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よみきり

仮面の男の憂鬱

作者: 雪之丞

 子供の頃に映画を見た記憶がある。

 残念ながら、タイトルまでは良く覚えていない。

 でも、そんなに有名な映画ではなかったんじゃないかって気がする。

 恐らくはB級映画などと呼ばれている様な、マイナーで低予算な映画か何かだったのだろう。


 何しろ、全編に渡って……。いや、一部を除いた殆どのシーンが、薄汚れている上に薄暗い、夜の雨が降りしきるスラム街とかばっかりだったのだ。

 そんな、いかにも「予算の都合でござる」と言わんばかりに真っ黒なシーンの連続で、殆ど何も見えない……。いや、あれは、あえて意図的に見えなくさせていたというべきなのかもしれない。

 そんなやたらと薄暗い背景の中で、その映画の物語は進んでいくのだ。

 そのせいか、やたらと画面全体の色合いが重苦しくなってしまっていたが、その分、雰囲気だけはバッチシって感じの作品だった事をやけに鮮明に覚えている。


 そんな真っ黒い画面の中で、どうやって映画を撮影したのか?

 実は、主人公達には何処からともなく謎の光が……。いわゆるスポットライトの光が当たっていたんだ。

 そのお陰で撮影とかも出来たって訳だな。

 ドラマとかでも見た事とかあるんじゃないか?

 記憶の中の回想シーンを演出する時とかさ。

 他にも、演劇の舞台とかで観客の視線を集めたい時とかに使うような感じの。

 ああいった、主に舞台とかで使われているような演出方法なんだろうけど、画面の照明を全部落として、スポットライトを特定人物だけに当てて、観客の視線を無理やりに、そっちに誘導していたんだと思う。

 そんな感じのテクニックがあるらしいのは俺も知っていたけど……。

 いや、あの頃の俺は、まだ、そういう細かい事は知らなかったのかもしれない。

 ただ、やけに目新しくて珍しい演出が特徴的な作品だったせいもあったのだろう。

 その部分だけは、やけに強烈に記憶に残っているのだし……。


 まあ、そういった奇抜な演出が目立つ、名もなきB級映画が昔あったらしいとでも思ってくれれば良い。

 もっとも、そんな奇抜な演出に頼らざる得ないような、背景はほぼ似たり寄ったりな数パターンだけというお察しレベルの低予算っぷりの映画だっただけに、内容の方もこれ又、お察し下さいな感じだった訳だが。……いや。予算の都合っていうか、あんな悲惨な前提条件じゃあ、とてもじゃないけど正攻法になんて頼れるはずがなかったって事なんだろう。

 だから、本格的な直球なんて使えるはずもなく、ただひたすらに変化球オンリーにならざるえなかったんだと思う。

 つまり、そんな“ひねくれまくった”映画だった訳だ。


 王道な展開や内容、シナリオなど最初から望むべくもなく……。

 やっぱりというか、なるほどねというべきなのか。

 登場人物達も良い感じに狂っている奴が多かったりしたし。

 意味など最初なら無く、必然性などもっとあるはずもない。

 だけど、何故だかやけにハッチャケている感じの奴とかな。

 テンプレ的にも必須とも言える、頭の線とかネジが、ダース単位でぶっ飛んでる感じのするパンクでファンキーな奴とか?

 その他にも、意味もなく服をはだけて格好つけているだけの奴とかな。

 喋る台詞が全部厨二病患ってる感じのイタイ台詞のバーゲンセールでオンパレードな奴とかも居たよ。

 明らかに吹き替え担当の声優が“面白がって悪乗りして遊んでるだろ”ってのが丸分かりだよ、みたいな。

 そんな、いわゆる頭のおかしい系の野郎ども(ガイズ)が色々と揃っていた訳さ。


「孤高を気取るか。ならば、貴様にも仮面をやろう……。か」


 思わず、脳裏をよぎった台詞が口から漏れだしてしまった。

 ……え? いきなり何を言い出すのかって? ……いや、な?

 さっき話してた下らない映画の中で、こういう台詞のやりとりがあったんだよ。

 主人公の冴えない青年(マイナー俳優過ぎて、役名どころか顔すら覚えてねぇや)が、何やら妙な薬を何の脈絡もなく間違えて飲んでしまったせいで、突然、超人的な筋力を手に入れちゃうという所から物語は始まるんだ。

 まあ、いわゆるひとつの、超人に変化しました系って奴か?

 アメコミとかの映画では、比較的ありふれた超人化のプロセスだったんじゃないかって思う。

 ただ、それら類似した内容の映画と根本的に違うのは、主人公は似たような超人なんだけど、敵はただの変人だったってことだ。


 ……うん? これじゃ、意味がわからないって?

 じゃあ、もうちょっと詳しく解説してみようか。


 主人公が超人な映画って、敵も凄い強い超人とか怪物とかだったりするじゃないか。

 いわゆる類は友を呼ぶみたいな感じで……。卵が先か鶏が先かみたいな感じになりがちではあるんだが。

 異常者のヒーローが居る所には、異常者の悪役が引き寄せられるようにして集まって来るんだろう。

 類は友を呼ぶとも言うしな。

 その結果、同族嫌悪とかが理由で殺し合いを始める事になるんだって感じのお話も多いし……。

 まあ、そういう話の中の事なんだが、そういう話の中で集まってきた奴らって、主人公と似たような力を手に入れたりするのに、その力を、何故だか揃いも揃って皆、悪いことに使おうとするんだよな。

 だから、主人公は、そいつらを含んだ悪と戦う事になる訳だ。

 いわゆる世間の皆様が「悪い奴」と認識している奴と戦うんだ、みたいな感じの流れになって。

 力を手に入れた奴には、その力を正しい目的に使なければならないって感じの“義務”も同時に課せられるんだって感じでさ……。

 いわゆる「力には責任が伴うノブレス・オブ・リージュ」系とでもいうべきテーマの映画って事になるのか?

 そういうのがカッコいいって風潮があったせいか、一時期、やけに流行ってたからなぁ……。


「でも、この映画はちょっと違った」


 この映画の主人公は、前記した通り、事故による副作用によって超人に変化してしまう。

 胸にSマークなレベルの超人になって、車を敵に向かってぶん投げたり出来るようになるんだ。

 そんな常識外の凄い筋力を手に入れちゃうってお話なんだけど、そんな怪物じみた主人公と戦うことになる悪役側の連中は、揃いも揃って、ただの一般人……。そりゃ、外見こそ何処のアメコミから出てきやがったんだって感じのデタラメな格好をした怪人ばっかりだったんだけどさ。

 そいつらの中身は、ただの変人……。いわゆる、ただの派手なコスプレをした異常者。単なる、頭のイカれた格好をしただけの一般人って設定だったんだ。


『ハァーハッハッハッハ! 何処の回し者かは知らんが、たった一人で、この偉大なる冥界からの使者、マスク・ド・バタフライ様に挑もうとは、なかなかに見上げた覚g……』


 まあ、お約束な蹂躙シーンというべきかな。

 敵の一人を、唯一の見せ場ともいえる名乗り口上の途中でぶん殴って「ぶぺらっ」とばかりに吹っ飛ばす。

 ガチで画面の外にまで、何故か縦回転しながら吹っ飛んでいってフェードアウトする蝶仮面こと一般人A。

 ……うん。まあ、言うまでもないと思うけどさ。

 多分、彼、即死だったと思うんだよな……。

 それから先、自称バタフライ仮面様、二度と出てこなかったしさ。


『たった一人でも、僕は、お前たちと戦う!』


 まあ、ヒーロー様の方は、この惨状ってことで。

 中身の方も、だいたい全編に渡って、総じて“こんな感じ”で安っぽかったんだけど。

 台詞の方は、まあ、一事が万事、こんな感じってやつ?

 タダひらすらに熱いというか、比較的子供向けの映画だったのかも知れないなぁ。


 そんなこんなで、主人公の地味ィな格好をした冴えない少年……。ああ、ようやく思い出した。

 主役の役名は、確か『ジミィ』だった。

 地味ィなジミィとか、なんの冗談だって感じだが、これが冗談じゃ済まないからマジで救えねぇとも言えるんだろうな。

 さて。話が少し逸れたが、元に戻そう。

 そんなジミィ君、地味で普通の格好をした一般人のくせして、群がってくる一般人(へんじん)どもを、次から次へと千切っては投げ、千切っては投げと、まさに八面六臂の大活躍。超絶無敵の無双モードって感じで、次から次へと性懲りもなく送り込まれてくる悪の組織からの刺客(へんたい)達を情け容赦なく始末していってしまう訳だけれど……。

 まあ、どんな物にも限りはあるってことなんだろうな。

 始まりがあれば終りがある、みたいな?

 つまりは、その映画の中で、まるで無尽蔵にも見えていた敵のストックも、ついに底をついてしまうって事で。

 そうなれば、後は親玉との対面にならざる得なかったって事なんだろう。


『……ええい、近寄るな。バケモノめ!』

『なにおぅ!? バケモノはお前達の方じゃないか!』

『やかましい! 確かに俺たちゃ悪党だ! テメェみたいな正義の味方気取りの脳みそパッパラパーなウスラトンカチ様から見たら、ただのワルモンなんだろうけどよ! ……それでも、俺たちゃ、バケモノなんかじゃねぇんだ! つーか、テメェみてぇなマジモンなんかと一緒にするんじゃねぇよ! 良い迷惑だろぉが!』


 そこで、この映画の最大の見せ場……。と、恐らくは製作陣が考えていたのだろうシーンがやってくる訳だ。


『この人殺しのバケモンがぁ!』


 その台詞に「ハッ!」となって暫く黙っていたらと思うと、急に逆ギレしたように錯乱を起こして苦しめ始めた挙句に「うがああぁぁっ!」と吠え出して、本格的にブチ切れた主人公は、バケモノ呼ばわりされた危険人物らしく、部屋のぶっとい柱を力尽くで壁から引きちぎってもぎ取ると、最後に残った敵どもを、悪の親玉……。

 ああ、さっきのやりとりだけじゃ流石に分かりにくかったと思うから一応解説しておくと、主人公に「寄るなバケモノ」って叫んでた奴が居ただろ? アレが悪の組織の親玉な? 中身がモデル体型の女で、頭にツタンカーメンっぽい感じのマスクをかぶってるエジプト系のクレオパトラみたいな感じの女王様をイメージしたのだろう、結構良い感じにエジプト朝のコスプレをした金ピカの怪人様だったんだが……。

 まあ、そういう奴を巻き込む形で、残った敵どもを、ぐるーっと横に薙ぎ払ってだな。

 文字通り、一掃してしまうんだな、これが。


 そして、そのままカメラに背を向けて……。何故か血まみれになってしまっている背中を見せながら、出口らしき明るい光の差し込んでくる両開きの扉に向かって歩いて行くのでしたとさ、チャンチャンってね。

 まあ、そんな感じのヤオイ(ヤマなし、オチなし、イミなしの三重苦)を地でいく内容だったんだけど……。


 この映画って、全部を主人公の視点から描いてるから非常に分かり難いんだけど、実は悪の組織と何ら関係ない所で……。それこそ、単なる薬品会社とかの事故で自然発生してしまった「バケモノじみた力を身につけてしまった少年」が、自分がたまたま偶然の事故による副作用で得てしまった怪物じみた力を「これは邪悪な物じゃないはずだ!」って感じに自己正当化したいからって理由から「こんな凄い力を得てしまったからには、きっと何か意味なり理由があるはずだ!」と思い込んだ結果として「こんな力を授かってしまったからには、正義の為に使わなければいけないはずだ!」と謎すぎる悟りを開いてしまっていた訳で……。


 そんな志こそ熱いんだけど、ごく普通の地味ぃ~な格好をしたジミィ君に対して、中身こそ人間のままなんだけど、平気で殺人とか犯罪に手を染めてしまう様になってしまっている事から、心はすでに化物になってしまっているらしい。そんな対比的な暗示を示唆しているようにして、外見の方は奇妙奇天烈なのばっかりが揃っている、悪の犯罪組織に所属している実に個性豊かな脇役の面々が配役されているって訳だな。


 確かに、彼らは紛れも無い悪であり、言うまでもなく犯罪者の集団ではあったのだろう。

 しかし、格好こそ奇天烈ではあったれど、その実体は単なるコスプレ趣味の武装組織に過ぎなかった訳で……。

 そんな格好こそアレだったけど中身はただの一般人だった集団に、ガチのバケモノが単身、自分勝手な自己満足を得たいが為に、正義という名の暴力を振りかざしながら突撃してきて、彼らに喧嘩を売っていた訳で……。

 そんな厄介に過ぎる怪物を相手に、必死に抵抗を続けていた悪の組織を、最後には女頭目もろとも皆殺しにして、見事に壊滅させてやりましたって感じの内容な訳であって……。

 そんな殺戮劇の中で、山ほど殺してきた敵が全部“人間”だった事に、薄々気がついていたんじゃないかって示唆だったり、それを平気で行えたお前は、心まですでに人間でなくなっているんじゃないのかって示唆だったりもしたのかもしれない。あるいは、お前がやりたかったことは、本当にそんな事だったのかって問い掛けでもあったのかもしれないな。

 だからこそ、最後の「人殺しのバケモン」って呼ばれるシーンが生きてくるって訳だ。


 それまでは「人間の主役」と「怪物の悪役達」という単純な構図だったのに、この瞬間に「実は怪物だった主役」と「奇抜な格好をしていたけど、ただの人間だった悪役達」という構図にひっくり返ってしまう訳で。正直、どっちが正義で、どっちが悪なのか、見てる側が分からなくなってしまいかねない。そういう根本レベルのちゃぶ台返しを仕込んでいたシーンだったんだよな。


 まあ、そいう訳で、色んな意味で意味深なシーンであって、名台詞な訳であって。

 ラストシーンの主人公の血まみれの背中とかもあって、その意味とか裏とか揶揄とかを色々と読んでみるり考えたりしてみると、色々と深読みできてしまうような……。結構、いろんな示唆を含んでいた内容だったんじゃないかなぁ~って思うわけだ。

 まあ、今の歳になって、ようやく分かるようになっただけなのかもしれないし、単なる俺の見方が捻くれているだけなのかもしれないのだけど……。


「……だから仮面なんて身につけているのか?」

「なんだ、知らなかったのか? 仮面はな。超人性の源なんだぞ? なにしろ、これを身につけるだけで、己を縛る様々な鎖から、魂を解き放ってくれるんだからなぁ。……なんてな?」


 はい、これも例の映画の中に出てきてた悪役側な厨二病仮面様の台詞でございますよ。

 あのクソ映画の悪役、全員がコスプレマンだったんだけど、服装だけじゃなくて全員が全員、何故だか仮面を付けてたんだよな。

 それを作中で一応は解説してるシーンがあってさ。

 ごく普通に顔も隠さないで地味ぃなシャツにジーンズにスニーカーという、余りにもヒーローにしては普通過ぎるだろう格好をした見た目は一般人、中身は正真正銘の化物なジミィ君が敵に仮面の意味を聞くシーンがあるんだ。

 なんで、お前達は、そんな変な仮面をかぶってるんだって。

 そんな質問をされた悪の組織の仮面の怪人は自信満々に答える訳さ。

 こうして仮面を付けることで、自分達は心の枷から解き放たれて、特別な力を振るえる様になるんだ、みたいな風にな。


「勿論、ただの思い込みだったんだが、その格好でしか出来ない事があるって意味では、さほど間違っちゃいなかったのかもな」

「……経験者は語るってか?」

「まあ、否定はしない」


 確かに、こうして仮面を付けるという行為は、日常と非日常を切り替える為の良いトリガーになってるからな。

 それに、こうして凝ったコスプレをするようになったのも、あるいは昔見た映画のイカれた悪役Aこと仮面の厨二病紳士、ビクトリアン仮面にインスパイアされたせいなのかもしれないし。

 彼の言っていた通り、おおよそいつもの自分らしくない行動を進んで取りやすくするための言い訳作りの一環……。いつもの自分とは異なる自分、もう一人の自分に、己の精神のスイッチを切り替えるための変身道具だったのかもしれないのだからな。

 まあ、良い年して普通の格好じゃ正義の味方はやりづらいからなぁ……って、まさか、この歳になってZマークでお馴染みのスペインの目隠し男とか、ゴッサム在住の大富豪な仮面の蝙蝠男とかの気持ちが理解出来るようになるとは思わなんだ。


「さてっと。おしゃべりは、これくらいにしておくか」

「……ようやく、俺を殺す勇気が湧いてきたってか?」

「そんなことはしない」


 俺は、あのクソ映画のイカレタ少年とは違う。

 あの子と同じように、ある日突然、化物じみた力を授かっちまったが……。

 俺はあんな風には、己の得てしまった力のレゾンデートルなんかには悩めなかった。

 あんな風に純粋でもなかったし、あんな風に必死でもなかったし、あんな風にガムシャラにもなれなかった。

 この怪物じみた力が果たして正しい物なのか、それとも己を悪の道に誘惑するだけな邪悪な代物なのか、なんて……。そんな下らない(・・・・)事にも思い悩めなかったんだ。

 それはきっと、俺が彼よりも歳をとっていたからなのだろうし、宗教観とかも違っていたからなのだろう。

 そして、もっとも大きな理由は……。

 恐らくは、俺がもっと小狡くて薄汚い、白でも黒でもない灰色をこよなく愛する“大人”だったからなのだろうと思う。


「見逃してやるから、さっさと消え失せな」

「……俺を、ここで殺さなかった事を、いつか必ず後悔させてやるからな」

「ああ、ああ。ご自由に。……俺の気が変わらない内に、とっとと居なくなっちまえ」


 そう言い捨てると、俺はもうお前には興味がないと示すようにして、ズボンのポッケからタバコを取り出すと、指先で先端をパチンと弾いて火を灯していた。

 ……摩擦熱でタバコを着火出来るとか、我ながらアホらしいまでに化物じみている。

 こんなのが昼間は市役所で大人しく公務員やってるってんだから、世の中、色々と狂ってるよなぁ……とか。

 そんな、いちいちつまらんことで思い悩んでしまうのは、散々暴れまわっていた時にはドバドバでていた脳内麻薬とやらが切れてきた証拠であって、自己暗示が切れてきて、段々と素の自分に戻りつつあるからなんだろうな……。


「とっととくたばれ。このクソ仮面野郎」

「オマエモナー」


 そんなどうでもいいレベルの捨て台詞を互いに吐き捨てると、俺に投げ飛ばされて壁に叩きつけられた時に足の何処かを痛めたのだろう、ふらふらと何処か頼りない姿勢ではありながらも、何とか片足だけに体重をかけながら立ち上がると、ヒョッコヒョッコと足を盛大に引きずりながら去っていく。

 そんなボロボロになった男の薄汚れた背中が、俺の闇の中でも普通に見通せてしまう狂った視力でも見えなくなるまで……。奴の背中が夜の闇に完全に飲まれて消えていったのを確かめると、ようやく今夜の仕事が終わったと背伸びをする事が出来ていた。


「……あぁ~……。やっぱ、良い事した後は、気分が良いなぁ」


 後は取引現場に残された幾つかの証拠品……。あやしい気配満点な、白い粉の詰まっているトランクとか、気絶するまで傷めつけられたせいで床の上でのびてる犯罪者共とかな。これらをセットで警察に投げ渡してやるだけだ。


『デミトリの旦那。ポリにタレコミ入れたから、とっとと引き上げろ』


 耳のインカムから聞こえた声に背を押されるようにして、俺は犯罪現場を後にする。

 ……ちなみに、デミトリというのは俺のヒーローネーム……。いわゆる仮面をつけている時に名乗っている偽名のことだ。

 いつもの自分とは違うんだって自分を騙して、こんな馬鹿な真似を好んでやるような阿呆なんだと信じこませるためには、こういう厨二くさい真似が、どうしても必要になるんだってことにしておいてくれ……。


『……なあ、旦那』

「なんだ?」

『なんで、アイツ、逃がしたんだ?』


 このやり取りは、何度目になるんだろうな。

 夜の闇の中を残像が残るほどの早さで駆け抜けたり、素早く飛び上がったり、あるいは音もなく飛び降りたり。さりげなく周囲に視線を飛ばしながら人目を避けて、地面と建物の屋根の間を行ったり来たりしながら合流地点を目指す。

 そんな俺に、遠方からバックアップを担当してくれている相方の声が聞こえていた。


『アイツ、またやるぜ?』


 どうせ懲りるという事はないのだろうと言いたいのだろうな。

 ……でも、まあ、たぶん……。そうなんだろうけども。

 あんな良い年して、これまで真っ当な仕事なんてやったことありませんってなヤツが、今更、更正なんてしないだろう。

 ケガが癒えた頃にまたやらかすか、あるいは俺へのお礼参りに燃えるか……。

 まあ、せいぜい、そのどっちかだろうな、と俺も思っている。


「だからって、悪党だから全員殺すって訳にもいかんだろう」

『……いや、全員ぶちのめしてんだから、まとめて全部、ポリに突き出せばいいじゃねぇかよ』

「そこまでやったら連中の仕事がなくなる」

『なくならねぇって。……つーか、アンタ、時々だけど、結構、あっさり殺してなかったか?』


 そういやそうだったか。


「そのへんは、時と場合によるな」

『例のマイルールってヤツか』

「ああ。ルールだ」


 俺は、この人ならざる力を振るう時に幾つかルールを決めている。

 例えば、女・子供に手を出さないとか、警察官にはなるべく危害を加えない様にするとか、基本的に武器は使わない、とかだ。他にも、あからさまにこちらを殺す気で襲ってくる相手しか殺さないようにしてるのも、一応はルールと言えるのも知れない。

 いわゆる「殺すつもりで襲ったのだから、殺されても文句は言うな」って奴だな。……まあ、それも時と場合によりけりだが。

 後は、ヒーローの真似事をするのは仮面を付けてる時だけにして、仮面の無いときには下手に粋がった真似はしないで、なるべく大人しくしておくというのも、ルールといえばルールといえるのかもしれない。


『……そんなに自分を縛る必要があるのかね?』

「あるさ。……少なくとも、俺の場合には、な」


 何度かこの手を血に染めることで改めて実感出来たんだが、人間の頭って奴は実に都合よく作られてるらしくてな。

 どれだけ辛い行為であろうとも、それを何度も繰り返す事で、良くも悪くも“慣れ”を感じてしまうらしいんだな。

 つまり……。あまり()りすぎると、それを行う(やる)事に全く心理的な抵抗がなくなってしまうんじゃないかって気がしてるんだな。

 それは色んな意味で不味い状態だと思われる。

 人としても壊れすぎてるし、同族(ひと)殺しに抵抗がなくなってしまっては、本物の怪物になってしまいかねない。

 何よりも、そういう最終手段に頼ることに心理的抵抗がなくなってしまうと「邪魔をされた」から即「殺す」まで、思考が余りにも一直線につながってしまって、その事が原因となって、何か大事なタイミングや、慎重でデリケートな判断が必要になった時に、短絡的かつ刹那的な短慮に走ってしまいそうで、その結果、致命的な判断ミスや大失敗を犯してしまう結果にもつながりかねないと思われたのだ。

 だからこそ、未だ殺人を忌避し続けている人の心って奴を、俺は大事に残しておかなければならないのだと信じている。……たとえ、それが単なるヘタレで根性なしな俺の、自分への甘えた言い訳に過ぎない屁理屈だったとしても、だ。

 それに、単純に見境なしに殺しまくる様な、血に飢えたモノホンの怪物にならないためにも……。ホンマモンのバケモノに落ちぶれないためにも、行動を律する一定の規則、己を縛る鎖という名のルールを必要とするというのが、俺の判断だった。


『でも、やっぱり分からねぇな』

「なにだが?」

『アイツを逃した理由だよ』


 なるほど。たしかに分かり難いだろうな、と思う。


「情けは人の為ならず、ってな。……まあ、意味もなく逃がしてる訳じゃない」

『なにか考えがあるってことで良いのか?』

「ああ」


 流石に、本当の理由までは言いにくい物があるんだが、犯罪者をあえて一部見逃してリリースしてるのは意図的な行為だ。

 むやみやたらに殺しまくったりする訳にもいかないからな……。

 それに、勝ち目が全くなさそうな相手でも、真正面からステゴロで立ち向かってくるような気概のある奴も時々いるから、そういう連中は不思議と見逃したくなってしまうって理由でもあるんだが……。

 まあ、そんな訳で理由の方は、実はけっこう色々と適当で、見逃してる基準も相当にアバウトだったりする。でも、何故だか、こんな事を延々と繰り返してると、新興のクズっぽい連中とか外国人系の連中は早々に街から姿を消して、昔ながらのコワモテな地元の顔役系の連中が息を吹き返したりしているらしいのだから、不思議といえば不思議な話なのだろう……。

 一切、こんなの意図してなかった偶然の結果だという意味でも嬉しい誤算だと言えたのかもしれない。


『ところで旦那』

「なんだ?」

『旦那はゲームをやったことは?』

「それなりにはあるぞ」

『勇者と魔王みたいなRPGは?』

「昔、よくやってたな」

『俺もだよ。……あの手のボスを倒して終わり系のゲームやってる時に何時も思うんだが、最後のボスを倒した勇者って、その後、どういう風に扱われるんだろうな』

「どうって?」

『いやな。極論、魔王を殺せる人間って、魔王以上に怖い奴ってことになるじゃないか。しかも自分達と同じ人間で……』

「まあ、普通に考えたら怖がられるだろうな」


 場合によっては、毒殺とか暗殺とかって手段で排除される可能性が一番高いのかもしれない。


『そうならないためには、勇者はどうすれば良いんだと思う?』

「そうだな……。魔王と裏で話をつけて手を組むか、いっそ魔王を殺さなければいいんじゃないか?」

『やっぱ、そうなるよな』


 魔王が生きている限りは、勇者は人間の希望であり続けるのだ。

 それは逆に言えば、下手に魔王を倒すと、それ以上の脅威と見なされるのが分かっているという事もである。

 ならば、わざわざ理想的な今の立場を自分から捨てる必要はないんじゃないかと思う。


「……所で、なんでいきなり、そんな話を?」

『いや、な? デミトリの旦那が、なんで犯罪者狩りをする時に、いつも狩り尽くさずに、一部リリースしたりするのかって……。ずっと不思議に思ってたんだ。……確かに、顔は隠してるぜ? とはいっても、声は連中に聞かれてるし、背格好だって相手に漏れてる。それくらいのヒントがあれば旦那の正体にたどり着くのが、そんなに難しい連中じゃないんじゃないかって気がするんだよ。それなのに、なんで平気で逃したりしてるのかって不思議で仕方なかったんだ』


 まあ、仮面なしでも力がなくなるって訳じゃないんで、そんなの気にした事すらもなかったんだが。

 ……それに、戦利品として、ちょくちょく札束とか適当にチョロまかしたりしてるからなぁ。

 そのお陰で、いつ仕事クビになっても、当座の生活には困らない状態になってるし……。

 ぶっちゃけ、金に困ったら目をつけてる奴らの事務所襲撃して生活費稼ぐのもアr(ごにょごにょごにょ)


『……なあ、旦那。もしかして、あんた、連中の事、怖くないのか?』

「怖かったら、こうして自分から襲ったりはしない」


 俺にとっては、連中は襲っても良い獲物でしかない。


『じゃあ、次の質問だ。……肉食獣が飢えない為には、何に気をつければ良いんだと思う?』

「こんどは獣の話か?」

『まあ、最後まで聞きなって……。俺は、肉食獣が飢えない様にするコツは、単純に獲物である草食動物を狩りすぎない事なんじゃないかって思ってる。……それと、自分と同じく狩る側の獣とか、手を出しちゃいけない種類の獣にも手を出さない様にするのが、長生きするコツなんじゃないかなって……。俺は、そう思うんだが、旦那は、どう思う?』


 それはいろんな示唆とか暗喩とか皮肉を込めた質問だった。

 ……というか、俺が言いにくいから黙っていたことが、だいたい全部入っていた。


「さあな。……でも、ライオンは飢えた時以外は獲物に襲いかからないんだそうだぞ」

『それが旦那の答えか』

「かもな」


 一般人には手を出さず、社会的に害悪と見なされる連中や犯罪者のみを選んで襲いかかる。

 そんなコンクリートジャングルの闇に潜んでいる一匹の獣を、同じ狩る側に立っているのだろう桜の代紋を背負った連中は、実際の所、どう思っているんだろうな?

 おそらく危険視はしているのだろうし、公安なんかには既にマークされていても不思議でも何でもないが。でも、何故か積極的に焙り出そうとはしていない様で……。少なくとも、これまで積極的に手を出して来てはいないな。

 もしかすると、それなりには『必要悪』と認めてくれているって事なのかな……。もし、そうだとすると、まさに狙い通りって事になるんだが……。あるいは、あれは人の皮を被ったバケモノだから、下手に手を出すと大事になるぞみたいな感じに、藪をつついて大トラが出て来られても手に負えないから、あえて自滅するまで放置していろ、とか?

 ……嗚呼、いかにもありそうな感じで、とってもイヤンな感じだ。

 まあ、俺の事を雲の上から興味深げにニヤニヤしながら見下ろしているような、議事堂にたむろしてる雲上人の連中には、あえて手を出さないでいてやってるってのも実は大きかったんじゃないかって気はしてるんだけどな。


『……なんだか旦那って、正義の味方とかヒーローぽくないよなぁ』

「趣味と実益を兼ねた打算と妥協による産物なんて、おおよそ“そんなモン”だろ?」


 大人は、白か黒かなんてハッキリ色を決めがらないモンなんだよ。

 だから、俺も仮面はあえて灰色にしてるんだからな……。


『同じ穴のムジナ。あるいはマッチポンパーってか?』

「どれも否定する気は起きんな」


 そんな俺の苦笑に相方も笑い声をあげる。


「ホラ、よく言うだろ。毒は毒でしか制する事は出来ないんだって」

『やっぱ、そうだ。アンタ、連中よりよっぽど質の悪い“悪党(わる)”だぜ』


 そんな素直な評価に俺は思わず笑い声をあげたのだった。



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