脱走の準備
王宮の廊下。
クリスは普段よりも速いペースで自身の部屋に向かっていた。
『ちょっと、大丈夫なの? あんなこと言って』
「大丈夫。それよりも早く部屋に戻って準備を済ませないと。あの人の気が変わらないうちに」
クリスがいうことはもっともだ。
準備に手間取っている間に相手の気が変わって協力してくれなくなったら元も子もない。
だからこそ、準備は迅速かつ正確に行う必要がある。
ほんの少しの時間も惜しいぐらいの気分でクリスは廊下を進んでいく。
勢いそのままに扉を開けると、中で部屋を掃除していたとみられるアニーがびくりと肩を震わせた。
「あぁ驚かせてしまったかしら?」
「いえ、大丈夫です」
アニーはそれ以上、何も言うことなく掃除を再開する。
彼女としては意見をせずにとりあえず状況を静観するつもりなのかもしれない。
「アニー」
「はい。なんでしょうか?」
「……私は数日以内に一時的にこの場からいなくなります。もしも、朝起きて私の姿が見えなかったら迅速に衛兵長のところに向かってください。よろしいですか?」
「かしこまりました」
彼女にしては珍しく淡々と答えを返すと、彼女は深々と頭を下げる。
「あの。アニー? どうかしたの?」
「いえ、何も……ただ、先ほど国王様がいらっしゃいまして」
「国王様が? えっと、何でですか?」
「私に専属メイド選出の理由を伝えるためだそうです」
彼女の言葉を聞いてクリスはようやく納得する。
おそらく、あの国王のことだからあの時クリスにいった言葉をそのまま伝えたのだろう。
そうなると、自分がメイドに選ばれた理由がそれだと考えてしまったアニーが落ち込むのも必至だ。いや、ある意味でクリスに対する信頼を失ったとも見て取れる。
「……アニー」
「気にしなくても構いません。もともと駄目なメイドだという自覚はあったのですから。とにかく、私は命令に従うのみです。失礼します」
彼女はそのまま部屋から退室していく。
クリスは彼女を追いかけるわけでもなく、呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
もしかしたら、国王がわざわざ専属メイドにあんな条件を付けたのはこれが狙いだったのかもしれない。
ある程度信頼関係が築けた時点でそれを崩してクリスの孤立を狙う。いかにもあの国王がやりそうな手段に思える。
いや、ある意味で予想の斜め上を行く最悪の結果を生み出す悪手かもしれない。
「……困ったことになったわね」
『えぇ。確かにそうね。どうする?』
「どうするもこうするもないわ。あまりこういう手段には出たくはないけれど、今は王宮からの脱出が最優先よ。そのあたりは遅くならないうちに何とかしておくわ」
『……それで手遅れにならなければいいのだけど……」
メイの不安げな声を耳に挟みながらもクリスは荷物をカバンに詰め始める。
あらかじめアンズに指示されていたものはアニーの手を借りて用意してある。
脱出のために使うロープに居場所をごまかすための魔法を発動するのに必要なカードが数枚、食料とお金、その他もろもろ……
一部は使い時がよくわからないものも含まれているのだが、あのアンズが必要ないものまで用意させるわけないので何かしらの形で使うのだろう。
「よし。それじゃ決行は今夜ということでいいかしら?」
『……あなたがいいならそれでいいわよ』
メイは半ばあきらめたようにため息をつきながら答える。
そんな横でそうそうに準備を終えたクリスは今一度荷物を確認してからそれをベッドの下に隠して、布団の中に潜った。




