クリスの悩み
冬を告げる風が吹いてからしばらくして、王都ではようやく雪が積もり始めていた。
いや、そんな風に思うのはクリスぐらいで、メイに言わせれば今年は例年よりも早いそうだ。
慣れない雪に足を取らせそうになっている人々の姿を見ながらクリスは何かをすることもなく民家の屋根からその様子を見下ろしていた。
『何か考え事? こんなところでボーとして』
そんなクリスにメイが声をかける。
一応、この家の家主には許可を取ってある。
魔王がクリスとなった時以来の初めての友人であるこの家の家主は今頃クリスが座っている屋根の下で遠くに旅立った息子へ送る服を作っているのだろう。
「いや、ちょっと考え事をね……王宮の部屋に閉じこもっていたら答え出そうにないし……」
『国政のこと?』
「うん」
実をいうと秋に指示を出して開発させていた新種の種であるが、つい先週開発に成功したという報告を受けた。
冬前に植えたにもかかわらずすくすく成長しているとかで嬉々として報告をしてきたのは今でもはっきりと覚えている。
ただ、問題はここからだ。
農産大臣の仕事をちゃんとこなしているという意味合いも込めてこのことを国王……つまり、クリスの父親に報告したわけであるが、まともに取り合ってくれず、種についても全国への配布は見送り、必要にならない限り栽培はしないと言い出したのだ。
これに対して抗議をするも聞き入れてもらえず、側近から“どうしても実現したいのなら賄賂を出さなければなりません”なんて言われたものだから王宮を飛び出してきたのだ。
クリスは大きくため息をつく。
「私……何をやってんだろ」
そういえばそうだ。
そもそも、自分はクリスである以前に魔王だ。
なぜ、人間の国の王を手助ける必要がある。
なぜ、人間の国を豊かにする方策を考える。
なぜ、人間の王に認められる必要がある。
すべてはクリスのためだ。
クリスがこの体に戻った時に苦労をしないため。
しかし、それに何の意味がある?
もう体は戻らない。
アンズがそういうのならほぼ間違いないのだろう。
見た目こそ単なる幼女であるが、彼女は凄腕の魔法使いだ。
それは魔王の名に懸けて保証できる。
そんな彼女にミスをさせてこんな事態を招いた誰かがいるのも確かだ。
「……本当にどうしたもんだろうな」
魔王と言えば悪政を布き、人々を苦しめる人類の敵だ。
しかし、どうだろう?
この国の国王は重税と大臣たちからの賄賂で財を蓄え思うがままに国を動かしている。
人間の敵は所詮、人間なのだと誰かが言っていた。
まさにその通りかもしれない。
『お父様のこと……気にしているの?』
メイのそんな一言で深い思考の海から一気に現実に引き戻された。
「……まぁそうだね。気にしていないって言ったらうそになる」
この言葉はうそだ。
本当は死ぬほど気にしている。
『ねぇ……クリス』
「なに?」
『いやだったら国政なんてほっといて逃げちゃおうよ。王国を抜けるのは大変かもしれないけれど、旧魔族領ならまだ統治は及んでいないし、少しリスクは高いかもしれないけれど妖精国方面も検討してもいいかもしれない……』
「メイ……そんなの無理だよ……できない」
別にメイの提案が実現不可能というわけではない。
この国の首都は常に国防の最前線に築かれてきたため一年という時間を要するモノの旧魔族領へ抜けるのは難しくはない。
そこから旧魔族領を通って王国以外で唯一領土と完全な自治権をもっている妖精国へ逃亡するルートであれば成功率は高い。
もちろん、本国と呼ばれている国が積極的に動いて旧魔族領をいくつかの国、地域に再編をしてしまえば、このルートでの逃亡はほぼ不可能だろう。
そもそも、これはこの立場になってから知ったことではあるがこの国は、王国と呼ばれていながら完全な自治権は持っておらず、扱いとしては帝国の中にある自治国という扱いなのだという。
税金や公共インフラに関するモノを始めとしたいくつかの権限は持っているものの軍隊や裁判などは本国の権限となっているそうだ。
見かけだけではいくつもの国が存在する人間領であっても実態はたった一国によって支配されている地域ということになるらしい。
その影響力が魔族領の併合および地域再編という形で現れれば、妖精国へまっすぐ向かうよりもリスクが高くなってしまうのだ。
「……少し考えさせて」
しかし、そんなものの答えをすぐに出せるわけがない。
クリスはその場でしばらくどんよりとした空を見上げながら考えに浸っていた。




