもあるが私にもやらねばならないことがある。

祖国では蒸気が唸り世界を変えんと排煙を吹き出している。

その一助に我らが組織も大いに活躍した。私自身なすべきことを尽くしてきたつもりだった。

事実世界は変革を遂げつつある。今頃は蒸気の抜ける甲高い音を撒き散らす乗り物が街中を走り回っているだろう。

人類を超えし頭脳として掲げられた蒸気演算機も、世界のあらゆる情報を食わんとばかりに息巻いている。

ただ、私は少し先走り過ぎたのではないかと怯えている。

蒸気は我々の欲求を飲み込まんと唸り、代わりに排煙を吹いている。その結果、陽は見えなくなった。

私達の活躍を知らぬものは神の怒りであると怯え、知る者は必要なことだと諦めている。

既にそれが当たり前になった子らは、何の疑念も抱かずに外を駆け回っている。精々が着込む量くらいか。

私にとっては隣人を失う結果となった。

私の知恵と力になった庭の薬草は寒さに耐えきれず全て枯れた。

それは初めての無力感だったと言ってもいい。三日、寝込んだ。

同時に、よく咳をするようになった。

私は仲間達に煤のせいだと言い張っていたが仲間達からは結核ではないかと心配された。

こうして私が今スリナガルの商館に一室を構えているのも養生してこいと追い出されたからだ。

実際は東インド会社への繋がりと現地調査、薬草を力を失った私の失墜だ。

ちっとも咳は減らないが、祖国の街並みを見るよりは少ない光を求めて競う力強い草花を見ていられるのであればと現状に納得もしている。

組織、ルナー・ソサエティに貢献したいとはもう思わないが、せめて煤、いや結核を癒せる何かを見つけ祖国に残した彼らに届けることこそが我が使命である。

と、どれだけ理想を掲げたところで、使用人以外が立ち入ることのない執務室で暖炉の火を絶やさぬよう注意しているのが現実だ。

せめて今少し暖かくなればと願わざるを得ない。

強めに二回、ノックが聞こえる。言うまでもないがここはトイレじゃあない。

「旦那様、本日は如何致しましょう。」

どこで躾けられてきたのか、中途半端な使用人スニルがこちらの返答も待たずに入り込んでくる。

私の尊厳が失われて久しいが、それでも立場というものがある。

「ノックは三回にしろ。すぐに出る。支度をしろ。」

「失礼しました。直ちに支度します。」

恭しく礼をした彼は翻すと後ろ手で、ドアを閉める。鼻から長い息が漏れた。

私は机に散らばった、いや散りばめた書類を整えてインクの蓋を閉じる。筆先を整え光沢が見えたことに満足する。

妻からもらった大事な万年筆だ。愛着もある。活躍させてやれないことだけが心苦しい。

次はノックもなく扉が開かれた。

「お待たせしました旦那様。採取瓶は五つで宜しかったでしょうか。」

「ああ、それでいい。それより貴様、ものを覚えるということを知らんのか?」

「失礼しました旦那様、不祥スニル、精進して参ります。」

「貴様にその気がないのはよくわかった。もういい、早くコートを貸せ。」

私のコートは自慢じゃないが一級品だ。採取用の瓶や虫眼鏡など小道具を入れるとどうにも重くて肩が凝る。

散策のために厚く耐久性も必要だ。このコートはベルト部分に銅製の蒸気シリンダが埋め込まれている。

その圧力を調整していくことで体に合わせて締め付けることができる。

蒸気の力で支えられてるため腹部に圧迫感はあるものの疲れにくく激しい動きでも崩れない。

手袋と帽子を被って執務室を出る。

「今回はどちらまで?」

「東の湖の先に森があったろう。そこまで手を伸ばしてみよう。」

周辺の草花にはもう興味がない。祖国とは比べようもないが人が住む場所だ。大したものは何もなかった。

商館から出ると薄着の子供や布を巻いた現地人の視線を集める。田舎者に最新のものは分からないさと見栄を張る。

大人は気味悪がって近づいて来ないが、子供は物珍しさに駆け寄ってくる。

「変なジジイ!今日はどこ行くんだ?」

「変なジジイ!また草とるのか?食べるのか?」

「煩い。どかんか。」

実に嘆かわしい。口で言っても分からん者たちに答える義理はない。

そもそもジジイとはエラズマスのようなやつのことを言うのだ。優秀な息子にふんぞり返って口を出す様などまさしく。

冷めた目をしても一向に離れない子供を無視して目的地へ向かう。使用人が水や食料を抱えて付いてくるのを尻目に未知の土地へ少なからず期待した。


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