幸せを呼ぶ
『街を巡る手紙』のプロローグ・エピローグで語り手を務めてくれた、郵便局員のお話。
べ、別に存在を忘れてたとかじゃ…ないんだからね←
ってなわけで、新キャラ(?)二人出てきます。
かつて俺――柏木颯真が郵便局員として互いの家に運んでいた、何往復もの手紙のやり取りがあった。その手紙を届けることが、いつも楽しみで仕方なかった。
その文通がある日突然ぱったりと止まってしまったとわかった時は、ひどく暗い気持ちになった。郵便の束をどれだけ探しても見当たらなくて、そのたびに不安な気持ちになって……。
まるで自分が、当事者になったみたいな気持ちだった。
もちろんその内容を目にしたわけでもないし、二人がどんな人間かも、どんな末路をたどったのかも知らない。それらしき二人の男女を一度見かけはしたものの、それがその人たちだったのかどうかの確証はなかった。
けれど俺は、心のどこかで信じていたんだ。二人はきっと、あの手紙を通じて心を通わせることができたのだと。
そうして二人で俺の前に現れて、礼を言ってくれたのだと。
そう思うことで、俺は浮上した気持ちになって……そして同時に、とても恋愛がしたくなった。
とうの昔に置いてきたはずの純粋な気持ちで、大切に想える誰かと出会って、二人でゆったりと時を刻んでいけるような……そんな恋がしてみたい。
幸せそうな男女の姿を街中で見かけた、あの日からずっと、俺は心の奥底でそんな願いを持ち続けていた。
◆◆◆
「ふぅん……いいね、そういうの。ロマンチックで素敵。颯ちゃんが憧れる気持ち、分かるなぁ」
俺の部屋で缶ビールを手にくつろぎながら、大学時代の友人である水橋卯花が夢見るように、目をトロンとさせながら言った。頬が紅潮しているのは、酒だけのせいではないかもしれない。
女子というものは、大概が乙女チックな甘いものを好む。シンデレラのようなサクセスストーリーもそうだが、やはり先ほど俺が話したような、奇跡ともいうべき話が一番ウケがいいようだ。
この卯花も、もちろん例外ではない。この年になっても、いまだに童話のような恋を夢見ているのだと、自分で語っていたことがあるぐらいだ。
卯花とは大学の頃に出会って以来意気投合し、互いに別々の場所に就職した今でも、こうして二人で宅飲みすることが多い。同性の友人よりも、一緒にいて気が楽だと思える。
こんなことを繰り返しているものだから、周りの人間からは『颯真と卯花って、付き合ってんの?』などという、何とも見当違いなことをよく言われてしまう。
確かに卯花とは、一緒にいて楽しいと思う。息苦しくもならないし、今更気を遣おうとも思わないし、彼女といる時は素になることができる。
けれど……恋愛感情を抱けるのかどうかは、正直なところよくわからない。
彼女となら抱きしめあっても、キスをしても、それ以上のことをしても……それでもきっと、嫌な気持ちにはならないと思う。
けど、それを恋と呼ぶには、まだ何かが足りないような気がした。それが何かはまだわからないし、明らかにするのも怖いと思う。できれば、ずっとこのままの関係を続けていたい……と思うのは、勝手なのだろうか。
もっとも卯花は、そんなこと露ほども思ってはいないのだろうけれど。
「ねぇ。颯ちゃんは、誰か気になる人がいたりとかしないわけ?」
答えの出ない自己問答に意識を飛ばしていると、いつの間にやら俺の顔を覗き込みながら、悪戯っぽい目で卯花がそう尋ねてきていた。
「気になる人って?」
首を傾げながら逆に尋ね返すと、何故か卯花は急にうろたえた。俺からぴょん、と飛ぶように離れていくと、俺の顔を見ながら、もごもごとした声で続ける。
「だから、その……そういう、これから……その、運命だって思えるような。同じ時を、一緒に刻んでいきたい……理想の恋をしてみたい人っていうか」
もう酔いが回ってきているのか、黒い瞳が若干潤んでいる。ほんのり染まった頬も相まって、彼女の表情からは普段にはない色っぽさがにじみ出ていた。
そのことに気付いて、不意にドキリとする。
自分も、酔っているのだろうか……。酒にはそれなりに強く、耐性がついてきたと思っていたのに。
ぐるぐると回る思考を断ち切ろうと、俺は持っていたビールを煽る。軽く笑いながら、彼女の問いに対して、茶化すように答えた。
「いい女がいれば、すぐにでも付き合いたいがなぁ」
「茶化さないで、ちゃんと答えてっ」
卯花はだんっ、とテーブルの上にビールを置くと、座ったままこちらへにじり寄ってきた。むぅ、と不満げに膨らんだ頬とは対照的に、その瞳はえらく真剣だ。
俺は若干後ずさりながら、苦笑を浮かべてみせた。
「ど、どうしたんだよ卯花……ひょっとして、もう酔っぱらったか?」
「まだ一本しか開けてないのに、酔うわけないでしょ」
卯花が言うことももっともである。だって……卯花と一緒にこの場所に――俺のアパートに上り込んだのは、ほんの三十分ほど前のことだ。つまりそんなに時間は経っていないし、二人ともそんなにハイペースでアルコールを摂取したわけでもない。まだ一本目を飲んでいる途中だ。
なら、何で……。
「卯花?」
名を呼ぶと、びくり、と細い肩が跳ねた。その反応が珍しくて、俺は思わず目を丸くする。
卯花は言葉を詰まらせ、うつむいた。表情は分からないが、垂れ下がる髪の毛からちらりとのぞく耳が、先ほどよりも真っ赤に染まっていた。
そんな反応、しないでくれ。
何かあるのかと、期待してしまうではないか……。
――そんな考えが脳裏をよぎったことに、俺はさらにうろたえた。俺は一体、何を考えているのだろうか。
早鐘を打ち始める心臓の音が、どこか遠くに聞こえるような気がした。
卯花は意を決したようにキッ、と顔を上げると、先ほどよりもずっと真剣な目と声で、はっきりと、こう告げた。
「あたしじゃ、駄目かな」
「……へ?」
一瞬何を言われたのかわからなくて、俺は文字通り目を点にした。その反応を見て、じれったそうに卯花は続ける。
「だからっ……その。あたしが颯ちゃんの、運命の人になれないかって」
「それって、」
「馬鹿。全部言わなくても、察してよ!」
いまだにポカンとしている俺に、卯花は急に気恥ずかしくなったのか、ぷいっと横を向いてしまった。真っ赤に染まった横顔が、急に愛おしく、かけがえのないものに思えてきてしまう。
そうか。足りなかったものは、彼女の明確な気持ちだったんだ。
彼女が俺のことを、本当はどう思ってくれているのか。
それが分からない限り、俺は自分の中に芽生えていたこの気持ちを、きっと一生恋とは呼べなかった。……いや、呼びたくなかった、と言った方が正しいかもしれない。
俺はずっと前から、彼女を大切な人間だと思っていた。一緒に時を刻んでいきたいと、そう願っていた。
だから……。
うつむいたまま小刻みに震える卯花の手を引き、俺は彼女の身体を自分の腕に閉じ込めた。
「っ!」
卯花はもちろん、驚いたように身を竦める。
そんな彼女の耳元に唇を寄せると、俺はできる限りの感情をこめて、彼女に本心からの言葉を告げた。
「ありがとう、卯花。俺にとって運命だと思えるのは、お前だよ」
「……っ」
まるで込み上げるものに耐えるかのように、彼女が再び身を竦める。
やがて彼女はおずおずと腕を伸ばすと、俺の背中にしがみつくように、ギュッと俺の服を掴んだ。
それが嬉しくて、俺は彼女を抱きしめる腕を強める。
互いが飲みかけていたビールの気が抜けるのも構わず、俺たちはそのまま気のすむまで、ずっと抱きしめあったまま動かなかった。
――俺は彼女とこれから、どんな時を刻んでいけるのだろう?
それがどんなものであっても、二人ともが幸せな表情で過ごせたら、それ以上のことはないと思う。
そう。あの日街中で出会った、幸せそうに寄り添いあう二人のように。
かつて手紙を交わし合い、心を通わせた、二人のように。
この郵便局員のことは、本当に考えなかったわけではないんですよ。
エピローグで家族がいるみたいな描写でもして、適当に収めようかとも思ったんですが…やっぱり、何かドラマ的なものがあった方がいいじゃないですか。
というわけで、今更ながらちょちょっと書いてみました。
何か毛色が違うような気がしないでもないですが、それはそれ、ということでお楽しみいただければ幸いです(苦笑)
今回の題名は、クンシランの花言葉。
クンシラン(君子蘭)とはヒガンバナ科クンシラン属の植物の総称。別の分類方法によっては、ユリ科に含まれることもあります。
『ラン』と名がつきますが、実はランではありません。じゃあ何なんだ、って話ですけれども(笑)
色々な仲間がありますが、一般的に『クンシラン』と呼ばれているのは『ウケザキクンシラン(受け咲き君子蘭)』という種類だそうです。