第一話
2030年、元号は平成。平成も今年で42年かそこらだったと記憶している。12月、13日月曜日。
当たり前だが、一日一日過ぎてゆき転校してから三ヶ月以上は経ったか経たないかだと思う。毎週毎週嫌でも、好きでも、月曜日は来て週は始まる。今日も平和に月曜日を迎えて良いことだ。地球は今日もラブアンドピース。だが、一中学生にとって月曜日なんてものは憂鬱以外何ものでもない。特に修学旅行明けの月曜日なんて最悪だ。
先週、俺たち、福岡県立南星中第二学年の生徒たちは修学旅行へ旅立った。 九州の中学校の修学旅行先はやはり、大体京都、大阪、奈良だろう。稀に沖縄もいるが、修学旅行は学を修める旅と書くだけあり、歴史も趣も十分ある京都がベストだ。
俺たちも京都へ行ってきた。二泊三日で普通に楽しかったが、今や修学旅行に行くことができるだけ感謝だ。
あれはいつだったか。政府が赤字対策のために新しい法案を提唱した。
『本日、2029年4月2日をもって、義務教育にかける出費を三割減らすものとする。』
こんな馬鹿げた法律を考えだしたのが顔も広く人望もある政治家だったため、国民投票、衆議院、参議院、全てにおいてすんなり通った。まあ、腐っても政治家、ただ自分の給料が増えるからとかではなくちゃんとしたバックグラウンドが存在する。
2020年、東京オリンピックを開催するにあたりインターネットサービスや、ソーシャルネットワークサービスが一般にかなり普及した。その後遺症といってはなんだが。その五年後、2025年に主に子供たちに対して異変が起きた。
「キレる」現象の再発、子供のニート化、引きこもり、コミュニケーション障害の傾向も確認され、最悪の方向で、快楽を求めての殺人等々、下手にネットワークサービスを発展させてしまったため、後遺症状として年端もいかない10歳程度の子供たちに悪影響を及ぼした。
その結果、今の俺たちの世代は『絶望』と呼ばれるようになった。最悪なことに、この言葉が五年前ぐらいの流行語大賞となり、変な話有名になってしまった。ブームも起きて、今の子供たちを嘲笑う様なグッズの販売や、小ネタなどが日本全体で流行ってしまった。五年前だから、もうブームは去ったかといえばそうでもなく、今でも『日本の未来はあるのか』みたいな特番は組まれているし、グッズも健在だ。少子高齢化問題もその影響を悪い方向で及ぼし、この風潮を反対する人も減っていった。
周りがしているから、自分もしていいなんていう人の甘さにそれはつけこみ、今や大人たちは子供、つまり俺らを見限った。
大人たちは二世代後、今の子供の子供の世代に託すという大義名分の下日本を動かしている。お前らがダメだから孫に託す。孫の世代まで日本を崩壊させないために何にも役に立たないお前らへの投資を止める。
そんな身勝手な大人の都合でかなりの学校が廃校になり、失業者も出た。そのせいだけとは言わないが、不登校者数も増え、負のスパイラルの段を結果的には一つ増やしただけだった。
しかし、この政策によって確かに、出費は抑えられた。癪だが、この政策は一概には正しいというのが証明され、実際政策指導者の支持率は上がったらしい。
そんなこともあり、今日本では修学旅行に行ける学校なんて公立ではたったの一校しかない。それが、俺たちの通う中学、その名も
『福岡県立南西中学校』
である。
この中学校は他の中学校とは大幅に違うところがある。それは、政府が多額のお金をこの中学にかけているのだ。
最新鋭の技術に、美術用品から図書室の本まで完璧な整備。テニスコート、プール、サッカーフィールド、野球場はそれぞれ二つずつあるぐらいの設備投資だ。
だからといって、大人たちがこの中学に通う生徒たちに期待を抱いているわけではない。
俺らはモルモットなのだ。大人たちが子供の心理をより的確に知るための観察施設、それがこの中学だ。公立である限り校区は決まっている。俺は偶々そこに住んでいたのだ。去年作られたこの中学は完全コンピューター制御の中学だ。大人たちは何も学ばず、また科学を発展させようとしている。
ここまでは、俺たちが悪いという意見を持った大人たちの意見を説明したが、勿論心外である。
俺たち子供は、大人たちに言ってやりたい、子供を育てるのは世間だ、世間を創るのは大人だ、よって大人が『絶望』を創ったと。
言い返してやりたい、言ってやりたい、お前らが失敗したからって俺たちに全てを押し付けるなと。東京オリンピックは赤字だった、その腹いせに俺たちにあたってきたのだ。子供たちを馬鹿にしすぎだ。自分たちのせいで俺たちが存在するのだ。俺が今、言っているのはこじつけかもしれない。 それでも、全て子供のせいにするな。少しは悪びれろ。子供に罪悪感を抱け。無茶苦茶かもしれないが、俺たちだって普通に学校に行きたいのだ。だが、それすらも大人たちは奪った。それならばもう殻に閉じ籠るしかない。どうすれば、俺たちは楽しく生きられる。
大人たちよ、希望を見出してくれ。
結局他人任せではないか、そう気付いた時は随分自虐的な溜息が出たものだ。